8 / 19
第八話 婚約者
しおりを挟む
私は図書室の窓際で、いつも通り書物の整理をしていた。体は鉛のように重く、指先はわずかに震えている。それでも私は鉛筆を握りしめ、書きかけの目録に集中していた。
その時。図書室にやってきた令嬢たちが、ひそひそと話しをし始めた。
「ねえ、聞いた? アシェン様のこと」
「ええ、もちろん! 隣国のご令嬢と親しくされているのよね。婚約者を迎え入れられるのかしら」
「まあ。やはり英雄には、釣り合う方がいらっしゃるのね。お美しい方だと評判よ」
私の手から、鉛筆が滑り落ちた。カラン、と乾いた音が、静かな図書室に響く。
アシェン様が、婚約者を迎える……?
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられるような感覚に襲われる。それでも、自分に言い聞かせた。
当然のことだ。アシェン様は、この国の英雄。いずれ、しかるべき家柄の女性を妻に迎え、後継者を持つのは自然な流れだ。ましてや、彼のように美しく誰もが認める才覚の持ち主ならば、婚約の噂が立つのも時間の問題だったはずだ。
私のような取るに足らない存在が、彼の隣に立つことなど、あるはずがない。
分かっていた。頭では、ずっと理解していたことだ。
それでも、心臓の奥が、ずきりと痛む。
令嬢たちのひそひそ話は続いている。彼女たちの話題は、アシェン様の婚約の話題で持ちきりだった。その声が私の耳には、遠く、ぼやけて聞こえた。
窓の外では、風に揺れる木々が乾いた音を立てている。私はその音に耳を傾けながら、ゆっくりと椅子に座り直した。
これで、いいんだ。
無理に笑みを浮かべようとするが、口角は思うようには上がらない。
彼の人生は、私がいなくても、完璧に続いていく。そして私の短い人生は、アシェン様との思い出によって彩られた。それでいい。それだけで、いい。
そう自分に言い聞かせるほどに、心臓の奥の痛みは増していくようだった。
私は静かに目を閉じた。残された時間の中で、もう一度、彼の顔を見に行こう。そして最後に、最高の愛の言葉を告げよう。
私は重い体を引きずって騎士団の訓練場へと向かった。アシェン様が婚約者を迎えるという噂を聞いてから、どうしても彼に会いたくて仕方がなかった。
最後に、いつものように彼に愛を告げて、彼の反応をもう一度だけ目に焼き付けておきたかったのだ。
訓練場に近づくと、剣が打ち合う音と、騎士たちの掛け声が聞こえてくる。私はその音に励まされるように、さらに足を速めた。
訓練場の入り口までたどり着き、中を覗き込む。広い訓練場の中央で、アシェン様はいつものように華麗な剣さばきを見せていた。彼の周りには騎士たちが集まり、真剣な眼差しで彼の動きを追っている。その姿は、やはりこの国の英雄そのものだった。
しかし私の視線は、アシェン様の少し後ろでにこやかに彼を見守っている女性に釘付けになった。
彼女は光沢のある上質なドレスを身につけ、顔には気品に満ちた笑みを浮かべている。その立ち姿は優雅で、アシェン様の傍らに立つのが当然であるかのように、自然にそこに存在していた。
あの人が……アシェン様の婚約者……。
その女性の姿を見て、胸に再び痛みが走るのを感じた。噂通りの、釣り合う相手。自分とは、あまりにもかけ離れた、輝くような存在。
アシェン様は訓練の合間に、その女性に視線を向け、わずかに口元を緩めているように見える。女性もまた、それに答えるように、さらに優しい笑みを返す。二人の間には、温かい、そして確かな絆のようなものが感じられた。
ああ……私では、到底無理だ。
私はその光景を見て、自分がどれほど場違いな存在であるかを痛感した。私の思いは、あくまで一方的なものに過ぎない。彼の人生には私の入り込む余地など、どこにもないのだ。
これ以上ここにいては、自分が惨めになるだけだ。そう思った私は、くるりと踵を返した。音を立てないように、ゆっくりと、その場を離れようとする。
これで、いい。これが、正しい結末なんだ。
そう自分に言い聞かせる。私の命は、もうほとんど残っていない。
だからこそ、彼の未来を邪魔してはいけない。彼の幸せそうな姿を見ることができたのだから、それで十分だ。
しかし私の心は、これまでにないほど深く沈んでいた。
その時。図書室にやってきた令嬢たちが、ひそひそと話しをし始めた。
「ねえ、聞いた? アシェン様のこと」
「ええ、もちろん! 隣国のご令嬢と親しくされているのよね。婚約者を迎え入れられるのかしら」
「まあ。やはり英雄には、釣り合う方がいらっしゃるのね。お美しい方だと評判よ」
私の手から、鉛筆が滑り落ちた。カラン、と乾いた音が、静かな図書室に響く。
アシェン様が、婚約者を迎える……?
