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第二章
四
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永禄元年(一五五八)十一月二日。
この日帰蝶は朝から嫌な胸騒ぎがしていた。良からぬことが起こるのではないかと。
と言うのも、昨日、お付きの侍女から、
「明日、末森の御舎弟勘十郎信勝様が御母堂様を伴われ、病に臥せる御屋形様のお見舞いに参られるそうです」
聞かされたからだ。
嘗て、帰蝶の兄斎藤義龍(一色京大夫義龍)が、叔父長井道利と共謀し、病と偽って孫四郎、喜平次の二人の弟を稲葉山城に誘き寄せ殺害した。この時殺害された二人は、帰蝶と母を同じくした。母の名は小見の方と言い、美濃明智一族の出であり、一説ではあの明智光秀の叔母に当たる。
弟二人が兄義龍の策略に掛かり、非業の死を遂げた経緯から、この日義弟信勝が夫信長の手に掛かり殺害されるのではないかと、彼女なりに予感めいたものを抱いていたのだ。
「義姉上様……」
自分に懐く於市が、何故本日は本丸屋形の奥の寝所で病に臥せる従兄信長の見舞いに行ってはいけないのかと、先ほどから頻りに訊ねて来る。
帰蝶は膝をつき、於市と同じ目線になってから口を開いた。
「理由は申せませんが、本日だけはなりません」
「何故ですか、その訳を妾にも教えて下さい」
「……教えることは出来ないのです」
帰蝶は悲し気な表情を作り徐にかぶりを振った。
そしてお付きの侍女に命じ、於市を清須城下の外れに建つ寺へ連れて行かせた。
昼過ぎ、柴田勝家を従えて末森城から信勝が信長の見舞いのため清須城を訪れた。同行する土田御前は朝から妙な胸騒ぎを覚えてならなかった。
「まさに鬼の撹乱とはこのことじゃ」
土田御前は、大手門まで出迎えのため現れた小姓の池田恒興に言った。
「で、勝三郎(恒興)、兄上の容態は?」
信勝はいつになく真顔で恒興に問い掛けた。
「都より招かれし御医師の見立てによりますると、肝の臓の病かと……」
「然様か……」
信勝は頷くと、信長の近習たちに案内され、本丸御殿へと足を運んだ。
「柴田様と他の方々は、この場にてお待ち頂けたい……」
恒興は目顏で勝家に伝えた。
「何故じゃ」
勝家が問い返した。
「先ずは御兄弟だけで御対面を……御母堂様にも別室を御用意致しております故あちらの方へ」
恒興は奥の寝所に続く廊下の途中で、信勝とそれ以外の者を分けた。
土田御前は不安気な眼差しを息子信勝に向ける。すると信勝は重臣柴田勝家を見やった。
勝家は小さく一度だけ頷く。これを確認すると信勝は、母土田御前に優しく微笑み掛けた。
「心配は御無用。御案じ下され母上」
「されど……」
「ささっ、参りましょうか御前」
勝家に促され、土田御前は後ろ髪を引かれるような思いのまま、お付きの侍女や供回り衆らとともに、信勝と離れ用意された別室に入った。
池田恒興とともに信長が待つ寝所に信勝が入った。
目の前には、病に臥せる兄信長の憐れな姿があった。確かに顔色が良くない。やはり噂通り兄信長は肝臓をやられているらしい。黄疸が出ている。
「兄上、勘十郎信勝にござる。御気分は如何でござるか」
信長の枕元で腰を下ろし訊ねてみる。
「……応っ、勘十郎か……よく来てくれた待っておったぞっ!」
死病に憑依された病人のわりには、語気が生き生きとしている。
「はぁっ!?」
もしや謀られたのでは、と悟った瞬間だった。
寝具を跳ね除け、信長が立ち上がった。更に、信勝の背後の襖障子が突然開き、振り返ると抜刀した侍たちが一斉に乱入して来た。
「一度ならば兎も角、その方は二度までもこの俺に歯向かった。よって成敗致す」
信長は恐ろしく低い声で告げる。
「あ、兄上……!?」
「やれっ」
信長は短く告げる。
「上意でござるっ。勘十郎殿、御覚悟召されいぃぃぃっ!!」
河尻与四郎秀隆が、袈裟斬りで信勝に太刀を振り下ろした。更に青貝と言う侍が斬り掛かった。抵抗しようと信勝は脇差の柄を握るが、抜刀する間もなく両名に討たれ、前のめりに倒れた。
「ぐはぁぁぁぁーっ!? あ、兄上ぇぇぇ……。何故某がぁぁ……」
宙に鮮血を捲き上げ、苦悶しながら信勝は右手を信長の方に伸ばした。
「ご無礼仕る」
恒興が脇差を抜き、信勝に止めを刺した。
叫び声を聞いて、別室で待機していた土田御前が血相を変え寝所に飛び込んで来た。
「かかかか……勘十郎……!?」
「この者は、俺に歯向かった故成敗した」
返り血を浴びた信長が、顔色一つ変えず平然と告げた。
「お、鬼じゃ……三郎、其方は鬼じゃ」
全身から鮮血を流し、目の前に横たわる愛息信勝の亡骸を見るなり、土田御前はその場で泣き崩れた。
騒ぎを聞きつけた帰蝶も、足早に信長の寝所へやって来た。
「……やはり」
顔面蒼白となった帰蝶は、手のひらで口を覆い短く発した。
「権六。此度のこと大儀であった」
信長は、帰蝶の真後ろに立つ勝家に向かって言葉を掛けた。
帰蝶はゆっくりと振り返り、勝家の顏をまじまじと見詰めた。
「忝い御言葉を賜り身に余る次第」
「これからも、この俺に忠節を誓えっ権六っ」
「ははぁっ」
勝家は恭しく頭を下げた。
今の信長の言葉で、帰蝶は全てを悟った。
信勝を信長に売ったのはこの猛者だったのだと。
この日帰蝶は朝から嫌な胸騒ぎがしていた。良からぬことが起こるのではないかと。
と言うのも、昨日、お付きの侍女から、
「明日、末森の御舎弟勘十郎信勝様が御母堂様を伴われ、病に臥せる御屋形様のお見舞いに参られるそうです」
聞かされたからだ。
嘗て、帰蝶の兄斎藤義龍(一色京大夫義龍)が、叔父長井道利と共謀し、病と偽って孫四郎、喜平次の二人の弟を稲葉山城に誘き寄せ殺害した。この時殺害された二人は、帰蝶と母を同じくした。母の名は小見の方と言い、美濃明智一族の出であり、一説ではあの明智光秀の叔母に当たる。
弟二人が兄義龍の策略に掛かり、非業の死を遂げた経緯から、この日義弟信勝が夫信長の手に掛かり殺害されるのではないかと、彼女なりに予感めいたものを抱いていたのだ。
「義姉上様……」
自分に懐く於市が、何故本日は本丸屋形の奥の寝所で病に臥せる従兄信長の見舞いに行ってはいけないのかと、先ほどから頻りに訊ねて来る。
帰蝶は膝をつき、於市と同じ目線になってから口を開いた。
「理由は申せませんが、本日だけはなりません」
「何故ですか、その訳を妾にも教えて下さい」
「……教えることは出来ないのです」
帰蝶は悲し気な表情を作り徐にかぶりを振った。
そしてお付きの侍女に命じ、於市を清須城下の外れに建つ寺へ連れて行かせた。
昼過ぎ、柴田勝家を従えて末森城から信勝が信長の見舞いのため清須城を訪れた。同行する土田御前は朝から妙な胸騒ぎを覚えてならなかった。
「まさに鬼の撹乱とはこのことじゃ」
土田御前は、大手門まで出迎えのため現れた小姓の池田恒興に言った。
「で、勝三郎(恒興)、兄上の容態は?」
信勝はいつになく真顔で恒興に問い掛けた。
「都より招かれし御医師の見立てによりますると、肝の臓の病かと……」
「然様か……」
信勝は頷くと、信長の近習たちに案内され、本丸御殿へと足を運んだ。
「柴田様と他の方々は、この場にてお待ち頂けたい……」
恒興は目顏で勝家に伝えた。
「何故じゃ」
勝家が問い返した。
「先ずは御兄弟だけで御対面を……御母堂様にも別室を御用意致しております故あちらの方へ」
恒興は奥の寝所に続く廊下の途中で、信勝とそれ以外の者を分けた。
土田御前は不安気な眼差しを息子信勝に向ける。すると信勝は重臣柴田勝家を見やった。
勝家は小さく一度だけ頷く。これを確認すると信勝は、母土田御前に優しく微笑み掛けた。
「心配は御無用。御案じ下され母上」
「されど……」
「ささっ、参りましょうか御前」
勝家に促され、土田御前は後ろ髪を引かれるような思いのまま、お付きの侍女や供回り衆らとともに、信勝と離れ用意された別室に入った。
池田恒興とともに信長が待つ寝所に信勝が入った。
目の前には、病に臥せる兄信長の憐れな姿があった。確かに顔色が良くない。やはり噂通り兄信長は肝臓をやられているらしい。黄疸が出ている。
「兄上、勘十郎信勝にござる。御気分は如何でござるか」
信長の枕元で腰を下ろし訊ねてみる。
「……応っ、勘十郎か……よく来てくれた待っておったぞっ!」
死病に憑依された病人のわりには、語気が生き生きとしている。
「はぁっ!?」
もしや謀られたのでは、と悟った瞬間だった。
寝具を跳ね除け、信長が立ち上がった。更に、信勝の背後の襖障子が突然開き、振り返ると抜刀した侍たちが一斉に乱入して来た。
「一度ならば兎も角、その方は二度までもこの俺に歯向かった。よって成敗致す」
信長は恐ろしく低い声で告げる。
「あ、兄上……!?」
「やれっ」
信長は短く告げる。
「上意でござるっ。勘十郎殿、御覚悟召されいぃぃぃっ!!」
河尻与四郎秀隆が、袈裟斬りで信勝に太刀を振り下ろした。更に青貝と言う侍が斬り掛かった。抵抗しようと信勝は脇差の柄を握るが、抜刀する間もなく両名に討たれ、前のめりに倒れた。
「ぐはぁぁぁぁーっ!? あ、兄上ぇぇぇ……。何故某がぁぁ……」
宙に鮮血を捲き上げ、苦悶しながら信勝は右手を信長の方に伸ばした。
「ご無礼仕る」
恒興が脇差を抜き、信勝に止めを刺した。
叫び声を聞いて、別室で待機していた土田御前が血相を変え寝所に飛び込んで来た。
「かかかか……勘十郎……!?」
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