13 / 173
第2章 技術導入
2.5章 艦艇への電探搭載
しおりを挟む
私たちが、第二次出張で欧州に滞在しているころ、海軍艦政本部では観音崎での電探の実験結果が良好だったことから、実際に艦船に搭載して海上試験に進むべきだとの意見が出ていた。遠からず海軍艦艇で使用するのだから、できるだけ早く海上での検証を進めるべきだとの見解である。
日本に帰って、新型計算機の開発に着手していると、私を含む電探開発課の士官は研究所長から呼び出された。所長の日高中将が我々を待っていて、次の仕事を申しつけた。
「帰国したばかりで疲れも取れていないうちから申し訳ないが、電探を軍艦に載せてくれ。探知用の電探と、射撃用に精密測定を行う電探の2種類が要求されている。搭載する船の方は巡洋艦『愛宕』とのことだ。ちょうど横須賀工廠で改修中だ。今年の10月には工事を完了する予定になっているから、それに間に合うように電探を搭載して欲しい」
さすがに、実験用とはいえ、まだ開発中の電探をいきなり巡洋艦に載せろとの命令に真田大佐も驚いた。
「艦艇に搭載することを想定した電探は以前から開発に着手していますが、今は未完成です。しかも、ドイツで我々が入手した、新たな測定方式も取り入れなければなりません。ドイツでは実用化できていますが、我々にとってはこれから実験が必要な方式なのです」
「時間がないのは承知している。しかし、これは電探の価値を証明する良い機会なのだ。私は、これからの戦いでは電探が絶対に必要だと考えている。性能不足で悪いうわさが広まるのは困るが、思い切って海上実験をすれば役に立つことが証明できる。制式化前の試作機ということで、多少の不備はあっても実験で価値を実証できれば良い。なお、科学者から支援を得られるように、著名な大学の電子工学系の研究者による懇談会を組織した。半導体開発時のように民間の研究者の知見が、我々の研究を助けることもあるだろう。うまく活用してくれ」
……
さっそく、真田大佐は艦艇による電探実験の開始に向けて行動を開始した。とにかく時間がない。いろいろなことを並行して消化しなければならない。その場で大佐はやるべきことを手分けして指示を始めた。
「高原中佐が中心になって、対空目標と海上艦艇の探索用の電探を艦艇に搭載できるよう改修してくれ。探索用電探は、完成している試作機から、それほど大きな変更はないだろう。筧中尉は、中島技師と協力して射撃管制に使える測定用電探を仕上げてくれ。こちらの方は、テレフンケンの方式を参考にして試作しているはずだ。実験で確認する事項も多いので、難しいと思うが、期間内に何とか動くようにしてくれ」
幸いにもセンチ波を使った精密測定電探に関しては、私が帰国した時には、マイクロ波のビームを回転させる(コニカルスキャン)実験が可能な機材が完成しつつあった。しかも「ウルツブルグ」と異なり、我々の電探は、10cm(3GHz)のかなり短い波長を採用したので、測定精度はドイツ製を上回るはずだ。10cm波長であっても、水冷式の高出力マグネトロンのおかげで最初から6kW出力を確保できているのが幸運だった。最終的には、10kwが目標だったがこの程度でも実用できるはずだ。
我々は、電探の地上試験と並行して、艦載とするための電探の設計変更を開始した。今までの試作機の実験結果を基にして、海上の目標を探知する電探と空中の航空機を探知する電探の設計を始めた。艦艇に搭載するためには、おわん型のアンテナを含めて小型化が必要だ。加えて、航走時の風力の影響を考えると、アンテナの材料はムクのアルミ板ではなく、航空機のセミモノコック構造のように助骨材にアルミ板を張って強度を確保して軽量となる構造を採用した。
一方、艦船への搭載を前提として、軍艦の狭い艦橋を模した実験室を技研の倉庫に作った。電探本体の艦船への設置については、主砲射撃時の衝撃吸収のために、電探室の床を浮かせて、スプリングの衝撃吸収機構の上に設置することにした。吸収機構の上に床を載せて、更にその上に電探や計算機、無線機などの電子機材を搭載するのだ。
