電子の帝国

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第10章 新兵器開発

10.5章 全翼機の開発

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 永野大尉は、ドイツ訪問時に偶然訪れた飛行場で、斬新な形態の航空機を目撃した。その場で決断して、購入したのがホルテン兄弟が開発した全翼機だった。帰国して4カ月もすると、購入した他の物品と共に横須賀に入港した貨物船で機体が届いた。梱包された機体は、外翼と内翼、操縦席、主脚などに分割されていた。

 大尉は、勤務地の航空廠内の工場で組立を開始した。組立により全体形状が明らかになってくると、この奇妙な形態の航空機に興味を持ったのは、永野大尉だけではなかった。

 全翼機の存在を知って、飛行特性を研究したいと言い出した技術者の一人が、十三試艦爆の設計主任だった山名造兵少佐だった。彼は全翼機の理論上の長所や欠点をよく理解していた。それが実際にどのような特性を示すのか、モーターグライダーを使って実機の飛行性能を確認したいと言い出したのだ。

「飛行試験を早く開始してほしい。私の想定通り揚抗比は優れているのか、安定性や操縦性に問題はないのか実際に確認したい。全翼機の基本特性を生かして設計できれば、速度も航続距離も優れた軍用機が完成する可能性がある。長所と欠点を見極めたいのだ」

 一方、航空廠の上層部からは、この奇抜な航空機はほとんど注目されず、永野大尉の道楽だと見なされていた。しかし、一部の技術者からの協力を得て、大尉は試験飛行の準備を進めることができた。山名少佐と一緒に永野大尉が航空廠の飛行実験部に頼み込むと、この珍しい機体を飛ばしても良いという操縦士が現れた。以前から永野大尉の知り合いだった、真木大尉がこの機体に興味を持って引き受けてくれたのだ。

 ホルテンの全翼機は、昭和15年(1940年)1月には、なんとか飛行試験にこぎつけた。新年空けの寒空の下、真木大尉と永野大尉が搭乗した複座型の全翼機は追浜の滑走路を離陸した。もともとホルテン機は二人乗りのモーターグライダーだが、エンジンの馬力が小さくて、補助がなければ自力だけでは離陸できない。そのため、横須賀基地のトラックを滑走路上で走らせて、風上へと引っ張ることでやっと空に浮んだ。実際に飛んでみると、思いのほか機体は安定していて、戦闘機のような急激な運動をしない限りは操縦性も良好だった。

 数回の飛行により、この航空機が安全に飛べることがわかると、試験飛行は山名少佐が主導することになった。専門家の立場から、飛行試験内容を決めて、収集すべき情報を指定してきた。試験データを収集するための測定器も積み込んで、繰り返し試験を実施することになった。そのため、ホルテン全翼機は横須賀の追浜飛行場を利用して、空技廠の技術者や技手を乗せて、しばしば試験飛行をしていた。

 ……

 昭和15年3月、望月少佐と私は、艦艇に搭載する電探の調整のために横須賀に来ていた。横須賀基地の周囲を飛行している航空機の高度と方位が、新型電探でどこまで正確に計測できるのか試験をしていたのだ。そこに見たことのない外見の全翼機がブーンというのんきな音を立てて飛んできた。

「筧君、あの奇妙な形の航空機だが、電探に映っていないように思えるのだ。これは、私の思い違いかな。ちょっと確認してくれ。まさか電探が故障しているわけではないだろうな」

 望月少佐の言葉を受けて、私も基地の周囲を見回せる屋外と電探室を何度も往復して、電探表示を確認した。
「確かに電探が探知していないように見えますね。しかし、故障ではない証拠に他の練習機の反射電波は捕捉しています。あの飛行機も注意深く確認すると。表示管に反射波形が小さく出ていますよ。それでも離れてゆくとほとんど映らないと言っていいでしょう」

 我々は、その場でこの不思議な航空機について、あれこれ議論しながら電探に映った表示を見ていた。その結果、全翼機と電探の位置関係と機体の飛行方向により、電波の反射が極めて少なくなる条件があるという結論に達した。全翼機の下面が電探からはっきりと見える位置関係になると電探は探知できるが、正面から接近したり、後ろ姿を見せて遠ざかる場合には極めて電波反射が小さくなる。その次は、真横から側面を見た場合だ。どの方向からでも、全般的に反射波小さいが、それが特に小さくなる向きと位置が存在するということだ。加えて、機体自身が金属ではなく木製であることも電波反射を減らしているようだ。

 偶然観測した事象を報告すると、技研の電子研究部でも、研究すべき対象だとして課題に取り上げることになった。電波反射の形状依存性は、電磁気理論から予測できる。しかし、実際に飛行している航空機がそのような特性を有しているとなれば話は別だ。

 真田少将も重要性に気が付いた。
「航空機の形状として、電探が探知しやすい外形と逆に困難なものが存在しているということだな。これを突き詰めれば、電波反射の極めて少ない航空機を作ることができるかも知れない。我々がそのような機体の開発に先行すればよいが、他国に先を越されれば、電探を無力化されることになるぞ」

 技研ではこの事実を他国には知られないように、密かに研究を進めた。電磁波の反射は物理法則なので計算で求められる。完全な球体や平面などのような単純な形状ならば、理論計算は簡単だ。

 そんなことを前提として、私は計算機を利用することを思いついた。
「多少複雑な形状でも計算機を活用すれば、電磁波の反射や端部での回析特性を机上で求められると思います。実機での確認と合わせて、計算機で模擬計算した反射特性の解析を行うべきです」

 電磁波の反射は、電磁気学の方程式(マクスウェルの方程式)を解けば答えが出てくる。具体的な電探反射特性の近似的な数値計算をするために、海野少尉の支援で解析プログラムを作成して、計算機演算を開始した。数値計算としては、機体の曲面を疑似的に細かな平面の組み合わせに分割することになる。よく考えれば当然であるが、表面を細分化すると、近似計算であっても計算規模は級数的に増加した。つまり、計算の精度と演算に要する時間との板挟みになったわけだ。複雑な曲面の航空機を細分化して、それを演算をするには、明らかに、計算機の能力が不足していた。我々は、細分した形状での演算はあきらめて、計算可能な範囲内で分割数を減らして妥協することになった。

 ……

 山名少佐は試験飛行により、自分が望んでいた情報をおおむね取得すると、次の段階に進むことを計画した。

「飛行試験の結果は、想像通り揚抗比がかなり良好で安定性も問題がない。この全翼機の基本特性を生かせば、速度も航続距離も格段に優れた軍用機が完成する可能性が高い。もっと本格的な全翼機を設計して可能性を検証したい」

 少佐は、全翼機を対象として、計算機を大幅に活用した新たな設計法を試行したいとの希望を空技廠長の和田少将に申し出た。

「全翼機の機体は実際に製作しませんが、その一歩手前までの設計をさせてもらえませんか? 風洞試験と計算機により基本設計をすれば、試験機を作成しなくても全翼機としての潜在的な性能を明らかにできると思います。その結果、優れた性能水準が予見できるならば、その設計結果を活用して実機を作ればいいのです」

「いいだろう。実際に海軍機として試作機を作るとなれば、それなりの手続きが必要だ。しかし、計算機による机上の設計や風洞試験であれば、空技廠としての研究の範疇に入る。まずはその範囲で研究を行って、結果が見えてから実機の製作を判断することにしよう。私からの希望は、開発の対象を次期艦上爆撃機にすることだ。まあ、十三試の次の機体として設計してみてくれ」

 航空廠の研究機として全翼機の設計が認められた。空技廠では、速度研究機や長距離飛行研究機などに、固有の記号と番号を付与していた。この研究機には、現行研究機の次の研究記号であるY40が付与された。

 結果的に技研の電気部が実施する電波の反射特性の分析と空技廠飛行機部による空力的な設計が両輪になって進むことになった。全翼機固有の飛行特性については、購入したホルテンⅤを用いて取得した情報と風洞試験の結果から、計算機による主翼周りの気流を分析した。これらの結果から、実際の機体を作成する以前に、迎角を大きくしていった時の失速とスピン特性に問題があることがわかった。十一試艦爆でも問題になった不意自転と呼ばれる悪癖だ。

「垂直尾翼のない航空機にとっては、この程度の飛行特性は想定範囲内だ。スピンに陥るような極端な飛行を回避しても、戦闘機でなければ実用上問題にはならないはずだ。万が一スピンに陥ったら安定を回復させるための抵抗板を中央翼の後端に追加すれば、危険な状態は避けられるはずだ」

 試験機の計算結果を聞いても、山名少佐の信じている全翼機優位論は崩れることはなかった。

 我々も、電波反射を減少させるための外形検証を進めた。計算機の制約から、粗い平面の組み合わせでの計算しかできない。計算機を使っていた海野少尉がぼやいていた。
「航空機の外形を、全ての曲面を排除して完全な平面の組み合わせにできれば、計算機の答えに実機の電波反射が一致するのでしょうが不可能ですよね」

「さすがに折り鶴のような翼では飛ばないだろう。むしろ計算機の性能上の制約がなければ、曲面から構成される航空機の電波反射も厳密に計算できるはずだ」

 我々はホルテン全翼機の形状から大きく違わない外形を基本形として、航空機として変更可能な範囲で電波反射を抑制する変更を織り込んでゆくこととした。そもそも、ホルテングライダーは電波反射が小さいのだから、そこから更に改善できれば実用上は十分だろうとの考え方だ。

 計算を繰り返すことにより、我々は改善点を明らかにしていった。計算機で判明した反射源の一つが、脚収納部の扉と爆弾倉扉の端部だった。

 我々は反射の原因について、形状を変更してもらうために山名少佐に報告した。
「反射が発生している所は、扉の端の部分だと特定できたとのことですが、それを改善すべき方法はあるのですか?」

「計算機による演算の結果ですが、開閉する扉の外形を、主翼と同じ角度の直線の組み合わせに変えます。角度をそろえることで、扉やつなぎ目の外縁部の電波の回析を特定方位だけに局限できるはずです」

 山名少佐は、我々の提言に基づいて扉の縁をノコギリの歯のようなギザギザの形状にして、斜めの山の角度を主翼の前縁にそろえることにした。実機では、エンジンなどの整備用の扉も含めて、類似のパネルはもっと数が多い。放置すれば、電波の特性は悪化するだろうとの判断で、ほとんどの開閉扉を対処することになった。
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