電子の帝国

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第21章 欧州の戦い

21.3章 超空の要塞登場

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 1940年(昭和15年)8月にアメリカ陸軍から試作機が発注されたB-29は、1941年9月には初飛行もしていないのに250機が発注され、1942年3月には更に500機が追加されている。大量発注を受けていた試作1号機は、1942年6月にやっと初飛行した。これからもわかるように、B-29に対するアメリカ軍の期待は非常に大きく、早期実戦化の圧力が様々な部門からかけられていた。

 しかし、多くの新機構を採用していたB-29は、飛行試験を開始してからも様々な問題が発生した。その中でも大きな問題となったのは、大排気量の18気筒エンジンであるR-3350の発熱だった。特に正面からの気流が少なくなる後列シリンダが過熱しやすく、発火事故が多く発生した。このエンジンは、軽量化のためにクランクケースなどにマグネシウム合金を使用していた。炎にさらされるとマグネシウムは空気中で激しく燃焼するため、一旦火災が発生すると、短時間でエンジン全体に燃え広がった。

 R-3350の開発社であるライト社はこの重大問題解決のために、様々な措置を講じた。その中でも、1942年7月から開始した、エンジン内部の温度や燃焼状態の計算へのコンピュータの活用は効果が顕著だった。計算結果に基づいて燃焼室上部の形状やシリンダの空冷フィンの再設計が行われた。更に、ボーイングもエンジンカウリング内部の空気流をコンピュータで計算した。その結果に基づいて、内部の空気がよどみなく後方に流れてゆくようにエンジンルームの構造を改修した。エンジンと機体側が双方で改良を行った結果、発熱問題は、かなり改善された。

 問題が終息したおかげで、初飛行から約1年が経過した1943年4月からは量産型のB-29が完成し始めた。一気に大量生産が進んだために、一時期はボーイングのウィチタ工場での組み立ては終わったものの、内部の装備品の取り付けや機構部の改修を待つ機体が野外にあふれることになった。この結果、工場で完成したが、飛べない150機余りの機体がカンサスの平原に野ざらしで並べられることになった。それも、事態を重視したアーノルド大将の強引な旗振りにより、2カ月でほとんど解消していった。いわゆるカンサスの戦いである。

 最初のB-29がイギリスに飛来したのは、1943年5月だった。当初は増加試作型ともいえる初期型の配備だった。しかし、その後は量産機が、順次大西洋を渡ってきた。イギリス第8航空軍への配備数は徐々に増えて、1943年6月中旬には最初の部隊が作戦可能な状態となった。

 ……

 1940年末にドイツ人技師のクノッケ技師が日本から持ち帰った技術資料は、第三帝国の電子計算機と新兵器開発に大いに役立った。計算機以外の新兵器としては、近接信管と航跡誘導魚雷が着目されて優先的に開発された。最後に残った技術文書に記載されていたのは、レーダーなどのマイクロ波反射を受信して、それに向けて飛翔してゆくロケット推進のミサイルに関する資料だった。スパイ行為により流出した技術文書には、日本で研究していた電波誘導のミサイルの研究資料が含まれていたのだ。

 当時は、日本でもまだ完成していなかった誘導弾に関する資料なので、詳細な内容ではなくいくつか詳細な記述が欠けていた。しかし、ドイツでもロケット推進の兵器については、従来から研究をしており、自国の技術と合わせれば、十分実現可能だと考えられた。

 1941年中旬になって、ドイツ航空省(RLM)において電子技術開発を統括していたウォルフガング・マルティニ中将は、ロケット推進の飛翔体を研究していたラインメタル・ボルジヒ社とヘンシェル社に対空ミサイル開発を依頼した。

 もともとドイツ軍では、空軍が本土防衛のための対空部隊を運用していたので、その延長として地対空ミサイルも空軍が実用化を主導することになった。

 1942年になると、両社は自主的に飛翔体の試験を開始していた。ラインメタル社が開発していたのは、全長6.3m、重量1.7トンの比較的大型の飛翔体だった。固体燃料の2段構成で、中部胴体には6枚の比較的大きな後退翼の主翼を有しており、後部の1段目には4枚の大型後退翼を取り付けていた。また、機首先端に飛行方向を制御する十字型の稼働翼を有していた。しかし、この2段構成のロケットでは、高度6,000mまでしか上昇できず、初期型は空軍の期待を裏切る結果となった。