電探のアンテナは倉庫に隣接して設置することになった。時間が足りないので、高い塔を建設する時間がない。結局、倉庫横の空き地に架台を作って、電探アンテナを取り付けて事前実験を開始した。
私が担当した、10cm波長の測定用電探は、最初の実験機を艦船に搭載するためには改修が必要になったが、それと並行して実験を進めた。幸いにも完成したばかりの電波ビームを回転させる機構の検証では、かなり精度が改善できることが確認できた。方位誤差が0.1度程度、空中目標に対する仰角の誤差が0.2度となり、従来の20倍程度には改善できることが証明できた。
ところが高原中佐が担当した捜索用の電探には問題が発生した。
「探知距離が不十分だ。今までの実験機よりも性能が低下している。どうやらアンテナがノイズを拾っているようだ」
すぐに、低いところに置いたアンテナに原因があるだろうと想像できた。今までの実験では、こんな低い位置に電探のアンテナを設置したことはなかったのだ。アンテナの周りに建築物があって電波が乱反射している。真田大佐は、あまり着目してこなかったメートル波電探のアンテナ感度にもっと着目すべきだったと反省した。
「アンテナをもっと高い位置に持ち上げれば、性能はある程度改善できるだろう。しかし、実際の軍艦では周りに艦橋や煙突、マストなどの電波の反射物が存在するぞ。もう少しアンテナの指向性などの特性を改善する必要があると思う。改善のための対策は何かないか?」
誰も発言しないので、真田大佐が何か話せと私を指さした。しかし、私はアンテナの専門知識が豊富ではない。
「具体的な改善点はわかりませんが、所長が言っていた学者の懇談会の参加者には、アンテナを専門とする先生がいるはずです。確か東北大学の先生が超短波領域のアンテナを研究して論文を発表していたと思います」
「筧君に心当たりがあるならば、その大学の先生に連絡してみてくれ。研究成果を説明してもらえば、我々にとってどこまで役立つのかはっきりするだろう」
東北大学に連絡すると、超短波の電磁理論を研究している宇田教授と話すことができた。2日後には宇田教授が、技術研究所の実験施設にやってきた。問題の電探アンテナを一目見て、やはりという顔をして説明を始めた。
「案の定、ダイポール型のアンテナを並べているのですね。この形式では、アンテナの指向している本来の方向以外にも結構な量のサイドローブが発生しています。アンテナの側面や背面のサイドローブが周りの建築物の電波反射を拾っているのですよ」
どうも電話で話を聞いただけで、原因についてあたりをつけていたらしい。これだけずばりと言うのであれば、改善案も考えているだろう。
「なるほど、アンテナが向いている方向以外からの電波が悪さをしているのですね。アンテナを作り替える必要があるのでしょうが、どういう形式のアンテナにすれば改善するのか、対策はありますか?」
「単純なダイポールを私たちが提唱している形式のアンテナに変えれば、かなり特性が良くなり指向性も改善します」
話しながら宇田教授は持ってきた図面を広げた。それは、複数本の導波器と電波放射器の後方に反射器を有するメザシのようなアンテナだった。後に「八木・宇田アンテナ」として知られることになるアンテナの図面だった。
「アンテナ各部の寸法については、電波波長に合わせて計算が必要です。計算にはそれほど時間はかかりませんよ。ちょっと作業する場所を貸してください」
私は、教授から言われて、電探の放射電波について周波数やパルス幅などを説明した。教授は実験室に入って行って机の前に入ると、鞄から計算尺を取り出して何やら計算を始めた。1時間もしないうちに、アンテナ各部の寸法を記入した手書きの図面が完成した。
すぐに突貫作業でアンテナの製作が始まった。電子回路と違ってアルミや鉄材による工作なので研究所の工員を動員して、宇田教授のアンテナはわずか1日で完成した。巨大な魚の焼き網のような長方形の枠から、これも魚の背骨のようなアンテナが何本も突き出している。
実験を再開すると、アンテナ変更の効果を直ちに確認できた。感度が大きく改善して、周囲からひろう雑音が低減していたのだ。真田大佐は、この周波数領域の電探については、八木・宇田アンテナを継続して使ってゆくと直ちに決断した。
……
実際に軍人が電探を活用するとなると、専門家でなくとも使いこなせるように操作性を改善する必要がある。特に電探の表示法については、ブラウン管方式の表示管を使っていたが、どのような形式が適しているのかまだ定まっていなかった。結果的に複数の表示管を取り付けることになった。
精密測定電探の表示管については、目標の方位と距離がわかる直交座標表示(Bスコープ)を主用することにして、正確に距離測定できる一次元表示(Aスコープ)を補助として追加した。10cm波を利用したために、飛行中の航空機も計測できるので、対空戦闘に利用する場合を想定して、アンテナの方位角ではなく仰角を横軸表示とした直交座標表示(Bスコープ)も備えることとした。
なお捜索用の電探については、対空目標探知と海上の目標探知をそれぞれ別の捜索電探とした。探知距離を延ばすために、各々の電波の周波数を変えたためだ。もちろん海上目標の探知用電探の方が海上反射の影響を軽減するために周波数をかなり高くしている。
捜索電探についても、測距電探と同様に、直交座標表示(Bスコープ)と一次元表示(Aスコープ)の使用を前提とした。しかし、全周を警戒するために、アンテナを360度回転させるようになると、回転型極座標表示(PPIスコープ)も有用だろうと意見が出て追加することになった。このスコープはドイツのベルリン郊外の施設で真田大佐と私が見学した実験レーダーシステムで実験的に使用されていた表示方式を採用したものだ。
実験結果が出てくれば、もっと表示方法を絞り込んで、洗練させられるだろう。しかし、今はいろいろな表示方式を準備するしかない。
……
「愛宕」は計画通り昭和14年(1939年)10月には、横須賀で大規模改修を終えてから公試を開始した。我々は公試の期間中も「愛宕」に乗り込んで電探の最終調整を続けていた。巡洋艦としての各種試験が終わってから、2週間後には電探の調整もおおむね完了した。艦政本部は、直ちに電探の試験を開始するように指示した。
海上目標の捜索電探については、相手が艦橋の高い戦艦であれば、20海里(37km)で探知できた。しかし、目標の背が低くなると水平線に隠れるので、駆逐艦では探知距離が15海里(28km)程度に短縮した。ここまでは想定通りだったが、荒天時に問題が発生した。背の高い波頭を偽目標として表示してしまうのだ。電波のパルス波形を調整したり、受信部に電気的なフィルターを追加したが、大きな波が表示されることを完全には除去できない。最終的には表示される形状をみて、人間が判断するということで落ち着いた。電探に慣れた操作員ならば、反射映像を見て船か波かは判別できるだろうと言うことになった。
対空目標の探知については、予想通りの性能を発揮した。3,000m以上高度を飛行する編隊であれば、50海里(93km)の距離で探知できた。単独飛行の小型発機では探知距離が約6割に減少するが、接近すれば確実に探知可能だった。
我々の想定以上の効果があったのが精密測定電探だ。「愛宕」に搭載されていた九四式射撃盤は電探から距離や方位の入力ができるように、機能が追加された。
機能追加により、従来の光学測距儀からの入力による射撃と電探を使用した場合の比較が可能になった。距離の測定については圧倒的に電探が正確だった。ところが、方位測定については電探の弱点のために性能改善版でも光学測定とほぼ同じ精度だった。目標に対する分析については、圧倒的に光学測定が有利だった。人の目は艦種や相互の位置関係まで判別できる。一方、電探では目標の種別までは判別できない。大型艦と小型艦の差も反射波の大きさの違いでしか判別できない。逆に電探が優位なのは、目標の進行方向や速度の推定については、表示された反射波の変化を注視していれば間違うことはなかった。
実際に水上目標に対して主砲射撃を実施して比較してみると、電探で精密に測定しても風の影響や目標の未来位置の予測精度、射撃盤の計算にも誤差が含まれるから、初弾の射撃時にはそれほど差異があるわけではなかった。電探の測距では遠近の誤差が小さくなるが、光学測定と同様に初弾では目標から外れることに違いはあまりない。
差が開いたのが、2射以降の弾着修正だった。射撃をセンチ波電探で監視していると、大口径の大砲であれば、弾着時の水柱が表示管に映し出されるのだ。砲術長の奥村少佐は、電探射撃試験の途中からは、艦橋上の射撃指揮所に備えた電探の表示管の後ろに立って指揮をしていた。
「この表示を見れば、遠近も左右も即座に修正できる。まるで、弾着観測機に自分が乗って上空から見ているようなものだ。これならば、圧倒的に修正が楽だ。電探射撃時にはそれに適した射撃法を研究すれば、更に改善できるはずだ」
砲術長の言葉通り、電探で精密測定していると、駆逐艦が引っ張る標的に対して交互射撃を数回繰り返すと夾叉できた。射撃中に目標が変針した場合も、電探表示をよく見ていれば、方位や距離の変化をすぐに察知できた。射撃目標がどの方向に変針したかがわかれば、それに追随して短時間で射撃を修正することは可能だ。
「愛宕」艦長の河野大佐も射撃の成果をみて、電探射撃の有効性を認めた。
「いやあ、電探というものの効果を軽視していた。これほど有効に使えるならば、全ての艦艇に直ちに配備すべきだ。昼間の射撃訓練でもこれだけ差があるのだから、夜間や霧の出た時には電探射撃の独壇場ですな。距離と方位が正確にわかるのだから、工夫次第で雷撃にも活用できると思う。軍令部と艦政本部への報告には、私の見解もぜひとも加えて欲しい」
……
真田大佐は「愛宕」の試験結果を聞いてご満悦だった。艦載電探の開発日程については、かなり危ない橋を渡ったが結果は想定以上だった。試験の成功により、軍令部と艦政本部は艦艇への電探配備を決めた。もちろん電探開発の予算も大幅な増額が認められた。
真田大佐は、研究予算が増えた機会に、広く人材を集めるために、大学の研究室や逓信省、民間の研究所の有能な研究者を勧誘した。とにかく今のうちに研究者を増やしておけば、電探と計算機、半導体は必ず役に立つ。今は、電子機器開発にとって大きな変化が起こっている時期なのだ。その変化をとらえて、できることは全てやっておかないと後々手遅れになる。それが真田大佐の信念だった。
日本に帰って、新型計算機の開発に着手していると、私を含む電探開発課の士官は研究所長から呼び出された。所長の日高中将が我々を待っていて、次の仕事を申しつけた。
「帰国したばかりで疲れも取れていないうちから申し訳ないが、電探を軍艦に載せてくれ。探知用の電探と、射撃用に精密測定を行う電探の2種類が要求されている。搭載する船の方は巡洋艦『愛宕』とのことだ。ちょうど横須賀工廠で改修中だ。今年の10月には工事を完了する予定になっているから、それに間に合うように電探を搭載して欲しい」
さすがに、実験用とはいえ、まだ開発中の電探をいきなり巡洋艦に載せろとの命令に真田大佐も驚いた。
「艦艇に搭載することを想定した電探は以前から開発に着手していますが、今は未完成です。しかも、ドイツで我々が入手した、新たな測定方式も取り入れなければなりません。ドイツでは実用化できていますが、我々にとってはこれから実験が必要な方式なのです」
「時間がないのは承知している。しかし、これは電探の価値を証明する良い機会なのだ。私は、これからの戦いでは電探が絶対に必要だと考えている。性能不足で悪いうわさが広まるのは困るが、思い切って海上実験をすれば役に立つことが証明できる。制式化前の試作機ということで、多少の不備はあっても実験で価値を実証できれば良い。なお、科学者から支援を得られるように、著名な大学の電子工学系の研究者による懇談会を組織した。半導体開発時のように民間の研究者の知見が、我々の研究を助けることもあるだろう。うまく活用してくれ」
……
さっそく、真田大佐は艦艇による電探実験の開始に向けて行動を開始した。とにかく時間がない。いろいろなことを並行して消化しなければならない。その場で大佐はやるべきことを手分けして指示を始めた。
「高原中佐が中心になって、対空目標と海上艦艇の探索用の電探を艦艇に搭載できるよう改修してくれ。探索用電探は、完成している試作機から、それほど大きな変更はないだろう。筧中尉は、中島技師と協力して射撃管制に使える測定用電探を仕上げてくれ。こちらの方は、テレフンケンの方式を参考にして試作しているはずだ。実験で確認する事項も多いので、難しいと思うが、期間内に何とか動くようにしてくれ」
幸いにもセンチ波を使った精密測定電探に関しては、私が帰国した時には、マイクロ波のビームを回転させる(コニカルスキャン)実験が可能な機材が完成しつつあった。しかも「ウルツブルグ」と異なり、我々の電探は、10cm(3GHz)のかなり短い波長を採用したので、測定精度はドイツ製を上回るはずだ。10cm波長であっても、水冷式の高出力マグネトロンのおかげで最初から6kW出力を確保できているのが幸運だった。最終的には、10kwが目標だったがこの程度でも実用できるはずだ。
我々は、電探の地上試験と並行して、艦載とするための電探の設計変更を開始した。今までの試作機の実験結果を基にして、海上の目標を探知する電探と空中の航空機を探知する電探の設計を始めた。艦艇に搭載するためには、おわん型のアンテナを含めて小型化が必要だ。加えて、航走時の風力の影響を考えると、アンテナの材料はムクのアルミ板ではなく、航空機のセミモノコック構造のように助骨材にアルミ板を張って強度を確保して軽量となる構造を採用した。
一方、艦船への搭載を前提として、軍艦の狭い艦橋を模した実験室を技研の倉庫に作った。電探本体の艦船への設置については、主砲射撃時の衝撃吸収のために、電探室の床を浮かせて、スプリングの衝撃吸収機構の上に設置することにした。吸収機構の上に床を載せて、更にその上に電探や計算機、無線機などの電子機材を搭載するのだ。
電探のアンテナは倉庫に隣接して設置することになった。時間が足りないので、高い塔を建設する時間がない。結局、倉庫横の空き地に架台を作って、電探アンテナを取り付けて事前実験を開始した。
私が担当した、10cm波長の測定用電探は、最初の実験機を艦船に搭載するためには改修が必要になったが、それと並行して実験を進めた。幸いにも完成したばかりの電波ビームを回転させる機構の検証では、かなり精度が改善できることが確認できた。方位誤差が0.1度程度、空中目標に対する仰角の誤差が0.2度となり、従来の20倍程度には改善できることが証明できた。
ところが高原中佐が担当した捜索用の電探には問題が発生した。
「探知距離が不十分だ。今までの実験機よりも性能が低下している。どうやらアンテナがノイズを拾っているようだ」
すぐに、低いところに置いたアンテナに原因があるだろうと想像できた。今までの実験では、こんな低い位置に電探のアンテナを設置したことはなかったのだ。アンテナの周りに建築物があって電波が乱反射している。真田大佐は、あまり着目してこなかったメートル波電探のアンテナ感度にもっと着目すべきだったと反省した。
「アンテナをもっと高い位置に持ち上げれば、性能はある程度改善できるだろう。しかし、実際の軍艦では周りに艦橋や煙突、マストなどの電波の反射物が存在するぞ。もう少しアンテナの指向性などの特性を改善する必要があると思う。改善のための対策は何かないか?」
誰も発言しないので、真田大佐が何か話せと私を指さした。しかし、私はアンテナの専門知識が豊富ではない。
「具体的な改善点はわかりませんが、所長が言っていた学者の懇談会の参加者には、アンテナを専門とする先生がいるはずです。確か東北大学の先生が超短波領域のアンテナを研究して論文を発表していたと思います」
「筧君に心当たりがあるならば、その大学の先生に連絡してみてくれ。研究成果を説明してもらえば、我々にとってどこまで役立つのかはっきりするだろう」
東北大学に連絡すると、超短波の電磁理論を研究している宇田教授と話すことができた。2日後には宇田教授が、技術研究所の実験施設にやってきた。問題の電探アンテナを一目見て、やはりという顔をして説明を始めた。
「案の定、ダイポール型のアンテナを並べているのですね。この形式では、アンテナの指向している本来の方向以外にも結構な量のサイドローブが発生しています。アンテナの側面や背面のサイドローブが周りの建築物の電波反射を拾っているのですよ」
どうも電話で話を聞いただけで、原因についてあたりをつけていたらしい。これだけずばりと言うのであれば、改善案も考えているだろう。
「なるほど、アンテナが向いている方向以外からの電波が悪さをしているのですね。アンテナを作り替える必要があるのでしょうが、どういう形式のアンテナにすれば改善するのか、対策はありますか?」
「単純なダイポールを私たちが提唱している形式のアンテナに変えれば、かなり特性が良くなり指向性も改善します」
話しながら宇田教授は持ってきた図面を広げた。それは、複数本の導波器と電波放射器の後方に反射器を有するメザシのようなアンテナだった。後に「八木・宇田アンテナ」として知られることになるアンテナの図面だった。
「アンテナ各部の寸法については、電波波長に合わせて計算が必要です。計算にはそれほど時間はかかりませんよ。ちょっと作業する場所を貸してください」
私は、教授から言われて、電探の放射電波について周波数やパルス幅などを説明した。教授は実験室に入って行って机の前に入ると、鞄から計算尺を取り出して何やら計算を始めた。1時間もしないうちに、アンテナ各部の寸法を記入した手書きの図面が完成した。
すぐに突貫作業でアンテナの製作が始まった。電子回路と違ってアルミや鉄材による工作なので研究所の工員を動員して、宇田教授のアンテナはわずか1日で完成した。巨大な魚の焼き網のような長方形の枠から、これも魚の背骨のようなアンテナが何本も突き出している。
実験を再開すると、アンテナ変更の効果を直ちに確認できた。感度が大きく改善して、周囲からひろう雑音が低減していたのだ。真田大佐は、この周波数領域の電探については、八木・宇田アンテナを継続して使ってゆくと直ちに決断した。
……
実際に軍人が電探を活用するとなると、専門家でなくとも使いこなせるように操作性を改善する必要がある。特に電探の表示法については、ブラウン管方式の表示管を使っていたが、どのような形式が適しているのかまだ定まっていなかった。結果的に複数の表示管を取り付けることになった。
精密測定電探の表示管については、目標の方位と距離がわかる直交座標表示(Bスコープ)を主用することにして、正確に距離測定できる一次元表示(Aスコープ)を補助として追加した。10cm波を利用したために、飛行中の航空機も計測できるので、対空戦闘に利用する場合を想定して、アンテナの方位角ではなく仰角を横軸表示とした直交座標表示(Bスコープ)も備えることとした。
なお捜索用の電探については、対空目標探知と海上の目標探知をそれぞれ別の捜索電探とした。探知距離を延ばすために、各々の電波の周波数を変えたためだ。もちろん海上目標の探知用電探の方が海上反射の影響を軽減するために周波数をかなり高くしている。
捜索電探についても、測距電探と同様に、直交座標表示(Bスコープ)と一次元表示(Aスコープ)の使用を前提とした。しかし、全周を警戒するために、アンテナを360度回転させるようになると、回転型極座標表示(PPIスコープ)も有用だろうと意見が出て追加することになった。このスコープはドイツのベルリン郊外の施設で真田大佐と私が見学した実験レーダーシステムで実験的に使用されていた表示方式を採用したものだ。
実験結果が出てくれば、もっと表示方法を絞り込んで、洗練させられるだろう。しかし、今はいろいろな表示方式を準備するしかない。
……
「愛宕」は計画通り昭和14年(1939年)10月には、横須賀で大規模改修を終えてから公試を開始した。我々は公試の期間中も「愛宕」に乗り込んで電探の最終調整を続けていた。巡洋艦としての各種試験が終わってから、2週間後には電探の調整もおおむね完了した。艦政本部は、直ちに電探の試験を開始するように指示した。
海上目標の捜索電探については、相手が艦橋の高い戦艦であれば、20海里(37km)で探知できた。しかし、目標の背が低くなると水平線に隠れるので、駆逐艦では探知距離が15海里(28km)程度に短縮した。ここまでは想定通りだったが、荒天時に問題が発生した。背の高い波頭を偽目標として表示してしまうのだ。電波のパルス波形を調整したり、受信部に電気的なフィルターを追加したが、大きな波が表示されることを完全には除去できない。最終的には表示される形状をみて、人間が判断するということで落ち着いた。電探に慣れた操作員ならば、反射映像を見て船か波かは判別できるだろうと言うことになった。
対空目標の探知については、予想通りの性能を発揮した。3,000m以上高度を飛行する編隊であれば、50海里(93km)の距離で探知できた。単独飛行の小型発機では探知距離が約6割に減少するが、接近すれば確実に探知可能だった。
我々の想定以上の効果があったのが精密測定電探だ。「愛宕」に搭載されていた九四式射撃盤は電探から距離や方位の入力ができるように、機能が追加された。
機能追加により、従来の光学測距儀からの入力による射撃と電探を使用した場合の比較が可能になった。距離の測定については圧倒的に電探が正確だった。ところが、方位測定については電探の弱点のために性能改善版でも光学測定とほぼ同じ精度だった。目標に対する分析については、圧倒的に光学測定が有利だった。人の目は艦種や相互の位置関係まで判別できる。一方、電探では目標の種別までは判別できない。大型艦と小型艦の差も反射波の大きさの違いでしか判別できない。逆に電探が優位なのは、目標の進行方向や速度の推定については、表示された反射波の変化を注視していれば間違うことはなかった。
実際に水上目標に対して主砲射撃を実施して比較してみると、電探で精密に測定しても風の影響や目標の未来位置の予測精度、射撃盤の計算にも誤差が含まれるから、初弾の射撃時にはそれほど差異があるわけではなかった。電探の測距では遠近の誤差が小さくなるが、光学測定と同様に初弾では目標から外れることに違いはあまりない。
差が開いたのが、2射以降の弾着修正だった。射撃をセンチ波電探で監視していると、大口径の大砲であれば、弾着時の水柱が表示管に映し出されるのだ。砲術長の奥村少佐は、電探射撃試験の途中からは、艦橋上の射撃指揮所に備えた電探の表示管の後ろに立って指揮をしていた。
「この表示を見れば、遠近も左右も即座に修正できる。まるで、弾着観測機に自分が乗って上空から見ているようなものだ。これならば、圧倒的に修正が楽だ。電探射撃時にはそれに適した射撃法を研究すれば、更に改善できるはずだ」
砲術長の言葉通り、電探で精密測定していると、駆逐艦が引っ張る標的に対して交互射撃を数回繰り返すと夾叉できた。射撃中に目標が変針した場合も、電探表示をよく見ていれば、方位や距離の変化をすぐに察知できた。射撃目標がどの方向に変針したかがわかれば、それに追随して短時間で射撃を修正することは可能だ。
「愛宕」艦長の河野大佐も射撃の成果をみて、電探射撃の有効性を認めた。
「いやあ、電探というものの効果を軽視していた。これほど有効に使えるならば、全ての艦艇に直ちに配備すべきだ。昼間の射撃訓練でもこれだけ差があるのだから、夜間や霧の出た時には電探射撃の独壇場ですな。距離と方位が正確にわかるのだから、工夫次第で雷撃にも活用できると思う。軍令部と艦政本部への報告には、私の見解もぜひとも加えて欲しい」
……
真田大佐は「愛宕」の試験結果を聞いてご満悦だった。艦載電探の開発日程については、かなり危ない橋を渡ったが結果は想定以上だった。試験の成功により、軍令部と艦政本部は艦艇への電探配備を決めた。もちろん電探開発の予算も大幅な増額が認められた。
真田大佐は、研究予算が増えた機会に、広く人材を集めるために、大学の研究室や逓信省、民間の研究所の有能な研究者を勧誘した。とにかく今のうちに研究者を増やしておけば、電探と計算機、半導体は必ず役に立つ。今は、電子機器開発にとって大きな変化が起こっている時期なのだ。その変化をとらえて、できることは全てやっておかないと後々手遅れになる。それが真田大佐の信念だった。
56
あなたにおすすめの小説
藤本喜久雄の海軍
ypaaaaaaa
歴史・時代
海軍の至宝とも言われた藤本喜久雄造船官。彼は斬新的かつ革新的な技術を積極的に取り入れ、ダメージコントロールなどに関しては当時の造船官の中で最も優れていた。そんな藤本は早くして脳溢血で亡くなってしまったが、もし”亡くなっていなければ”日本海軍はどうなっていたのだろうか。
If太平洋戦争 日本が懸命な判断をしていたら
みにみ
歴史・時代
もし、あの戦争で日本が異なる選択をしていたら?
国力の差を直視し、無謀な拡大を避け、戦略と外交で活路を開く。
真珠湾、ミッドウェー、ガダルカナル…分水嶺で下された「if」の決断。
破滅回避し、国家存続をかけたもう一つの終戦を描く架空戦記。
現在1945年中盤まで執筆
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
戦神の星・武神の翼 ~ もしも日本に2000馬力エンジンが最初からあったなら
もろこし
歴史・時代
架空戦記ファンが一生に一度は思うこと。
『もし日本に最初から2000馬力エンジンがあったなら……』
よろしい。ならば作りましょう!
史実では中途半端な馬力だった『火星エンジン』を太平洋戦争前に2000馬力エンジンとして登場させます。そのために達成すべき課題を一つ一つ潰していく開発ストーリーをお送りします。
そして火星エンジンと言えば、皆さんもうお分かりですね。はい『一式陸攻』の運命も大きく変わります。
しかも史実より遙かに強力になって、さらに1年早く登場します。それは戦争そのものにも大きな影響を与えていきます。
え?火星エンジンなら『雷電』だろうって?そんなヒコーキ知りませんw
お楽しみください。
札束艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
生まれついての勝負師。
あるいは、根っからのギャンブラー。
札田場敏太(さつたば・びんた)はそんな自身の本能に引きずられるようにして魑魅魍魎が跋扈する、世界のマーケットにその身を投じる。
時は流れ、世界はその混沌の度を増していく。
そのような中、敏太は将来の日米関係に危惧を抱くようになる。
亡国を回避すべく、彼は金の力で帝国海軍の強化に乗り出す。
戦艦の高速化、ついでに出来の悪い四姉妹は四一センチ砲搭載戦艦に改装。
マル三計画で「翔鶴」型空母三番艦それに四番艦の追加建造。
マル四計画では戦時急造型空母を三隻新造。
高オクタン価ガソリン製造プラントもまるごと買い取り。
科学技術の低さもそれに工業力の貧弱さも、金さえあればどうにか出来る!
世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
超量産艦隊
ypaaaaaaa
歴史・時代
海軍内では八八艦隊の議論が熱を帯びていた頃、ある一人の天才によって地味ではあるが大きく日本の未来を変えるシステムが考案された。そのシステムとは、軍艦を一種の”箱”と捉えそこに何を詰めるかによって艦種を変えるという物である。海軍首脳部は直ちにこのシステムの有用性を認め次から建造される軍艦からこのシステムを導入することとした。
そうして、日本海軍は他国を圧倒する量産性を確保し戦雲渦巻く世界に漕ぎ出していく…
こういうの書く予定がある…程度に考えてもらうと幸いです!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる