8 / 32
第8話 皆からのお祝いと贈り物
しおりを挟む
三日目のお祝いは、兼雅が執り行った。
彼は花文綾の羅を重ねた銀の衝重を十二、産着やおむつや内敷を入れた銀の透箱を六、強飯をお握りにしたものを十具ばかり、それに碁手の銭を百貫用意した。
正頼の屋敷に泊まり込んで祝っている殿上人達は、一晩中管弦をしたり、意銭――― 銭打ちの勝負をして遊んでいる。
大宮からも三夜の祝いとして、趣のある様々な品が届いた。
*
五日目のお祝いは、正頼が三日の夜同様に立派な祝いの準備をした。
正頼の息子達も、それぞれ趣の変わったお祝いを立派に送る。
やはり皆遊びに遊び、殿上人達は、三日の夜同様に、被物を受け取った。
*
そして六日目。
仁寿殿女御は麝香を沢山用意させて、栴檀や丁字といった香の材料と共に鉄の臼で搗いて粉にさせた。
そして綿を入れた練絹を袋にこさえると、その一つ一つに搗いた粉の香を入れ、柱と柱の間にある御簾に掛けさせた。
大きな銀製の狛犬の中に収まった燻炉を一宮の寝所の四隅に置いて、その香を絶えず焚いている。
廂の間には、大きな燻炉に火を入れて、良質の沈や合わせ薫き物を沢山くべてその場にいっぱいになる程に置いた。
寝所の四方に掛かる一重の絹や、壁代わりの御簾は香を移す上等の燻炉に入れていたので、その付近は非常に良い薫りが漂っている。
ましてや一宮が居る中は言うまでもない。ほんのちょっとした臭い蒜の匂いなども消されてしまう。
やがて大宮は自分の北の大殿にへと戻る。そこは現在、女御の休息所となっているので、仕える大人も童も皆それに応じた装束をまとっている。
仲忠は――― 仕人達は、いつも居る東の廂に儀式通りにお手水から膳部まで用意しておいたが、当の本人が一宮の居る母屋からまるで出て来ない。
「お食事は如何なさります」
と心配した女房が問いかけても、
「宮の残りを食べたから平気」
そう返す始末。
昼間の人の居ない時になると、妻の寝所に入りその横で眠る。誰かがやって来ると、そのすぐ外の土居にもたれかかって居眠りをする。そして夜は魔除けの弓弦を一晩中鳴らしている。
簀子には彼と仲のいい公達が揃っていたのだが。
*
七日目のことである。
「夕方は入浴しましょうね。さあ起きましょう。髪を解いてあげるわ」
仁寿殿女御は一宮に言う。元気を取り戻してきていた一宮も言われる通り、起きあがる。
白い単衣の上に、つやつやした赤の表着を羽織り、台帳の床の端へいざり出て東の方を向いた。
女御と尚侍が一宮のたっぷりとした髪を二つに分けて梳り始める。非常に量が多く、つやつやと美しく、長さは八尺程ある。
髪を上げ整える一切の仕事は、典侍と乳母が行った。
「お産の後初めて髪を上げる場合は、縁起を祝うものでございますが……」
典侍が心配そうに口を出す。
すると女御は朗らかに、
「何もそなたが気に掛けることは無い。そうでなくとも、この子のは長くて多すぎる位で心配の無い御髪なのだからね」
「長さはともかく、髪の筋や見た目の美しいのは、滅多に無いものです。宮はそのいずれの点から言っても申し分の無い御髪ですね」
尚侍もそう口をはさむ。そうそう、と二人の母は楽しそうに、それぞれ分担したあたりを梳っては褒め称える。
非常に艶やかに美しい髪で、お産の後だから、と切れたり薄くなる様なことも無い。
当人の様子にしても、少々顔色が青白い様に見えるが、それが却って尊く上品な印象を周囲に与える。そう、今が盛りとばかりに匂う様に若々しく美しい。
やがてそんな一宮の元に、藤壺からお祝いの品が届けられた。
二斗入りの酒甕が二つ。
物を入れた衝重の沈の折櫃が十二。
