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第8章 無線電話と電探
8.3章 電波探信儀の開発
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昭和15年3月末から海軍技術研究所の伊藤中佐は、空技廠との打ち合わせで示されたパルス電波による目標探知の基礎実験を始めた。
最初に着手したのは、航空機の検知を行うための基礎実験機の開発だった。私との会話を基に書き直した資料で、伊藤研究室の技師にパルスレーダーの原理から動作の概要について説明してから、研究室全体で開発に着手した。残念ながら、この時代の真空管による電子回路では、高周波になればなるほど性能も信頼度も低下する。このため電波の波長はセンチ波に比べて扱いが相対的に容易なメートル波を使用することとなった。メートル波長の送信部品として技術研究所内に、既に研究のために製造された3メートルのマグネトロン発振器があったことも大きな理由の一つだ。
私から話を聞いて、アンテナについては八木・宇田アンテナの調査を行って、その効果を確認していた。私の記憶から、周波数帯が同じテレビのUHFアンテナの絵をかいて参考としてもらった。その絵を基にして、八木・宇田アンテナ理論を理解した技師が、エレメントの長さや本数などを計算した。試験機のアンテナとしては、長方形の各頂点から八木・宇田アンテナが突き出した4本構成となった。各アンテナのエレメントは計算から15本になった。
波長から受信電波の試験と並行して表示装置が作成され、もっとも簡単な陰極管に送信波とその下に反射波を表示する装置が作成された。2か月後には、反射波が戻ってくるまでの時間を測定して、距離を判定するという基本動作原理の確認のために、バラックの実験回路ができあがった。実験機材を目黒の海軍技術研究所に設置して目標探知実験をすると、おおむね目標とする性能が出ていることがわかってきた。
その後、移動可能な筐体収納とした送受信機が完成したので、平塚無線実験施設に設置して、実際の探知実験が開始された。平塚の装置は、送信機、受信機、アンテナとその接続ボックス、電源装置から構成されていた。もともと、航空機の遠距離での探知実験を目的としていたので、空技廠から、目標とした九六式陸攻を北に向かって飛行させた。もっとも、この時期は、MK5Aの試験エンジンを搭載した複数の九六式陸攻が毎日飛行していたので、飛行ルートを若干変更したのが実態だ。試験の結果、10kmから20kmあたりで飛来する航空機を検知することができた。引き続き、送信電力の強化とアンテナと受信機の感度を改善すると、40kmあたりで確実に飛行する航空機の検知ができるようになった。
海軍航空本部から、中国戦線に派遣されていた海軍航空隊の基地に設置して、奇襲攻撃の早期探知にこの実験装置が利用可能であるのか問い合せが行われた。中国の前線部隊は、中国機やソ連機の小規模な嫌がらせのような基地攻撃に悩まされており、何とか解決してくれと何度も要望が前線基地から出ていたのだ。そのため、電探が利用可能であれば、有効性の確認も兼ねて、前線基地に配備すべきではないかとの意見が、軍令部内でも出てきたのだ。
和田廠長から私のところに直接問い合わせがきた。
「おい、航空本部から質問が来たぞ。技研と一緒に実験していた電波探信儀の件だ。鈴木君も時々打ち合わせに出たり、実験用に海軍機を飛ばせたり結構開発に貢献しているんだよな。最近になって探知実験はうまく行っていると聞いているが、実際のところ性能と完成度はどうなんだ? 軍令部は前線で使いたいなんて言ってきているぞ」
実際に使ってもらって、有効性を証明できれば開発はますます加速できるだろう。ある程度は使い物になるレベルには仕上がっているはずだ。ここは積極的に答えよう。
「まあ、電探は私の専門じゃないので、自分の貢献が大きいのか小さいのかは判然としませんが、装置を完成させるために口出ししているのは事実です。実験機器については、安定して40浬(74km)くらいの距離であれば飛行する航空機の探知ができるようになっています。現時点でも改良が進んでいるので、今でも性能が次々と良くなった装置ができあがっていますよ」
「例えば、実験機じゃなくて前線の基地に持って行けと言われたら可能なのか?」
「最新型の実験機は、移動させることができるように筐体に収めています。航空機に載せるのはちょっと無理ですが、船や貨車ならば運搬可能なはずです」
「うむ。よくわかった、航空本部には実戦使用すれば効果が大だと答えよう」
技研の伊藤中佐のところにも同様の問い合わせがあった。もちろん、中佐は、前線での使用は問題ないと回答した。
