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第5話 父を止めるのは難しい(サラ視点)
しおりを挟む「おはようございます、お嬢さま。ご気分はいかがでしょうか?」
忠実な侍女アンの穏やかで優しい声に起こされるのは毎日のことです。私の朝はいつもこうして始まります。
伸びをしながら身体を起こすと、いつもとは違うアンの心配顔が私を凝視しています。
「あぁ、お可哀想に……目が腫れてますね。
すぐ冷やす物をご用意いたします。しばしお待ちを」
私の状態など想定内だったのでしょう。
すぐに冷たいおしぼりを目の上に当てられました。背中には柔らかいクッションがいくつも積み上げられます。本当に至れり尽くせりです。ありがたいことです。
昨夜気が済むまで泣いたせいでしょうか。
私自身は意外とスッキリした気分ですが、ただ泣きじゃくる私に付き添っていたアンはそうではないですよね。私を心配している気配があります。
それでもなにも訊いてこないアンは、侍女の鑑ですね。昨夜もですが、黙って、ただ私に寄り添ってくれる……ありがたいものです。優しさが心に染みます。
思えばアンは私の乳母ハンナの娘で、彼女が仕事を辞めたのと入れ替わるように私付きの侍女になってくれました。
私は勝手に自分のお姉さんのように思っているけど、アンは私のことを娘のように心配してくれています。
ハンナといいアンといい、愛情深い親子です。私は二人が大好きなのです。
「アン。朝のしたくを――」
しばらく目元を冷やした後、タオルをアンに渡そうと彼女の顔を見た私は絶句しました。
え
なに? どうしたの?
アンの背中におどろおどろした暗黒星雲の幻が見えるわ……。
顔も夜叉のお面着けてる? ってくらい怖いのだけど!
「アン? 怒ってる、の?」
そう問えば、ぱっといつもの穏やかな笑みに変わるアン。
背後はいつもの私の部屋の壁紙が見える……。
凄い瞬間芸を持ってるのねアン。知らなかったわ。
「さ。お召し替えいたしましょう? 旦那さまが食堂でお待ちでいらっしゃいますよ?」
私の着替えを素早く行い、髪もいつもどおり可愛く仕上げてくれるアン。
今日はハーフアップね。
でもね、鏡越しの風景がいつもと違う気がするの。たしかにアンは笑顔なのだけど、纏う雰囲気が殺伐としてるの 。
……端的に言って怖いわ、アン。
どうしたの? って逆に私が訊きたいくらいだけど、これはたぶん、きっと、私のことを案じ過ぎてるがゆえの怒り……だと推測します。
思い起こせば、アンは私と一緒に王子殿下のお部屋にお邪魔しています。一部始終をその目に焼き付けているのです。
あら!
それなら、私が殿下にしてしまった失態を、アンなら分かるかも知れないわね。第三者の目から見た冷静な判断が聞けるわ。
「ねぇ、アン。私、昨日はどんな失敗をしてしまったのかしら。あなた分かる?」
アンったら、目が点になってる……いえ、目が落ちるんじゃない? って心配になるほど目の玉ひん剥いてるわぁ……。
ホント、今日はどうしたの?
そんなに顔芸ができるなんて知らなかったわよ。
「お嬢さまが? 失敗? なんの話ですか?」
アンの声が震えています。寒いのかしら?
「昨日の王宮で、私、なにか失敗したらしいの。だから殿下がお怒りになって……。
でもなにをしたのか解からなくて……
解らなくては、反省も謝罪もできないでしょう?
あなた、なにか思い当たることないかしら?」
アン。本当はあなたって表情豊かだったのね。
いつもは、穏やかで優しい笑顔の上品なお姉さまって風情なのに。
今のアンは……視線が凄い勢いで上を向いたり下を向いたり横を見たりで、すっごく困ってる? 悩んでる? 焦ってる?
それらが全部合わさった複雑怪奇な表情をしててよ?
……私の質問って、そんなに困ることだったのね……。
「お嬢さまには、なんの落ち度もありませんでした。ですが、一つだけ、もしかしたらと思い当たることが」
「! なに?! 教えて!」
さすがアン! 頼りになります!
「昨日の殿下との会話の中で、姫殿下のことが話題に登りました。
その中でお嬢さまは三回ほど、姫殿下にお会いしたい、と申し上げていました。
その後で、なんとな~く殿下の態度がよそよそしくなったような……気がします。
殿下は妹姫さまを大切になさっていると伺っていますから、まだ初対面のお嬢さまとは会わせたくないのかしら、と……」
まあ、なんてことでしょう!
私、姫さまに会いたいって三回も強請っていたの? 記憶に無いわ。
でもたしかに図々しかったわね。反省しなくては。
解決の糸口を掴めたと思ったとき、ノックと同時に私の部屋のドアが開きました。
「サラ。体調が悪いのかい?」
入ってきたのはお父さまです。
お父さまはお名前をクールベアトといいます。クールベアト・フォン・ベッケンバウワー公爵閣下。三十七歳のイケオジ外務大臣です。
艶のある黒髪とアイスブルーの瞳。
じつはお父さまのお母さま(私から見て父方の祖母ですね)、その方が現在の国王陛下の伯母さまにあたるのだとか。
王家の姫君が公爵家に降嫁され、お父さまは生まれました。
陛下とお父様は従兄弟同士となりますね。
昔は兄弟同然に育った、なんてお話もうかがったことがあります。陛下やお父さまの少年時代……きっとおふたかたとも可愛らしかったことでしょう!
……って、お父さまってば怖いお顔。
「サラ……。こんなに、目を腫らして……」
そう言いながら私の頬を優しく撫でてくれますが、起きてから目を冷やしていたので腫れはだいぶ収まっていますよ?
「昨夜は酷く泣いていたと聞いた。……そんなに、王子との婚約話は嫌だったのか?」
「はい?」
「解った。すぐに解消してくる。お父さまに任せなさい」
「え? お、おとうさまっ?! なにを」
「大丈夫だ、すぐに憂いは晴らしてあげるから――――」
お父さまってば、話しながら部屋から飛び出して行ったから、最後の方はなんて言ってらしたのか聞き取れませんでしたよ?
ドップラー効果かしら。
なんでしょう、あれ。
疾風怒濤? 電光石火? 暴走モード突入?!
とにかく、凄い勢いだったけれど。
「私、嫌だなんて言ったかしら?」
「お嬢さま。さきほど旦那さまの『嫌だったか?』という問いに『はい』とおっしゃっていましたよ」
はあ?!
「あれは了承の『はい』じゃないわ! 聞き返しただけの『はい?』なのよっ! 語尾が疑問形じゃなかった?」
「旦那さまとしましては『言質を取った状態』……とでも言いましょうか。
なんとかして婚約解消しようと画策してらしたので」
婚約解消ですって?!
「たいへんっ! ぼんやりしてる場合じゃないわ! すぐにお父さまを止めないと!」
慌ててお父さまを追いましたが、出遅れました。執務室へ行ったのかと思ったら、馬に乗って王宮に向かったって!
国王陛下と婚約解消の直談判をするつもりなんだわ!
せめて馬車の用意を待ってくれていたら追いつけたのにっ!
「私もお父さまを追います! 馬車の用意をお願いっ」
執事に――お父さま専属の執事だから、私の命に従う義務はないのだけど――お願いすると、すぐに手配してくれました。
ありがとう、助かるわ。
彼、執事だけどセバスチャンじゃないのよ。
執事は全員もれなくセバスチャンなのかと思ってたわ、まだ子どものころに。
「アン! 着替えるわ、手伝って」
外出予定ではなかったから、部屋着のワンピースのままだったのですが。
「こんなときに無理なお願いで悪いのだけど、最速で私を可愛らしくしてくれる?」
「……なぜ、とおうかがいしても?」
アンの質問の答えって、とっても恥ずかしいことだから言いたくないけど、言わなきゃダメよね。我儘言ってる自覚あるし。
「王宮に行くなら、もしかしたら、殿下にお会いするかも……だし。
できればこんな普段着じゃなくて……その、可愛らしい私でお会いしたい、から……」
なんでしょう。恥ずかしいわっ恥ずかし過ぎる理由だわっ。
お父さまの暴走を止めるためにできるだけ早く追いかけなければならないのにっ。
家と家の決定事項である婚約――私たちの場合は王家との婚約です。
それをホイホイと簡単に解消できるとは思えませんが、お父さまのあの謎の迫力で勝ち取ってしまうかもしれません。そんなことになったら……。
「解消なんて、嫌よ」
「お嬢さま……じつは、私、昨夜お嬢さまが泣いてらしたので、この婚約をお嬢さまが嫌がっているのだとばかり、思っておりました」
「え゛?」
「ですが、違ったのですね……」
にっこりと微笑むアン。
私はどうしてか顔に熱が集まるのを自覚して、いたたまれない気持ちで彼女に髪を梳かされていました。
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