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第16話 都からの使者と屈辱の命令
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アルディナの地に春の風が吹いた。
雪解けとともに畑に新芽が芽吹き、工房からは鉄と油の匂いが漂う。
人々の笑顔が、かつて死と腐敗の地と呼ばれたこの場所を覆っていた。
だが、その穏やかな空気に冷ややかな敵意が混じったのは、昼すぎのことだった。
竜隊の哨戒兵が、息を切らしながら広場に駆け込んできた。
「アレン様! 南方から王国の使者を名乗る一団が到着しました!」
「王国の? 使者を……“名乗る”?」
「はい。旗は確かに王家の紋。ですが、雰囲気がただならぬ。
全員、騎馬で武装、三十名ほどの随行がついています。」
「ほう……随行にしては、気が多いな。」
アルディネアの声が風に乗って響く。
『王都ベニアス宰相の匂いがする。
礼を装い、威圧に来たのだ。』
「だろうな。しかも、たぶん連中の狙いは“宣告”だ。」
俺は剣を腰につけ、外套の襟を正す。
「全員、臨戦ではなく迎礼だ。
戦う気はないが、下手に出るつもりもない。」
***
広場に出ると、白銀の鎧をまとった騎士団が整列していた。
その中心に立つのは、一人の中年貴族。
赤いマントを羽織り、香が強すぎるほどの香料をまとう痩身の男――第一宰相ベニアスの腹心と名高いラドクリフ卿だった。
彼は馬上から見下ろすようにして俺を一瞥し、薄い笑みを浮かべる。
「お初にお目にかかる、アレン・リーデン=グランディア殿。
いや、“元”公爵令息とお呼びすべきか。」
「呼びやすい方で構わない。用はなんだ?」
「ふむ、相変わらず無礼な物言い。辺境に籠もるうちに礼儀も忘れたか。
まあいい、陛下の勅命を伝えに参った。」
男は懐から王印の押された書状を取り出す。
封を切る前に、広場の空気が凍った。
王の文――それは重い意味を持つ。
「読み上げる。
“辺境アルディナ住民は王国の保護下に帰属するものとする。
その領地運営および交易活動は、王国貴族会議の指導を仰ぐこと。
違反すれば背信の罪と見なす”――以上だ。」
「……つまり、俺たちは再び王国の支配下に戻れ、と。」
「話が早い。
王都の法では辺境もまた陛下の所有だ。
たとえ竜と契約しようと、その力を王の許しなく行使することは禁じられている。」
「禁じられて“なかった”から追放したのは、そっちだろう。」
「ハッ、お前のような異端を囲う国など存在せぬわ。
陛下が情けをかけられたのだぞ。」
広場がざわめいた。
竜隊の兵も、村人も、その言葉に怒りを隠せない。
ラドクリフはそれを楽しむように見渡しながら、さらに言葉を重ねた。
「アレン殿。このまま帰順すれば、王都に戻れるぞ。
お前の地位も復遇されよう。……婚約も、再び考え直すことができる。」
「婚約……セレスティア王女のことか。」
「ふふ、あの御方はまだ貴公を案じておられるそうだ。
王城では“改心した辺境領主の帰還”を待っておられる。」
笑いたくなるほど、よく出来た芝居だ。
王都が“救済”を掲げて、支配を取り戻そうとしている。
だが、その裏に隠された罠――この地を従属地に戻すことこそが本当の目的だ。
俺は口元を歪めた。
「仮に従ったら、この地の住民はどうなる。
自分たちで築いた町も、交易も、農地も。」
「王都直轄領として再編成される。
民は税を納め、王に忠誠を誓う。
そうすれば、辺境などでは味わえぬ“本物の文明”を享受できる。」
「民の汗と誇りを“文明”で帳消しにする気か。」
