電子の帝国

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第22章 外伝(新たな技術開発)

22.1章 ドイツ軍ジェット機開発

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 世界で最初にジェットエンジンの推力だけで飛行に成功したのは、ドイツのハインケルが製作した実験機だ。ハインケル社のフォン・オハイン博士が開発したHeS3bという推力約400kgのジェットエンジンを利用して、1939年8月27日に空に浮かんだ。

 航空機総監のエアハルト・ミルヒは、ハインケルがジェット推進の機体を飛行させたとの報告を受けていた。そんな一報を受けて、しばらくすると航空省のバレルマン技術部長がやってきた。
「新しい動力を備えた機体が飛行できるようになったので見学に来るように要請が来ています。送り主はハインケル博士で、ウーデット元帥も同席します」

 ハインケル教授は、なんとか自社製のジェット機を空軍に採用させるために、新型機の展示飛行を企画したのだろう。

 招きに応じてロストック郊外のハインケル社所有の飛行場に出向くと、ミルヒの想定通りプロペラのない単発機が引き出されていた。やがてその機体は甲高い音を発して、離陸していった。ハインケル博士の説明によると、胴体後部からオレンジ色の炎を噴き出して飛行した機体はHe178と呼ばれているとのことだ。

 ハインケル博士は、隣で見学していた航空機総監のウーデットにしきりにこの機体の革新性を説明していた。
「博士、おめでとう。確かに、新型の推進型エンジンを使って実際に航空機が飛ぶことが、証明されたわけだ」

 ウーデットが通り一遍の返事をしただけで、会話は続かなかった。技術面でのウーデットの無関心ぶりにミルヒもうんざりしていた。
(やはり、第一次世界大戦パイロットの古い頭では、新型の航空機は理解できないのだ。確かにこの機体の飛行実績だけで、将来有望だと判断するのは性急だが、今後大化けする可能性も否定できないぞ)

 何事もおろそかにしないミルヒは、航空省に戻ってから、この新しい推進動力について、海外での開発状況も含めて調査報告するように命じた。

 バレルマン部長はすぐに、日本がハインケルのジェットエンジンをライセンス購入したことを調べてきた。

「それで、日本人がこのエンジンに金を支払った理由を部長はどう考えるのかね? まさか興味本位の道楽ではないはずだ」

「日本人たちは、既存のレシプロエンジンよりも格段に簡単な仕掛けで、大規模な工場でなくとも大量生産可能なことに着目しました。しかも、うまくすれば高速機を実現できる可能性があります。興味深いのは使い捨てのような無人の飛行体の動力にも使用できるだろうとハインケルの技術者たちにも話していたようです」

「なるほど、日本人が全て正しいとは思わないが、我々も今からジェットエンジンとそれを利用して飛行する機体の開発を要求すべきだと考えるがどうかね?」

「私もジェットエンジンの可能性を、無視すべきではないと考えます。もちろん、現状のプロペラ機を上回るような最優先での開発をする必要はありませんが、空軍として一定程度の開発援助をすべきと考えます」

 ミルヒの意向に従って、航空省からジェットエンジンとジェット戦闘機の開発要求が発出された。当初、航空省内部ではメッサーシュミット社のみをジェット戦闘機の開発社として指定しようと考えていた。ハインケルは、日ごろのナチス嫌いが裏目になって指定から外されようとしたのだ。しかし、ジェット試験機を飛行させた技術力と日本海軍が購入したのがハインケルのエンジンだったという実績が着目された。最終的に航空省は、機体開発に対しては、メッサーシュミットとハインケルを指定した。同様に、ジェットエンジンの開発についてはユンカースとBMW、それにハインケルが選ばれた。

 ジェットの将来性を確信していたエルンスト・ハインケル博士は、航空省から連絡を受ける前から社内で戦闘機の検討を開始していた。すぐに、1基のHeS8エンジンでは、推力を800kgまで増加させても圧倒的に推力不足だと判明した。しかも、He178と同様に胴体内に空気取り入れ用のダクトと2基のジェットエンジンを内蔵すると、戦闘機としての装備や燃料を搭載するためのスペースが不足することも明らかになった。

 このため、ジェットエンジンを双発として左右の主翼下に吊り下げる形式を採用することになった。空気抵抗の観点からは理想的でないが、やむを得ない。開発中のエンジンのサイズはまだ確定していなかったが、翼下にエンジンを懸吊したこの形式は都合が良かった。He280と命名された新たな機体は、Hes8と並行して開発が進められた。ハインケル社はドイツ空軍がジェット機の将来性を認めたと信じて、開発を加速させた。

 He280の試作1号機が完成したのは、1940年6月だった。しかし、肝心のジェットエンジンはまだ飛行可能な状態になっていなかった。高速発揮のために再設計したHeS8の推力が飛行可能な値に達しないのだ。本物のエンジンの代わりにバラストと流線形の覆いを翼下に取り付けて、He280V1は無動力のグライダーとして初飛行した。低速時の飛行特性だけでも試験しようと考えたのだ。

 推力が500kgまで向上した何とか飛べるレベルのHes8エンジンを搭載したHe280V2が初飛行したのは、1941年1月10日だった。しかし、満足に運転できる時間が1時間程度で推力も戦闘機向けには不足しているHeS8が、He280の足を引っ張った。これでは戦闘機としての実用性など保障できない。やむなく、ハインケルは今後も自社製エンジンの改善を続けるが、ユンカース又はBMWへの変更の可能性を考えざるを得なくなった。

 ……

 ジェット機を初飛行させたにもかかわらず、オハイン博士の遠心式エンジンの改良が進まないのには理由があった。設立当初から飛行機会社であるハインケル社は、エンジン開発のための試験施設や開発スタッフの数が十分ではなかった。博士が技術力を発揮しようとしてもエンジンの開発は順調に進まなかった。He280が初飛行した時もHeS8エンジンの推力は約500kgと、期待にはほど遠かった。

 一方、航空省からジェットエンジン開発を要求されたBMWは、反転する2つのタービンが2軸を駆動して2群の軸流式圧縮機を回転させるという凝った形式を研究していた。しかも、遠心式エンジンの可能性も捨てきれずに並行して研究していた。複雑な構造のエンジンと技術力を分散させる複数の研究対象が、ジェットエンジン開発を遅れさせる要因となっていた。

 BMW003の技術責任者となったヘルマン・オーストリッヒは、このような状況を打開するために、まずは簡単な構造のエンジンを開発することに決めた。具体的には、先行していた遠心式エンジンの1段のタービン部に1軸の軸流式圧縮機を組み合わせた単純な構造を選択したのだ。シンプルな構造を選択して開発はどんどん前進し始めた。

 ユンカース社は、開発着手が最も後発だったにもかかわらず、老舗のエンジン製造会社の利点を生かして、豊富な技術者を投入した。しかも、ユンカースは1936年から自社内でジェットエンジンの基礎研究をしており、小型の実験機の作成すら行っていた。それに加えて、ゲッチンゲン航空試験所と圧縮機やタービンに関する共同での理論研究も実施していた。

 これらの経験から、技術部隊を指揮していたアンセルム・フランツは、1軸の軸流式ターボジェットが、簡単な構造であるにもかかわらず、高速機向きの性能を実現できると判断した。ユンカース社はほぼ設計が完了した1941年中旬からは、計算機を用いて検証を開始した。

 試験機を作成する前に、問題点を洗い出せるという観点からは、電子計算機による解析は無駄ではなかった。振動解析により、9,000rpmあたりで発生する共振を予測して、設計時点で対処ができた。また、アニュラー型の燃焼器の構造も温度分布に偏りがあったことから、内部温度を平均化するように構造を改善できた。

 ユンカース社がジェットエンジンの開発に電子計算機を使用していることを聞きつけると、BMW社も直ちに導入を決めた。ヘルマン・オーストリッヒは、試作したエンジンの安定性を改善するためには、計算機による分析が必須だと考えていた。BMW003は推力を増加させると、突然エンジンが停止してしまうという悪癖の解決に手こずっていたのだ。オーストリッヒの対策は正解だった。計算機の分析に基づいて、タービン翼を修正した改良版のエンジンにより問題は解決した。

 ……

 機体を設計していたメッサーシュミット社は、P1065という設計番号を付与した左右の翼下にジェットエンジンを吊り下げた双発戦闘機案を航空省に提出して、設計を進めた。試作1号機は、早くも1941年に完成した。しかしここでもジェットエンジン開発が遅れていたため、Me262V1は、暫定的に機首に取り付けたレシプロエンジンを使って、1941年1月に初飛行した。

 メッサーシュミットのもとに届いた2基のJumo004A(試作エンジン)を搭載してMe262が飛行したのは、1941年12月だった。Me262V1のジェットを用いた飛行はわずか数分間だったが、飛行場を周回して着陸した。この時の飛行ではまだ機首にレシプロエンジンを装着したままだったが、ジェットエンジンだけで飛行できることが証明されるとそれも撤去された。

 続いて、計算機を使って改良したBMW003のエンジンがメッサーシュミットに届けられた。BMW003を搭載したMe262V3の飛行は1942年4月だった。欠点を改善したBMWのエンジンは飛行中に停止することもなくジェット戦闘機を飛行させた。

……

 ハインケルが開発していたHe280は、性能が一向に改善しない自社製のエンジンをJumo004に載せ替えて試験を続けていた。戦闘機としての優位性をデモンストレーションするために、ハインケルは、Fw190と模擬空戦すら行ってみせた。もちろん結果は圧倒的にHe280が有利に戦いを進めた。

 航空機総監であるミルヒのところに開発中のジェットエンジンとジェット戦闘機に関する報告が届いたのは、1942年9月だった。

 ドイツ航空宇宙研究所のボック所長が航空機総監に対して報告書を説明した。
「まずジェットエンジンですが、ハインケル社のHeS8は約600kgの推力から改善されていません。これでは採用は困難だと考えます。次に、BMWとユンカースのジェットエンジンについては、Jumo004がわずかに大きく動作が安定しており、出力もわずかに優れています。Jumo004は現在も継続的に改良設計を実施しています。特に、Jumo004B型になって、我が国で貴重なニッケルやコバルトなどの戦略物資の使用量を大きく削減しています。大量にエンジンを製造する前提で考えれば、これは特筆すべき設計変更です」

「ニッケルやコバルトを使用しないで、ユンカースは実用的なジェットエンジンが製造できるのか?」

「通常ならば、ニッケル合金を使うようなタービンはクロマデュアと呼ばれる耐熱鋼の合金に置き換えています。貴重な資源を代用金属に代替することで、耐熱性能は劣ることになります。そのため、ユンカース社はエンジンの運転寿命を50時間に設定しています。しかし、これは、意図的に設計寿命を決めているのです。ジェットエンジンは今までのレシプロエンジンよりもはるかに生産性が良いので、貴重な資源を使わずにどんどん作って、寿命になれば交換すればよいという考え方です。なお、BMWのエンジンも似たような改良をして代用材の利用を進めています。最終的には似た材料で作ることになるはずです」

 ボック所長は説明を続けた。
「BMWのエンジンについては、一時期安定性に問題がありましたが、最近は設計修正を行って改善しています。もともとBMW003はJumo004よりもやや小型で、重量も軽いエンジンでしたが、850kgの出力も安定しています。利用可能な状態になっていると考えます」

「わかった。まずは、性能が優れているJumo004を先行して採用する。しかし、やや小さなBMW003にも小型機や多発機に使用する可能性があるだろう。BMW003は推力を900kgに改善させるという条件付きで採用したい。国内にジェットエンジンを作成する会社が2社存在していることのメリットはあるはずだ」

 続いてジェット戦闘機であるHe280とMe262に関する評価をしなければならない。最初に話題になったのは、戦闘機隊総監のアドルフ・ガーランドが提出してきた意見書だった。

 1942年7月に、ガーランドはメッサーシュミット博士からの誘いを受けて、Me262V6に試乗していた。戦闘機隊整備に責任をもつ総監にもかかわらず、ガーランドには、ジェット機開発の状況はあまり報告されておらず、実物を見るまでは詳しい内容を知らなかった。

 初見にもかかわらず、実際に自らの操縦でMe262を飛行させると、ガーランドはジェット機の高性能と将来性を短時間で見抜いた。彼は航空省の上層部に、ジェット機を最優先にして生産を進めるべきだと意見具申していた。

「ガーランド少将はジェット戦闘機の性能をまるで天使にあと押しされているようだと言っています。Me262を高速戦闘機として直ちに採用して、全力で量産を開始すべきとの意見です。現状のプロペラ戦闘機の生産を中止してでも、資源と工場を全てジェット戦闘機の生産に振り向けるべきだという極端な意見です」

 ミルヒ元帥は首を横に振った。この場の誰もが、ガーランドの主張をそのままうのみにしているわけではない。

「ジェット戦闘機の生産体制については、今後の検討課題だ。Ta152とMe309の工場生産を停止させれば我が国の空軍力はあっという間に低下するだろう。ジェット戦闘機と既存の機体の適切な生産比率を検討するのだ」

「次は、He280とMe262の試験飛行で判明した性能に関する報告です。2機種の性能を比較すると870km/hを発揮するMe262の方が800km/hのHe280に比べて圧倒的に高速です。しかも、Me262はJumo004とBMW003の双方を搭載した試験を完了していますが、どちらのエンジンでも性能はHe280を上回っています」

「Ta152とMe309は、MW50を使用すれば700km/hを超える速度で飛行できる。それを前提とするならば、次の機種は800km/hを大きく超えなければならないだろう。中途半端な性能のHe280よりも、高速のMe262を集中生産すべきだ。まあ、He280については、工場で生産されている機体は、ハインケルから申し入れのあった戦闘爆撃機としての試験に用いることにしよう」

 続いて、ボック所長が取り出したのは、4発機のやや不鮮明な写真だった。
「これは、アメリカが開発中のB-29です。完成すれば、間違いなくヨーロッパ大陸での作戦に参加します。この機体よりも巨大な爆撃機を開発しているとの情報もあります。将来、連合軍が保有するであろう新型爆撃機を想定すると、我が国土を防衛するためにはジェット戦闘機の配備を進めることは極めて重要と考えます」

「その意見には全面的に賛成するぞ。しかし、それでも戦闘機の総数を増やしつつジェット戦闘機を徐々に増やすやり方を考えるのだ。しかし、まず必要なのは、ジェット戦闘機の実験隊を編制することだろう」

 ミルヒの決定に従って、ジェット戦闘機とそのエンジンの開発は進んでいた。1943年3月には、インスターブルク航空センターにおいて、ヒトラーへの御前飛行が実施された。この前年には、エジプト含む北アフリカとコーカサス油田がドイツ支配下となり、ヒトラーは極めて機嫌が良かった。

 Me262の飛行を見て、この機体を高速爆撃機に用いれば連合軍の戦闘機も防ぎようがないのではないかという考えがヒトラーの脳裏に浮かんだ。しかし、東部戦線も北アフリカでも航続距離の短い爆撃機が活躍する場面は少なくなっている。ウラル工業地帯への攻撃や将来のイギリス本土攻撃を考えると、今後は長距離を飛行できる大型爆撃機が必要だ。

 むしろ広大な地域を占領した第三帝国にとって、これから防衛戦力が必要になるだろう。そのような状況を考えると、ジェット機は、連合軍によるドイツやフランスでの爆撃機の迎撃に用いた方が効果的だろうと考えを改めた。

 結局、ヒトラーはミルヒとメッサーシュミットからの提案に賛同した。
「これほど高速で飛行できるとは、本当にすばらしい。戦闘機として、早く戦力化して我が領土の防衛兵力に加えて欲しいものだ」

 ヒトラーからのお墨付きを得て、Me262の開発はさらに加速した。ジェット機固有の飛行特性を理解して、それに適した戦術を開発するために実験飛行隊の創設が決定された。1943年7月には早くも東部戦線から引き抜いたヴァルター・ノヴォトニー少佐を隊長としてジェット戦闘機の実験部隊が編制された。

 Me262A
 ・全幅:12.51m
 ・全長:10.6m
 ・全高:3.85m
 ・翼面積:21.7㎡
 ・自重:4,200kg(装備搭載)
 ・正規全備重量:6,200kg
 ・エンジン:Jumo004B×2基(推力1,050kg×2)
 ・最高速度:890km/h(6,000mにて)
 ・上昇力:6,000mまで5分25秒
 ・武装:機首:30mm機銃4挺

 Jumo004Bが実用に耐えられるようになって、開発が加速した機体にはジェット爆撃機が含まれていた。Ar234ブリッツである。1942年4月には、最初のAr234A型が完成して試験飛行が開始された。この機体は、飛行性能は良かったが、離陸時には、3車輪式のトロリーに機体を乗せて滑走路上を加速した。機体が空に浮かんだ後は、上昇する前にトロリーを切り離して地上に落とすという奇抜な方式だった。着陸時には胴体下に引き込んだスキッドを降ろして使用した。このような離着陸の方式はすぐに実用的ではないと判定され、ドイツ空軍は通常の首車輪を有する3車輪式の引き込み脚への改良を命じた。そりを使用して着陸するという、実用機ではとても容認できない方法は、常識的な3車輪に変更された。最大の欠点を解消した機体は、Ar234Bとして空軍に採用されることになった。

 高速爆撃機の他に、ジェットエンジンの提供を受けて試験飛行を開始した機体がもう1機種あった。日本人に全翼機を売却した資金を利用して、開発を続けていたホルテン兄弟が設計したジェット機だ。

 当初、Ho229と名付けられた双発機は、全翼形式の中央部に操縦席が配置されていた。そのコックピットの左右に埋め込み式にJumo004を搭載していた。しかもエンジンの外側の外翼はアルミニウム資源の消費を抑えるために木製構造を採用していた。

 Ho229は、1942年になって試験飛行を開始すると、4回目の試験飛行で、高度9,000mで900km/hを超える速度で飛行した。揚抗比に優れるこの機体の利点が、大いに発揮されることになった。もちろん航空省は、直ちにこの機体を生産に移すことを決定した。

 ホルテン兄弟は、自前の工場を所有していないため練習機やグライダー、メッサーシュミットの機体を製作していたゴータ社がGo229としてこの機体を量産することになっていた。

 Ho229A(Go229A)
 ・全幅:16.8m
 ・全長:7.46m
 ・全高:1.1m
 ・翼面積:52.8㎡
 ・自重:4,840kg(装備搭載)
 ・正規全備重量:6,900kg
 ・エンジン:Jumo004B×2基(推力1,050kg×2)
 ・最高速度:960km/h(9,500mにて)
 ・武装:機首:30mm機銃2挺

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