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第32話 サハヤの帰還、そしてシャンポンがイルリジーを振った理由
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何を言い出すのだ、とマウジュシュカは思った。
マドリョンカにはそもそも母であるミチャが居たではないか。そして副帝都の家に現在も住んでいる。
だが彼女はそのことを口にはしない。することは自分の矜持に反するのだ。
「ようございます」
「それでは明日―――いや、明後日にでも馬車を用意させよう」
「判りました」
明日、としなかったのはダウジバルダ・サヘ自身が疲れているからなのか。それとも。
夫が去ってからもしばらく彼女はそのことを考え続けた。
*
一方次の日のうちに、副帝都の館にサハヤはあっさりと帰宅した。
「お帰りサハヤ。なかなか元気そうで何よりだ」
「君も…… だが、髪をまた切ったのかい?」
「ああ。軽くなった。子供達と遊ぶには短い方が楽だ。それに肩の凝りも減る」
「この子ったらまだそんなことを言う……」
ミチャ夫人も婿の帰還には笑みを浮かべていた。彼はシャンポンと気が合うからと言って、格別突拍子もないことを起こしはしない。真面目に軍で仕事をし、外で浮気をする訳でもなく、子供にもよい父親である。
ただ今回はさすがに長い期間だったので、子供達が父親の顔に何となく自信なさげだったが。
眼鏡だけはしっかりさせておいたのも、そのためである。帝都副帝都であれ、精密な眼鏡というものは未だ庶民の手に入りにくいものだった。それだけに父親=眼鏡という刷り込みはある程度有効だ、と彼は考えていた。
「おかえりなさい」
「おかえりなさい」
口々に言う双子を彼は軽々両方持ち上げた。
「やあ、重くなったなあ」
「いっぱい食べてるからだよ!」
「きらいなものはのこすくせに!」
歯止めを無くす大声が実に子供らしい、と彼は思う。
「毎日楽しいかい?」
「お隣のおにーちゃんのとこのおともだちがふえたの」
「だから上のおにーちゃんが最近あんまり遊んでくれないの」
下ろした子供達は軽く悔しそうな顔をした。
「まあまあ、ともかく一度荷物も置いて、身体も洗って、着替えなさいな」
「ありがとうございます、義母上」
そう言ってサハヤは荷物を家人に渡し、自身は浴室へと向かう。と、その後をシャンポンが着いてくる。
「君も入るのか?」
「いや、単に話がある」
「了解」
湯の用意だけをさせた後、サハヤは「奥様と二人にさせてくれないか」と女中達に命じた。彼女達は何を想像してか、口の中で笑いつつ戻って行く。
まあそんなことはどうでもいい、と彼も彼女も思っている。浴室とか寝室というのは、他の者に聞かれない話がしやすいものだ。
彼が帰ってくるという知らせは既に受けていたので、湯は充分に用意されている。
彼は女中達に世話されるのが好きではないことから、妻である彼女だけが浴室に入るということはこの家では普通のこととなっていた。
頭を一通り洗った後、彼は身体の垢を落としながら話を始めた。
「先にこっちからも話があるんだが」
「何だ?」
「明日、マウジュシュカ夫人が来る」
「あの方が?」
さすがにそれにはシャンポンも驚く。
「帝都からはまず出ないと思っていたが……」
「理由は分からない。だけどまあ、その辺りは覚悟しておいて欲しいということだ」
「覚悟、なあ……」
濡れても良い様な服を着た上で小さな椅子を引っ張り出してきて近くに座っている。その様子はやはり何処か彼女の口調同様何処か少年の様なのが少し彼には可笑しい。
もっともそれはあくまで奥様として、である。彼女は自分が奥様になるとはあまり感じていなかった様なのだ。少なくともすぐ下の妹が亡くなるまでは。兄が家督を継ぎ、自分はあくまで老嬢として生きていくのだろう、と考えていたらしい。
「背を流すか?」
「してくれるのかい?」
「何というか、実に擦りがいがありそうだな、と思ってな」
「なるほど。ではお願いしていいかな」
「了解した」
まるでちょっと上品な程度の男の友人と話しているかの様だった。そこが彼としては彼女との結婚を了承した理由だった。
サハヤは元々化粧臭い女、というものが好きではなかった。彼がもう少し知識欲や職務より性欲が強い人間だったら男に走っていたかもしれない。
そんな彼にとって、化粧気が無く、常にばたばたと動き回り、通常はあまり周囲の女性には縁の無いややこしい文学や歴史や政治や、時には野草や動物、虫のことまで興味を持つ彼女は居心地が良かった。
好きかどうか、ではなく。
それは彼女も同様だった。と同時に、彼女は隣のイルリジーから一度求婚されて手ひどく断っている。その理由を彼に説明したことがある。
「隣のトモレコルの若旦那とは昔はよく遊んだんだがな、彼が私を恋人にしたがったんで、慌てて帝都に逃げたんだ」
「逃げたとは貴女らしくない」
当時のサハヤは言ったものだった。
「私はイルリジーと友人のつもりだったんだよ。貴方と今話している様なことでね。彼は楽器の演奏が上手いし、向こうの大旦那様の所蔵している本の話もできる。お互いいい友人だとは思ったんだがな」
「まあそれは仕方がない。基本的に男は皆サルだから」
ああ! とすぐに納得した彼女をサハヤは面白い、と思ったのだ。この先一緒にやっていくなら、このさっぱりとした気性は実にありがたいと。
子供を作るのも実に合理的に考えていた。さすがに子供は必要だし、そのための行為は仕方なし。それで気持ち良ければなおよし、という考え方だったのはさすがに彼も意外だったが。
だがこの婿に来た家で唯一微妙ななのは、ミチャ夫人だった。常に彼女は隣の娘、義妹のマドリョンカの元にばかり行く。
「まあそういうものさ」
そして戻ってきてみれば、やはりシャンポンに関しては、何処か子供扱いしている感があるのだ。
「何をぼぅっと考えてる? そう長々と考えてると風邪を引くぞ」
ぐい、と思い切り垢すりをかけられた。
マドリョンカにはそもそも母であるミチャが居たではないか。そして副帝都の家に現在も住んでいる。
だが彼女はそのことを口にはしない。することは自分の矜持に反するのだ。
「ようございます」
「それでは明日―――いや、明後日にでも馬車を用意させよう」
「判りました」
明日、としなかったのはダウジバルダ・サヘ自身が疲れているからなのか。それとも。
夫が去ってからもしばらく彼女はそのことを考え続けた。
*
一方次の日のうちに、副帝都の館にサハヤはあっさりと帰宅した。
「お帰りサハヤ。なかなか元気そうで何よりだ」
「君も…… だが、髪をまた切ったのかい?」
「ああ。軽くなった。子供達と遊ぶには短い方が楽だ。それに肩の凝りも減る」
「この子ったらまだそんなことを言う……」
ミチャ夫人も婿の帰還には笑みを浮かべていた。彼はシャンポンと気が合うからと言って、格別突拍子もないことを起こしはしない。真面目に軍で仕事をし、外で浮気をする訳でもなく、子供にもよい父親である。
ただ今回はさすがに長い期間だったので、子供達が父親の顔に何となく自信なさげだったが。
眼鏡だけはしっかりさせておいたのも、そのためである。帝都副帝都であれ、精密な眼鏡というものは未だ庶民の手に入りにくいものだった。それだけに父親=眼鏡という刷り込みはある程度有効だ、と彼は考えていた。
「おかえりなさい」
「おかえりなさい」
口々に言う双子を彼は軽々両方持ち上げた。
「やあ、重くなったなあ」
「いっぱい食べてるからだよ!」
「きらいなものはのこすくせに!」
歯止めを無くす大声が実に子供らしい、と彼は思う。
「毎日楽しいかい?」
「お隣のおにーちゃんのとこのおともだちがふえたの」
「だから上のおにーちゃんが最近あんまり遊んでくれないの」