蘇芳の高坏には、腹に龍脳香を詰めた銀の雉の剥製が二羽、大きな松の作り枝に据えられている。
その端にはこう書かれていた。
「―――鶴/都留の都に済む雉が今日は珍しく松の枝に飛びましたからお目に掛けますね」
また文も別にやって来た。
東宮坊の次官がやってきて、一宮の元に届ける。あて宮からの文は、薄い萌黄色の色紙一重ねに包んで五葉の枝につけてある。
一宮はそれを見ると思わず笑う。
それを見た仲忠は妻に近づき、迫る。
「何って書いてあるの? 見たいな」
「人には見せるな、って書いてあるから駄目よ」
「僕に隠し事をするの?」
そう言って彼は文を取り上げてしまう。あーあ、と一宮は思わず呆れる。
「本当に御満足な珍しいおめでたは、何よりも先にお祝い申し上げたいと存じましたのに、暫くは分別もないような有様でしたので、もしかしたら、万が一にでも見苦しい恥を隠すことができないだろうかと思いまして、とうとう今日までご無沙汰申し上げました。
誠に誠に大変珍しいおめでたが一時に集った時にこそ伺うべきですのに、お目にもかかれず、直接お祝いを申し上げないでしまったことは、この上なく残念に存じます。
入内せず、昔のままおりましたら、こうも切ない思いはしなかっただろう、と思うにつけても心が暗くなります。
―――昔、中の大殿で二人一緒に住み親しんでいましたのに、今は自分自分の生活に関わって、あなたのお慶びを他人の様に聞いているのですもの―――
繰り返しても足りない程、貴女が羨ましい。
ねえ私の愛しい貴女、こういうことがあった折りには、全く挙措の難しい私のために、必ず必ず、自由にお訪ねできる様にお力添え下さいな」
仲忠はそれを見ると微妙な笑みを漏らした。
「何と言うか…… 久しくあの方の御文を見ないうちに、ずいぶんと変わられたもんだな。何と言うか、冗談だか本気だか判らない様な書きぶりそのものは変わっていないのだけど」
「そうなの?」
一宮は問いかける。一緒に暮らしていた彼女にしてみれば、文の調子の変化はあまり判らない。ただ。
「ああでも、確かに少し調子が変わったかも」
「あなたもそう思う?」
「冗談にでも愚痴など吐くひとじゃなかったもの」
そうか、と仲忠はうなづく。
「気になるのかしら」
「大変なんだなあ、と思うだけだよ」
「それだけ?」
「うん。だいたい僕は今、目の前のひとのことで手一杯だし」
まあ、と一宮は「言うわね」と肩をすくめる。
「私まだ、疲れちゃって目がしょぼしょぼしてるの。返事はあなた書いて下さる?」
「僕が?」
「書きたいんじゃないの?」
うーん、と仲忠は一瞬悩む。
「別にあなたのことどうこう疑う訳じゃないわよ」
「そう?」
仲忠は黙って大きくうなづく一宮を見ると、そうか、とばかりに筆を取った。赤い薄様の紙一重ねを用意させる。
「御文を頂いた当人は、床上げしたばかりで、まだ目のほうがおぼつかなく、宮の代わりで失礼致します。以下宮からです。
私のことを意のままに思い通りで羨ましい、と仰ったのは、それは今の貴女が、周囲も狭いと思える程満ち足りているとお思いになっているからでしょう。
いいえ、別に私、貴女の言葉をお恨みしている訳では無いのよ。でも貴女のその言い方がちょっと悲しかったのでね。
―――あなたのお産をなさった場所で同じ様にお産をした私ですもの。その子供が成長するのは、あなただけでも見守って下さるでしょう?―――
とのこと。
私仲忠からは、いやもう、直接御文を差し上げることができない身となっておりますから、一層慕わしさが募るばかりでございます。