 このためラインメタル社は全面的に設計を変更して、2段目を液体推進のロケットとして推力と燃焼時間を増加させた。更に、1段目は2段目の胴体側面に4基の固体燃料の補助ブースターとして取り付けて、上昇性能を改善した。胴体は全長が延長されて、機体の安定性が増して中央部の主翼はやや小型化されて4枚に減少されている。

 また、やや小型のヘンシェル社の開発したミサイル本体は、全長4.2m、重量620kgの航空機に似た主翼を有する飛行体で、2枚の主翼が後退翼になっているのに対して、水平尾翼は台形で、胴体上下の垂直尾翼は三角形に整形されていた。斜めに発射して、最大速度は1,000km/hを目標としていた。

 1942年から試験が開始された誘導装置は、日本の技術を参考にした反射電波に向かってゆく方式に加えて赤外線誘導や人間がジョイスティックで操縦する方法が試された。試験の結果、最終的に日本軍と同様のレーダーが発信した電波の反射波を受信してそれに向かってゆく誘導方式に落ち着いた。地上に電波を放射する機器が必要になるが、確実に目標に誘導できることが最も大きな決定理由だった。しかも、ドイツにとっては、夜間爆撃への対応も重要な課題であり、暗くても電波ならば誘導可能なことも採用理由になった。

 ……

 1942年の空の戦いで大きな被害を受けた第8航空軍は、戦闘機と対空砲による防衛力が強化されたドイツ本土への4発機による攻撃を、しばらくの間控えてきた。もちろん、戦闘機に爆弾を搭載した部隊の攻撃は継続してきたが、これではドイツ側に与える被害も限りがある。

 一方、1943年になっても大西洋におけるUボートによる被害が増加していた。1942年には、連合軍が護衛艦艇を強化したおかげで一時的に被害が減少したが、すぐに増加に転じた。これにはUボートへの配備が進んだ航跡誘導魚雷と音響探知に対するおとり弾が効果を発揮していると考えられた。

 このため、第8航空軍は、Uボート基地の攻撃を計画したが、前年の爆撃作戦で大きな損害を受けたために作戦の実行は延期されていた。しかも、偵察の結果、港湾周囲の防空陣地はかなり強化されており、ドイツ空軍の昼間戦闘機の増加と合わせて、従来のB-17を主力とした爆撃作戦では大きな損害が出るだろうと予測できた。

 状況が変わったのが、イギリス本土へのB-29の配備だ。司令官の第8航空軍の司令官もエイカー少将は本土に呼び戻され、ドーリットル中将が新たに就任してきた。彼はアメリカ本土滞在中に次の戦略空軍の次期主力となるB-29に搭乗して、その性能を実際に体験していた。

 もちろん、ドーリットルはこのまま傍観しているつもりはなかった。
「B-29の実戦参加が可能になり次第、爆撃作戦を再開したい」

 参謀のハル大佐もそれには賛成だった。
「私も、大幅に性能が向上したB-29による爆撃作戦であれば、有効だと考えます。但し、アメリカ本土のアーノルド将軍に了承を取る必要があります。問い合わせをすれば、政府にも上がるでしょう。新型機なので、最初は注意深く行動を開始した方が良いと思います」

 ドーリットル中将も、まずはアメリカ本土の了解を得るという方針について、異論はなかった。作戦が始まってから、横やりを入れて欲しくはない。開始前に作戦内容を説明していれば、その後は何も言ってこないだろう。

 ……

 ウォレス副大統領は、スティムソン陸軍長官とマーシャル陸軍参謀総長、アーノルド陸軍航空軍司令官を呼んで、ヨーロッパにおける航空作戦の方針を相談していた。日本を連合国に引き入れるために、辞任を決断したルーズベルトは、実務には全く顔を出さなくなっていた。国民の反応を見ながら何度か演説をして、ある程度受け入れられたならば、静かに去ることだけが大統領に残された仕事だった。

 既に、書類に記載されたドーリットル中将からの要求は、説明が終わっていた。議論は、副大統領がリードする形で始まった
「ヨーロッパの戦いは思わしくない。ドイツの勢力圏は北アフリカからコーカサスまで広がった。しかも、モスクワを攻略して、これからも国力は増大するだろう。今後、ソ連にはあまり多くを期待できない。しかし、私はこのままヒトラーの帝国が存続するのを絶対に座視するつもりはない。連合国の総力をあげてドイツを叩き潰すつもりだ。そのためには航空機によるドイツ本土の攻撃が極めて重要だ。ドーリットルの攻撃はその端緒になるだろう。むろん、攻撃開始を了承するぞ」

 すぐに、アーノルド大将が答えた。
「イギリスのB-29は訓練も実施して、出撃の準備も完了しつつあります。最初の目標はドイツのヴィルヘルムスハーフェンとするつもりです。イギリス本土からも近い目標で、しかも作戦が成功すれば、大西洋でのUボートの活動に大きな打撃を与えられます」

「今までのドイツ本土爆撃では、反撃により大きな被害が発生していた。今回は本当に大丈夫なのだろうね?」

 アーノルド大将は、ドーリットルが検討中の作戦計画を説明した。特に新型爆撃機としての高性能を強調した。副大統領もB-29の性能には期待するとの発言をした。

 ……

 第8航空軍司令部では、ホワイトハウスからの回答を得て作戦準備を本格化させた。アメリカ政府がドーリットル中将の要求を了承したのだ。中将は、すぐに参謀のハル大佐とキャッスル少佐を呼んで作戦の細部について検討を始めた。
「ホワイトハウスに説明した通り、最初の目標はヴィルヘルムスハーフェンで、我が軍が保有するB-29を出撃させる。護衛の戦闘機としては性能を改善したP-51とP-47だ。旧式のB-17は待機とする。当然だが、B-29の性能を生かした被害を極小化した作戦案を考検討したい」

 ハル大佐が考えていたのは高高度爆撃作戦だった。
「B-29の性能を生かして、約35,000フィート(10,668m)の高度で飛行させます。今までの作戦結果から、高度をあげれば高射砲による被害が減少することが判明しています。今までドイツ軍が主力として使っていた88mm高射砲の射高は25,000フィート(7,620m)程度です。B-29の飛行高度までは届きません。105mm高射砲の砲弾はぎりぎり届きますが、連続して射撃できる範囲も時間も小さくなります。実質的に大きな脅威となるのは、128mm高射砲になります。この大型の高射砲は、まだ大量に配備が進んでいないはずです」

「高射砲への対策についてはわかった。それでも、戦闘機への対策は必要だろう。何か良い対処の方策はあるかね?」

「最近配備が始まっているフォッケウルフとメッサーシュミットの新型機は、10,000m以上でも戦闘可能だと思われます。特に異常に主翼幅が大きなフォッケウルフが目撃されていますが、間違いなく高高度型の戦闘機でしょう。これに対しては、我々も戦闘機の護衛で対抗するしかありません。ドイツ軍の戦闘機が下方から上昇してくるのを想定して、爆撃機の編隊を挟みこむように上下に今まで以上の数の護衛機を飛行させます。更に、B-29編隊に対空レーダーを搭載した機体を随伴させて、友軍の戦闘機を誘導させます。友軍の戦闘機が有利に戦える状況を作って、ドイツ軍戦闘機を排除します」

 キャッスル少佐が戦闘機隊について説明を始めた。
「我々の軍には、最新型のP-51DとP-47Nが配備されています。P-51DもP-47Nも、改良により従来の機体に比べてかなり性能が向上しています。ドイツ軍戦闘機に対しても優勢に戦えるはずだと考えています」

「十分な護衛戦闘機をつければ、爆撃機の被害は減少するというのは、今までの経験から実証されている。しかも、最初の作戦目標とするヴィルヘルムスハーフェンは、オランダ国境の東側で、イギリスから約500kmを北海上空を飛行するだけで、攻撃が可能だ。最初の作戦としては好都合だろう」

 P-51Dは、今までの型で不評だった視界を改善するために水滴型キャノピーに変更した。ノースアメリカン社は、当初はキャノピー以外の改修は主翼付け根の変更だけにとどめる予定だった。しかし、アメリカ陸軍航空軍はパナマでP-51Bが日本海軍の烈風改と戦った結果から、性能向上が必要なことを痛感していた。

 但し、短期間で生産開始しなければならないP-51Dに対しては、大きく変更はできないので、従来のV-1650エンジンに水・メタノール噴射を追加して、約10%の出力を向上した。機体構造の軽量化については、本格的な改修は無理なので、6挺を予定していた機銃を4挺に削減して、電子機器などの装備品を軽量型に置き換えて200kgの軽量化を実現した。そのおかげで、P-51Dの最高速度はP-51Bの434マイル/時(708km/h)から449マイル/時(726km/h)に向上していた。

 同様に、リパブリック社が早い時期から改良設計を進めていたP-47Nも今まで配備されていたP-47Dから大きく性能を改善していた。まず、P-51が長距離を飛行できるのを意識して、主翼を再設計して従来の27.9㎡から29.7㎡に増加させた。これにより、高高度性能だけでなく、航続距離も延伸していた。しかもR-2800エンジンはブースト圧と回転数を向上させた新型が使えるようになっていた。このエンジンは、高度9,970mで水メタノール噴射を行うと緊急出力でなんと2,800馬力を発揮した。

 このおかげでP-47Nは、軽量時の速度だったが、高度35,000フィート(10,668m)で467マイル/時(751km/h)を記録していた。もちろん、排気タービンを備えたP-47Nは、10,000m以上でも性能が急激に低下してくることはない。

 戦闘機の性能改善が、キャッスル少佐が、自信を持って友軍の戦闘機は有利に戦えると説明できた理由だ。
「敵戦闘機も新型が登場していますが、P-51もP-47も最新型では、ドイツ軍戦闘機に決して後れを取らないはずです。護衛戦闘機が負けなければ、敵は爆撃機を自由に攻撃できません。そうなれば、爆撃機の損失は大きく減少するはずです」

 ドーリットル中将は、キャッスル少佐ほど楽観的ではなかったが、それでも友軍の戦闘機が簡単には負けることはないだろうと思うことにした。

 ……

 ドーリットルの第8航空軍は、1943年6月23日に本格的な爆撃作戦を開始した。この時期は、太平洋では日本との休戦交渉がほぼまとまりつつあった時期だ。太平洋の状況を勘案してB-29は全てヨーロッパ戦線に投入されていた。

 合計72機のB-29がイギリス本土を離陸した。機材の不調で8機が基地に引き返したが、64機が北海上空を東に向かって飛行していた。しばらくして44機のP-51Dと40機のP-47Nがイングランド東部の5カ所の基地から離陸した。戦闘機が遅れて発進するのは、巡航速度の違いから、北海上空で追いつけるからだ。

 ドイツ軍は、計算機を利用した暗号解読からアメリカ爆撃隊がイギリス本土から大規模な作戦を実施することをある程度つかんでいた。しかし、作戦実行日と攻撃目標などの詳細はわからなかった。それでも北海上空にレーダー搭載の早期警戒機を飛ばして、連合国側の攻撃隊の発進を警戒していた。

 一方、連合国も多種類の電波受信機を搭載した偵察機を飛行させて、ドイツが使用しているレーダーの波長に関する情報をつかんでいた。その結果、第8航空軍のB-29には、新型電波妨害器の搭載が間に合った。

 イギリス本土を発進した戦闘機と爆撃隊は、海上で合流した後に、オランダの北方海上を東へと飛行していた。オランダ北側の海上を飛行していたレーダー搭載のFw200警戒機が、この編隊を最初に探知した。しばらくして、ロッテルダムからアムステルダム、更にユトランド半島にかけての海岸線近くに設置されていた捜索レーダーが海上編隊の追尾を開始した。

 B-29の編隊は捜索レーダーに対する妨害電波の放射を開始したが、ドイツ軍は広範囲で波長を切り替えられる新型レーダーのヤークト・シュロスへの更新を完了していた。もちろん連合軍もドイツの新型レーダーの波長を電波情報収集によりつかんでおり、複数の波長で妨害電波を放射していた。ドイツ側もレーダーの周波数を次々と切り替えたので、電波による追いかけっこの状態となった。しかし、地上配備の大型レーダーは発振出力も電波のカバー範囲も余裕があった。最終的に、ドイツ側の捜索レーダーの機能については妨害を回避できた。

 一方、レーダーを搭載したFw200の方は、搭載できる機器の大きさには限りがあった。アメリカ爆撃隊からの妨害電波で周波数を切り替えたが、広い周波数範囲での変更はできなかった。短時間探知した後は、機載レーダーは使用不可能となり、海上からの誘導は不可能になった。

 北海上で探知した大編隊の情報はすぐに、ベルリンの帝国航空艦隊(ルフトロッテ・ライヒ)の司令部に通報された。この時期には、ドイツ本土の防衛のために新たに設立された帝国航空艦隊が本土防空の指揮を行うようになっていた。

 カムフーバーラインの情報通信システムは、拠点間の通信能力が大きく改善されていた。レーダーが探知した情報は探知局が計算機に入力すると、自動的に司令部や関係部署に備えた計算機に伝送されるように進歩していた。通信回線の速度を向上させたおかげで、事実上、瞬時と言っていい時間で計算機間の情報は転送された。まず、レーダーの妨害を受ける直前の情報が司令部に通知されると、一時中断した。しかし、妨害を回避した沿岸レーダーからの情報により、時間と共に敵編隊の情報が更新されるようになった。

 帝国航空艦隊のシュトゥムプフ上級大将は、参謀達を集めて迎撃作戦の検討を直ちに開始した。参謀長のファルケンシュタイン少将が手元に入ってきた状況を説明する。
「大規模な編隊が、高高度でアムステルダムの北側の海上から東へと進んでいます。このままユトランド半島の根元に接近するのは間違いありません」

「護衛の戦闘機はついているのだろうな。それで、爆撃隊の飛行ルートから想定される攻撃目標はどこか?」

「今までの連合軍のやり方から考えて、かなりの数の戦闘機が随伴しているでしょう。攻撃目標については、北海沿岸の港湾やキール、あるいはどこかで南方に変針すればブレーメンやハンブルクの可能性もあります。もしも北海沿岸の港湾への攻撃であれば、残された時間は限られます。直ちに昼間戦闘機隊の全力出撃が必要です」

 防空指揮所の壁面に投影されたドイツを中心とした地図をシュトゥムプフ上級大将は見上げた。
「大至急第2戦闘航空団(JG2)と第26戦闘航空団(JG26)の戦闘機隊を発進させよ。但し、発進するのは、高度1万で戦闘できる機体だけだ。北部ドイツの対空部隊も戦闘配備に移行させてくれ。想定される爆撃隊の規模と侵攻ルートを各部隊に通知せよ」

 ……

 帝国航空艦隊司令部からの命令でJG2とJG26の戦闘機隊が発進した。新たにJG26の司令官になったプリラー大佐は直ちに出撃を命じた。大佐は、イギリス本土上空に高高度で侵入した偵察機の情報からアメリカ軍が新型のB-29だけでなく、ムスタングやサンダーボルトの数も増加させていることを薄々知っていた。しかし、具体的な性能まではつかんでいなかった。

「いよいよアメリカ軍の新型爆撃機が出撃してくるぞ。間違いなくB-17よりも大幅に性能が向上しているはずだ。しかも新型のマスタングが配備されたようだ。第Ⅲ飛行隊の新型機を発進させてくれ」

 すぐに、第Ⅲ飛行隊司令官のガイスハルト大尉から応答があった。
「新型のTa152Hは既に戦闘可能な状態になっています。直ちに発進します」

 大尉は自分もTa152Hに乗り組んで離陸した。東部戦線や北アフリカの戦いに参加してきた大尉は、1942年末に100機目の撃墜を記録していた。彼は、最新型の戦闘機を得て、これからも記録を伸ばすつもりだった。

 第26戦闘航空団の第Ⅲ飛行隊(Ⅲ/JG26)が離陸して、しばらく飛行すると基地から最新の位置情報が通知されてきた。電波妨害を受けながらも、沿岸レーダーがアメリカ編隊の位置を確定できたので、連絡してきたのだ。

「アメリカ軍の編隊はアムステルダムの北東方向の海上を飛行中だ。高度は10,000m以上。複数の編隊に分かれて飛行している」

 ガイスハルト大尉は、指示に従ってオランダから海上に抜けてから上昇してゆくと、頭上に飛行機雲を引いて飛行する四発機とその下に液冷の戦闘機の編隊を発見した。大型爆撃機は、のっぺりとした機首の胴体と細長い主翼を備えている。

「頭上に戦闘機と爆撃機の編隊だ。大型機は、間違いなく噂で聞いていた新型機だ。下方の液冷戦闘機は、米軍のマスタングだろう」

 液冷戦闘機は、識別表の写真とは少しばかり操縦席周りの形状が変わって、より洗練されたように見える。航空機の外形が洗練されたというのは性能が向上したことを意味する。

 右翼側を見ると、北部ドイツの基地から上がってきた液冷の戦闘機が見える。液冷機特有の細長い胴体だが、機首の先端はやや太く見える。その胴体に細長い主翼がついている。間違いなく、友軍のMe309Bだ。今までのMe109よりも大幅に性能が改善して、武装も強化されたはずだ。この戦いで頼りにしていいだろう。

 周囲の状況を観察してから、大尉は最初に戦闘機を攻撃すべきだと判断した。上空の爆撃機を攻撃しようと飛行していっても、護衛の戦闘機に邪魔されるだろう。前面に立ちふさがった戦闘機との戦闘は避けられない。そうであれば、アメリカの戦闘機に先制攻撃を加えれば有利に戦える。

「ガイスハルトだ。12時方向、やや上方に敵の戦闘機隊。新型のマスタングのようだ。更にその上方の高高度にB-29の編隊だ。我々はまず戦闘機と戦う。4時方向に友軍のMe309の編隊だ。液冷の敵機と間違わないに注意しろ」

 JG26のTa152Hの編隊は、10,000m以上の高度へと上昇していた。2段3速過給器を備えたJu213Eの高空性能と長大な幅の主翼が、この高度での急上昇を可能としている。P-51よりもわずかに高い高度に上昇すると、敵戦闘機隊に向けて突進を開始した。

 イギリス南部のボドニー空軍基地を離陸したプレディー少佐は、P-51Dの編隊を率いてB-29の下方を飛行していた。すると、異様に主翼の細長い戦闘機が南方に見えてきた。少佐の戦闘機隊もそれを警戒して頭を抑えようと加速したが、高高度でのドイツ軍機の上昇性能は、P-51Dを上回っていた。しかも、爆撃機の護衛をしているのでむやみに離れてしまうこともできない。少佐は、以前の戦いでB-17の搭乗員から戦闘機は見えるところにいてくれという要望を何度も聞いていた。それでも今は空戦を優先しなければならない。

 プレディー少佐は隊内向け無線で命令を発した。
「ドイツ軍機が、前方から攻撃してくる。各機自由に反撃せよ。繰り返す。自由に攻撃してよい」

 第8航空軍配下のP-51Dは、命令を聞いてそれぞれの判断で旋回を開始した。しかし、加速しながら緩降下してきたTa152は想像以上に速かった。

 ロールスロイス製の2段2速過給器を備えたパッカードマリーンを搭載したP-51Dは、水噴射を使用すれば9,000mを超える高度で、450マイル/時(724km/h)を発揮することが可能だった。

 一方、ドイツ側のTa152Hは、最高速度が750km/hに達していたが、軽荷重状態での高度13,000mあたりの記録であり、戦闘重量での高度10,000mの速度は20km/h程度低下していた。つまり速度性能ではわずかにTa152Hが優速な程度になっていた。もちろん高度10,000m付近での上昇と水平旋回の性能は14.4mという長大な主翼を有しているTa152Hの方が優れていた。

 しかも、この戦闘ではやや高い高度から加速しながら降下してくるTa152Hが、空戦の主導権を握っていた。逃げ遅れたマスタングの背面に向けて、ガイスハルト大尉が一連射を加えると30mm弾が命中した。一瞬でP-51Dの中央胴体がバラバラになって、支えるものの無くなった2つの主翼と金属の破片が地上に向けて墜ちていった。

 他のTa152Hに搭乗していたのは東部戦線での実戦経験を有するパイロット達だった。冷静に攻撃して6機のP-51Dに損害を与えた。アメリカ軍の戦闘機が煙を吐いたり、きりもみで墜ちてゆく。機銃弾を受けなかったP-51Dも、10機以上が急降下で逃げてゆく。

 ガイスハルト大尉は圧倒的多数の戦闘機隊に対して、一度の攻撃だけで終わらせるつもりはさらさらなかった。
「逃げてゆく敵機は追いかけるな。南側に旋回して、まだ飛んでいる機体の後方に回り込んでから再度攻撃する」

 初めて交戦したTa152Hが、圧倒的に有利に戦いを進めていた。しかし、ガイスハルト大尉の目の前には、依然として20機程度のアメリカの戦闘機が飛行していた。

 ガイスハルト大尉は落ち着いて周囲を観察していた。
(自分達の部隊が米軍戦闘機と戦っていれば、少なくともその間に他の部隊がB-29を攻撃できるだろう。戦闘開始時に、一瞬見かけたJG2のメッサーシュミットの編隊が爆撃機を攻撃してくれるに違いない)
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