下ろした子供達は軽く悔しそうな顔をした。
「まあまあ、ともかく一度荷物も置いて、身体も洗って、着替えなさいな」
「ありがとうございます、義母上」
そう言ってサハヤは荷物を家人に渡し、自身は浴室へと向かう。と、その後をシャンポンが着いてくる。
「君も入るのか?」
「いや、単に話がある」
「了解」
湯の用意だけをさせた後、サハヤは「奥様と二人にさせてくれないか」と女中達に命じた。彼女達は何を想像してか、口の中で笑いつつ戻って行く。
まあそんなことはどうでもいい、と彼も彼女も思っている。浴室とか寝室というのは、他の者に聞かれない話がしやすいものだ。
彼が帰ってくるという知らせは既に受けていたので、湯は充分に用意されている。
彼は女中達に世話されるのが好きではないことから、妻である彼女だけが浴室に入るということはこの家では普通のこととなっていた。
頭を一通り洗った後、彼は身体の垢を落としながら話を始めた。
「先にこっちからも話があるんだが」
「何だ?」
「明日、マウジュシュカ夫人が来る」
「あの方が?」
さすがにそれにはシャンポンも驚く。
「帝都からはまず出ないと思っていたが……」
「理由は分からない。だけどまあ、その辺りは覚悟しておいて欲しいということだ」
「覚悟、なあ……」
濡れても良い様な服を着た上で小さな椅子を引っ張り出してきて近くに座っている。その様子はやはり何処か彼女の口調同様何処か少年の様なのが少し彼には可笑しい。
もっともそれはあくまで奥様として、である。彼女は自分が奥様になるとはあまり感じていなかった様なのだ。少なくともすぐ下の妹が亡くなるまでは。兄が家督を継ぎ、自分はあくまで老嬢として生きていくのだろう、と考えていたらしい。
「背を流すか?」
「してくれるのかい?」
「何というか、実に擦りがいがありそうだな、と思ってな」
「なるほど。ではお願いしていいかな」
「了解した」
まるでちょっと上品な程度の男の友人と話しているかの様だった。そこが彼としては彼女との結婚を了承した理由だった。
サハヤは元々化粧臭い女、というものが好きではなかった。彼がもう少し知識欲や職務より性欲が強い人間だったら男に走っていたかもしれない。
そんな彼にとって、化粧気が無く、常にばたばたと動き回り、通常はあまり周囲の女性には縁の無いややこしい文学や歴史や政治や、時には野草や動物、虫のことまで興味を持つ彼女は居心地が良かった。
好きかどうか、ではなく。
それは彼女も同様だった。と同時に、彼女は隣のイルリジーから一度求婚されて手ひどく断っている。その理由を彼に説明したことがある。
「隣のトモレコルの若旦那とは昔はよく遊んだんだがな、彼が私を恋人にしたがったんで、慌てて帝都に逃げたんだ」
「逃げたとは貴女らしくない」
当時のサハヤは言ったものだった。
「私はイルリジーと友人のつもりだったんだよ。貴方と今話している様なことでね。彼は楽器の演奏が上手いし、向こうの大旦那様の所蔵している本の話もできる。お互いいい友人だとは思ったんだがな」
「まあそれは仕方がない。基本的に男は皆サルだから」
ああ! とすぐに納得した彼女をサハヤは面白い、と思ったのだ。この先一緒にやっていくなら、このさっぱりとした気性は実にありがたいと。
子供を作るのも実に合理的に考えていた。さすがに子供は必要だし、そのための行為は仕方なし。それで気持ち良ければなおよし、という考え方だったのはさすがに彼も意外だったが。
だがこの婿に来た家で唯一微妙ななのは、ミチャ夫人だった。常に彼女は隣の娘、義妹のマドリョンカの元にばかり行く。
「まあそういうものさ」
そして戻ってきてみれば、やはりシャンポンに関しては、何処か子供扱いしている感があるのだ。
「何をぼぅっと考えてる? そう長々と考えてると風邪を引くぞ」
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