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられるような感覚に襲われる。それでも、自分に言い聞かせた。
当然のことだ。アシェン様は、この国の英雄。いずれ、しかるべき家柄の女性を妻に迎え、後継者を持つのは自然な流れだ。ましてや、彼のように美しく誰もが認める才覚の持ち主ならば、婚約の噂が立つのも時間の問題だったはずだ。
私のような取るに足らない存在が、彼の隣に立つことなど、あるはずがない。
分かっていた。頭では、ずっと理解していたことだ。
それでも、心臓の奥が、ずきりと痛む。
令嬢たちのひそひそ話は続いている。彼女たちの話題は、アシェン様の婚約の話題で持ちきりだった。その声が私の耳には、遠く、ぼやけて聞こえた。
窓の外では、風に揺れる木々が乾いた音を立てている。私はその音に耳を傾けながら、ゆっくりと椅子に座り直した。
これで、いいんだ。
無理に笑みを浮かべようとするが、口角は思うようには上がらない。
彼の人生は、私がいなくても、完璧に続いていく。そして私の短い人生は、アシェン様との思い出によって彩られた。それでいい。それだけで、いい。
そう自分に言い聞かせるほどに、心臓の奥の痛みは増していくようだった。
私は静かに目を閉じた。残された時間の中で、もう一度、彼の顔を見に行こう。そして最後に、最高の愛の言葉を告げよう。
私は重い体を引きずって騎士団の訓練場へと向かった。アシェン様が婚約者を迎えるという噂を聞いてから、どうしても彼に会いたくて仕方がなかった。
最後に、いつものように彼に愛を告げて、彼の反応をもう一度だけ目に焼き付けておきたかったのだ。
訓練場に近づくと、剣が打ち合う音と、騎士たちの掛け声が聞こえてくる。私はその音に励まされるように、さらに足を速めた。
訓練場の入り口までたどり着き、中を覗き込む。広い訓練場の中央で、アシェン様はいつものように華麗な剣さばきを見せていた。彼の周りには騎士たちが集まり、真剣な眼差しで彼の動きを追っている。その姿は、やはりこの国の英雄そのものだった。
しかし私の視線は、アシェン様の少し後ろでにこやかに彼を見守っている女性に釘付けになった。
彼女は光沢のある上質なドレスを身につけ、顔には気品に満ちた笑みを浮かべている。その立ち姿は優雅で、アシェン様の傍らに立つのが当然であるかのように、自然にそこに存在していた。
あの人が……アシェン様の婚約者……。
その女性の姿を見て、胸に再び痛みが走るのを感じた。噂通りの、釣り合う相手。自分とは、あまりにもかけ離れた、輝くような存在。
アシェン様は訓練の合間に、その女性に視線を向け、わずかに口元を緩めているように見える。女性もまた、それに答えるように、さらに優しい笑みを返す。二人の間には、温かい、そして確かな絆のようなものが感じられた。
ああ……私では、到底無理だ。
私はその光景を見て、自分がどれほど場違いな存在であるかを痛感した。私の思いは、あくまで一方的なものに過ぎない。彼の人生には私の入り込む余地など、どこにもないのだ。
これ以上ここにいては、自分が惨めになるだけだ。そう思った私は、くるりと踵を返した。音を立てないように、ゆっくりと、その場を離れようとする。
これで、いい。これが、正しい結末なんだ。
そう自分に言い聞かせる。私の命は、もうほとんど残っていない。
だからこそ、彼の未来を邪魔してはいけない。彼の幸せそうな姿を見ることができたのだから、それで十分だ。
