電子の帝国

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第3章 計算機応用

3.3章 半導体実用化への道

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 昭和14年(1939年)3月にシリコンダイオードが完成すると、海軍技術研究所内における半導体開発の優先度が一気に上昇した。しかも、実用化できそうな開発成果が出たおかげで、半導体研究の研究費も増えた。研究主任の根津大尉にとって最もありがたかったのは、実験用の機器の追加購入とそれを設置できる建物を手に入れたことだ。目黒の敷地内の建物で古くなった倉庫を半導体専用の実験棟として確保できたのだ。さっそく、逓信省の電気試験所にも負けないような各種の実験機材を運び込んだ。

 根津大尉は、実験機器の導入と並行して人員の強化も進めた。研究をどんどん加速するために、大学や民間の物理分野の研究室から海軍勤務を希望する人員の勧誘と募集を開始した。

 三好晴海技師は、もともと電気試験所で電子機器に用いる部材の研究をしていた。海軍の要請で電気試験所が半導体の研究をするようになってからも、シリコン材料の研究にかかわってきた。まさに、根津大尉が渇望していた技術者として、大尉は技術研究所への入所を強力に勧誘した。

 三好技師は、海軍の研究所に入所するにあたって、帝大の物理研究室に所属していた弟をさそった。弟の三好伊三技師は大学で素粒子関連の研究をしており、半導体研究の基礎となる量子分野の知識を有していた。

 三好兄弟は、研究所で勤務を開始すると、すぐに海軍の民間人の任官制度を利用して軍人となった。兄は電気試験所での海軍の委託研究を実績として評価されて、三好中尉となった。弟は三好少尉として任官した。

 仕事については、兄は単結晶シリコン上でのp型とn型半導体の形成方法の研究に従事することになった。一方、弟の三好少尉は量子力学の知識を生かして、p型とn型を組み合わせた構造の増幅器を設計して、実際に試験体を製造することになった。

 ……

 本格的に半導体増幅器の研究が始まると、意外なところから情報が入ってきた。根津大尉が最も研究が進んでいるはずだと考えていた北米の情報だ。昭和14年(1939年)6月になって、諜報活動により入手した米国内の研究に関する情報が入手できたのだ。当時、航空技術習得のためにアメリカを訪問していた航空廠の技術者がその資料を持ち帰ってきた。

 1930年代中旬から多くのユダヤ系科学者がドイツからアメリカへと移住した。ドイツの日本大使館は裏でユダヤ人移民の支援をしていたらしい。どうやら、由利中佐はその時の人脈をうまく利用して、米国内の日本のために仕事をしている諜報員に技術情報が手渡されるように、ヨーロッパから遠隔で手配していた。結果的に諜報員から航空廠の技師に収集した資料が渡り、それが日本に運ばれた。

 半導体研究部隊では、手渡された文書の分析がさっそく始まった。ほとんどの文書が、アメリカにおいて半導体研究の中心となっていたAT&T社のベル研究所の論文だった。

 根津大尉にとって新鮮だったのは、素材の表面に不純物を拡散させる範囲を自在な形状とするために、エッチング加工を利用しようとしていることだ。

 シリコンの表面にレジスト液を塗布して露光すると、光が当たった部分を残してレジストを除去できる。洗い流された領域は半導体の本来の表面が露出するので、その部分のみに選択的に化学的なエッチング処理が可能となる。エッチングはかなり微細な形状でも正確に形成できるから、極めて小さな範囲でp型やn型半導体を望みの形状に加工できる。

 また、三好中尉が分析した他の論文には、シリコンを材料として使用する場合に酸化シリコン(SiO2)を電気の絶縁膜と半導体の防護を兼ねて利用しようとしていることが記載されていた。

「私たちは、今まで半導体素材上で特性の異なる物質を接合することばかり考えてきましたが、導通させる場所以外は電気的に絶縁する手段が必要になります。酸化シリコンの被膜は、シリコン表面に簡単に生成できますからこれは非常にうまいやり方です」

 弟の三好少尉が目を輝かせながらやってきた。
「こちらの論文は、まだ基礎実験の段階ですが、拡散工程を繰り返してn型の領域の内側にp型を生成する方法が記載されています。最初にシリコンをp型にしておいて、p型の一部にn型不純物を拡散させてp型の中にn型の島を作り出すようです。p型の内部に複数のn型の島を生成できれば、pnp接合の増幅器が実現できるはずです」

 何のことはない。論文のようにp型の中にn型の領域を重ねて生成できれば、今まで苦しんできたpn間の結合度が不足する問題は解決するはずだ。

「論文の記述を参考として、我々も実験方法を改善しよう。改善の方向性が正しいか否かすぐに検証するぞ」

 根津大尉は自分たちの開発研究にすぐにも反映させる項目や将来活用するための実験として新たに追加する項目などを整理した。

「全般的に整理すると、半導体を作るという観点からは、我々は既にシリコンダイオードを作っていることもあり進んでいる。しかし、半導体素子の実現につながる新たな発想という視点では、一部のアメリカの研究は我々よりも先行している」

 技研の半導体部隊が、すぐに採用したのが酸化シリコンを保護膜として利用することだ。酸化シリコンをp型やn型を作るための不純物拡散時に、不純物を浸透させない領域を保護するために使用した。エッチング技術を利用して酸化シリコンに窓を開けて、開いた部分にリンやボロン、ヒ素を含む高温の気体を吹き付けて拡散させることにより、自在な形状のn型またはp型を生成することが可能になった。

 p型の中にn型を生成する方法も応用することにした。最初に半導体全体をn型として生成する。その上に、更に酸化シリコンの被膜を生成して、マスクをしない部分の酸化シリコンを除去する。その上からp型不純物を拡散させれば、n型の領域内に一定深度のp型半導体が生成される。同じ手順を繰り返せば、そのp型の領域内にn型の島を生成できる。結果として同心円状にn型とp型が交互に重なった形状に生成することもできるはずだ。

 ……

 不純物の拡散温度や濃度を変化させながら、n型やp型が重なったpnp型半導体を作り出す実験が繰り返された。米国でもまだ発想段階で、実際のものづくりが成功しているわけではない。繰り返し実験して、技術研究所で目標に近い構造の半導体ができたのは、昭和14年(1939年)11月だった。

 三好中尉は、半導体の表面を拡大鏡で観察していた。この実験室では既に二桁を上回る回数の実験を繰り返していた。
「どうやら今回は、うまくいったようだ。外見を見る限り、形状も拡散している深さも十分のように見える」

 三好少尉は、生成実験の結果を横で聞いていたが、中尉の確認結果を聞くとすぐに根津大尉を呼びに行った。

 すぐに測定器の探針(プローブ)を半導体の試験片に立てる。順方向と逆方向の直流抵抗値から初めて、生成された半導体の各部の電気的な特性を測定して行く。

「測定値はおかしな値にはなっていないようだな。線材を接続して素子として組み立てるぞ」

 完成した半導体は、上下方向にn型半導体とp型を重ねた構造で、上から見ると同心円が重なった形となっている。生成できた試験体が信号の増幅機能を有することが計測されると、電子研究部長の真田少将にもすぐに報告が上がった。

「理研の物理学者の理論が、ついに実物により証明されたわけだな。この報告を見る限り、性能はまだ改善の余地があるが増幅機能を有するのは間違いない」

 根津大尉が答える。
「ええ。まだいろいろ改良の余地がありますが、半導体増幅器が実現できたのです」

「ところで、この素子の名前は考えているか? いつまでも半導体型信号増幅器などと呼ぶわけにはいかんだろう。名前は、君が決めていいぞ」
「素子の名称については、入力に応じて半導体の抵抗が可変となって信号を出力する(Transfer of signal through a variable resistor)ことからトランジスタ(transistor)と呼びたいと思います」

「名前はそれでよい。我々はダイオードとトランジスタを開発したことになるな。急がせて申し訳ないが、実際に装置に使える半導体に仕上げてくれ。研究所長からは期限が1年と言われたが、高級な設備を次々に購入している半導体部隊は、金食い虫との懸念が海軍省の上層部から出てきている。ここらで実際に使えることを証明して、批判を押さえる必要がある」

 ……

 大量に半導体を生産するのは民間の工場が前提となる。根津大尉は民間の工場が本気で生産するならば、研究成果だけでなく、実験で検証した生産工程や生産用機材についても情報を渡すつもりだった。半導体にとっては、成果物以上に、どうやれば生産できるかという情報が重要だと言うことを知っていたからだ。

 昭和14年(1939年)中旬からは、海軍からの依頼により、シリコンダイオードの生産準備が民間企業で開始された。実験室でダイオードが作られて、真空管の代わりに検波器や整流器が使用できるという結果が証明されると、今まで真空管を製造していた東芝や日本無線、日本電気、日立などの企業は直ちに半導体を生産することを決めた。半導体で出遅れれば、それは他社に市場を奪われることを意味すると考えたのだ。

 もともと、半導体の生産ラインは、生産工程を高純度シリコン生産とシリコン材からのダイオードの製造にラインを分離した。

 2カ月が過ぎて、ダイオードの生産が立ち上がろうとしている時に、海軍技術研究所で半導体増幅器の生成が成功した。昭和14年(1939年)12月になって、技研はトランジスタとの名称で増幅機能を有するトランジスタについて、民間企業に対して製造工程を含めて情報を開示した。

 トランジスタが有効に使えることが確認できると、各社は生産設備の追加にすぐに取り掛かった。酸化シリコン被膜とガスによる不純物拡散という、トランジスタの研究成果により改良した工程でトランジスタを生産するためだ。

 民間工場において、電子機器に使用することのできるダイオードとトランジスタの量産が本格的に開始されたのは昭和15年(1940年)3月だった。半導体生産の特徴として、一度生産ラインが立ち上がると、一気に生産量が増加してきた。
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