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第19話 畑に宿る力
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雨のあと、村の空気は甘い香りに包まれていた。
火の粉が舞った夜から三日。ルーデン村は奇跡的に無傷で済み、倒壊した家屋もなく、人の命も失われなかった。
だが、代わりに地面が変わった。
焦げることも踏み荒らされることもなかった土が、まるで生きているように柔らかく脈動している。
アレンは畑の中央でしゃがみ込み、湿った土を手に取った。
手のひらに宿る熱。
それは生命の脈動そのもので、触れているだけで心拍が共鳴するような感覚を覚える。
「やっぱり、地の核が刺激を受けたまま残っている。」
独り言が風に消える。
空は晴れ渡っているのに、どこかで低い響きが鳴っているような気がした。
背後から声がした。
「アレンさん……もう土にまで話しかけてます?」
ミーナが籠を抱えて近づいてくる。
「これでも忙しいのですよ。」
「忙しいって、“地に話しかける仕事”ですか?」
「ええ。言葉を持たない命ほど、耳を傾けるのが大変なんです。」
ミーナは苦笑して、脇に籠を置く。
「ここの作物、全部枯れてたはずなのに、今朝見たら芽が出てたんです。“光って”ですけど。」
「神核の欠片が地中に混ざった影響ですね。」
「また難しいことを……」
「要するに、大地が目を覚まし始めたんです。」
アレンの指先が小さな芽を撫でる。
ほんの一秒ほどで、それはぐんと伸び、たちまち一輪の青い花を咲かせた。
ミーナが息を呑む。
「……今、アレンさんが?」
「いえ。僕は促しただけです。彼らが望んだのですよ。」
花が短い風に揺れ、青い光を散らす。
アレンはその光を見つめながら、穏やかに目を細めた。
「この地はまだ変化の途中です。人も、土も、神も。均衡が取れるまでは、少し時間が必要でしょう。」
「均衡って、そんなに簡単に取れるんですか?」
「取れません。」
「取れないんですか。」
「だから僕がいるんです。」
その言葉にミーナは少し笑った。
「アレンさんって、ほんと危なっかしいです。」
◇
その日の午後。
村の集会所には、珍しく人が詰めかけていた。
長老たちは顔をそろえ、アレンとリィナも招かれている。
昨日、王都からの使者が既に出発したという知らせを受けたため、今後の方針を決めるためだ。
村長が口を開いた。
「再び攻め込まれる可能性がある。だが、あれほどの力を見せられた以上、彼らもすぐには動けまい。……問題は、この“畑”だ。」
村の地図には新たな青い印がいくつも付けられている。
それは火の粉の夜以降に突然現れた“生命の泉”の位置を示していた。
「地脈が村全体に広がっとる。放っておけば、村がそのまま“神域”になる。」
「神域って……いいことじゃないですか?」ミーナが首をかしげる。
「いや、悪いことだ。」
低く答えたのはアレンだった。
「神域に変われば、この村の人々は自然と“導き手”として王都に召し出されるでしょう。すなわち、王国に従属する。」
「それって……つまり、村が奪われるってことですか?」
「穏やかに言えば、“保護”です。過激に言えば、“支配”ですね。」
静まり返った空気の中で、リィナがぽつりと呟く。
「じゃあ、神域を消せばいい。」
誰もが彼女を見つめる。
リィナは視線を逸らすことなくアレンを見上げた。
「できるんでしょう? アレンさんなら。」
アレンは頷きかけて、静かに首を振った。
「対症療法なら可能です。でも“完全な沈静化”はリスクが高い。大地の心臓を閉ざせば、村の生命力そのものまで止まります。」
「命の源を切る、ということか……。」村長が苦い顔で言う。
議論は続いた。しかし、結論は出ない。
アレンはその光景を静かに見つめながら、ずっと胸の奥で別のことを考えていた。
(王都が動くより早く、ここを安定させなければ。でなければ、またあの“教会”が……)
彼の脳裏に浮かぶのは、十年前に見た風景。
封印戦争の最中、異端と呼ばれた研究者たちが処刑され、彼だけが“再構築”を使って彼らを救えなかったあの日。
あの悲劇を繰り返すつもりはなかった。
◇
夕暮れ、アレンはリィナを伴って畑に戻った。
青い光が微かに揺れている。昼間よりもはっきりとした輝き。
「大地が呼んでいる……そう感じます。」リィナが口にした。
アレンは頷く。
「君も血の一部を継いでいる。感じ取れるのも当然でしょう。」
「でも、どこか寂しい音なんです。まるで……眠れない子供が泣いてるみたい。」
その表現にアレンの胸が少し詰まった。
彼もまた同じものを感じていた。
「世界は本来、均衡を求め続けるものです。神核の目覚めも善悪ではなく“揺らぎ”。……放置すればまた破滅に触れる。」
「つまり、やっぱり止めなきゃいけないんですね。」
「ええ。ただ、人の力で。」
アレンは土に掌を押し当てた。
光が掌の線に沿って流れ、地の底まで落ちていく。
その瞬間、リィナも同じように膝をつき、彼の手に自分の手を重ねた。
彼女の金の瞳が淡く光を帯びる。
土の奥へと伸びる魔力の流れが、ふたりの間で共鳴する。
音を立てずに地が震え、周囲の草花が一斉に開く。
だが、それは狂気ではなく、平穏の鼓動だった。
「感じますか、アレンさん。」
「ああ。怒っていた地が、少しだけ落ち着いた。」
「私たちにも……できるんですね。」
「できるんですよ。」
力を抜くと、土が静かに冷える。
風が戻り、どこかで羊の鳴き声が聞こえた。
アレンは立ち上がり、空を見上げた。
青い残光が淡く消えていく。
「これで、少しの間は持ちます。……けれど、それも時間の問題でしょう。」
「また誰かが狙いに来る、ってことですか?」リィナが不安げに問う。
「ええ。ですが、その“誰か”が現れる前に、僕たちは答えを出さなければならない。神を封じるか、それとも受け入れるか。」
リィナはしばらく黙っていた。
そして、決意を秘めた瞳で言った。
「どっちにしても、わたしはアレンさんの側にいます。」
「……ありがとう。」
その言葉が、夜風よりも柔らかく響いた。
アレンは一瞬だけ微笑みを返し、そして視線を遠くに向ける。
そこでは――村のはるか東、王都の方向に、異様な光柱が立ち昇っていた。
◇
同じ時刻、王都の神殿地下。
ハイゼルが報告書を読み終え、立ち上がった。
「地脈の安定波形、確認だと? ……まだ“抑えた”か。」
部下が恐る恐る言葉を続ける。
「殿下、ルーデンの標的はどうなさいます……?」
「決まっている。抑え込む力があるなら、さらに強い揺らぎを与える。彼の選択を見せてもらおう。」
ハイゼルの掌の中で光る赤い石が、脈打つように明滅した。
それは彼自身が造り出した“再構築の模倣石”。
神の力を人が再現する危険な装置であり、次なる嵐の引き金となるものだった。
「アレン、君が守るものが本物なら……この世界が壊れるくらいの揺さぶりにも、耐えてみせろ。」
低い声が地下を震わせる。
そして、神殿の尖塔が赤い光に包まれ、空へと一筋の閃光を放った。
その光は真っすぐに北へ――ルーデン村を照らす新たな予兆として、夜空に刻まれた。
火の粉が舞った夜から三日。ルーデン村は奇跡的に無傷で済み、倒壊した家屋もなく、人の命も失われなかった。
だが、代わりに地面が変わった。
焦げることも踏み荒らされることもなかった土が、まるで生きているように柔らかく脈動している。
アレンは畑の中央でしゃがみ込み、湿った土を手に取った。
手のひらに宿る熱。
それは生命の脈動そのもので、触れているだけで心拍が共鳴するような感覚を覚える。
「やっぱり、地の核が刺激を受けたまま残っている。」
独り言が風に消える。
空は晴れ渡っているのに、どこかで低い響きが鳴っているような気がした。
背後から声がした。
「アレンさん……もう土にまで話しかけてます?」
ミーナが籠を抱えて近づいてくる。
「これでも忙しいのですよ。」
「忙しいって、“地に話しかける仕事”ですか?」
「ええ。言葉を持たない命ほど、耳を傾けるのが大変なんです。」
ミーナは苦笑して、脇に籠を置く。
「ここの作物、全部枯れてたはずなのに、今朝見たら芽が出てたんです。“光って”ですけど。」
「神核の欠片が地中に混ざった影響ですね。」
「また難しいことを……」
「要するに、大地が目を覚まし始めたんです。」
アレンの指先が小さな芽を撫でる。
ほんの一秒ほどで、それはぐんと伸び、たちまち一輪の青い花を咲かせた。
ミーナが息を呑む。
「……今、アレンさんが?」
「いえ。僕は促しただけです。彼らが望んだのですよ。」
花が短い風に揺れ、青い光を散らす。
アレンはその光を見つめながら、穏やかに目を細めた。
「この地はまだ変化の途中です。人も、土も、神も。均衡が取れるまでは、少し時間が必要でしょう。」
「均衡って、そんなに簡単に取れるんですか?」
「取れません。」
「取れないんですか。」
「だから僕がいるんです。」
その言葉にミーナは少し笑った。
「アレンさんって、ほんと危なっかしいです。」
◇
その日の午後。