しかし私の心は、これまでにないほど深く沈んでいた。
2,040
あなたにおすすめの小説
余命3ヶ月と言われたので静かに余生を送ろうと思ったのですが…大好きな殿下に溺愛されました
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のセイラは、ずっと孤独の中生きてきた。自分に興味のない父や婚約者で王太子のロイド。
特に王宮での居場所はなく、教育係には嫌味を言われ、王宮使用人たちからは、心無い噂を流される始末。さらに婚約者のロイドの傍には、美しくて人当たりの良い侯爵令嬢のミーアがいた。
ロイドを愛していたセイラは、辛くて苦しくて、胸が張り裂けそうになるのを必死に耐えていたのだ。
毎日息苦しい生活を強いられているせいか、最近ずっと調子が悪い。でもそれはきっと、気のせいだろう、そう思っていたセイラだが、ある日吐血してしまう。
診察の結果、母と同じ不治の病に掛かっており、余命3ヶ月と宣言されてしまったのだ。
もう残りわずかしか生きられないのなら、愛するロイドを解放してあげよう。そして自分は、屋敷でひっそりと最期を迎えよう。そう考えていたセイラ。
一方セイラが余命宣告を受けた事を知ったロイドは…
※両想いなのにすれ違っていた2人が、幸せになるまでのお話しです。
よろしくお願いいたします。
他サイトでも同時投稿中です。
年増令嬢と記憶喪失
くきの助
恋愛
「お前みたいな年増に迫られても気持ち悪いだけなんだよ!」
そう言って思い切りローズを突き飛ばしてきたのは今日夫となったばかりのエリックである。
ちなみにベッドに座っていただけで迫ってはいない。
「吐き気がする!」と言いながら自室の扉を音を立てて開けて出ていった。
年増か……仕方がない……。
なぜなら彼は5才も年下。加えて付き合いの長い年下の恋人がいるのだから。
次の日事故で頭を強く打ち記憶が混濁したのを記憶喪失と間違われた。
なんとか誤解と言おうとするも、今までとは違う彼の態度になかなか言い出せず……
〖完結〗愛しているから、あなたを愛していないフリをします。
藍川みいな
恋愛
ずっと大好きだった幼なじみの侯爵令息、ウォルシュ様。そんなウォルシュ様から、結婚をして欲しいと言われました。
但し、条件付きで。
「子を産めれば誰でもよかったのだが、やっぱり俺の事を分かってくれている君に頼みたい。愛のない結婚をしてくれ。」
彼は、私の気持ちを知りません。もしも、私が彼を愛している事を知られてしまったら捨てられてしまう。
だから、私は全力であなたを愛していないフリをします。
設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
全7話で完結になります。
【完結】愛したあなたは本当に愛する人と幸せになって下さい
高瀬船
恋愛
伯爵家のティアーリア・クランディアは公爵家嫡男、クライヴ・ディー・アウサンドラと婚約秒読みの段階であった。
だが、ティアーリアはある日クライヴと彼の従者二人が話している所に出くわし、聞いてしまう。
クライヴが本当に婚約したかったのはティアーリアの妹のラティリナであったと。
ショックを受けるティアーリアだったが、愛する彼の為自分は身を引く事を決意した。
【誤字脱字のご報告ありがとうございます!小っ恥ずかしい誤字のご報告ありがとうございます!個別にご返信出来ておらず申し訳ございません( •́ •̀ )】
彼を追いかける事に疲れたので、諦める事にしました
Karamimi
恋愛
貴族学院2年、伯爵令嬢のアンリには、大好きな人がいる。それは1学年上の侯爵令息、エディソン様だ。そんな彼に振り向いて欲しくて、必死に努力してきたけれど、一向に振り向いてくれない。
どれどころか、最近では迷惑そうにあしらわれる始末。さらに同じ侯爵令嬢、ネリア様との婚約も、近々結ぶとの噂も…
これはもうダメね、ここらが潮時なのかもしれない…
そんな思いから彼を諦める事を決意したのだが…
5万文字ちょっとの短めのお話で、テンポも早めです。
よろしくお願いしますm(__)m
全てを捨てて消え去ろうとしたのですが…なぜか殿下に執着されています
Karamimi
恋愛
侯爵令嬢のセーラは、1人崖から海を見つめていた。大好きだった父は、2ヶ月前に事故死。愛していた婚約者、ワイアームは、公爵令嬢のレイリスに夢中。
さらにレイリスに酷い事をしたという噂まで流されたセーラは、貴族世界で完全に孤立していた。独りぼっちになってしまった彼女は、絶望の中海を見つめる。
“私さえいなくなれば、皆幸せになれる”
そう強く思ったセーラは、子供の頃から大好きだった歌を口ずさみながら、海に身を投げたのだった。
一方、婚約者でもあるワイアームもまた、一人孤独な戦いをしていた。それもこれも、愛するセーラを守るため。
そんなワイアームの気持ちなど全く知らないセーラは…
龍の血を受け継いだワイアームと、海神の娘の血を受け継いだセーラの恋の物語です。
ご都合主義全開、ファンタジー要素が強め?な作品です。
よろしくお願いいたします。
※カクヨム、小説家になろうでも同時配信しています。
一年だけの夫婦でも私は幸せでした。
クロユキ
恋愛
騎士のブライドと結婚をしたフローズンは夫がまだ婚約者だった姉を今でも想っている事を知っていた。
フローズンとブライドは政略結婚で結婚式当日にブライドの婚約者だった姉が姿を消してしまった。
フローズンは姉が戻るまでの一年の夫婦の生活が始まった。
更新が不定期です。誤字脱字がありますが宜しくお願いします。
嫌われていると思って彼を避けていたら、おもいっきり愛されていました
Karamimi
恋愛
伯爵令嬢のアメリナは、幼馴染の侯爵令息、ルドルフが大好き。ルドルフと少しでも一緒にいたくて、日々奮闘中だ。ただ、以前から自分に冷たいルドルフの態度を気にしていた。
そんなある日、友人たちと話しているルドルフを見つけ、近づこうとしたアメリナだったが
“俺はあんなうるさい女、大嫌いだ。あの女と婚約させられるくらいなら、一生独身の方がいい!”
いつもクールなルドルフが、珍しく声を荒げていた。
うるさい女って、私の事よね。以前から私に冷たかったのは、ずっと嫌われていたからなの?
いつもルドルフに付きまとっていたアメリナは、完全に自分が嫌われていると勘違いし、彼を諦める事を決意する。
一方ルドルフは、今までいつも自分の傍にいたアメリナが急に冷たくなったことで、完全に動揺していた。実はルドルフは、誰よりもアメリナを愛していたのだ。アメリナに冷たく当たっていたのも、アメリナのある言葉を信じたため。
お互い思い合っているのにすれ違う2人。
さらなる勘違いから、焦りと不安を募らせていくルドルフは、次第に心が病んでいき…
※すれ違いからのハッピーエンドを目指していたのですが、なぜかヒーローが病んでしまいました汗
こんな感じの作品ですが、どうぞよろしくお願いしますm(__)m
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる