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第四章 蛟竜雲雨
六
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照らされた水面には、パチパチと小さく爆ぜながら揺れる炎が映っている。
信長は視線を上げて、彼方にわずか見える一艘の舟の影を見つめていた。しばらくして対岸に喧騒を聞いた気がするが、空耳かもしれない。
「よろしかったのでしょうか。私にもう少し時間をいただければ、武衛さまを説得してご覧に入れましたのに」
背後から政綱が問いかけた。
清洲衆が義統を殺害したときから、義銀と信長との間を取り持つべく織田と斯波への両属を長く続けて来た政綱だったが、義銀たちが信長排斥の策謀を企んでいると知るや、真っ先にそれを信長に知らせた。もはや尾張守護・斯波義銀という存在が、織田信長という軍事力の後ろ盾なしに君臨できる道理がないと知っていたからだ。それでも、説得を試みると口に出したのは、旧主に対する情に他ならないが、しかし、同時にそれが、腹をすかせた犬に餌をやるが如きの憐憫に過ぎないことも、また、よく心得ていた。
「いいや。これでよかったのさ」
信長は政綱を一瞥することもなく、ひたすらに対岸をぼうっと眺めていた。
政綱はその視線の先に言い得ぬ不安を覚える。それは義銀の身を案じる想いからだけではなかった。今回の一件は、服部友貞によってけしかけられ、それに、斯波義銀、吉良義昭らが乗せられてしまった形に違いないが、しかし、蓋を開けてみれば、何ともあっけない幕切れに終わってしまった。政綱は考えずにいられなかったのだ。
――まるで、武衛さまは、時代によって、反逆を余技なくさせられたかのようだ――
小舟がこちらへ近づいて来る。織田勢から歓呼の声が起こる。しかし、政綱だけは、その船頭の男の悠々たる姿に、並々ならぬ強い危惧を感じていた。
いずれ政綱や恒興たちに取って代わり、信長の幕下として頭角を現す部将たちの中には、流れ者が多く存在していた。その先駆けとも言うべき男が、たった今、古い権威を尾張から弾き出して、ゆったりと戻って来た。
――
一益は伊勢の土豪の家に生まれた。
幼い頃より利発で、武芸、とりわけ鉄砲に長じたが、生まれついての気風か、周囲にただおだてられるのを良しとせず、元服の前には博打を覚えてしまった。その始めこそ、自分を猫可愛がりする周囲の大人への当てつけに行った賭け事が、長じて真性の博徒となった。終いには無断で家の金に手をつけるほどの悪童となり果て、昔日の神童の面影を裏切られた彼の父はこれに憤激し、勢いのままに一益を廃嫡、一族から追放してしまった。
無一物で放り出された一益は、しばらく放浪の旅を続けていたが、近江国・国友という鉄砲の産地として名を馳せた村に住みついた折、この武器に再び心を奪われる。時間を忘れてのめり込むでいくのは双六と同じだったが、この新時代の武器が、彼に武士への再帰を欲望させるきっかけとなった。
『やはり鉄砲だ。鉄砲こそが、きっとこれからの戦を牛耳るに違いあるまい』
一益は、国友村の男たちに「何処の大名が最も鉄砲を買いに来るか」と訊ねてみた。すると、ある者は「京の三好さまに違いない」と言い、また、ある者は「イイヤ、甲斐の武田もなかなかだ」と意見を分かったが、「近頃では――」という枕詞をつけた途端に、「アア。それなら、尾張の織田信長に違いない」と口を揃えてみせた。
「やれ、巡り巡って伊勢から尾張か。結局は戻ってきたようなものだな」
一益は、自嘲しながら半ば半信半疑で清須を訪れることになるのだが、これが彼の運命を織田家に決定づける。
「いずれは鉄砲を二千、三千と揃えて戦をやるのがオレの夢だ。オレにもその昔に国友から召し抱えた鉄砲の師匠が居はするが、それでも、撃ち手がまったく足らないと来ている。どうだ、キサマ。それだけの腕があるのなら、オレの兵に鉄砲を教えてやってくれよ」
破格の俸禄で一益を召し抱えた。相対した織田信長の鉄砲好きは一益の想像を凌駕していた。一益は、あっという間に流れ者の博徒から織田軍の鉄砲指南役に収まってしまった。
『随分金があるらしいな。それにしても、鉄砲三千丁とは。なるほど、うつけと呼ばれるわけだろう』
信長の大言壮語を一笑に付すのは簡単だった。しかし、一益は、なぜか心の奥底から笑いがこみ上げてきて堪らなかった。何百という鉄砲隊を自ら指揮し、敵兵を端から端まで撃ちのめしてやる。そんな戦の妄想はどれだけしても飽きることがなかったから。
