織田信長 -尾州払暁-

藪から犬

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第三章 血路

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 信長が本拠を清洲城へ移したのに伴い、約定通り、那古屋城には信光が入った。それまで信光が居城としていた守山城には、信光の弟――つまり、これも信長の叔父に当たる――である織田信次のぶつぐという男が入った。
 尾張の下四郡はそのほとんどを信長および信光の一派がこれをせしめた形となるが、これを指を加えて眺めているしかなかった者たちが居た。
「おのれ信長、偉そうに!」
「少々、下手を打ったか」
 道具、秀貞の林兄弟である。
 村木砦攻めに際して信長の出陣命令を拒否した咎により、彼らは居城・沖村城での謹慎を命じられていた。
 彼らとしては、村木砦攻めなど失敗するものと決めてかかっていたし、よしんば、何かの間違いで成功したとしても、まさか謹慎させられている間に清洲城の攻略までもがなされ、そのための人事異動が執り行われるなどということは、予期すべくもなかった。
――我らは、まるで道化ではないか?
 兄の秀貞は、亡き信秀に認められた重臣中の重臣である。一番家老として信長に付けられ、将来の弾正忠家を背負って立つ地位を約束されたはずだった。もし、信長への忠義を貫徹していたなら、信光の代わりに那古屋城を与えられるということはあり得ただろう。そこまでの厚遇はされなかったとしても、織田信次などという取り立てた功績もない凡庸な男に遅れをとることなどは、少なくともあり得なかった。
「信長、……信長ァ」
 道具は呪詛するかのようにその名を反復した。焦っているのだ。
 家督継承から早二年が経っているにも関わらず、当主交代の兆しは見えない。むしろ、信長の戦争が好調である分、信秀が没した直後よりも計画実現は大きく後退しているとさえ言える。
「だから言ったのだ。さっさと挙兵に及び信長を討ち取ってしまうべきだ、と。今からでも遅くはないぞ、兄者。清洲城奪還に浮かれている奴の寝首をかいてやれッ」
「莫迦を言うな。お前は清洲城を舐めている。あの城は容易には落ちぬぞ。それに、信光さまを何とする。アレまで敵に回して五体満足で勝てるというのか。そのうえ、信長さまは今や武衛さまを擁している。たとえ、信勝さまを盟主として兵を挙げ、信長さまを討ち取ったとしても、逆賊の誹りは免れぬ」
 秀貞の口からは事実だけがつらつらと流れ出した。数え上げれば課題は枚挙に暇がない。史僚として培ってきた経験が、自らにそれを告げるのだ。
『もはや信長を一挙に打倒することは出来ない。だが、このままでは、信長の下での出世など我々は望むべくもない。この矛盾をどのようにして克服すればいいか。頭を丸めて、信長に謝罪するか? 元は一番家老の立場なのだ、この先、二心を滅してひたすらに忠を尽くせば、これ以上、無碍にされることもないかもしれない』
――だが、それができるなら、とうにやっている。
 秀貞は信長が元服した頃より彼と距離をとってきた。平手政秀とは違う存在意義を自らに見出さんと動いてきた。今更、あの男の代用品になるような真似が、どうしてできようか。
 秀貞の誤算は何よりも信光の動きにあった。
 我々の水面下での動きを察したなら、自らの値を吊り上げるためにも、高みの見物を決め込むものだとばかり思っていた。あえて信長に味方して版図拡大を図るという豪胆なやり方に裏をかかれた。
「ここまで前のめりな男だったとは……。織田、信光か」



「織田信光――叔父さまに二郡もお与えになって、ずいぶん気前がよろしいですね」
 今年の夏はそれほど暑くない。冷夏という奴で、水遊びもそこそこに、信長は手に入れたばかりの清洲城を改修しながら、屋敷で過ごすことが増えていた。
「仕方ないだろう。この清洲を丸ごと手に入れて帰ってきた手柄というのがあるからね」
「守山の城の差配まで叔父さまにぜんぶ任せてしまわれた」
「アレはそも叔父上の城だからな」
「では、織田信次さまというのは、どういった方なのです?」
「ウウン、どういう方だと言われると難しい。悪い人じゃあない。オレに反旗を翻すような種類の人間ではない。が、ただ気が小さいとでも言うのかな。父上の前へ出るときには、何だかいつもビクビクしていたな、アア、……そう改めて聞かれてみると、オレも顔をよく知らないね」
「大丈夫ですか」
「マアでも、信次の叔父上もきっと上手くやってくれるだろう」
「あなたのことですよ」
「それも、マア上手くやるしかないだろう」
 信長は頭をぽりぽりかいて、わずか溜息をついた。
 沈黙が訪れるとセミの声ばかりが聞こえた。近くの梅の木に威勢のいいのが一匹止まっていた。
 帰蝶は目の前の男が溜息をつくところは、ほとんど見たことがない。
 信長はおよそ初めて人事というものに直面しているのだろう。これまではガキ大将の身一つ、勝手に敵に突っ込んで勝ったり負けたりしてきただけだ。ところが、今度のことで清洲を得、那古屋の信光、間接的に守山の信次までをも麾下に加えたような按配である。その人となりもそれほど知らぬような人間にまで気を回して、猿山の大将は柄にもなく疲れているらしかった。
「使えぬと分かったときには、肉親であろうと切り捨てることですよ」
 助言のつもりだった。
「お前は本当に殺すことばっかり言うね。後ろ向きでいけないよ。オレはオレが決めたものしか疑わない。それ以外は信じるよ」
「そんなことを仰ると、明日にでも寝首をかかれますよ」
「そうかもしれない。だがね、それが何だと言うのだろう。例えば、お前に殺されるならオシマイだよ。オレはお前に恨みを抱かれるようなことをしながら生きちゃあいないつもりだ。それでもお前がオレを殺すと決めたんなら、そこから先は、もうオレの知ったことではない。お手上げさ。諦めるよ」
「勝手な理屈です。周囲の人間が自分と同じように物事を考えて生きているとでも思っているのですか」
 信長は答えなかった。
 自分はこう考えるのだから、周りの人間も同じように考えるだろう。イヤ、むしろ同じように考えるべきだと方針を示して、自分の理屈の圏内に抱き込む。信長の常套手段である。自分とかけ離れたものの考えなどは、知ったことではない。そんな人間らのことは当てにしない。
 それは所詮は猿山の論理だ。規模が変わればそうはいかない。
 帰蝶はそれを実父によく見てきた。
「織田信光は、あなたの元にいつまでも留まっていてくれるでしょうか」
 信長は再び押し黙ってしまった。
――ほうら見ろ。何だかんだ言っても、あの男については怪訝に思っているのだ。
 当然だろう、信光は既に信長と拮抗する勢力を尾張下群に築いている。もし、信光が、信長に取って代わらんと挙兵に及ぶなら、その鎮圧のための戦争はおぞましい犠牲を生む。それどころか、勝てる保証すらない。
「――叔父上は、そういう男じゃないと、オレは思うのだがね」
「何故?」
 間髪を入れず、帰蝶は聞き返したが、
「――サアネ。だが、あえて言うなら、叔父上は――変な人だから、かな」
 何とも要領の得ない答えだった。
「あなたに言われては信光殿も心外でしょう」
 信長は空を見ていた。猿山の大将にも何やら思案するところがあったらしい。

 空は晴れているのにどこかぼんやりしていた。真ん中にうず高く積まれた雲がどっしり構えている。下層の所々が黒ずんで、その下に位置する山々には今きっと雨が降っているのだろう、と信長は思う。
 梅の木の蝉が、弓の弦の切れるような音を立てて、目の前に転がり落ちて来た。羽をばたつかせていが、もう再び飛び立つ体力はないらしい。
「もう夏が終わるか」
 那古屋城下に織田信光謀叛の風聞が流れ始めたのは、天文二十三年の秋のはじめの頃のことである。
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