電子の帝国

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第1章 日本の電子技術

1.7章 半導体開発の本格化

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 昭和13年(1938年)6月になって、パラメトロン計算機の試作機が開発されているころ、将来にわたって大きな影響を及ぼす半導体の開発にも進展があった。

 電探の受信回路に使用する検波器はすぐに実用化したいという要求から、材料として黄鉄鉱を利用した。しかし、根津大尉は将来性から他の部材を使いたいと考えて検討を進めていた。大尉は欧州で得た知見も前提にすると、本命はシリコンと感じていたが、決断できるだけの材料がない。大尉は、民間の物性を研究している組織とも連絡をとって、これから進むべき方向を定めようと考えた。

 逓信省の電気試験所では、真空管や光電管、半導体整流器などの電子部品についての研究を独自に行っていた。電気試験所の駒形技師は理研の杉浦博士とも協力して亜酸化銅、シリコン、セレンなどの半導体の物性を研究していた。

 根津大尉は、半導体材料の情報収集のために電気試験所にやってきていた。
「……以上、説明したように、現状は鉱石検波器に黄銅鉱を使っていますが、半導体材料としてシリコンの使用が可能になれば、高電圧への耐圧や高周波数に対する性能は大幅に向上するはずです。ご意見はありますか?」

 駒形技師が電気試験所の材料研究者の代表として答える。
「黄銅鉱の次の材料を考えると、諸外国が研究を進めているのが、亜酸化銅による検波器です。これについては、良質な銅さえ入手できれば、少量ならば我々でも合成可能です。シリコンについては、タングステンで作った細線をシリコン結晶と溶融させる方式が海外で提案されていますね。ガリウムの適用については、まだ基本的な特性も十分解明できていないので、我々は様子見の状況です」

「個人的には、亜酸化銅を飛び越して、特性の良いシリコンを使用する方向としたいと考えています。但し、高純度シリコンの生成についてあまりに難度が高いのであれば、方針変更については、やぶさかではありません。この点について、意見はありますか? 高純度シリコン生成の難易度について確認するのも、今日の訪問目的の一つなのです」

「アメリカのデュポン社がケイ石(SiO2)を塩酸と反応させて、液化させて精製してから還元することでシリコンを得る方法を実験したとの論文があります。詳細なことはわかりませんが、理論的には可能だと思います。これがうまくいけば多結晶のシリコンが入手できるでしょう。つまり、近い将来に実現可能な方法は存在していると考えます」

「デュポン社ですか。良い話を聞きました。その方法をすぐにでも実験で検証するとなると、何が必要ですか? 海軍の研究所で実験設備をそろえたいと思います」

 駒形技師は席を外すと、デュポン社の短い論文を持ってきた。
「我々が知っていることは、この論文内容が全てです。もっと本格的な報告書が存在するのでしょうが、日本では入手できません。実験機材は詳細に説明されていませんが、内容からある程度推測できそうです。海軍さんからの依頼であれば、シリコンの精製設備として必要な実験機器は数日以内に連絡します」

「ありがとうございます。教えてもらった実験機材の入手は手を尽くします。我々はこの分野の実験については初心者なので、実験を始める時には協力をお願いします」

「もちろん、支援しますよ。ところで整流や検波用の二極真空管は海外ではダイオードと呼ぶことがあります。整流機能を有する検波器は、その二極管に相当するわけですから、半導体ダイオードとでも呼んだらいかがですか?」

「そうですね。呼び方にこだわりはありませんが、説明しやすくするためにも共通的な名称を決めた方がいいでしょう。半導体から作ったダイオードということでいいと思います」

 根津大尉は技研に戻ると、アメリカに駐在している海軍武官あてに情報収集の要求を送付した。内容は、デュポン社が実験しているシリコン生成実験の情報収集だ。どれほどの情報が収集できるのかはわからなかったが、できることはとりあえずやっておこうとの考えだった。

 ……

 根津大尉は、電気試験所に続いて理化学研究所を訪問した。理研に対しては、半導体内部の素粒子的な挙動を分析して、電子回路に使用できる素材を教えてほしいとあらかじめ連絡しておいた。そのおかげで、物性研究をしている物理学者の山崎博士と江副博士が出てきた。

 さっそく、江副博士が半導体に対する最新の研究状況を解説してくれた。
「最近の研究の結果、半導体には、p型とn型の2種類が存在することが判明したのはご存じですよね。通常の半導体では、電気を流す役目をする伝導帯と物質の大部分の電子が存在する価電子帯の間にはバンドギャップが存在していて、エネルギーを取得した一部の電子が伝導帯に移動して電気が流れることになります。これが導電体とは異なって、半導体として特有な電気的な性質を示す理由です」

 もちろん根津大尉もこの程度の量子論は承知している。説明を遮るようにして、最近の話題から話し始めた。
「シリコンから作ったn型とp型半導体の特性を生かせば、格段に性能の良い整流器ができると想定していますがどうですか?」

 基礎的な説明は不要だったということに気づいて、今度は山崎博士が答えた。
「おっしゃる通りシリコンのn型とp型を接合すれば、かなり性能が良くなると我々も想定しています。欧米の科学者が提言しているタングステンの細線とシリコン結晶の接合により機能は実現できますが、pn接合型には性能が劣ると思います。また、この半導体が実現できれば、光電効果など新たな機能を有する素子ができます。我々研究者にとっては、研究対象がとんでもなく広がることになります」

 続いて、理研で面談できたのは化学系の研究をしている学者だった。希元素を中心に研究をしている木村博士が対応をしてくれた。さっそく、直球の質問から始めた。
「塩酸によるシリコンの高純度化については、電気試験所で聞いた話なのですが、詳細な手順などはわかっていません。何か追加の情報はありませんか?」

「この研究所では、塩酸による反応実験をしたことはないので詳細な情報は持っていません。但し、不純物を取り除く方法として、結晶化を利用する方法があります。まずシリコンを高温で溶融します。種になる棒状の結晶を溶融したシリコンの中に入れて、ゆっくりと温度を下げます。すると、棒の周りにシリコン結晶が析出してきます。温度の下げ方をうまく調整してやれば、大きな単結晶が成長するはずです。このような単結晶中には不純物がほとんど含まれません。溶けている残りのシリコン中に残留物として残ってしまうのです」

「なるほど。いい話を聞かせてもらいました。持ち帰って技研での実験について検討します。いずれにしても、シリコンを単結晶とすることは、半導体素子を広く利用するためには避けられないことです」

 根津大尉は、理研では半導体に関する実験を行っていないことはあらかじめ調べて知っていた。そのため、量子物理に基づく知見は得られても、結晶化により不純物を除去する方法を教えてもらったのは想定外の収穫だった。

 ……

 電気試験所と理研を訪問してから、数カ月は試行錯誤も含めて失敗のくり返しだった。米国からも断片的ながら情報を入手できたので、実験方法に反映させた。しかし、そもそもデュポン社自身もいくつかの方法を試しているようで、まだ成功しているわけではないことがわかってきた。つまり世界で誰も成功していないということになる。根津大尉は暗澹とした気持ちになりながらも、方向性は間違っていないと信じて実験を続けていた。理論上は可能なはずなのだ。

 昭和13年(1938年)11月になると、条件を何種類も変更して、技研と電気試験所が共同で行った実験で成果が出てきた。小さな断片だったが、結晶化したシリコンが得られたのだ。実験室での作業なので時間と手数をかけてもわずかな量の結晶が得られただった。しかし、シリコン半導体の実験材料としては利用できる。

さっそく精製できたシリコンに不純物を混入させることにより、p型とn型の半導体製造に取り掛かった。シリコンに混入させる不純物は既にn型にはリンやヒ素、p型にはホウ素が使えると理研の物理学者から情報をもらっていた。

 当初は、これらの不純物を含む化合物と加工したシリコン材を石英管に封じて、電気炉で加熱して熱拡散させることで気化した不純物をシリコン結晶の表面から浸透させる方法をとった。3カ月ほど条件を変えながら実験を繰り返して、シリコン中の不純物を浸透させる深さを制御できるようになってきた。昭和14年(1939年)2月になると、p型とn型を生成すると、狙い通りに接合面で整流機能を確認できた。できあがった素子から出来のいい半導体を組み立ててから実験用の受信回路に組み込むと、検波機能も確認できた。しかし、数を作ろうとすると半導体としての不良品が異常に多いのだ。いわゆる歩留まりは、0.5%以下だった。

 最初の原因は、p型とn型の間の接合が不十分だった。p型とn型が隣接するように不純物を拡散させても、微細なレベルで見るとまだ隙間が残っていた。1カ月後には、不純物の拡散範囲を広げて、p型とn型間の境界線が長くなるような変更を行った結果、良品率が2、3倍に改善した。しかし、それでも歩留まりは1%程度だ。

 更にもう一つの原因が、還元剤として使用する亜鉛に含まれていた不純物が悪さをしていることだった。亜鉛の中の不純物が溶け込んで、シリコンの純度が下がってしまうのだ。これは、亜鉛の代わりに不純物のない水素ガスを使うことで想定外の不純物の混入を避けることにより、シリコン結晶が単結晶に近づいて、歩留まりを10倍以上も改善できた。

 ……

 高純度のシリコンの精製実験を繰り返していたころ、昭和14年(1939年)2月末になって、理化学研究所の著名な物理学者が理研を訪問してきた。

 真田大佐を中心にして、電探と半導体に携わっていた私や根津大尉が応対した。来訪したのは理研の仁科博士と長岡博士だった。山崎博士と江副博士の両名も同行していた。

 仁科博士がみずから説明を始めた。
「本日は、物理屋の観点から、半導体開発の今後の方向性について、提案を持ってきました。シリコン材から作り出したp型やn型の半導体が実験室で作れるようになって、シリコンの検波器が実現できたと聞いています。皆さんは、整流器の次の半導体素子についてどのように考えていますか?」

 真田大佐から目くばせを受けて、根津大尉が答えた。
「整流機能を有するダイオードの次に何をするのかということですね。シリコン多結晶を利用することにより、光電効果を利用した光の検知器のような素子が実現できるでしょう」

「光電効果よりももっと有用な応用があります。現状のシリコンダイオードは、p型とn型を接合することで、整流効果を得ています。これを例えば、p型とn型、更に反対側をp型半導体で接合することにより、2つのp型半導体の電極間に流れる電流をn型に印加する電圧により制御できることが理論上わかっています。まだ半導体内部の理論的な解析による結論ですが、我々は実際に電子機器に使うことのできる部品としてそれが実現可能であると考えています」

「挟まれたn型に印加する電圧による制御ができるということは、要約するとn型に加えた信号によりp型間の電流を増幅できるということですか? もしそうだとするならば、増幅機能を含めて大半の真空管の機能を半導体により置き換えられることになります」

「その通りだと考えてもらって構いません。豆粒のような小さな半導体が、増幅機能を有することになります。仮に実現できたらかなりの真空管を置き換えられます。電探や無線機は数分の一以下になります。ラジオは片手の上に乗るようになるでしょう」

 真田大佐は、これが事実ならば電子の分野で革命を起こすような発明になると気がついた。
「開発に成功すれば、まさに電子機器の世界で大変革が起こることになりますよ。実現できれば、ノーベル賞を受賞できる発明です。あなたたちの学術的な結論が、実現できると証明する方法は何かありますか? もし実証可能な方法があれば、海軍としても全力でそれを実験したいと思います」

「とにかく実際に素子を作って、その特性を確認する方法が近道だと判断しています。pnp接続またはnpn接続の半導体を一刻も早く製作して、その特性を分析してほしいのです。我が国でこの検証の最も近いところにいるのは皆さんです」

 真田大佐は、仁科博士が持参してきた書類に目を通した。半導体の内部状態を示す図や、計算結果を示すグラフが記載されていた。計算により、しっかりと検証したように思える。
「この件については、しばらくは限られた人間以外は秘密にしてください。他国が先に実現すれば、我々は電子分野でかなり劣勢に立たされることになりますから」

 根津大尉の方に向き直ると、やや大げさに指示を口にした。
「これは非常に重要な内容だ。この文書に記載されている素子を早期に実現する方法を大至急検討してくれ。金については、所長に直談判する。並行して実現のためにどんな機材が必要になるのかも検討してくれ」

 根津大尉は、とんでもない大きな話になっていることを理解して、短くわかりましたとだけ返事をした。

 私は、増幅器が実現可能であれば、通信機や電探に限らず計算機の素子にもこの半導体が使用できることに気がついた。増幅器であれば、制御信号により、入力を出力するか否かのスイッチ機能が実現できるということだ。それができれば、計算機で必須の論理演算が可能だ。

 かつては、同様の機能を有する真空管は大きさと消費電力の点からパラメトロンに劣っていて、我々は採用しなかった。半導体素子が豆粒のような大きさになれば、十分計算機にも使用できる。しかも、半導体製の演算素子になれば、パラメトロンの弱点である演算器の動作速度を大幅に改善できる可能性がある。

 小声で真田大佐に話しかけた。
「この半導体素子が実現できれば、計算機を大幅に高性能化できる可能性がありますよ。速度が百倍や千倍になっても不思議ではありません」

 真田大佐が、目を開いて答えた。
「そうか、計算機の演算部にも使えるのか。それができれば計算速度の高性能化が可能なのだな。そこまで応用範囲が広いのは想定外だったな」

 ……

 仁科博士たちが帰ると、真田大佐と根津大尉は、この重要な発見を技術研究所長に報告した。しかし、所長も重要な事柄の一つであるとは理解してくれたが、とんでもない大発見だとまでは思わなかったらしい。

 日高中将の言葉がそれを証明している。
「これが実現できれば、信号増幅をしている真空管が小型化できるということだな。要するに装置の大幅な小型化が可能になるわけだ。それに真空管よりも構造が単純なので生産費用は低減できるだろう。君たちだけの意見ではなく、理研の著名な科学者の検討結果ならば理論は正しいと信じる。但し、理屈通りに実際にモノができるかどうかは未定だ。1年やって、目に見える結果が出なければ打ち切りも含めて大幅見直しだ。そのつもりで研究してくれ」

 真田大佐がすぐに答える。
「わかりました。1年でとにかく動作する半導体増幅器を作りますよ。期限を決めてやるからには、期限内はかなり力を入れて研究しますが、いいですね」

 研究所長は、真田大佐の逆なでするような言い方にむっとしたが、前言を翻すようなことはしなかった。
「むろん、短期で成果を出すために研究に力を入れてくれ。それでも技術研究所として出せる金には限度があることは忘れないでくれ」

 期限付きとは言っても、半導体増幅器の研究に対して技研として注力することは認めてくれた。ある程度までは研究費用も増やせる。これで、実験用機材の追加や人員増も可能となって研究が前進するだろう。
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