信長は視線を上げて、彼方にわずか見える一艘の舟の影を見つめていた。しばらくして対岸に喧騒を聞いた気がするが、空耳かもしれない。
「よろしかったのでしょうか。私にもう少し時間をいただければ、武衛さまを説得してご覧に入れましたのに」
背後から政綱が問いかけた。
清洲衆が義統を殺害したときから、義銀と信長との間を取り持つべく織田と斯波への両属を長く続けて来た政綱だったが、義銀たちが信長排斥の策謀を企んでいると知るや、真っ先にそれを信長に知らせた。もはや尾張守護・斯波義銀という存在が、織田信長という軍事力の後ろ盾なしに君臨できる道理がないと知っていたからだ。それでも、説得を試みると口に出したのは、旧主に対する情に他ならないが、しかし、同時にそれが、腹をすかせた犬に餌をやるが如きの憐憫に過ぎないことも、また、よく心得ていた。
「いいや。これでよかったのさ」
信長は政綱を一瞥することもなく、ひたすらに対岸をぼうっと眺めていた。
政綱はその視線の先に言い得ぬ不安を覚える。それは義銀の身を案じる想いからだけではなかった。今回の一件は、服部友貞によってけしかけられ、それに、斯波義銀、吉良義昭らが乗せられてしまった形に違いないが、しかし、蓋を開けてみれば、何ともあっけない幕切れに終わってしまった。政綱は考えずにいられなかったのだ。
――まるで、武衛さまは、時代によって、反逆を余技なくさせられたかのようだ――
小舟がこちらへ近づいて来る。織田勢から歓呼の声が起こる。しかし、政綱だけは、その船頭の男の悠々たる姿に、並々ならぬ強い危惧を感じていた。
いずれ政綱や恒興たちに取って代わり、信長の幕下として頭角を現す部将たちの中には、流れ者が多く存在していた。その先駆けとも言うべき男が、たった今、古い権威を尾張から弾き出して、ゆったりと戻って来た。
――
一益は伊勢の土豪の家に生まれた。
幼い頃より利発で、武芸、とりわけ鉄砲に長じたが、生まれついての気風か、周囲にただおだてられるのを良しとせず、元服の前には博打を覚えてしまった。その始めこそ、自分を猫可愛がりする周囲の大人への当てつけに行った賭け事が、長じて真性の博徒となった。終いには無断で家の金に手をつけるほどの悪童となり果て、昔日の神童の面影を裏切られた彼の父はこれに憤激し、勢いのままに一益を廃嫡、一族から追放してしまった。
無一物で放り出された一益は、しばらく放浪の旅を続けていたが、近江国・国友という鉄砲の産地として名を馳せた村に住みついた折、この武器に再び心を奪われる。時間を忘れてのめり込むでいくのは双六と同じだったが、この新時代の武器が、彼に武士への再帰を欲望させるきっかけとなった。
『やはり鉄砲だ。鉄砲こそが、きっとこれからの戦を牛耳るに違いあるまい』
一益は、国友村の男たちに「何処の大名が最も鉄砲を買いに来るか」と訊ねてみた。すると、ある者は「京の三好さまに違いない」と言い、また、ある者は「イイヤ、甲斐の武田もなかなかだ」と意見を分かったが、「近頃では――」という枕詞をつけた途端に、「アア。それなら、尾張の織田信長に違いない」と口を揃えてみせた。
「やれ、巡り巡って伊勢から尾張か。結局は戻ってきたようなものだな」
一益は、自嘲しながら半ば半信半疑で清須を訪れることになるのだが、これが彼の運命を織田家に決定づける。
「いずれは鉄砲を二千、三千と揃えて戦をやるのがオレの夢だ。オレにもその昔に国友から召し抱えた鉄砲の師匠が居はするが、それでも、撃ち手がまったく足らないと来ている。どうだ、キサマ。それだけの腕があるのなら、オレの兵に鉄砲を教えてやってくれよ」
破格の俸禄で一益を召し抱えた。相対した織田信長の鉄砲好きは一益の想像を凌駕していた。一益は、あっという間に流れ者の博徒から織田軍の鉄砲指南役に収まってしまった。
『随分金があるらしいな。それにしても、鉄砲三千丁とは。なるほど、うつけと呼ばれるわけだろう』
信長の大言壮語を一笑に付すのは簡単だった。しかし、一益は、なぜか心の奥底から笑いがこみ上げてきて堪らなかった。何百という鉄砲隊を自ら指揮し、敵兵を端から端まで撃ちのめしてやる。そんな戦の妄想はどれだけしても飽きることがなかったから。
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