電子の帝国

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第14章 外伝

14.1章 航空エンジン性能向上1

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 昭和16年4月には、三菱が開発していた18気筒エンジンのMK6Aを搭載した十四試局地戦闘機(後の雷電)の本格的な試験が始まった。既に機体としては陸軍の鍾馗による検証が進んでいたので、海軍でも十四試局戦の成功は確実視されていた。しかし、海軍も陸軍も迎撃戦闘機として、この戦闘機を完成形だとは考えていなかった。

 アメリカでは1,200馬力のエンジンに排気タービンを付けたB-17の配備が前年から始まっていた。俗に「空の要塞」と言われた爆撃機の情報は、まだ開戦前なので日本にも入ってきた。当然、この爆撃機を撃退することが、日本の戦闘機にとっての目標の一つになった。特に爆撃機を迎撃することを任務とする局地戦闘機にとっては、10,000mの高高度を飛来する大型爆撃機に対する攻撃は避けて通れなくなっていた。

 このようないきさつで、局地戦闘機に対して高高度性能の向上が強く要求されることになった。昭和16年5月から、海軍空技廠の旗振りにより、三菱と中島の発動機部門が協力して、航空機の高高度性能を改善するための研究が始まった。研究と言っても、空気の薄い高高度でエンジンの出力を増加するには過給機の性能向上が主な方法だ。中島の技術者からは、エンジン内に酸素を噴射して出力を確保する方法が提案されたが、短期間では実現困難として、重点開発項目にはならなかった。

 結局、「空の要塞」に追いつくための手段は、米国爆撃機と同一の排気タービン付きエンジンを最優先で開発することになった。

 当初は、開発でもっとも難度が高いのは排気タービン高温部の開発だと考えられていたが、試作を開始すると、タービン翼はある程度の性能を有する部品ができ上った。鋼材にニッケルとマンガンを含有させることで耐熱性を改善した耐熱鋼は、以前から日本でも開発が続けられていた。

 もともと日本の中部地方鉱山は、太古の鉄ニッケル隕石が鉱石として地上に現れたものである。そのため、隕石起源の鉄鉱石に加えてニッケルやクロム、マンガンなどのレアメタル(希少金属)も産出していた。しかし、日本の工業化が進んで消費量が増えてからは、全ての国内の金属需要をまかなえるほどの量ではなくなった。それでも、国内で希少金属を一定程度確保できれば、それだけの量は輸入を減らす効果がある。

 そのため、少量のニッケルやマンガンを含有した耐熱鋼ならば比較的制約なく生産することができた。この点では、かなり厳しくレアメタルの使用量が制約されて、広い範囲で代用鋼を使わざるを得なかったドイツよりも日本は条件が良かった。もっともそんな制約とは全く無関係で、鉄鋼ではなくニッケルをベースとした耐熱金属をタービン材として贅沢に使うことができたイギリスやアメリカに比べれば、日本も大きな格差があった。

 このような背景で、エンジンの排気ガスで駆動可能なタービンは比較的順調に試作が進んでいた。

 一方、航空機のエンジンを運転するためには、スロットル操作に対応してプロペラピッチ、気筒温度、過給圧、燃料の混合比、点火時期、潤滑油温度など、実にさまざまな項目に対して運転状態に合わせた調整が必要となる。エンジンには運転状態を監視するための各種センサーが設置されていて測定値がわかるが、それを基にして適切な制御が必要になるのだ。しかもスロットルの開度に加えて、高度、温度などの条件が変われば、エンジンの調整値も変えなければならない。

 排気タービンを稼働させようとすると、更に運転制御対象の項目が加わる。タービン入り口の排気温度、タービンの回転数、過給空気の温度、過給圧をセンサーで監視しなければならない。測定した数値に基づいて、バルブ制御で排気ガスの一部をバイパスさせたり、過給空気のラジエターの制御、過給空気を外部に逃がすなどの制御も必要になる。これらの制御が適切でなければ、過回転や加熱から極端な場合にはエンジンやタービンが損傷することになる。

 実際に、排気タービンの実験を開始してみるとこれらの運転制御がかなり煩雑で、それらを自動的に制御するには、複雑な精密機器の開発が必要なことがわかってきた。

 ほぼ同時期にエンジンの改良として進んでいたのが、エンジンへの水メタノール噴射の適用だ。水メタノール噴射は、エンジンへの混合気の温度を下げて、シリンダ内の異常燃焼を避けるために有効な手段と考えられていた。デトネーションなどの異常燃焼を抑えることができれば、過給圧を上げてエンジンの馬力を増加することできる。空技廠は複数のエンジンに対して適用可能な出力増加の手段として、水メタノール噴射の適用を考えていた。

 ……

 空技廠発動機部長の松笠部長が示したのは、2つの複雑な機構の組み立て図だった。
「これは、現状愛知時計や立川で国内生産が進められているダイムラーベンツの液冷エンジンの制御機構の図面です。もう一つはBMWの空冷エンジンが備えている『コマンドゲレート』と呼ばれている更に複雑な制御機構です。この複雑な機構のおかげで、搭乗員にとってはスロットル操作だけでエンジンの制御が可能になっています」

 機械的な制御機構に関しては専門家でない真田少将にも図面で示された歯車を組み合わせた装置は、とんでもなく複雑だということがわかった。
「確かに、これだけでもかなり複雑な機構ですね。これは、エンジン制御に特化した機械式の計算機と言っていいでしょう。我が国の精密機械分野の技術を持ってすれば、実現不可能とは言いませんが、完成までに時間を要するというのは容易に想像できます」

 少しばかりため息をつきながら松笠大佐が続ける。
「おっしゃるように、このような複雑な機構は一朝一夕には完成しません。現状で排気タービン自身の開発は進んでいますが、制御機構の設計は遅れています」

 話しながら、発動機部長は更に1枚の資料を差し出した。水メタノール噴射により、出力を増強させる計画と候補となっているエンジンの一覧表だ。
「これはもう一つの課題なのですが、海軍では、航空エンジンの出力を増加させるために水メタノール噴射の適用を予定しています。この表にあるようにいくつもの発動機に機能追加してゆく予定になっています。この機能を追加すれば、エンジンの馬力は確実に増加することがわかっています。しかし、噴射量の制御が微妙なのです。このままだと、精微な機構の実現には時間を要するので、エンジン損傷の危険性も考えて、当面の間は余裕を持たせて安全側で運転することになります。運転に余裕を持たせるということは、それだけ性能が向上しないことを意味します」

 真田少将にも、複雑なエンジン制御ができなければ運転する範囲を狭めるという理屈がよくわかった。
「正確な制御ができなければ、排気タービン制御も水メタノール噴射も制御量の誤差を考慮してあらかじめマージンを持たせることになる。マージンを大きくすれば、それだけ性能にしわ寄せがくるということですね」

 真田少将は、顔を上げて松笠大佐を正面から見た。
「エンジンの制御がかなり複雑であることは理解しました。それで、機械的な機構で実現するよりも、小型の計算機を使って柔軟な制御をやらせようという思惑なのですね?」

「その理解で間違いありません。既に魚雷や無人飛翔体を対象として計算機が航行や飛行の制御を実施しているはずです。それには発動機自身の運転制御も含まれますよね。今回のお願いでは、エンジンの制御を専門に実行する計算機の開発を依頼したい。計算機によるエンジン制御装置を開発することにより、期間を短縮すると共に精密な制御で性能も向上できると考えています。ぜひとも協力をお願いします」

「計算機がエンジンの運転を制御することはもちろん可能です。それも、プログラムさえ変更すれば、短時間で制御内容の修正も可能なので、試験機で運転しながらエンジンを仕上げることも可能でしょう。但し、我々は発動機に対しては全くの素人なので、発動機の温度や過給圧、回転数などの状態に対して、何をどのように運転制御するのかはわかりません。プログラムの開発に際して、制御内容に関しては発動機の専門家の知見が絶対に必要です。これは、ベテランの発動機技術者の知恵を計算機上で実現するための開発だと考えてください」

「そこは心得ています。我が部の有能な技術者をそちらに派遣しますよ。現状では空技廠発動機部の永野大尉と松崎大尉を考えています」

 ……

 航空技術を統括する海軍空技廠と海軍の電子技術の中心である技術研究所の協同による航空エンジンの電子制御装置の開発が決まった。

 既に、航空機に搭載した計算機は、ジャイロ照準器に内蔵させた装置が存在していた。基本的には、エンジンの状態を示す測定値に対して、実時間性の高い制御をする必要がある。

 望月少佐は、大型から小型まで各種の計算機開発のために既に首が回らなくなっていた。

 望月少佐は、呉工廠の電気部から新たに異動になった大尉に担当させることに決めた。もともと、彼には、工廠において発動機のマグネトーなどの電気系の開発経験があったからだ。加えて、規模の小さな小型計算機の開発で、しかもジャイロ照準器向けの装置という前例があることから開発規模としてもちょうどよいと考えたのだ。彼の名は穴山小介大尉と言った。

 穴山大尉は開発担当になると私尉のところに意見を聞きに来た。

「筧大尉、今回はかなりの短期開発を要求されているので、設計のやり直しになって、時間を要すれば実質的に失敗です。開発時の注意事項として気になることがあれば教えてください」

 そういわれても、私も一般的なことしか指摘できない。
「整理すると、この開発では、水メタノール噴射による出力増加と排気タービンの適用による高高度性能の2種類が存在している。当然だが、エンジン制御用の計算機は1種類に統一して設計期間を短縮する。計算機本体とは別に、2つのプログラム開発の部隊が必要だ。短期間で開発しようとすると、計算機そのものの設計と2つのプログラム開発で3つの部隊が必要になる。プログラムは大型計算機上でも検証できるので、それぞれ開発を独立させて並列に実行することは可能だろう。まあ、複数の項目に対する開発部隊が必要になるから、人数の手当ては必要だ。それと空技廠の永野大尉は私もよく知っているが、彼は頼りになるよ。発動機のことでわからないことがあれば、真っ先に相談することを推奨する」

「空技廠の技師たちも当てにしてよいと言われているので、開発人員の増強については何とか手当てします。開発部隊を3つにすれば、人員は増やす必要がありますがそれだけ開発の加速も可能でしょう。まあ計算機本体の設計は先行して終了するはずなので、それ以降は2つの開発部隊ということになりそうですね」

 もう一つ気になっていることを言っておこう。
「エンジン制御のためには、計算機の出力を機械的な動作に変換する必要がある。無人飛翔体では、電磁ソレノイドと電動機でバルブや3舵を動かした。これらの機構は、それなりの大きさになる。あらかじめ検討しておかないと、後でエンジンルームに入らなくなるぞ。しかも駆動機構の設計は我々の専門外だ。電動機や機械技術者の応援が必要だ」

 ……

 エンジンの電子制御装置の開発を本格的に開始したのは、昭和16年(1941年)10月だった。我々の助言もあって、穴山大尉は制御プログラム開発部隊を、計算本体(計算機ハード)と水メタノール噴射プログラムと排気タービン制御プログラムの3つに分けた。

 当然ながら、エンジン自身の課題はいろいろ発生したが、計算機の試作は順調に進んだ。むしろ、低電圧の電子機器としてマグネトーによる高圧点火系統の影響を避けるためのシーリングや温度上昇への対処などエンジン周囲の環境への対処に時間を要した。

 性能向上する航空エンジンは、三菱のMK6が優先された。局地戦闘機と艦戦の双方で使われることが確実なMK6の出力向上は、海軍にとって喫緊の要求だった。

 空技廠は開発期間を短縮するために、保有していた各種の機体を実験機に改修した。当初はエンジンや計算機の技術者が同乗できる一式陸攻により飛行試験を実施していた。しかし、やがて雷電と十五試艦戦(烈風)も試験機に追加された。急上昇や急降下による気圧の変化に対する試験や耐G性能の確認には、どうしても機動性の高い戦闘機による試験が必要になるとの判断の結果だ。

 水メタノール噴射機能追加の開発対象となっていた新星エンジンは、出力が増加すると共に、今まで操縦員が手動操作で対応していた発動機の温度や過給圧、燃料混合比の調整が計算機により自動化されていた。そのおかげで、操縦員は基本的にスロットルの操作だけで戦闘に集中できると、かなり好評だった。しかし、実態は、「コマンドゲレート」を採用したFw190と同程度のエンジン制御の自動化が実現できたということだ。

 出力増加型のエンジンはMK6Bとして、昭和17年(1942年)1月には、海軍の審査が始まった。4カ月後には耐久性審査も完了して、新星22型として制式化された。

 新星22型(MK6B、ハ-41-22) 昭和17年(1942年)5月
 ・空冷18気筒、気筒径:140mm、気筒行程:130mm
 ・気筒容積:36.0L、重量:720kg
 ・発動機直径:1,120mm、全長:1,620mm
 ・過給器:1段2速、1速高度:2,600m、2速高度:6,500m
 ・燃料噴射と水メタノール噴射適用
 ・離昇出力:1,880hp、回転数:2,850rpm、ブースト:+350mmHg
 ・公称:1,800hp(2,600m)、回転数:公称2,850rpm
 ・公称:1,580hp(6,500m)、回転数:公称2,850rpm

 2カ月ほど遅れて、昭和17年(1942年)3月からは、排気タービン過給機を装備したMK6エンジンの試験が本格化した。タービン翼と過給機については空技廠で基本部の試作を繰り返してきたので、実質的にはそれをエンジンに組み込む作業となった。もともと発動機部の種子島中佐と永野大尉はタービンロケットの研究を続けていたが、排気タービンとそれを駆動源にする過給器も開発対象としていた。高温のガスを受けて回転するタービンも空気の圧力を上げる圧縮翼も継続的に研究していたのだ。

 永野大尉と穴山大尉は、排気タービン付き新星エンジンを搭載した一式陸攻に搭乗していた。
「今回のプログラムは、安定しているな。計算機はプログラムを更新する度に改善されてくる。こんなことは機械式の制御器では全く不可能だ」
 試験機が高度や速度を変えても、タービンの入り口温度や過給圧は指定された範囲内を維持している。計算機が排気管のバイパスバルブを開閉してガスの量を調整している。同様に過給した空気のインタークーラーの扉の開閉による温度調整と過給圧を調整するバルブも操作していた。

 一方、エンジン本体に対しても、スロットルの操作に応じて、計算機が燃料流量と混合比、点火時期、吸入圧などの調整をしていた。水メタノール噴射を実行した時には、その液体の噴射量の調整が加わる。

 穴山大尉は自分の仕事の結果がやっと見えてきてほっとしていた。
「ええ、何度もプログラムを変更してきましたが、安定性についてはほぼ問題なくなっていますね。これからは、安定性を損なわないようにして、出力をもっと増やす必要があると考えています」

「そうだな。高度を上げていった時のエンジン出力はまだ向上させられると思う。排気タービンという余分な機器を追加したのだから、それに見合う水準まで性能を向上して欲しいとの要求が当然のように出てくるだろう。この変更を折り込んでも、今までの経験からそれ程時間はかからないと思うぞ」

 永野大尉の想定通り、それ程時間をかけなくても、エンジンは目標の出力に達した。それ以降は順調に試験が消化された。9月には排気タービン付きのエンジンとして制式化された。

 新星32型(MK6C、ハ-41-32ル) 昭和17年(1942年)9月
 ・空冷18気筒、気筒径:140mm、気筒行程:130mm
 ・気筒容積:36.0L、重量:850kg
 ・発動機直径:1,120mm、全長:1,780mm
 ・過給器:2段2速(排気タービン駆動)、1速高度:4,500m、2速高度:9,000m
 ・水メタノール噴射併用
 ・離昇出力:1,900hp、回転数:2,850rpm、ブースト:+400mmHg
 ・公称:1,650hp(4,500m)、回転数:公称2,850rpm
 ・公称:1,550hp(9,000m)、回転数:公称2,800rpm

 ……

 もちろん、中島飛行機も三菱の18気筒エンジンの性能が向上してゆくのを黙って見ていたわけではない。三菱のMK6に相当するエンジンとして、中島は2,000馬力級を目指して栄のシリンダを18気筒化していた。当然のように、このエンジンが排気タービンや水メタノール噴射による性能向上を目指す候補になった。
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