俺の声に、彼の目が鋭く光る。
ラドクリフが手を上げ、背後の兵が剣の柄に手を掛けた。
「おい、刃に手をかけるな。」
レオンの声が響く。
竜隊がすでに広場を囲んでいた。
その威圧だけで、王都の兵たちが息を呑む。
「ラドクリフ卿。ここで戦いを望むのか?」
「違う。ただ、我々は陛下から“反抗するなら捕縛せよ”との権限を預かっている。」
「つまり、従わなければ敵ということか。」
男はにやりと笑う。
「敵意を持たぬのなら、鎖を受け入れろ。
それが、お前たち辺境民の“幸せ”だ。」
その言葉に、俺の視界が静かに染まる。
怒りでも憎しみでもない。
ただ、冷たい決意だけが胸に灯った。
「……いいか、ラドクリフ卿。」
俺は一歩前に出た。
風が吹き、外套が翻る。
その風に混じって、黄金の光がかすかに滲んだ。
「ここはもう辺境じゃない。
この土地は、人と竜が共に生きる“新しい国”だ。
俺たちは、二度と誰のためにも膝はつかない。」
「ほう。つまり、王への反逆を宣告したというわけだな。」
「好きに受け取れ。」
「よかろう。貴様の言葉、すべてこの耳で聞いた。
陛下に報告しよう。
そして、その愚かさの代償を払わせてやる。」
馬の背に舞い上がり、彼は冷たい笑みを残して走り去った。
王国の使者としてではなく、処刑を告げる執行官のように。
***
ラドクリフの一行が去ったあと、広場には重たい沈黙が落ちた。
誰もが不安を顔に浮かべていた。
子供を抱く母親の肩を、リーナが優しく支えている。
「アレン様……本当に、戦うことになるのですか?」
「戦うことになるだろう。だが、攻めるためじゃない。守るためだ。」
「王都を敵に回しても?」
「王都が“敵になる”なら、恐れる必要はない。
俺たちは、もう一度立つ覚悟を持っている。」
そこへヴァルドが現れた。
大きな荷車を押しながら、金属のきしむ音を響かせている。
「領主様、ちょうど出来上がりましたよ。“竜紋の盾”です。」
「……竜紋の盾?」
老人は胸を張って説明する。
「アルディネアの鱗粉とこの地の鉱石を混ぜて精錬した特製の合金です。
魔法も物理も通しません。王都の連中がどんな呪剣を構えようと、この盾の前では無力です。」
見れば、盾の中心には金の紋が刻まれていた。
竜の翼に囲まれた人の手――共存と守護を象徴する図柄だ。
「これを軍に配布します。
あの偉そうな使者がどんな報復を企んでも、私らは耐えて見せます。」
俺は微笑んだ。
「頼もしいな。ヴァルド、この盾を“黎明”と名付けよう。
暗闇の後に希望を照らすものとして。」
「いい名前だ。夜明けの盾、ですな。」
***
日が暮れても、村はざわめきに包まれていた。
だが恐怖ではなく、決意に似た熱が広がっている。
人々は火を囲み、竜隊は静かに武具を磨き、商人たちさえも残って仕える意思を示した。
アルディネアが空を旋回して一声を上げた。
その咆哮はまるで約束の印のように夜空へ響く。
『王都は既にお前を恐れている。
だが、恐怖は侮りにも繋がる。次に来るのは、ただの使者ではない。』
「分かってる。次は軍勢か、あるいは策略だろう。」
『それでも行くのか?』
「もちろん。この地を“屈辱”で汚させたりしない。
生まれたばかりの夜明けを、俺は絶対に守る。」
風が頬を撫で、空に無数の星が瞬く。
その下、村人たちが歌を口ずさむ。
焚き火の火が揺れ、まるで心の灯のように強く燃えていた。
王都の使者が置いていったのは、威圧と屈辱。
だがそれは同時に、この領地の結束を固める“焔”となった。
嵐の前の静けさが、再びアルディナを包み込む。
次に訪れるのは、敵の刃か、それともさらなる策か。
