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第七章 公家の政
第二百三十四話 行幸
しおりを挟む準備といっても、牛車や主上専用に作ったお召船をいつでも使えるように屋敷の中の専用船溜まりに係留させておくだけだ。
俺のそばで常に待機してくれている丹波少年……俺と一緒に成長したので流石にもう少年と呼べる歳ではなくなったが、その丹波が情報を持ってきた。
関白一行が俺たちの動きに気付き、慌てて都に戻る準備を始めたと近衛周辺に付けている忍びからの情報を持ってきた。
関白一行すぐに戻れる場所にはいないようだが、それでも急ぎ戻ればややこしいことになる。
かといって御所の方はなかなか動かない。
正直急がせたかったのだが、陛下を急かす訳にも行かず、只状況を見守るだけだ。
しかし、御所からの言い訳が酷かったのには正直思うところはある。
なんでも方位だとか、日が悪いだとか言っている。
とにかく関白が戻る前に船に乗せてしまえば、その日のうちに伏見の屋敷に入れる。
伏見の屋敷は、弾上の別邸が隣に構えてあり、陸からだと弾上の屋敷の中を通らないと入れない作りになっているので、俺たちが望まない連中は主上に会えないようにしている。
なにより、弾正の別邸の造りが嫌らしくしてある。
少なくとも関白のような高貴な人が通れるような門は一つもない。
私的な訪問ではいくらでも通ることはできようが、公的には格が足りない。
日ごろから格式なんぞとか言っている連中なので、その辺りを囁けば無理して通ろうとはしない筈だ。
しかも私的な訪問ならば家主不在でいくらでも追い返せる。
なので、武士ならともかく、とにかく格式を重んじる公家、特に公卿などとも言われるような連中では、絶対に通れないような造りにしてある。
だが、俺達の仲間に当たる公家たちは別だ。
公家が主上の元に行くには、弾上屋敷を抜けられるように許可をもらうか、公的にはそれなりの格のある船で川の方から格式を重んじた造りの船で入ればいい。
そう、公的な訪問ならば陛下をお迎えできる門も、勅使門など、格式ある造りの門を川に面して造ってあるのだ。
とにかく、主上が伏見の屋敷にいる限り主上からの公的な使いは川からでしか出入りできない造りにしてある。
もしも関白がそこらの船を借りて中に入ろうとしても、しょせんは渡しや漁船程度では中に入れるほどの格がないという理由で、入り口で断る算段になっている。
あいつらがいつも言っているように、格がどうとかと云うのを今回は俺達が使わせてもらうだけの話だ。
で、山科卿や太閤殿下、または彼らの一派の公家たちは、俺の屋敷から、前に山科卿をお乗せした船で伏見に行けるよう手配してあるので、伏見屋敷に主上がお入りになった時点で完全に主上を俺たちが確保したことになる。
それにより、関白たちの政治的な動きはかなり制限を掛けることができるだろう。
何か政治的なことをしても、たとえ綸旨を使おうとも、こちらから勅命を出して綸旨を潰してもらえば済むだけの話だ。
最悪、関白たちに朝敵の汚名を着せることもできなくないと俺は考えている。
何せ、この国で最も権威のある勅命はこちらからは出すことが可能だが、関白たちには絶対に出せない。
早々朝敵の指名やら勅命は出せるものではないのだが、関白たちがそう考えるよう仕向ければそれだけで抑止力が働く。
関白たちには、主上を押さえられた時点で俺達に対抗するすべはなくなる。
唯一できるとすれば、関白たちも新たな天皇を立てればこちらと同格となるが、朝廷を割って新たな天皇陛下をでっちあげることが、果たしてあの関白にできるのか。
この国の歴史上最も不名誉なあの南・北・朝・時・代・のようなことを自身で造れるのか、甚だ疑問だ。
とにもかくにも、今回の計略の肝は関白たちから主上を切り離せるかにかかっている。
だが現状では、御所の動きが遅いことが気になる。
とにかく、間に合いさえすればどうにかなるが、もし、関白が戻ってこれたらややこしいことになる。
もしも、関白たちがこちらの移動よりも先に都に戻れるのなら、計画は大幅に修正が必要となるだろう。
今更主上の避暑は中止できずとも、主上の行幸にあいつらは絶対についてくるからだ。
関白たちが主上の行幸に同行を希望されると、こちらとしても断ることができない。
その結果、伏見の屋敷に関白たちもはいることになる。
まあ、関白たちが仮に伏見の屋敷に付いて来たら来たでどうにかするが、それでも面倒になることには変わらない。
俺がやきもきしても始まらないことは分かっているが、本当に、あの非合理的なことはどうにかならんのか。
俺たちが主上を避暑に連れて行くという話を吉野に向かっていた関白たち一行が知ったのは、大和の興福寺で休んでいた時のようだ。
さすがに大寺院だけあって京での出来事を素早く知る手立てがあるようで、山科卿たちが主上に避暑の件を切り出した段階で、御所周辺にはこの話は伝わる。
すると付近の有名寺院などへ情報が伝わるようになっているようだ。
正直今回のことで、大寺院の持つ情報収集能力が侮れないことを実感できたことは良かった。
で、話を聞いた関白たちは急ぎ御所を目指して、興福寺の僧兵などの力まで借りて移動を始めたと忍びたちが情報を持ってきた。
興福寺の僧兵など、前に弾上が筒井を破った時に絶滅したものと考えられていたが、どうも相当しぶとかったようで、まだかなりの数の僧兵が残っていることも今回判明した。
この情報にはさすがの弾上も頭を抱えて、どうしたものかを考えているとか。
今のところ興福寺の僧兵が悪さをしたという話は聞かないので、とりあえず様子見だとか。
俺はというと、とにかく関白たち一行、特に近衛関白がどこにいるかを正確につかんでおくよう指示を出している。
それで、その関白たちが、宇治から渡し船を使い、淀を素通りして下京の東寺に入った時に主上が御所を出られたと報告を受けた。
俺は周辺の治安責任者だ。
主上が牛車に乗り込むよりも前に、牛車の通り道を警護のために封鎖して、屋敷までの安全を確保する。
近衛関白たちが慌てて戻ってきても良いように、時間稼ぎを兼ねて一切の通行を止めていた。
主上と義父である太閤、それに山科卿がそろってお召の川船に乗り込まれたこと確認して、船を出させた。
関白たちが今いる東寺から、今回の行幸ルートとして使っている鴨川までは少しばかり距離がある。
すでに、主上が船上だという情報が入っても、鴨川まで関白が来る前に付近を通り過ぎることができる。
もし、関白に見つかりでもしたら、船を止めろとは流石に言えないだろうが、別の船に関白たちも載せろと命じてくるくらいはするだろう。
とにかく、関白たちに見つかる前に通り過ぎることが肝心なのだ。
今、情報が東寺に飛んで行っても、情報がつく前にはあのあたりを通り過ぎる計算だ。
船頭にも、とにかく淀までは寄り道せずに急ぎ川を下れと命じてある。
今回ばかりは、情報伝達にタイムラグが出るこの時代に感謝するばかりだ。
携帯などは無理でも伝書鳩程度でも、実用されていれば計画は破綻したかもしれない。
夕方になる前には主上たち一行は伏見の屋敷に逗留された。
近衛関白は戻り次第、絶対に主上の行幸について詰問の使者をこちらに寄こすだろう。
それを俺たちはのらりくらりとかわすのだが、あいにく俺にはそんな芸当ができそうにない。
そこで、頼りになるのが狸おやじこと大和の弾正だ。
あの狸ぶりには何度も煮え湯を飲まされたのだが、今回ばかりは頼もしく見えるのだから不思議だ。
普通敵にするとどうとか、味方にすると頼もしいと云うのがあるが、味方のはずの弾正が今日の今日まで頼もしく思えたことが無い。
ひょっとして味方で無かったのではとすら考えてしまうくらいだ。
その弾正は、今主上の行幸警備の責任者として淀で指揮を取っているが、主上が伏見の屋敷に入られた後、主上や太閤殿下に挨拶後に、こちらに来てくれることになっている。
弾正が上京に来るのを待ってから、関白たちの対応について相談しておくことになる。
ちょうど時間を同じくして、その頃の近衛関白一行は急ぎ旅で下京にある東寺まで来たは良いが、流石に日ごろから運動などする習慣のない公家たちを引き連れての旅のためか、一行のほとんどが東寺でダウンしていた。
急ぎ京まで来たのだが、御所まで一日もかからない距離の処まで来たために安心したのか公家たちはどっと疲れが出たために、動けなくなっていた。
流石に、越後の龍と称される長尾とも親交のあった近衛関白は旅慣れていたので、まだまだ余裕がありそうなのだが、自身が引き連れている公家たちのほとんどが東寺で動けなくなり、やむを得ず東寺で休むことにした。
ここで一休みすれば今日中に御所まで着ける。
最悪動ける者だけでも連れて御所に出向き主上に真意を直接問い質すつもりの関白は、明日には全てが分かると考えていた。
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