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第二章 台風の目
十五
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「平手だけは、ずっとあなたのそばにいると思っていたのでしょう」
帰蝶は信長から所望された餅を焼きながら、つぶやくように言った。
「人は皆カンタンに死ぬ。遅いか早いか、それだけだ」
信長は肘枕で寝転がったまま夕日に向き合っている。餅の香ばしい香りに腹をぎゅうと鳴らした。
「お父上が亡くなられたときより、ずいぶん堪えて見えますよ」
「口の悪い女だ。他人に聞こえたら、ただでは済まないぞ」
目の前の男が「他人に聞こえたら」と言ったことが、帰蝶には可笑しかった。
「あなたと私は、いつしかもう他人ではなくなりましたか」
信長はようやく自身が迂闊なことを口走ったことに気が付いた。
「もう幾年も一緒に住んでいるのだから、マア、仕方あるまい」
「夫婦の契りを交わしていなくとも、ですか」
「そうさ。餅はまだかい」
そうはぐらかすと、立ち上がって帰蝶のところまで行き、小さな煙が上がっている火鉢をじいっと見降ろした。
「ずいぶんきれいに切り分けたな」
「せっかく食べるのだから、きれいな方が良いでしょう」
「見かけで味が変わるわけでもあるまい」
「変わりますよ」
「ウソをつけ」
信長は焼き目のついた餅を取り上げて、一つ平らげる。
「ウン、うまい」
そう言うと焼けた餅を端から次々に口へ放って小腹を満たしたが、二つだけ残してある。帰蝶の分だというつもりだろう。
「昔、初陣の折に、平手に餅を焼かせたことがある」
信長は両手を後ろについて仰け反るように座ると、満足したようにぽそりと語り始めた。
「風の強い日でね、敵地の田畑を散々に焼いてやったら、奴らたいして戦うこともなく撤退して行った。
初陣だからな、オレは大立ち回りを期待して張り切ってきたのに、実際はただの放火しかしていないからどうにも暇でね、逃げ行く敵を挑発する意味も込めて、その火で焼き餅をつくろうとしたのだ。
ちょうどそばにいたから、平手にやらせた。最初は「緊張感がない」だのと何かと説教を垂れていたが、本当に敵がいなくなったことが分かると、奴も腹が減っていたのだな、しぶしぶ餅を焼き始めたよ。お前と同じように、「せっかくだから、見かけも良く……」などとバカなことを言いながら、やけに几帳面に焼いていたな。
その日はオレの配下どもが好き勝手をやって暴れた後で、平手は大層立腹していたのだが、餅を焼いているときだけはすっかり忘れていたのか、何だかやけに穏やかな顔をしていたよ」
帰蝶はつい話の続きを待っていたが、
「話はこれでおわりさ」
信長はすっくと立ち上がるって頭を掻いた。月代のない、いつもの茶筅髷に指が絡んで引っかかったのを苛立たし気に振り切った。
「何が見かけだ。そんなものに拘って死んでしまっては、元も子もないじゃねえか」
吐き捨てるようにつぶやき、沈みいく夕日を煩わしそうに睨んだ。
「父から文が届いています」
帰蝶が唐突に言った。
「オレにか?」
「はい」
信長はぎょっとした。
「なぜもっと早く言わない」
「現れるなり、「餅を焼いてくれ」と言ったのは、あなたではないですか」
帰蝶は手に紙束を抱えていた。火鉢に近い。間違いがあれば燃えてしまいそうで、信長はちょっと慌てながら、
「貸せ」
サッとそれを奪い取った。
帰蝶の輿入れの後、信長に直接宛てられた手紙が利政から寄越されたことなど一度もなかった。
読んでみれば、前半は、平手政秀の死に際して慇懃な弔意が示されているに過ぎないが、後半部には、より具体的な重大極まる一つの提案が明瞭に記されていた。
信長は口角をじりりと上げながらも、心拍を加速させている。どこか困ったような顔に見えなくもない。いや、生き死にを賭けた戦に望むときの武士の顔だという気もする。
「何か良いことが、書いてありましたか?」
帰蝶は焼餅を一つ頬張りながら、すこしイジワルに訊ねた。
「サア、どうだかね。イヤ、必ずや『良いこと』にしてみせるがね、」
平手の死からおよそ一月の後のことである。
織田信勝の末森城より東へ一里、下社城と呼ばれるこの地は柴田勝家の居城であるが、この晩に限っては信長廃嫡を目論むための密会場と化していた。
「秀貞殿は、お見えではないのですか」
「兄なら家におりますよ。何せ、近頃は貴公があまりにも好き勝手にやっているものだから、いくら信長の阿呆でもこちらの動きにどうも気づいていやがる。いけませんな、そういうことは。それでなくとも兄上は織田信長の一番家老という立場がある。彼奴を見限るときは、まさに一撃必殺でなければ駄目だ。裏切りが半ば露見しながらダラダラと過ごしなど、傍から見れば無様この上ないことです」
この皮肉屋と勝家は馬が合わない。
林・柴田は、元来どちらもそれほど身分の高くない土豪の出であるが、信秀にその才を見出されて弾正忠家の重臣となった家柄である。
とりわけ道具、勝家の両名は共に軍事に秀でた部将であるというところは共通しているが、寡黙な勝家に対し、道具は非常な多弁家。勝家は昔気質の口下手だからそれを「小賢しい」と蔑んでいたが、当の道具の方はといえば、むしろその達者な口の分だけ自分の方が勝家よりも優秀だと考えているのだから、いよいよ犬猿である。信長を排し信勝を擁立するという陰謀の元に結束している同志ではあるが、心根は相いれないのだ。
「某への批判は結構。しかし、信勝さまをも侮辱するなら、それなりの覚悟をされることです」
「ハッ。主の権威を笠に着ねばものも言えぬとは困った人だ」
あまりに剣呑な有様だった。
そも、勝家が相談を持ち掛けた相手は弟の道具の方ではなく兄の秀貞である。それがどういうわけか、兄の代理で弟の方が来た。道具が言うには、「信長が怪しんでいる手前、大胆な動きを避けた」ということらしいが、それとてどこまで信用できるか、勝家には甚だ疑問だった。
「それに、佐久間殿が一向に来ぬではないか。柴田殿の声かけでは人が集まらぬと見えますな」
勝家は秀貞のみに声をかけた訳ではない。信盛にも呼び掛けたが、定刻を過ぎても姿を見せない。この事実には、勝家とて返す言葉がない。
「柴田殿が頼りにならぬゆえに信長方へ翻ったのではあるまいね。フフ」
勝家は度重なる挑発にいよいよ閉口した。
「佐久間信盛は義理堅き男。あ奴に限ってあり得ぬことにござる」
これ以上言い返すのが面倒になり、同輩である信盛の弁明のみを行ったが、
「そうか、そうですな。佐久間殿は忠義の武士。例え柴田殿が頼りにならぬとも、裏切りなど行うはずもありますまいて」
隙を見せればすぐに調子に乗るのがこの男。相手が呆れかえって黙ったのを良いことに、反論されない限りは自分の弁舌が上回ったのだと信じて疑わないのだから、大した面の皮の厚さである。まるで童の鬼ごっこのような理屈を平然と持ち出すのだから、勝家はいよいよ頭痛がした。
「そうだ、忠義の男と言えば、平手政秀が死にましたな」
ぴくりと勝家の眉が動く。
「昔からよく知っているが、改めて馬鹿なひとだと思ったなア。潔く鞍替えに応じればよかったものの、強情に信長に味方し、ついには自身の息子と信長に生じた諍いを鎮めるために切腹、という始末ですからな」
平手切腹の動機は公には語られていないが、しかし、平手の死後、即座に嫡男・長政が廃嫡となって出家した事から、自然と、道具の考える筋書きが概ね正しいものとして流布された。
「死んだ者を悪く言う趣味は、某にはござらん」
「我々はいずれ信長を滅すつもりでいる。相違ありませんな。だが、そうしておいて、その後、柴田殿は、織田信長の墓前では涙を流されるおつもりなのかな。それこそ滑稽なことだと、そうは思いませんか。生きていようと死んでいようと、愚者は愚者に他ならぬはず」
生きようが死のうが愚者は愚者。口調の軽薄さに似つかわしくない一定の理がそこにはあったが、それでも勝家には平手を嘲笑する気が起きない。一つには、あの信長の傅役を十数年勤めあげたことに対する忠義への敬意がある。そして、また一つには、その死がどうにも不可解だったことが理由である。いくら信長と実子の関係に手を焼こうとも、あの平手政秀がそれを苦に自殺までするとは考えづらい。信長の危なっかしさを目の当たりにすればするほど、己に鞭打ち、尚も主に道理を説くべく奮い立つような、そういう頑固な男だったはずだと勝家は記憶している。
しかしながら、その真相を知ることも、もうないのだろう。であればよく分からないことを賢しらに語ることもない。
「貴殿のいう通りかもしれませんな。平手殿は、きっと、馬鹿をやった」
勝家のそれには彼にしか紐解けぬ含蓄があるが、道具には自らへの唐突な賛意にしか聞こえなかったから、ちょっと気味が悪くなった。
「フフ。マア、平手政秀というのは出来た男でしたから、柴田殿の傷心も分かりますがね、」
などととってつけたような追従を挟み込んで苦笑する。
「それにしても、平手殿の死ということを考えれば、やはり佐久間殿の裏切りなぞ改めてあり得えないことだと言わざるを得ませんな。信長陣営にもはや人物はおらぬ。この状況で向こうへ翻るのでは、どちらを向いても得がない。そんなことをする奴がいたとしたら、それは信長と同等かそれ以上の大うつけでしょう」
裏を返せば、損得によって主を変えることを是とするという道具の論旨に、勝家は再び眉を潜めたが、しかし、信長が絶体絶命の状況にあることはその通りだ。家老以上の立場にあって信長に明確に味方する者は一人もいなくなった。だからこそ、いまこの時、雪崩を打って畳みかけ信長を隠居させてしまえやしないか、彼らと共に策を練るつもりだったのだ。
『最悪の場合は、暗殺ということもやむを得ない。しかし、手を汚すのなら、我らのみでそうしなければならぬ。信勝さまには、後々のためにも引け目のない身でいてもらわなければならぬ』
暗殺という手段がすでに平手長政によって実行され、そして失敗に終わっていることまでは、勝家には知る由もない。
「いましかありませぬ」
「フ。猪武者らしい前のめりだ。しかし、私も大方同じように考えてはいますよ。こう言っては何だが、信勝さまも兄上も、どうも、信長を力で以て退けさせることに及び腰のご様子。早い方が良いということは目に見えているのに、です」
「いざとなれば、信長さまを斬る覚悟はおありか?」
「愚問」
燭台の火を反射してぎらぎらと輝く道具の眼。重たい瞼に隠れてのっぺりと黒ずんだ三白眼の勝家の眼。対照的な両者の視線が、一つの陰謀のうえでしずかに交わっていた。
「いや、早計やもしれませぬ」
その時、不意に襖が開け放たれて信盛が現れた。
「御免。遅れ申した」
「オオ。佐久間殿、よう参られた!」
「あまり遅いので心配しておりましたよ。貴公が信長方に寝返ったのではないかとね」
踏み込んだ冗談にも信盛は表情一つ崩さず、
「ハハ。道具殿、ご無沙汰です。しかし当たらずも遠からず、といったところですかな」
「なに、」
「いやなに、柴田殿はご存じのことですが、山崎砦の築城がお気に召したのか、以後、私はずいぶんと信長さまに使われることが増えましてね、それを利用し信長さま近辺の内情を探るようにと信勝さまより仰せつかっている訳です。この場に遅れたのはその所為というわけで、どうかご容赦いただきたい」
「すると、何か土産話があるのでしょうかね。我らの蜂起を「早計」だと断じた理由を是非お聞かせ願いたい」
道具が挑発するように問いかける。
「土産というほどの価値はないかもしれませぬ。いずれ公に知れることですので。しかし、重大極まる情報には違いない」
「勿体ぶらずに聞かせてもらえぬか、佐久間殿」
信盛は溜息だか深呼吸だか分からないのを一つすると、本日、彼が那古野城で信長本人から聞き及んだ情報を告げる。
「美濃の斎藤利政殿と信長さまの会合が執り行われることと相成りました。場所は、美濃・尾張の国境に位置する冨田の名刹・聖徳寺です」
帰蝶は信長から所望された餅を焼きながら、つぶやくように言った。
「人は皆カンタンに死ぬ。遅いか早いか、それだけだ」
信長は肘枕で寝転がったまま夕日に向き合っている。餅の香ばしい香りに腹をぎゅうと鳴らした。
「お父上が亡くなられたときより、ずいぶん堪えて見えますよ」
「口の悪い女だ。他人に聞こえたら、ただでは済まないぞ」
目の前の男が「他人に聞こえたら」と言ったことが、帰蝶には可笑しかった。
「あなたと私は、いつしかもう他人ではなくなりましたか」
信長はようやく自身が迂闊なことを口走ったことに気が付いた。
「もう幾年も一緒に住んでいるのだから、マア、仕方あるまい」
「夫婦の契りを交わしていなくとも、ですか」
「そうさ。餅はまだかい」
そうはぐらかすと、立ち上がって帰蝶のところまで行き、小さな煙が上がっている火鉢をじいっと見降ろした。
「ずいぶんきれいに切り分けたな」
「せっかく食べるのだから、きれいな方が良いでしょう」
「見かけで味が変わるわけでもあるまい」
「変わりますよ」
「ウソをつけ」
信長は焼き目のついた餅を取り上げて、一つ平らげる。
「ウン、うまい」
そう言うと焼けた餅を端から次々に口へ放って小腹を満たしたが、二つだけ残してある。帰蝶の分だというつもりだろう。
「昔、初陣の折に、平手に餅を焼かせたことがある」
信長は両手を後ろについて仰け反るように座ると、満足したようにぽそりと語り始めた。
「風の強い日でね、敵地の田畑を散々に焼いてやったら、奴らたいして戦うこともなく撤退して行った。
初陣だからな、オレは大立ち回りを期待して張り切ってきたのに、実際はただの放火しかしていないからどうにも暇でね、逃げ行く敵を挑発する意味も込めて、その火で焼き餅をつくろうとしたのだ。
ちょうどそばにいたから、平手にやらせた。最初は「緊張感がない」だのと何かと説教を垂れていたが、本当に敵がいなくなったことが分かると、奴も腹が減っていたのだな、しぶしぶ餅を焼き始めたよ。お前と同じように、「せっかくだから、見かけも良く……」などとバカなことを言いながら、やけに几帳面に焼いていたな。
その日はオレの配下どもが好き勝手をやって暴れた後で、平手は大層立腹していたのだが、餅を焼いているときだけはすっかり忘れていたのか、何だかやけに穏やかな顔をしていたよ」
帰蝶はつい話の続きを待っていたが、
「話はこれでおわりさ」
信長はすっくと立ち上がるって頭を掻いた。月代のない、いつもの茶筅髷に指が絡んで引っかかったのを苛立たし気に振り切った。
「何が見かけだ。そんなものに拘って死んでしまっては、元も子もないじゃねえか」
吐き捨てるようにつぶやき、沈みいく夕日を煩わしそうに睨んだ。
「父から文が届いています」
帰蝶が唐突に言った。
「オレにか?」
「はい」
信長はぎょっとした。
「なぜもっと早く言わない」
「現れるなり、「餅を焼いてくれ」と言ったのは、あなたではないですか」
帰蝶は手に紙束を抱えていた。火鉢に近い。間違いがあれば燃えてしまいそうで、信長はちょっと慌てながら、
「貸せ」
サッとそれを奪い取った。
帰蝶の輿入れの後、信長に直接宛てられた手紙が利政から寄越されたことなど一度もなかった。
読んでみれば、前半は、平手政秀の死に際して慇懃な弔意が示されているに過ぎないが、後半部には、より具体的な重大極まる一つの提案が明瞭に記されていた。
信長は口角をじりりと上げながらも、心拍を加速させている。どこか困ったような顔に見えなくもない。いや、生き死にを賭けた戦に望むときの武士の顔だという気もする。
「何か良いことが、書いてありましたか?」
帰蝶は焼餅を一つ頬張りながら、すこしイジワルに訊ねた。
「サア、どうだかね。イヤ、必ずや『良いこと』にしてみせるがね、」
平手の死からおよそ一月の後のことである。
織田信勝の末森城より東へ一里、下社城と呼ばれるこの地は柴田勝家の居城であるが、この晩に限っては信長廃嫡を目論むための密会場と化していた。
「秀貞殿は、お見えではないのですか」
「兄なら家におりますよ。何せ、近頃は貴公があまりにも好き勝手にやっているものだから、いくら信長の阿呆でもこちらの動きにどうも気づいていやがる。いけませんな、そういうことは。それでなくとも兄上は織田信長の一番家老という立場がある。彼奴を見限るときは、まさに一撃必殺でなければ駄目だ。裏切りが半ば露見しながらダラダラと過ごしなど、傍から見れば無様この上ないことです」
この皮肉屋と勝家は馬が合わない。
林・柴田は、元来どちらもそれほど身分の高くない土豪の出であるが、信秀にその才を見出されて弾正忠家の重臣となった家柄である。
とりわけ道具、勝家の両名は共に軍事に秀でた部将であるというところは共通しているが、寡黙な勝家に対し、道具は非常な多弁家。勝家は昔気質の口下手だからそれを「小賢しい」と蔑んでいたが、当の道具の方はといえば、むしろその達者な口の分だけ自分の方が勝家よりも優秀だと考えているのだから、いよいよ犬猿である。信長を排し信勝を擁立するという陰謀の元に結束している同志ではあるが、心根は相いれないのだ。
「某への批判は結構。しかし、信勝さまをも侮辱するなら、それなりの覚悟をされることです」
「ハッ。主の権威を笠に着ねばものも言えぬとは困った人だ」
あまりに剣呑な有様だった。
そも、勝家が相談を持ち掛けた相手は弟の道具の方ではなく兄の秀貞である。それがどういうわけか、兄の代理で弟の方が来た。道具が言うには、「信長が怪しんでいる手前、大胆な動きを避けた」ということらしいが、それとてどこまで信用できるか、勝家には甚だ疑問だった。
「それに、佐久間殿が一向に来ぬではないか。柴田殿の声かけでは人が集まらぬと見えますな」
勝家は秀貞のみに声をかけた訳ではない。信盛にも呼び掛けたが、定刻を過ぎても姿を見せない。この事実には、勝家とて返す言葉がない。
「柴田殿が頼りにならぬゆえに信長方へ翻ったのではあるまいね。フフ」
勝家は度重なる挑発にいよいよ閉口した。
「佐久間信盛は義理堅き男。あ奴に限ってあり得ぬことにござる」
これ以上言い返すのが面倒になり、同輩である信盛の弁明のみを行ったが、
「そうか、そうですな。佐久間殿は忠義の武士。例え柴田殿が頼りにならぬとも、裏切りなど行うはずもありますまいて」
隙を見せればすぐに調子に乗るのがこの男。相手が呆れかえって黙ったのを良いことに、反論されない限りは自分の弁舌が上回ったのだと信じて疑わないのだから、大した面の皮の厚さである。まるで童の鬼ごっこのような理屈を平然と持ち出すのだから、勝家はいよいよ頭痛がした。
「そうだ、忠義の男と言えば、平手政秀が死にましたな」
ぴくりと勝家の眉が動く。
「昔からよく知っているが、改めて馬鹿なひとだと思ったなア。潔く鞍替えに応じればよかったものの、強情に信長に味方し、ついには自身の息子と信長に生じた諍いを鎮めるために切腹、という始末ですからな」
平手切腹の動機は公には語られていないが、しかし、平手の死後、即座に嫡男・長政が廃嫡となって出家した事から、自然と、道具の考える筋書きが概ね正しいものとして流布された。
「死んだ者を悪く言う趣味は、某にはござらん」
「我々はいずれ信長を滅すつもりでいる。相違ありませんな。だが、そうしておいて、その後、柴田殿は、織田信長の墓前では涙を流されるおつもりなのかな。それこそ滑稽なことだと、そうは思いませんか。生きていようと死んでいようと、愚者は愚者に他ならぬはず」
生きようが死のうが愚者は愚者。口調の軽薄さに似つかわしくない一定の理がそこにはあったが、それでも勝家には平手を嘲笑する気が起きない。一つには、あの信長の傅役を十数年勤めあげたことに対する忠義への敬意がある。そして、また一つには、その死がどうにも不可解だったことが理由である。いくら信長と実子の関係に手を焼こうとも、あの平手政秀がそれを苦に自殺までするとは考えづらい。信長の危なっかしさを目の当たりにすればするほど、己に鞭打ち、尚も主に道理を説くべく奮い立つような、そういう頑固な男だったはずだと勝家は記憶している。
しかしながら、その真相を知ることも、もうないのだろう。であればよく分からないことを賢しらに語ることもない。
「貴殿のいう通りかもしれませんな。平手殿は、きっと、馬鹿をやった」
勝家のそれには彼にしか紐解けぬ含蓄があるが、道具には自らへの唐突な賛意にしか聞こえなかったから、ちょっと気味が悪くなった。
「フフ。マア、平手政秀というのは出来た男でしたから、柴田殿の傷心も分かりますがね、」
などととってつけたような追従を挟み込んで苦笑する。
「それにしても、平手殿の死ということを考えれば、やはり佐久間殿の裏切りなぞ改めてあり得えないことだと言わざるを得ませんな。信長陣営にもはや人物はおらぬ。この状況で向こうへ翻るのでは、どちらを向いても得がない。そんなことをする奴がいたとしたら、それは信長と同等かそれ以上の大うつけでしょう」
裏を返せば、損得によって主を変えることを是とするという道具の論旨に、勝家は再び眉を潜めたが、しかし、信長が絶体絶命の状況にあることはその通りだ。家老以上の立場にあって信長に明確に味方する者は一人もいなくなった。だからこそ、いまこの時、雪崩を打って畳みかけ信長を隠居させてしまえやしないか、彼らと共に策を練るつもりだったのだ。
『最悪の場合は、暗殺ということもやむを得ない。しかし、手を汚すのなら、我らのみでそうしなければならぬ。信勝さまには、後々のためにも引け目のない身でいてもらわなければならぬ』
暗殺という手段がすでに平手長政によって実行され、そして失敗に終わっていることまでは、勝家には知る由もない。
「いましかありませぬ」
「フ。猪武者らしい前のめりだ。しかし、私も大方同じように考えてはいますよ。こう言っては何だが、信勝さまも兄上も、どうも、信長を力で以て退けさせることに及び腰のご様子。早い方が良いということは目に見えているのに、です」
「いざとなれば、信長さまを斬る覚悟はおありか?」
「愚問」
燭台の火を反射してぎらぎらと輝く道具の眼。重たい瞼に隠れてのっぺりと黒ずんだ三白眼の勝家の眼。対照的な両者の視線が、一つの陰謀のうえでしずかに交わっていた。
「いや、早計やもしれませぬ」
その時、不意に襖が開け放たれて信盛が現れた。
「御免。遅れ申した」
「オオ。佐久間殿、よう参られた!」
「あまり遅いので心配しておりましたよ。貴公が信長方に寝返ったのではないかとね」
踏み込んだ冗談にも信盛は表情一つ崩さず、
「ハハ。道具殿、ご無沙汰です。しかし当たらずも遠からず、といったところですかな」
「なに、」
「いやなに、柴田殿はご存じのことですが、山崎砦の築城がお気に召したのか、以後、私はずいぶんと信長さまに使われることが増えましてね、それを利用し信長さま近辺の内情を探るようにと信勝さまより仰せつかっている訳です。この場に遅れたのはその所為というわけで、どうかご容赦いただきたい」
「すると、何か土産話があるのでしょうかね。我らの蜂起を「早計」だと断じた理由を是非お聞かせ願いたい」
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「土産というほどの価値はないかもしれませぬ。いずれ公に知れることですので。しかし、重大極まる情報には違いない」
「勿体ぶらずに聞かせてもらえぬか、佐久間殿」
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