夜明けの盾が灯す光のもとで、俺は剣を手に誓う。
――必ず、この地を守り抜く。
誰にも奪われぬ、自由な世界を。
雪解けとともに畑に新芽が芽吹き、工房からは鉄と油の匂いが漂う。
人々の笑顔が、かつて死と腐敗の地と呼ばれたこの場所を覆っていた。
だが、その穏やかな空気に冷ややかな敵意が混じったのは、昼すぎのことだった。
竜隊の哨戒兵が、息を切らしながら広場に駆け込んできた。
「アレン様! 南方から王国の使者を名乗る一団が到着しました!」
「王国の? 使者を……“名乗る”?」
「はい。旗は確かに王家の紋。ですが、雰囲気がただならぬ。
全員、騎馬で武装、三十名ほどの随行がついています。」
「ほう……随行にしては、気が多いな。」
アルディネアの声が風に乗って響く。
『王都ベニアス宰相の匂いがする。
礼を装い、威圧に来たのだ。』
「だろうな。しかも、たぶん連中の狙いは“宣告”だ。」
俺は剣を腰につけ、外套の襟を正す。
「全員、臨戦ではなく迎礼だ。
戦う気はないが、下手に出るつもりもない。」
***
広場に出ると、白銀の鎧をまとった騎士団が整列していた。
その中心に立つのは、一人の中年貴族。
赤いマントを羽織り、香が強すぎるほどの香料をまとう痩身の男――第一宰相ベニアスの腹心と名高いラドクリフ卿だった。
彼は馬上から見下ろすようにして俺を一瞥し、薄い笑みを浮かべる。
「お初にお目にかかる、アレン・リーデン=グランディア殿。
いや、“元”公爵令息とお呼びすべきか。」
「呼びやすい方で構わない。用はなんだ?」
「ふむ、相変わらず無礼な物言い。辺境に籠もるうちに礼儀も忘れたか。
まあいい、陛下の勅命を伝えに参った。」
男は懐から王印の押された書状を取り出す。
封を切る前に、広場の空気が凍った。
王の文――それは重い意味を持つ。
「読み上げる。
“辺境アルディナ住民は王国の保護下に帰属するものとする。
その領地運営および交易活動は、王国貴族会議の指導を仰ぐこと。
違反すれば背信の罪と見なす”――以上だ。」
「……つまり、俺たちは再び王国の支配下に戻れ、と。」
「話が早い。
王都の法では辺境もまた陛下の所有だ。
たとえ竜と契約しようと、その力を王の許しなく行使することは禁じられている。」
「禁じられて“なかった”から追放したのは、そっちだろう。」
「ハッ、お前のような異端を囲う国など存在せぬわ。
陛下が情けをかけられたのだぞ。」
広場がざわめいた。
竜隊の兵も、村人も、その言葉に怒りを隠せない。
ラドクリフはそれを楽しむように見渡しながら、さらに言葉を重ねた。
「アレン殿。このまま帰順すれば、王都に戻れるぞ。
お前の地位も復遇されよう。……婚約も、再び考え直すことができる。」
「婚約……セレスティア王女のことか。」
「ふふ、あの御方はまだ貴公を案じておられるそうだ。
王城では“改心した辺境領主の帰還”を待っておられる。」
笑いたくなるほど、よく出来た芝居だ。
王都が“救済”を掲げて、支配を取り戻そうとしている。
だが、その裏に隠された罠――この地を従属地に戻すことこそが本当の目的だ。
俺は口元を歪めた。
「仮に従ったら、この地の住民はどうなる。
自分たちで築いた町も、交易も、農地も。」
「王都直轄領として再編成される。
民は税を納め、王に忠誠を誓う。
そうすれば、辺境などでは味わえぬ“本物の文明”を享受できる。」
「民の汗と誇りを“文明”で帳消しにする気か。」
俺の声に、彼の目が鋭く光る。
ラドクリフが手を上げ、背後の兵が剣の柄に手を掛けた。
「おい、刃に手をかけるな。」
レオンの声が響く。
竜隊がすでに広場を囲んでいた。
その威圧だけで、王都の兵たちが息を呑む。
「ラドクリフ卿。ここで戦いを望むのか?」
「違う。ただ、我々は陛下から“反抗するなら捕縛せよ”との権限を預かっている。」
「つまり、従わなければ敵ということか。」
男はにやりと笑う。
「敵意を持たぬのなら、鎖を受け入れろ。
それが、お前たち辺境民の“幸せ”だ。」
その言葉に、俺の視界が静かに染まる。
怒りでも憎しみでもない。
ただ、冷たい決意だけが胸に灯った。
「……いいか、ラドクリフ卿。」
俺は一歩前に出た。
風が吹き、外套が翻る。
その風に混じって、黄金の光がかすかに滲んだ。
「ここはもう辺境じゃない。
この土地は、人と竜が共に生きる“新しい国”だ。
俺たちは、二度と誰のためにも膝はつかない。」
「ほう。つまり、王への反逆を宣告したというわけだな。」
「好きに受け取れ。」
「よかろう。貴様の言葉、すべてこの耳で聞いた。
陛下に報告しよう。
そして、その愚かさの代償を払わせてやる。」
馬の背に舞い上がり、彼は冷たい笑みを残して走り去った。
王国の使者としてではなく、処刑を告げる執行官のように。
***
ラドクリフの一行が去ったあと、広場には重たい沈黙が落ちた。
誰もが不安を顔に浮かべていた。
子供を抱く母親の肩を、リーナが優しく支えている。
「アレン様……本当に、戦うことになるのですか?」
「戦うことになるだろう。だが、攻めるためじゃない。守るためだ。」
「王都を敵に回しても?」
「王都が“敵になる”なら、恐れる必要はない。
俺たちは、もう一度立つ覚悟を持っている。」
そこへヴァルドが現れた。
大きな荷車を押しながら、金属のきしむ音を響かせている。
「領主様、ちょうど出来上がりましたよ。“竜紋の盾”です。」
「……竜紋の盾?」
老人は胸を張って説明する。
「アルディネアの鱗粉とこの地の鉱石を混ぜて精錬した特製の合金です。
魔法も物理も通しません。王都の連中がどんな呪剣を構えようと、この盾の前では無力です。」
見れば、盾の中心には金の紋が刻まれていた。
竜の翼に囲まれた人の手――共存と守護を象徴する図柄だ。
「これを軍に配布します。
あの偉そうな使者がどんな報復を企んでも、私らは耐えて見せます。」
俺は微笑んだ。
「頼もしいな。ヴァルド、この盾を“黎明”と名付けよう。
暗闇の後に希望を照らすものとして。」
「いい名前だ。夜明けの盾、ですな。」
***
日が暮れても、村はざわめきに包まれていた。
だが恐怖ではなく、決意に似た熱が広がっている。
人々は火を囲み、竜隊は静かに武具を磨き、商人たちさえも残って仕える意思を示した。
アルディネアが空を旋回して一声を上げた。
その咆哮はまるで約束の印のように夜空へ響く。
『王都は既にお前を恐れている。
だが、恐怖は侮りにも繋がる。次に来るのは、ただの使者ではない。』
「分かってる。次は軍勢か、あるいは策略だろう。」
『それでも行くのか?』
「もちろん。この地を“屈辱”で汚させたりしない。
生まれたばかりの夜明けを、俺は絶対に守る。」
風が頬を撫で、空に無数の星が瞬く。
その下、村人たちが歌を口ずさむ。
焚き火の火が揺れ、まるで心の灯のように強く燃えていた。
王都の使者が置いていったのは、威圧と屈辱。
だがそれは同時に、この領地の結束を固める“焔”となった。
嵐の前の静けさが、再びアルディナを包み込む。
次に訪れるのは、敵の刃か、それともさらなる策か。
夜明けの盾が灯す光のもとで、俺は剣を手に誓う。
――必ず、この地を守り抜く。
誰にも奪われぬ、自由な世界を。
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