村の集会所には、珍しく人が詰めかけていた。
長老たちは顔をそろえ、アレンとリィナも招かれている。
昨日、王都からの使者が既に出発したという知らせを受けたため、今後の方針を決めるためだ。
村長が口を開いた。
「再び攻め込まれる可能性がある。だが、あれほどの力を見せられた以上、彼らもすぐには動けまい。……問題は、この“畑”だ。」
村の地図には新たな青い印がいくつも付けられている。
それは火の粉の夜以降に突然現れた“生命の泉”の位置を示していた。
「地脈が村全体に広がっとる。放っておけば、村がそのまま“神域”になる。」
「神域って……いいことじゃないですか?」ミーナが首をかしげる。
「いや、悪いことだ。」
低く答えたのはアレンだった。
「神域に変われば、この村の人々は自然と“導き手”として王都に召し出されるでしょう。すなわち、王国に従属する。」
「それって……つまり、村が奪われるってことですか?」
「穏やかに言えば、“保護”です。過激に言えば、“支配”ですね。」
静まり返った空気の中で、リィナがぽつりと呟く。
「じゃあ、神域を消せばいい。」
誰もが彼女を見つめる。
リィナは視線を逸らすことなくアレンを見上げた。
「できるんでしょう? アレンさんなら。」
アレンは頷きかけて、静かに首を振った。
「対症療法なら可能です。でも“完全な沈静化”はリスクが高い。大地の心臓を閉ざせば、村の生命力そのものまで止まります。」
「命の源を切る、ということか……。」村長が苦い顔で言う。
議論は続いた。しかし、結論は出ない。
アレンはその光景を静かに見つめながら、ずっと胸の奥で別のことを考えていた。
(王都が動くより早く、ここを安定させなければ。でなければ、またあの“教会”が……)
彼の脳裏に浮かぶのは、十年前に見た風景。
封印戦争の最中、異端と呼ばれた研究者たちが処刑され、彼だけが“再構築”を使って彼らを救えなかったあの日。
あの悲劇を繰り返すつもりはなかった。
◇
夕暮れ、アレンはリィナを伴って畑に戻った。
青い光が微かに揺れている。昼間よりもはっきりとした輝き。
「大地が呼んでいる……そう感じます。」リィナが口にした。
アレンは頷く。
「君も血の一部を継いでいる。感じ取れるのも当然でしょう。」
「でも、どこか寂しい音なんです。まるで……眠れない子供が泣いてるみたい。」
その表現にアレンの胸が少し詰まった。
彼もまた同じものを感じていた。
「世界は本来、均衡を求め続けるものです。神核の目覚めも善悪ではなく“揺らぎ”。……放置すればまた破滅に触れる。」
「つまり、やっぱり止めなきゃいけないんですね。」
「ええ。ただ、人の力で。」
アレンは土に掌を押し当てた。
光が掌の線に沿って流れ、地の底まで落ちていく。
その瞬間、リィナも同じように膝をつき、彼の手に自分の手を重ねた。
彼女の金の瞳が淡く光を帯びる。
土の奥へと伸びる魔力の流れが、ふたりの間で共鳴する。
音を立てずに地が震え、周囲の草花が一斉に開く。
だが、それは狂気ではなく、平穏の鼓動だった。
「感じますか、アレンさん。」
「ああ。怒っていた地が、少しだけ落ち着いた。」
「私たちにも……できるんですね。」
「できるんですよ。」
力を抜くと、土が静かに冷える。
風が戻り、どこかで羊の鳴き声が聞こえた。
アレンは立ち上がり、空を見上げた。
青い残光が淡く消えていく。
「これで、少しの間は持ちます。……けれど、それも時間の問題でしょう。」
「また誰かが狙いに来る、ってことですか?」リィナが不安げに問う。
「ええ。ですが、その“誰か”が現れる前に、僕たちは答えを出さなければならない。神を封じるか、それとも受け入れるか。」
リィナはしばらく黙っていた。
そして、決意を秘めた瞳で言った。
「どっちにしても、わたしはアレンさんの側にいます。」
「……ありがとう。」
その言葉が、夜風よりも柔らかく響いた。
アレンは一瞬だけ微笑みを返し、そして視線を遠くに向ける。
そこでは――村のはるか東、王都の方向に、異様な光柱が立ち昇っていた。
◇
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それは彼自身が造り出した“再構築の模倣石”。
神の力を人が再現する危険な装置であり、次なる嵐の引き金となるものだった。
「アレン、君が守るものが本物なら……この世界が壊れるくらいの揺さぶりにも、耐えてみせろ。」
低い声が地下を震わせる。
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