―――久しい間待って、やっとこの一時を得た私は、昔の恋しさ悲しさも一緒に思い出されて忘れかねるのです」
仲忠はそう書くと、同じ薄様の一重ねに包んで、良い感じの紅葉に付けた。
「あなたが書いたところ、見てもいい?」
「見たいの?」
「……」
少し考え、まあいいわ、と彼女はやめておいた。
「いいの?」
「うーん、何と言うか」
一宮は首を傾げる。
「あて宮の恋しい昔って、どういうのだったのかしら、と思って」
「宮からはどう見えたの?」
「何考えているか判らないひとだったから」
「そう」
仲忠は合点が入った様にうなづいた。
「それでもあなたにはよく返してたわ、あて宮は」
「らしいね。僕も素敵な書きぶりだとは思っていたけど」
「けど?」
「素敵すぎて、現実離れしていた」
「ふーん……」
そういうものか、と一宮は納得した。
「だからじゃないけど、僕はあなたと文をやり取りしたかったなあ」
「あ」
そう言えば。一宮も気付く。
「考えてみたら、私とあなたって全然そういうことしていないのよね」
「そうなんだ。涼さんでもできたというのに」
「え」
「ごめん、ちょっと話に聞いた」
ああ! と一宮は思わず同じ歳の叔母のしたことを思い出す。
「あれで涼さんは今宮が好きになったというんだから、文は文で面白いんだろうね。僕がしたことあるのは、あくまで形の上のものはかりだから。そう、何って言うか、碁で次の一手を見定める時の様な緊張感が無いんだよな」
「ぜーたく」
「そ、そう?」
「まあいいわ。そのうちあなたが内裏に詰める様なことがあったら私も書くから」
本当? と笑顔を見せる夫を見て、一宮は生まれた子よりずっと犬っころみたいだわ、と思った。
*
そんな二人のやり取りをよそに、母親である女御はきびきびと動き回っていた。
非常に美しい女装束を用意させると、弾正宮を呼び、こう言った。
「これは普通は被物になどはしない様な装束です。でも今回は別です。この使いのものに差し上げなさい」
弾正宮は言われる通り、あて宮の使いにそれを渡した。そして彼はそのついでに贈り物を見渡した。
「ねえ仲忠、これはなかなか凄いものだよ、見てごらんよ」
その言葉に仲忠は早速側に持って来させる。
「へえ」
二斗入り甕の片方には、紅の練絹――― 特に光沢を出した打綾が沢山入っていた。
もう片方には、やはり紅の練絹なのだが、上等なものが甕の口元まで畳んで入れてあった。
折櫃の方と言えば。
まず一つには銀製の鯉。
次に銀製の鯛と沈の鰹。
沈や蘇芳を小さく切って切り身の様にして一つ。
合せ薫き物を三種と、龍脳香をそれぞれ黄金の壺の大きなものに入れたものを詰めて一つ。
「海松」と書き付けられたものには、少々の赤い絹と縫い目の無い白い絹、それに続飯を組み合わせて海松の様にしたものが入っており、それが一つ。
白粉に一つ。
残り二つには、えび香と丁字が鰹節の様にして拵えてあった。
「いやこりゃ大変なものだな」
仲忠は感嘆し、母尚侍にもそれらを見せる。
「これはまあ、素晴らしいものですね」
「うん。宮のために、心を込めて整えてくれたんだね。あの方も、入内以前はこういうことに気が付くひととは思えなかったのに、やっぱり御苦労なさっているんだな」
「そうかもしれませんね」
尚侍もうなづいた。
*
夜になると、大宮が生まれた子の湯浴をさせた。一宮もまた、朝から言われていた通り、入浴した。
*
そのうちに、涼からも産養の贈り物が届いた。
一宮の前に、銀の衝重が十二。
おなじく銀の台盤に据えて、敷物や内敷も皆見事なものだった。
衝重の中にはそれぞれ色々なものが入っている。
練った綾が一つ。
花文綾の羅が一つ。
色々の織物が一つ。
白い綾が一つ。
練貫が一つ。
練り繰った糸の美しいものが一つ。
練らない糸も美しく一つ。
分量も多く、高く積んで、重い物を据えたので、少しばかり傾いてしまっているのも愛嬌か。
女御の前には沈で作った折敷を、やはり沈で作った高坏に乗せて九つ。
打敷物は特に立派なものである。
沈木で作って黄金で箱の縁を飾った衣箱が六つ。その中には「被物にする様に」と女装束が一具、白い袿が十重、袴が十具。
蒔絵の衣櫃に入れて、物が五斗ばかり入るくらいの紫檀の櫃が五つ。その中には碁や弾棋の賭物の際に使う銭、その他もろもろが入れられて嵩高くなっている。
涼だけではなく、正頼や式部卿宮、民部卿からも様々な贈り物があったという。
*
そして祝宴の始まりである。
中の大殿の南の廂を開放し、客人達の座を作った。
正頼は四郎連純を使いとして、兼雅や式部卿宮を招待する。
「今夜はお七夜ですが、あなた方がおいでにならないと、大変淋しいだろうと思います。誠に誠に恐縮ですか、おいで下さいませんか。私はうちでしたら、下手な舞いでも舞ってお目にかけましょう」
すると「それは素晴らしい、見物のはずだ」と言って、やって来る。
この二人が来ると聞けば、皆もまたじっとしてはいられない。この家の婿君達を始め、名だたる人々が次々とやって来る。
これらの人々の御膳部に関する一切は涼が賄った。
彼は花文綾の羅を重ねた銀の衝重を十二、産着やおむつや内敷を入れた銀の透箱を六、強飯をお握りにしたものを十具ばかり、それに碁手の銭を百貫用意した。
正頼の屋敷に泊まり込んで祝っている殿上人達は、一晩中管弦をしたり、意銭――― 銭打ちの勝負をして遊んでいる。
大宮からも三夜の祝いとして、趣のある様々な品が届いた。
*
五日目のお祝いは、正頼が三日の夜同様に立派な祝いの準備をした。
正頼の息子達も、それぞれ趣の変わったお祝いを立派に送る。
やはり皆遊びに遊び、殿上人達は、三日の夜同様に、被物を受け取った。
*
そして六日目。
仁寿殿女御は麝香を沢山用意させて、栴檀や丁字といった香の材料と共に鉄の臼で搗いて粉にさせた。
そして綿を入れた練絹を袋にこさえると、その一つ一つに搗いた粉の香を入れ、柱と柱の間にある御簾に掛けさせた。
大きな銀製の狛犬の中に収まった燻炉を一宮の寝所の四隅に置いて、その香を絶えず焚いている。
廂の間には、大きな燻炉に火を入れて、良質の沈や合わせ薫き物を沢山くべてその場にいっぱいになる程に置いた。
寝所の四方に掛かる一重の絹や、壁代わりの御簾は香を移す上等の燻炉に入れていたので、その付近は非常に良い薫りが漂っている。
ましてや一宮が居る中は言うまでもない。ほんのちょっとした臭い蒜の匂いなども消されてしまう。
やがて大宮は自分の北の大殿にへと戻る。そこは現在、女御の休息所となっているので、仕える大人も童も皆それに応じた装束をまとっている。
仲忠は――― 仕人達は、いつも居る東の廂に儀式通りにお手水から膳部まで用意しておいたが、当の本人が一宮の居る母屋からまるで出て来ない。
「お食事は如何なさります」
と心配した女房が問いかけても、
「宮の残りを食べたから平気」
そう返す始末。
昼間の人の居ない時になると、妻の寝所に入りその横で眠る。誰かがやって来ると、そのすぐ外の土居にもたれかかって居眠りをする。そして夜は魔除けの弓弦を一晩中鳴らしている。
簀子には彼と仲のいい公達が揃っていたのだが。
*
七日目のことである。
「夕方は入浴しましょうね。さあ起きましょう。髪を解いてあげるわ」
仁寿殿女御は一宮に言う。元気を取り戻してきていた一宮も言われる通り、起きあがる。
白い単衣の上に、つやつやした赤の表着を羽織り、台帳の床の端へいざり出て東の方を向いた。
女御と尚侍が一宮のたっぷりとした髪を二つに分けて梳り始める。非常に量が多く、つやつやと美しく、長さは八尺程ある。
髪を上げ整える一切の仕事は、典侍と乳母が行った。
「お産の後初めて髪を上げる場合は、縁起を祝うものでございますが……」
典侍が心配そうに口を出す。
すると女御は朗らかに、
「何もそなたが気に掛けることは無い。そうでなくとも、この子のは長くて多すぎる位で心配の無い御髪なのだからね」
「長さはともかく、髪の筋や見た目の美しいのは、滅多に無いものです。宮はそのいずれの点から言っても申し分の無い御髪ですね」
尚侍もそう口をはさむ。そうそう、と二人の母は楽しそうに、それぞれ分担したあたりを梳っては褒め称える。
非常に艶やかに美しい髪で、お産の後だから、と切れたり薄くなる様なことも無い。
当人の様子にしても、少々顔色が青白い様に見えるが、それが却って尊く上品な印象を周囲に与える。そう、今が盛りとばかりに匂う様に若々しく美しい。
やがてそんな一宮の元に、藤壺からお祝いの品が届けられた。
二斗入りの酒甕が二つ。
物を入れた衝重の沈の折櫃が十二。
蘇芳の高坏には、腹に龍脳香を詰めた銀の雉の剥製が二羽、大きな松の作り枝に据えられている。
その端にはこう書かれていた。
「―――鶴/都留の都に済む雉が今日は珍しく松の枝に飛びましたからお目に掛けますね」
また文も別にやって来た。
東宮坊の次官がやってきて、一宮の元に届ける。あて宮からの文は、薄い萌黄色の色紙一重ねに包んで五葉の枝につけてある。
一宮はそれを見ると思わず笑う。
それを見た仲忠は妻に近づき、迫る。
「何って書いてあるの? 見たいな」
「人には見せるな、って書いてあるから駄目よ」
「僕に隠し事をするの?」
そう言って彼は文を取り上げてしまう。あーあ、と一宮は思わず呆れる。
「本当に御満足な珍しいおめでたは、何よりも先にお祝い申し上げたいと存じましたのに、暫くは分別もないような有様でしたので、もしかしたら、万が一にでも見苦しい恥を隠すことができないだろうかと思いまして、とうとう今日までご無沙汰申し上げました。
誠に誠に大変珍しいおめでたが一時に集った時にこそ伺うべきですのに、お目にもかかれず、直接お祝いを申し上げないでしまったことは、この上なく残念に存じます。
入内せず、昔のままおりましたら、こうも切ない思いはしなかっただろう、と思うにつけても心が暗くなります。
―――昔、中の大殿で二人一緒に住み親しんでいましたのに、今は自分自分の生活に関わって、あなたのお慶びを他人の様に聞いているのですもの―――
繰り返しても足りない程、貴女が羨ましい。
ねえ私の愛しい貴女、こういうことがあった折りには、全く挙措の難しい私のために、必ず必ず、自由にお訪ねできる様にお力添え下さいな」
仲忠はそれを見ると微妙な笑みを漏らした。
「何と言うか…… 久しくあの方の御文を見ないうちに、ずいぶんと変わられたもんだな。何と言うか、冗談だか本気だか判らない様な書きぶりそのものは変わっていないのだけど」
「そうなの?」
一宮は問いかける。一緒に暮らしていた彼女にしてみれば、文の調子の変化はあまり判らない。ただ。
「ああでも、確かに少し調子が変わったかも」
「あなたもそう思う?」
「冗談にでも愚痴など吐くひとじゃなかったもの」
そうか、と仲忠はうなづく。
「気になるのかしら」
「大変なんだなあ、と思うだけだよ」
「それだけ?」
「うん。だいたい僕は今、目の前のひとのことで手一杯だし」
まあ、と一宮は「言うわね」と肩をすくめる。
「私まだ、疲れちゃって目がしょぼしょぼしてるの。返事はあなた書いて下さる?」
「僕が?」
「書きたいんじゃないの?」
うーん、と仲忠は一瞬悩む。
「別にあなたのことどうこう疑う訳じゃないわよ」
「そう?」
仲忠は黙って大きくうなづく一宮を見ると、そうか、とばかりに筆を取った。赤い薄様の紙一重ねを用意させる。
「御文を頂いた当人は、床上げしたばかりで、まだ目のほうがおぼつかなく、宮の代わりで失礼致します。以下宮からです。
私のことを意のままに思い通りで羨ましい、と仰ったのは、それは今の貴女が、周囲も狭いと思える程満ち足りているとお思いになっているからでしょう。
いいえ、別に私、貴女の言葉をお恨みしている訳では無いのよ。でも貴女のその言い方がちょっと悲しかったのでね。
―――あなたのお産をなさった場所で同じ様にお産をした私ですもの。その子供が成長するのは、あなただけでも見守って下さるでしょう?―――
とのこと。
私仲忠からは、いやもう、直接御文を差し上げることができない身となっておりますから、一層慕わしさが募るばかりでございます。
―――久しい間待って、やっとこの一時を得た私は、昔の恋しさ悲しさも一緒に思い出されて忘れかねるのです」
仲忠はそう書くと、同じ薄様の一重ねに包んで、良い感じの紅葉に付けた。
「あなたが書いたところ、見てもいい?」
「見たいの?」
「……」
少し考え、まあいいわ、と彼女はやめておいた。
「いいの?」
「うーん、何と言うか」
一宮は首を傾げる。
「あて宮の恋しい昔って、どういうのだったのかしら、と思って」
「宮からはどう見えたの?」
「何考えているか判らないひとだったから」
「そう」
仲忠は合点が入った様にうなづいた。
「それでもあなたにはよく返してたわ、あて宮は」
「らしいね。僕も素敵な書きぶりだとは思っていたけど」
「けど?」
「素敵すぎて、現実離れしていた」
「ふーん……」
そういうものか、と一宮は納得した。
「だからじゃないけど、僕はあなたと文をやり取りしたかったなあ」
「あ」
そう言えば。一宮も気付く。
「考えてみたら、私とあなたって全然そういうことしていないのよね」
「そうなんだ。涼さんでもできたというのに」
「え」
「ごめん、ちょっと話に聞いた」
ああ! と一宮は思わず同じ歳の叔母のしたことを思い出す。
「あれで涼さんは今宮が好きになったというんだから、文は文で面白いんだろうね。僕がしたことあるのは、あくまで形の上のものはかりだから。そう、何って言うか、碁で次の一手を見定める時の様な緊張感が無いんだよな」
「ぜーたく」
「そ、そう?」
「まあいいわ。そのうちあなたが内裏に詰める様なことがあったら私も書くから」
本当? と笑顔を見せる夫を見て、一宮は生まれた子よりずっと犬っころみたいだわ、と思った。
*
そんな二人のやり取りをよそに、母親である女御はきびきびと動き回っていた。
非常に美しい女装束を用意させると、弾正宮を呼び、こう言った。
「これは普通は被物になどはしない様な装束です。でも今回は別です。この使いのものに差し上げなさい」
弾正宮は言われる通り、あて宮の使いにそれを渡した。そして彼はそのついでに贈り物を見渡した。
「ねえ仲忠、これはなかなか凄いものだよ、見てごらんよ」
その言葉に仲忠は早速側に持って来させる。
「へえ」
二斗入り甕の片方には、紅の練絹――― 特に光沢を出した打綾が沢山入っていた。
もう片方には、やはり紅の練絹なのだが、上等なものが甕の口元まで畳んで入れてあった。
折櫃の方と言えば。
まず一つには銀製の鯉。
次に銀製の鯛と沈の鰹。
沈や蘇芳を小さく切って切り身の様にして一つ。
合せ薫き物を三種と、龍脳香をそれぞれ黄金の壺の大きなものに入れたものを詰めて一つ。
「海松」と書き付けられたものには、少々の赤い絹と縫い目の無い白い絹、それに続飯を組み合わせて海松の様にしたものが入っており、それが一つ。
白粉に一つ。
残り二つには、えび香と丁字が鰹節の様にして拵えてあった。
「いやこりゃ大変なものだな」
仲忠は感嘆し、母尚侍にもそれらを見せる。
「これはまあ、素晴らしいものですね」
「うん。宮のために、心を込めて整えてくれたんだね。あの方も、入内以前はこういうことに気が付くひととは思えなかったのに、やっぱり御苦労なさっているんだな」
「そうかもしれませんね」
尚侍もうなづいた。
*
夜になると、大宮が生まれた子の湯浴をさせた。一宮もまた、朝から言われていた通り、入浴した。
*
そのうちに、涼からも産養の贈り物が届いた。
一宮の前に、銀の衝重が十二。
おなじく銀の台盤に据えて、敷物や内敷も皆見事なものだった。
衝重の中にはそれぞれ色々なものが入っている。
練った綾が一つ。
花文綾の羅が一つ。
色々の織物が一つ。
白い綾が一つ。
練貫が一つ。
練り繰った糸の美しいものが一つ。
練らない糸も美しく一つ。
分量も多く、高く積んで、重い物を据えたので、少しばかり傾いてしまっているのも愛嬌か。
女御の前には沈で作った折敷を、やはり沈で作った高坏に乗せて九つ。
打敷物は特に立派なものである。
沈木で作って黄金で箱の縁を飾った衣箱が六つ。その中には「被物にする様に」と女装束が一具、白い袿が十重、袴が十具。
蒔絵の衣櫃に入れて、物が五斗ばかり入るくらいの紫檀の櫃が五つ。その中には碁や弾棋の賭物の際に使う銭、その他もろもろが入れられて嵩高くなっている。
涼だけではなく、正頼や式部卿宮、民部卿からも様々な贈り物があったという。
*
そして祝宴の始まりである。
中の大殿の南の廂を開放し、客人達の座を作った。
正頼は四郎連純を使いとして、兼雅や式部卿宮を招待する。
「今夜はお七夜ですが、あなた方がおいでにならないと、大変淋しいだろうと思います。誠に誠に恐縮ですか、おいで下さいませんか。私はうちでしたら、下手な舞いでも舞ってお目にかけましょう」
すると「それは素晴らしい、見物のはずだ」と言って、やって来る。
この二人が来ると聞けば、皆もまたじっとしてはいられない。この家の婿君達を始め、名だたる人々が次々とやって来る。
これらの人々の御膳部に関する一切は涼が賄った。
0
あなたにおすすめの小説
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
診察室の午後<菜の花の丘編>その1
スピカナ
恋愛
神的イケメン医師・北原春樹と、病弱で天才的なアーティストである妻・莉子。
そして二人を愛してしまったイケメン御曹司・浅田夏輝。
「菜の花クリニック」と「サテライトセンター」を舞台に、三人の愛と日常が描かれます。
時に泣けて、時に笑える――溺愛とBL要素を含む、ほのぼの愛の物語。
多くのスタッフの人生がここで楽しく花開いていきます。
この小説は「医師の兄が溺愛する病弱な義妹を毎日診察する甘~い愛の物語」の1000話以降の続編です。
※医学描写はすべて架空です。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる