電子の帝国

Flight_kj

文字の大きさ
50 / 173
第10章 新兵器開発

10.4章 近接信管

しおりを挟む
 陸軍参謀本部で電子技術を統括している仲野中佐が、技術研究所に新たな共同開発案件を持ち込んできたのは、昭和15年(1940年)6月にさかのぼる。計算機の共同開発が軌道に乗って「オモイカネ一型改」は完成間近だった。技研側からは、真田少将と電子技術関係の研究者が出席した。陸軍からの依頼ということで、軍令部第二部で兵備を担当している長沢中佐が研究所までやってきて同席した。

 仲野中佐は、挨拶を済ませると、さっそく依頼事項の説明を始めた。
「今日のお願いは、金属探知技術の共同開発です。陸軍技術研究所では、2年ほど前から、接近した金属を探知する手段について、大学教授などが参加している専門家会議に諮問してきました。そもそもは、金属探知研究の目的は、地雷を見つけることでした。地雷を発見するための探知器については、既に陸軍で開発が進んでいます。その開発の途中で金属探知技術を応用した様々な機器について、科学者から提案がありました。その中で、我々がもっとも価値のある提案だと判断したのがこれです」

 仲野中佐は、専門家会議の検討結果を記載した書類を机の上に置いた。

 報告書は、金属検知技術の有力な応用法として砲弾の近接信管を記載していた。砲弾が目標に直撃しなくても、近傍を通過するだけで爆発する信管だ。

 金属の検出部の送信コイルに交流を印加すると磁界が発生する。受信コイルではその磁界を検出している。この磁界の中を金属が動くことで、磁力線に変化が生じる。金属が鉄のような磁性体の場合には、磁界が収束して受信側で検出する磁力が強まる。アルミのような非磁性の金属では、金属内部に磁界により電流が生起してそれが磁界を弱める。いずれにしても受信コイルで感知していた定常的な磁界が変化することになる。受信コイルの信号を増幅すれば金属探知ができることになる。

 書類を斜め読みした真田少将が答えた。動作原理自体は単純なので、時間をかけなくてもすぐに理解できる。
「電磁誘導に関する物理的な基本性質を利用しているということは理解しました。確かに、理論的には実現可能だと思います。もちろん近接信管が実現できれば、大砲の射撃に革命をもたらすということは、私も想像できます。実現価値が非常に高い研究だということには、異論がありません。特に航空機を狙う高射砲では非常に有効でしょう」

 陸軍技術研究所の大尉が、陸軍が試作した回路を図面で説明してくれた。大尉は実験回路をわざわざ持参していた。

 真空管を利用した電子回路と円形のコイルか構成された実験回路だ。送信側と受信側の回路は、両方合わせて雑誌くらいの基板上に実装されていた。それとは別に手のひらくらいの大きさの二重コイルが接続されている。真空管の回路は、何も説明されなければ、家庭用のラジオかと間違う程度の規模だ。

「これは実証用の実験回路です。できるだけ簡単な回路構成で、提言された金属探知ができることを確認しています。一応、理論通りに動作することは検証できています」

 技術者の我々から見れば、この回路は真空管の数を減らして、できる限り簡単な構成となるように工夫したことがわかる。

 思わず本音を口にしてしまった。
「いろいろ工夫して、簡単な回路構成にしたのですね。何度か設計をやり直さないとこれだけ簡潔な回路にはなりませんよ」

「ええ、3回作り直してこの回路になりました。実験により、基本的な動作は確認できています。残っている大きな課題は小型化と発砲時の加速度への対応です。この実験回路を大砲の砲弾に収まる大きさと重量に縮小しなければなりません。しかも弾丸を発射した時の加速度でも破壊されないような強度を持たせるとすると、かなり難易度の高い開発になるでしょう」

 仲野中佐が説明を引き継いで話し始めた。
「小型化と大きな衝撃への対処は、陸軍の技術部隊だけでは解決できないほど大きな壁だというのが我々の認識です。それで、海軍の電子技術の専門部隊に声をかけようと考えたのです。皆さんと我々の知見を合わせれば、新型信管も実現できるのではないでしょうか?」

 軍令部の長沢中佐は、ここまで話を聞いて、これは電探や計算機の開発に匹敵するほど困難な開発案件であると理解した。それでも開発内容の価値の高さから、応諾することにした。

「真田さん、軍令部としては非常に有益な開発であると考えます。陸軍との共同開発を了解しても良いと判断します」

 もちろん真田少将も異論はない。
「わかりました。技研が全面的に開発に協力します。開発内容としては、我々の半導体技術を使って小型化することがまず必要です。しかも半導体は真空管よりも格段に衝撃に強いはずです。しかし、それでも弾丸発射時の重力加速度に耐えられる構造とするまでには時間がかかりそうです。加えて、小型の電池も開発が必要ですよ」

 ……

 陸軍との共同開発を了承した長沢中佐は、軍令部の第二部長にも要求を上げて、砲の開発を主管する艦政本部の第一部からも許可を得た。もちろん、技研所長の都築中将にも話しを通した。あっという間に、高角砲の近接信管の開発は、海軍技術研究所にとって優先開発の一つになった。

 軍令部と艦政本部の後押しを得て、研究を加速するために電子研究部に電磁界を利用した技術開発を専門に行う部隊を設立することになった。電磁気課(通称EM課)が新たに設立されて、課長は工学博士号を有する谷大佐が就任した。

 小型化については、回路の小型化は半導体の利用により、すぐに見通しが立った。昭和15年には、既に半導体の工場生産が開始されており、計算機やジャイロ照準器等などの各種装置への利用も進んでいた。民間会社ではトランジスタやダイオードだけでなく、半導体回路向けの低電圧対応の小型の抵抗やコンデンサの生産も進んでいた。

 電磁界を発生するコイルを利用した金属探知の基本回路については、設計そのものは電磁気課が実施した。小型化回路の設計と実験は、電磁気課に異動した三好少尉が中心となって担当した。もちろん、大元の基本方式は陸軍の実験回路が基礎となっている。

 トランジスタを利用して回路が小型化できたならば、受信コイルからの信号も増幅段を多段構成にして増幅率を増加できる。そうなれば、金属探知の感度も改善するはずだ。動作周波数に関しては、そもそも扱う信号が電探や無線機のような極めて高い周波数ではないので、通常のトランジスタでも問題ない。

 既に、陸軍が実証した回路の基本形が存在していたので、性能改善と小型化は半年ほどで実現できた。金属探知回路は半導体を利用して、陸軍が開発した実験機の数分の一程度で、感知性能は向上できた。コイルは砲弾の直径と同程度とした。

 試験機が完成すると、レールの上を走らせて、移動中に近くの金属を探知できるかの実験が行われた。どの程度の距離の金属を探知できるのか、性能の確認は極めて重要だ。高角砲弾の威力を考えると、航空機の大きさの目標に対して10m程度で爆発させる感度が必要だ。感度を改善していたおかげで5mから10mの間で探知することが確認できた。既に陸軍の実験機でも地上での探知実験は行われていたので、試験はどんどん進んだ。

 ……

 砲弾に装着する近接信管にとってもっとも厄介な問題は、凄まじい大きさの加速度だ。砲弾が発射されたときの加速度は、少なくとも重力加速度の数千倍以上だ。しかも、砲弾には旋転による遠心力が加わる。余裕を考えると、信管は重力加速度の2万倍(2万G)に耐えられれば十分だと考えられた。

 陸軍は、海軍の回路小型化と並行して、巨大な衝撃を吸収するための手段について、再度専門家会議の科学者から知恵を借りることにした。検討結果は、一度だけの衝撃を変形により受け止めるという方法だった。柔軟なゴムのような部材で衝撃を吸収することを想定していたが、反発力で元の形状に戻らず、むしろ形が変わることでエネルギーを吸収しようという考え方だ。

 直ちにこの意見に基づいて実験が行われた。ゴムに軟化剤を加えて、柔らかさを変えた材料が何種類か準備された。実験機材には、衝撃吸収材を充填して、内部に簡易的に加速度を計測する測定器を仕込んだ。ガラスの厚さを変えた複数の種類のカプセルを仕込んで、発射後に割れたカプセルを確認することで衝撃を推定しようとした。

 衝撃吸収材の粘性を変えて、実験用の砲弾を発射して実験を繰り返した。何百発も射撃実験をすることで衝撃吸収効率の良いゴム材を決定していった。

 同時に陸軍が開発したのは、砲弾に内蔵できる電池だ。発電時間は極めて短くて良いので、発生できる電力量そのものは小さくても、衝撃に耐えて確実に必要となる時に所望の電圧を発生できることが求められた。しかも、酸化などで劣化しては困るので、数年程度は保存可能な電池が望ましい。

 半導体で構成された回路は電池開発の点からも、好都合だった。半導体は、真空管に比べて動作電圧が低く、消費電力も大きくない。むしろ点火薬を発火させるための電力の方が大きいくらいだ。

 最終的に陸軍技術研究所は、金属製容器に電極を入れておいて、その上に電解液入りのガラスカプセルを据え付ける構造を採用した。発射の衝撃でカプセルが割れると、内部の電解液が容器内に流れ出て、電極が付けられた容器内を満たす。結果的に、湿式の電池が完成して電気が発生することになる。電極と電解液の分離は、保存時に電池の劣化を避けるうまい方法だった。

 ……

 海軍が開発した電子回路と陸軍の電池と衝撃吸収材を組み合わせて、最終形となった信管が作成された。

 砲弾に装着した信管は、磁界の送信コイルと受信コイルを取り付けるために、弾頭形状の円錐形の一部を樹脂製とした。円錐の最下部に樹脂をはめ込んで、その内部に二重のコイルを埋め込んだ。更に円錐形の中心部に直径5cm、高さ8cmの円筒容器をねじ込んで取り付けた。円筒容器の内部には、小型化した全ての電子回路と電池を格納できた。

 昭和16年(1941年)8月から実射試験が始まった。陸軍は十四年式10cm高射砲を使って射撃試験を開始した。海軍では八九式12.7cm高角砲による実射を始めた。射撃試験を開始して、新たな問題になったのは地磁気の影響による誤動作だった。地球の磁界は、射撃する方位が変われば磁気の方向が変化する。しかも地球上の場所が変われば磁界強度も変化する。

 試験の最終段階で発生した問題について、陸軍の仲野中佐と技研電磁気課の谷大佐が対策を相談していた。
「しかし、最後の段階での問題の発生は痛いですね。陸軍では部隊配備の計画を一度決めていましたが、日程を変更しますよ。対処するには回路そのものの変更が必要に思いますが、どうですか?」

 谷大佐が2枚の信管の磁気回路の図面を差し出した。
「我々も地磁気の影響は認識していたが、一般的なノイズフィルターで吸収できると考えていた。回路のこの部分だが、磁界変動の微分回路出力からノイズを除去する回路だ。それを、2枚目の回路図に示すように新たな回路に変更する。特定周波数領域の磁界変動以外は削除する。しかし、フィルター機能をあまりに強力にすると、信管の感度そのものが鈍くなってしまう。感度を鋭敏にするか鈍くするかは、試射により調整したい」

「調整は必要ですね。対空砲の用途から考えて、多少の誤作動は許容範囲だと考えています。不発や早期爆発の比率を試射で計測して調整したいと思います」

 実射試験でおおむね満足する結果を得たのは、9カ月後の昭和17年(1942年)5月だった。既に、世界情勢からは、新型信管の配備に対して一刻の猶予もない。しかし、全ての高角砲に対して一気に新型信管を適用するのは困難だった。

 軍令部第二部長の鈴木少将が近接信管の適用順序について決断した。
「備蓄した砲弾のことも考えると、軍令部としては、八九式10cm高角砲にこの信管を優先して使うこととしたい。88mm高角砲弾に使用するにはまだ信管が大きい。炸薬の減少により、威力が減少する。88mm砲に使用するためには、信管のもう一段の小型化が必要だ」

 近接信管が88mm高角砲弾で使用可能となるには、更に3カ月後まで待たなければならなかった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

藤本喜久雄の海軍

ypaaaaaaa
歴史・時代
海軍の至宝とも言われた藤本喜久雄造船官。彼は斬新的かつ革新的な技術を積極的に取り入れ、ダメージコントロールなどに関しては当時の造船官の中で最も優れていた。そんな藤本は早くして脳溢血で亡くなってしまったが、もし”亡くなっていなければ”日本海軍はどうなっていたのだろうか。

If太平洋戦争        日本が懸命な判断をしていたら

みにみ
歴史・時代
もし、あの戦争で日本が異なる選択をしていたら? 国力の差を直視し、無謀な拡大を避け、戦略と外交で活路を開く。 真珠湾、ミッドウェー、ガダルカナル…分水嶺で下された「if」の決断。 破滅回避し、国家存続をかけたもう一つの終戦を描く架空戦記。 現在1945年中盤まで執筆

異聞対ソ世界大戦

みにみ
歴史・時代
ソ連がフランス侵攻中のナチスドイツを背後からの奇襲で滅ぼし、そのままフランスまで蹂躪する。日本は米英と組んで対ソ、対共産戦争へと突入していくことになる

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

戦神の星・武神の翼 ~ もしも日本に2000馬力エンジンが最初からあったなら

もろこし
歴史・時代
架空戦記ファンが一生に一度は思うこと。 『もし日本に最初から2000馬力エンジンがあったなら……』 よろしい。ならば作りましょう! 史実では中途半端な馬力だった『火星エンジン』を太平洋戦争前に2000馬力エンジンとして登場させます。そのために達成すべき課題を一つ一つ潰していく開発ストーリーをお送りします。 そして火星エンジンと言えば、皆さんもうお分かりですね。はい『一式陸攻』の運命も大きく変わります。 しかも史実より遙かに強力になって、さらに1年早く登場します。それは戦争そのものにも大きな影響を与えていきます。 え?火星エンジンなら『雷電』だろうって?そんなヒコーキ知りませんw お楽しみください。

札束艦隊

蒼 飛雲
歴史・時代
 生まれついての勝負師。  あるいは、根っからのギャンブラー。  札田場敏太(さつたば・びんた)はそんな自身の本能に引きずられるようにして魑魅魍魎が跋扈する、世界のマーケットにその身を投じる。  時は流れ、世界はその混沌の度を増していく。  そのような中、敏太は将来の日米関係に危惧を抱くようになる。  亡国を回避すべく、彼は金の力で帝国海軍の強化に乗り出す。  戦艦の高速化、ついでに出来の悪い四姉妹は四一センチ砲搭載戦艦に改装。  マル三計画で「翔鶴」型空母三番艦それに四番艦の追加建造。  マル四計画では戦時急造型空母を三隻新造。  高オクタン価ガソリン製造プラントもまるごと買い取り。  科学技術の低さもそれに工業力の貧弱さも、金さえあればどうにか出来る!

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

超量産艦隊

ypaaaaaaa
歴史・時代
海軍内では八八艦隊の議論が熱を帯びていた頃、ある一人の天才によって地味ではあるが大きく日本の未来を変えるシステムが考案された。そのシステムとは、軍艦を一種の”箱”と捉えそこに何を詰めるかによって艦種を変えるという物である。海軍首脳部は直ちにこのシステムの有用性を認め次から建造される軍艦からこのシステムを導入することとした。 そうして、日本海軍は他国を圧倒する量産性を確保し戦雲渦巻く世界に漕ぎ出していく… こういうの書く予定がある…程度に考えてもらうと幸いです!

処理中です...