このようなやり取りの結果、技術研究所長の都築中将と空技廠長の和田少将の連名で電探が利用可能であることが、軍令部と航空本部に上申された。この時の航空本部長である豊田貞次郎中将もこれに強く賛同した。電波探信儀については海軍技術研究所と空技廠が全面協力して、中国基地に配備可能な性能と実用性を担保することが指示された。更に、軍令部の決断によりその電波探信儀を追加製造して、昭和15年7月までには中国大陸に向けて、船便に載せることと決まった。
この時期の電探は航空機などの開発とは異なり、部品さえあればかなり短いサイクルで設計と試作を繰り返すことにより、数カ月もあれば性能を改善して完成度を高めることができた。まだそれだけの余地が残った未成熟な装置だったとも言えるだろう。
従って、豊田中将からの中国への配備決定がされた後も、空技廠に加えて技術研究所と製造メーカーの日本無線が中心になって継続的に改良設計が行われていた。八木宇田アンテナを4本構成から9本構成に増加して、アンテナ全体をモーターで回転させて、自動的に全周の探知ができるように改善した。加えて、改設計された各装置は実戦での使用が容易となるように可搬型の箱に収めて、重量も軽減した。初期の装置は実験で確認するために性能が優先で、小型化や重量などは二の次だったのだ。改良された装置は仮称零式一号電波探信儀一型と命名された。
横須賀航空隊に仮称一号一型が設置されると、性能確認が行われた。横空には審査直後の零戦が数機配備されていたので、より実戦に近づけて、電探で敵機を探知して、その情報に基づいて戦闘機に迎撃させる実験を行うことを、私から空技廠長に進言した。
和田廠長の判断で、このあたりの実験は全て横空にも顔が利く永野大尉が中心になって実施することになった。横空では、悪天候でない限り、訓練飛行が常時行われている。訓練をしている爆撃機を仮想敵機に見立てて、50浬(93km)あたりで接近する機体を探知すると、指揮官が迎撃を担当する零戦に離陸を指示する。離陸後、零戦は無線により接近する機の方位と距離の指示を受ける。零戦は地上から得た情報に基づいて飛行して、目標とした機に会敵するという手順である。
私のミリタリーマニアとしての未来の知識も参考にして、地上からの指示のやり方や機体と基地の間のやり取りの方法などいろいろ変更して実験を行った。迎撃実験を行っているうちに豊田中将から要求された期日となった。
横須賀航空隊に設置されていたのと同一の電波探信儀が昭和15年7月10日に船積みされた。1か月後には、漢口基地に機材が到着したとの連絡があった。
最初に着手したのは、航空機の検知を行うための基礎実験機の開発だった。私との会話を基に書き直した資料で、伊藤研究室の技師にパルスレーダーの原理から動作の概要について説明してから、研究室全体で開発に着手した。残念ながら、この時代の真空管による電子回路では、高周波になればなるほど性能も信頼度も低下する。このため電波の波長はセンチ波に比べて扱いが相対的に容易なメートル波を使用することとなった。メートル波長の送信部品として技術研究所内に、既に研究のために製造された3メートルのマグネトロン発振器があったことも大きな理由の一つだ。
私から話を聞いて、アンテナについては八木・宇田アンテナの調査を行って、その効果を確認していた。私の記憶から、周波数帯が同じテレビのUHFアンテナの絵をかいて参考としてもらった。その絵を基にして、八木・宇田アンテナ理論を理解した技師が、エレメントの長さや本数などを計算した。試験機のアンテナとしては、長方形の各頂点から八木・宇田アンテナが突き出した4本構成となった。各アンテナのエレメントは計算から15本になった。
波長から受信電波の試験と並行して表示装置が作成され、もっとも簡単な陰極管に送信波とその下に反射波を表示する装置が作成された。2か月後には、反射波が戻ってくるまでの時間を測定して、距離を判定するという基本動作原理の確認のために、バラックの実験回路ができあがった。実験機材を目黒の海軍技術研究所に設置して目標探知実験をすると、おおむね目標とする性能が出ていることがわかってきた。
その後、移動可能な筐体収納とした送受信機が完成したので、平塚無線実験施設に設置して、実際の探知実験が開始された。平塚の装置は、送信機、受信機、アンテナとその接続ボックス、電源装置から構成されていた。もともと、航空機の遠距離での探知実験を目的としていたので、空技廠から、目標とした九六式陸攻を北に向かって飛行させた。もっとも、この時期は、MK5Aの試験エンジンを搭載した複数の九六式陸攻が毎日飛行していたので、飛行ルートを若干変更したのが実態だ。試験の結果、10kmから20kmあたりで飛来する航空機を検知することができた。引き続き、送信電力の強化とアンテナと受信機の感度を改善すると、40kmあたりで確実に飛行する航空機の検知ができるようになった。
海軍航空本部から、中国戦線に派遣されていた海軍航空隊の基地に設置して、奇襲攻撃の早期探知にこの実験装置が利用可能であるのか問い合せが行われた。中国の前線部隊は、中国機やソ連機の小規模な嫌がらせのような基地攻撃に悩まされており、何とか解決してくれと何度も要望が前線基地から出ていたのだ。そのため、電探が利用可能であれば、有効性の確認も兼ねて、前線基地に配備すべきではないかとの意見が、軍令部内でも出てきたのだ。
和田廠長から私のところに直接問い合わせがきた。
「おい、航空本部から質問が来たぞ。技研と一緒に実験していた電波探信儀の件だ。鈴木君も時々打ち合わせに出たり、実験用に海軍機を飛ばせたり結構開発に貢献しているんだよな。最近になって探知実験はうまく行っていると聞いているが、実際のところ性能と完成度はどうなんだ? 軍令部は前線で使いたいなんて言ってきているぞ」
実際に使ってもらって、有効性を証明できれば開発はますます加速できるだろう。ある程度は使い物になるレベルには仕上がっているはずだ。ここは積極的に答えよう。
「まあ、電探は私の専門じゃないので、自分の貢献が大きいのか小さいのかは判然としませんが、装置を完成させるために口出ししているのは事実です。実験機器については、安定して40浬(74km)くらいの距離であれば飛行する航空機の探知ができるようになっています。現時点でも改良が進んでいるので、今でも性能が次々と良くなった装置ができあがっていますよ」
「例えば、実験機じゃなくて前線の基地に持って行けと言われたら可能なのか?」
「最新型の実験機は、移動させることができるように筐体に収めています。航空機に載せるのはちょっと無理ですが、船や貨車ならば運搬可能なはずです」
「うむ。よくわかった、航空本部には実戦使用すれば効果が大だと答えよう」
技研の伊藤中佐のところにも同様の問い合わせがあった。もちろん、中佐は、前線での使用は問題ないと回答した。
このようなやり取りの結果、技術研究所長の都築中将と空技廠長の和田少将の連名で電探が利用可能であることが、軍令部と航空本部に上申された。この時の航空本部長である豊田貞次郎中将もこれに強く賛同した。電波探信儀については海軍技術研究所と空技廠が全面協力して、中国基地に配備可能な性能と実用性を担保することが指示された。更に、軍令部の決断によりその電波探信儀を追加製造して、昭和15年7月までには中国大陸に向けて、船便に載せることと決まった。
この時期の電探は航空機などの開発とは異なり、部品さえあればかなり短いサイクルで設計と試作を繰り返すことにより、数カ月もあれば性能を改善して完成度を高めることができた。まだそれだけの余地が残った未成熟な装置だったとも言えるだろう。
従って、豊田中将からの中国への配備決定がされた後も、空技廠に加えて技術研究所と製造メーカーの日本無線が中心になって継続的に改良設計が行われていた。八木宇田アンテナを4本構成から9本構成に増加して、アンテナ全体をモーターで回転させて、自動的に全周の探知ができるように改善した。加えて、改設計された各装置は実戦での使用が容易となるように可搬型の箱に収めて、重量も軽減した。初期の装置は実験で確認するために性能が優先で、小型化や重量などは二の次だったのだ。改良された装置は仮称零式一号電波探信儀一型と命名された。
横須賀航空隊に仮称一号一型が設置されると、性能確認が行われた。横空には審査直後の零戦が数機配備されていたので、より実戦に近づけて、電探で敵機を探知して、その情報に基づいて戦闘機に迎撃させる実験を行うことを、私から空技廠長に進言した。
和田廠長の判断で、このあたりの実験は全て横空にも顔が利く永野大尉が中心になって実施することになった。横空では、悪天候でない限り、訓練飛行が常時行われている。訓練をしている爆撃機を仮想敵機に見立てて、50浬(93km)あたりで接近する機体を探知すると、指揮官が迎撃を担当する零戦に離陸を指示する。離陸後、零戦は無線により接近する機の方位と距離の指示を受ける。零戦は地上から得た情報に基づいて飛行して、目標とした機に会敵するという手順である。
私のミリタリーマニアとしての未来の知識も参考にして、地上からの指示のやり方や機体と基地の間のやり取りの方法などいろいろ変更して実験を行った。迎撃実験を行っているうちに豊田中将から要求された期日となった。
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