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第14章 外伝
14.3章 新型戦闘機1
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電子制御と水メタノール噴射の実用化で性能が向上した新星エンジンの審査が進むと、空技廠の陸攻に搭載して飛行試験が開始された。一通り、飛行しても問題ないことが実証できると、エンジンの審査と並行して実戦に使用している機体に搭載して性能向上の程度を確認することになった。
もともと電子制御を付加する以前の新星を搭載していた烈風は、わずかに改修するだけでMK6B(新星22型)を搭載可能だった。三菱の技術部隊は、操縦席下方の胴体燃料タンクを改修して、燃料タンクの容量を若干減らして後方に水メタノール用タンクを追加した。発動機にはほとんど変更がないため、防火壁から前方の機首は配管や補器類の変更をしたが、機首の外見上の大きな変化はない。
計算機制御により、安定して水メタノール噴射が可能になった新型のMK6Bによる試験を開始すると、すぐに1,880馬力への出力増加の効果を実感できた。まだ軽荷重状態での簡易計測ではあるが、試験機は高度6,000mで360ノット(667km/h)の速度を発揮したのだ。しかも、6,000mまでの上昇時間が5分40秒を下回っていた。
海軍はこの改良型烈風の採用をすぐに決めた。エンジンの変更だけで、機体の大きな変更もしないで性能が向上するのは大きな魅力だ。烈風12型という名称まで決めて、エンジンの審査完了を待って新型への移行を計画していた。しかし、すぐにその計画を変更せざるを得ない状況になった。原因は、2,000馬力超のエンジンの登場だ。しかも中島に続いて三菱のエンジンも2,000馬力を大きく超えることが確実視できるようになった。
これらのエンジンはまだ開発途中だったが、すぐに新型エンジンを搭載するための改修の打診が行われた。設計課長に昇格した堀越技師は、技術部の本庄次長と設計変更の方針について相談していた。
「私としては、我が社のA20(海軍開発符号MK9、後のハ-43)を搭載する方向としたいと考えます。愛社精神からではなく、公平な判断として大馬力の発動機を採用することが、戦闘機としての活躍期間をより長く確保できると考えるからです。これは金星を採用できなかった零戦の発動機選択からの反省です」
堀越技師は、十二試艦戦(後の零戦)設計時に候補となった瑞星と金星のエンジン選択において、出力の小さな瑞星を選択したことを強く悔やんでいた。九六式艦戦に比べて十二試艦戦は機体が大型化していた。金星を使えば機体が更に大きくなって搭乗員から忌避されるとの思いから、外形も重量も小さい瑞星を選択してしまったのだ。瑞星はその後に中島の栄に変わったが、金星との違いについては変わらなかった。零戦のエンジン選択後のエンジンの出力増加は、排気量に余裕のある金星は1,300馬力を実用化して、燃料噴射を追加した試験機では1,500馬力を達成している。今になって考えれば、どちらが正解だったのかは明らかだ。
堀越技師はNK9(後の誉)とA20の比較でも、排気量の大きなシリンダを採用したA20が高回転、高ブースト型の中島のNK9よりも発展の余地が大きいと判断していた。
「エンジンの出力を考えれば、A20が優れるが、直径も重量も大きいこのエンジンを搭載するとなると機体の改修範囲が拡大するぞ。それは大丈夫なのか?」
「どちらのエンジンでも、2,000馬力を超えるエンジンを搭載すれば主翼や胴体の補強が必要になります。たしかに機首の変更は直径の一回り大きなA20の方が変更範囲が広いのですが、差分は45mmです。この程度であれば、大きな差はないはずです」
「君の要求には、私も賛成する。しかし、海軍はどう考えるだろうか。空技廠は、中島のエンジンにかなりご執心のようだからな。最終的にA20に決めるとしても、双方の評価が必要かも知れないな」
結局、烈風の改修案としては、中島と三菱の双方の2,000馬力級エンジンを試験機に搭載することを提案した。空技廠も2種類のエンジン比較が可能なこの案にはすぐに同意した。
NK9とA20への搭載作業が始まった。実際にはやや直径の大きなA20に合わせて設計をしておき、大は小も兼ねるという考え方でNK9も搭載するという変更になった。カウリングをはじめとして、機首の形状が変更された。重心や補器類の変化を吸収するために発動架と防火壁の位置も変更された。しかも主翼や胴体も速度増加に対応できるように補強が実施されて、機体の重量が増加した。
カウリングについては、A20を搭載する場合にはやや開口部の径を大きくする必要があった。しかし、エンジンを強制冷却ファン付きとしたために、カウリング前端を絞り込んで空気抵抗を減少させることが可能になった。
飛行試験を開始すると、この試験機の最大速度は375ノット(694km/h)を上回ることが確実になった。当然のように出力の大きな三菱のエンジンは、7ノット程度優速となった。大きな差異ではなかったが、空技廠も三菱の意向も勘案して烈風のエンジンとしてA20を搭載することを決めた。陸海軍統一番号が採用されていなければ、今までの三菱の命名法に従って、木星あるいは土星と名付けられたであろうこのエンジンは堀越技師の見解通り、これ以降も出力が増加してゆくことになる。
……
中島や三菱の2,000馬力超のエンジンを搭載するために、三菱で烈風の設計変更が行われている頃、我々のところに新たな計算機の開発要求がもたらされた。開発の目的を説明するために、空技廠飛行機部の山名少佐が望月少佐のところにやってきた。
「計算機の制御により、フラップの上げ下げを自動的に行いたいのです。機体の速度や仰角、旋回によるGに応じて揚力と抗力の比が最善になるようにフラップを制御できれば、空戦時の旋回性能を大きく改善できます。空戦中も計算機が自動的に制御すれば、操縦員は空戦に集中できます」
機体の翼面荷重が増加すると旋回性能はどうしても悪化する。それを改善するために考案されたのが空戦フラップだ。速度が要求されるときには翼内に引き込んでおいて、旋回時に揚力が必要になるとフラップを引き出して急旋回を可能とする。従来は操縦員がボタン操作によりフラップの位置と上げ下げを制御してきた。しかし、極めて忙しい空戦中に操縦員が細かくフラップを制御するのは不可能だ。とんでもないベテラン搭乗員を除いて、事実上半固定のような使い方しかできなかった。それを計算機に実行させようという構想だ。
計算機の開発担当は、エンジンの電子制御に続いて穴山大尉が指名された。彼が検討を開始すると、制御に必要となる航空機の速度や仰角、ジャイロが計測する機体にかかるGなどの情報が既に入力されている計算機が存在していることに気がついた。ジャイロ照準器を制御する計算機は機体の運動状態を示す測定器からのデータを得て機銃の弾道計算をしていた。
穴山大尉は、より性能の高い計算機に交換して、照準器制御だけでなくファウラー型フラップをも制御させることを考えた。実時間制御すべき対象が増えるので、ある程度計算機の性能を高めなければ、即時の応答性が悪化する。逆にある程度以上の演算性能を有するならば、計算機への機能追加は可能だ。
プログラムを追加した計算機が速度や仰角、Gに応じて空気抵抗が増加しない範囲で主翼の揚力を増すように、自動的にフラップを後方に張り出して、更に下げ角を最適な角度に変化させた。これにより、急旋回でも失速を防止して、旋回半径を小さくできる理想的な空戦フラップが完成した。自動空戦フラップは、揚力係数を縦軸に抗力係数を横軸にとったグラフにおいて、フラップの張り出し量と下げ角に応じた複数の曲線群の最も揚抗比の高い部分を結んだ包絡線を利用するように、計算機が制御する。このため、別名として包絡線フラップとも呼ばれることになった。
量産に関しては、昭和17年(1942年)10月から、40機の新星搭載型の烈風12型が生産された。2カ月後には、烈風23型としてハ-43を搭載した機体の生産が始まった。この決定は海軍にとっては痛しかゆしだった。中島の誉は、他の機種でも多く使用される見込みとなっており、18気筒エンジンの生産が三菱と中島の双方の工場に分散されるのは多量生産の観点からは都合がよい。しかし、誉を予定する艦攻や艦爆と戦闘機のエンジンの統一の観点からは、エンジンの種類が増えることは、整備の統一や予備部品の取り揃えからは完全に望ましくない。もちろん、海軍としては三菱と中島双方にバランスよく発注できることは国策として産業を育成してゆく方針からは望ましいことだ。
俗称では烈風改とも呼ばれるこの機体は、既に全備重量で4トンを超えていた。一方、翼面積は零戦の22.5㎡をわずかに上回る25.5㎡のままなので、翼面荷重は零戦の107kg/㎡から167kg/㎡へと増加しており、戦闘機の性格も重戦的な機体へと変化していた。
エンジン出力増加の効果で、上昇性能や加速力を決める馬力荷重については、零戦の2.56kg/hpから烈風改は1.85kg/hpへと大きく改善された。これにより低高度では、1,300m/minという驚異的な上昇率を発揮できた。零戦は850から900m/minだったので、これから格段に向上している。米海軍のF4Uコルセアであっても馬力荷重は2.4kg/hp程度なので、毎分1,000mを超えるような上昇はとても無理だ。
戦闘法の変化については、堀越技師の発言が端的に表現している。
「零戦は低翼面荷重とエンジンの1,000馬力出力を生かして、相手が失速して追随できないような急角度上昇による垂直面での空戦を行った。一方、烈風は、低馬力荷重による余剰推力による高速上昇により相手を突き離す機動が可能だ。加速しながら上昇して距離をとった後は、空戦フラップを生かして急旋回すれば、烈風改はすぐに相手の後方につけることができる。大幅に性能が改善された烈風改は戦争が始まって登場した2,000馬力級の米戦闘機に対しても圧倒的に有利に戦えるはずだ」
この機体に対して、米軍はF8FベアキャットやP-51マスタングの開発により日本戦闘機を追いかけることになるが、これはもう少し先のことだ。
烈風12型(A7M2) 昭和17年(1942年)10月
・全幅:12.4m
・全長:9.6m
・全高:4.1m
・翼面積:25.5㎡
・自重:2,660 kg
・正規全備重量:3,960kg
・発動機:新星22型、離昇1,880hp(1段2速過給機、水メタノール噴射)
・プロペラ:3.30m 4翅プロペラ
・最高速度:362ノット(670km/h) 6,500mにて
・上昇力:6,000mまで5分36秒
・武装:翼内:20mm機銃4挺(携行弾数各250発)
・爆装:6番(60kg)×2または25番(250kg)×2、または両翼下に増槽
烈風23型(A7M3、通称烈風改) 昭和17年(1942年)12月
・全幅:12.4m
・全長:9.75m
・全高:4.1m
・翼面積:25.5㎡
・自重:2.980 kg
・正規全備重量:4,250kg
・発動機:ハ-43-12型、離昇2,300hp(1段2速過給機、強制冷却ファン)
・プロペラ:3.40m 4翅プロペラ
・最高速度:379ノット(702km/h) 6,500mにて
・上昇力:6,000mまで4分56秒
・武装:翼内:20mm機銃4挺(携行弾数各300発)
・爆装:50番(500kg)×1または、25番(250kg)×2
もともと電子制御を付加する以前の新星を搭載していた烈風は、わずかに改修するだけでMK6B(新星22型)を搭載可能だった。三菱の技術部隊は、操縦席下方の胴体燃料タンクを改修して、燃料タンクの容量を若干減らして後方に水メタノール用タンクを追加した。発動機にはほとんど変更がないため、防火壁から前方の機首は配管や補器類の変更をしたが、機首の外見上の大きな変化はない。
計算機制御により、安定して水メタノール噴射が可能になった新型のMK6Bによる試験を開始すると、すぐに1,880馬力への出力増加の効果を実感できた。まだ軽荷重状態での簡易計測ではあるが、試験機は高度6,000mで360ノット(667km/h)の速度を発揮したのだ。しかも、6,000mまでの上昇時間が5分40秒を下回っていた。
海軍はこの改良型烈風の採用をすぐに決めた。エンジンの変更だけで、機体の大きな変更もしないで性能が向上するのは大きな魅力だ。烈風12型という名称まで決めて、エンジンの審査完了を待って新型への移行を計画していた。しかし、すぐにその計画を変更せざるを得ない状況になった。原因は、2,000馬力超のエンジンの登場だ。しかも中島に続いて三菱のエンジンも2,000馬力を大きく超えることが確実視できるようになった。
これらのエンジンはまだ開発途中だったが、すぐに新型エンジンを搭載するための改修の打診が行われた。設計課長に昇格した堀越技師は、技術部の本庄次長と設計変更の方針について相談していた。
「私としては、我が社のA20(海軍開発符号MK9、後のハ-43)を搭載する方向としたいと考えます。愛社精神からではなく、公平な判断として大馬力の発動機を採用することが、戦闘機としての活躍期間をより長く確保できると考えるからです。これは金星を採用できなかった零戦の発動機選択からの反省です」
堀越技師は、十二試艦戦(後の零戦)設計時に候補となった瑞星と金星のエンジン選択において、出力の小さな瑞星を選択したことを強く悔やんでいた。九六式艦戦に比べて十二試艦戦は機体が大型化していた。金星を使えば機体が更に大きくなって搭乗員から忌避されるとの思いから、外形も重量も小さい瑞星を選択してしまったのだ。瑞星はその後に中島の栄に変わったが、金星との違いについては変わらなかった。零戦のエンジン選択後のエンジンの出力増加は、排気量に余裕のある金星は1,300馬力を実用化して、燃料噴射を追加した試験機では1,500馬力を達成している。今になって考えれば、どちらが正解だったのかは明らかだ。
堀越技師はNK9(後の誉)とA20の比較でも、排気量の大きなシリンダを採用したA20が高回転、高ブースト型の中島のNK9よりも発展の余地が大きいと判断していた。
「エンジンの出力を考えれば、A20が優れるが、直径も重量も大きいこのエンジンを搭載するとなると機体の改修範囲が拡大するぞ。それは大丈夫なのか?」
「どちらのエンジンでも、2,000馬力を超えるエンジンを搭載すれば主翼や胴体の補強が必要になります。たしかに機首の変更は直径の一回り大きなA20の方が変更範囲が広いのですが、差分は45mmです。この程度であれば、大きな差はないはずです」
「君の要求には、私も賛成する。しかし、海軍はどう考えるだろうか。空技廠は、中島のエンジンにかなりご執心のようだからな。最終的にA20に決めるとしても、双方の評価が必要かも知れないな」
結局、烈風の改修案としては、中島と三菱の双方の2,000馬力級エンジンを試験機に搭載することを提案した。空技廠も2種類のエンジン比較が可能なこの案にはすぐに同意した。
NK9とA20への搭載作業が始まった。実際にはやや直径の大きなA20に合わせて設計をしておき、大は小も兼ねるという考え方でNK9も搭載するという変更になった。カウリングをはじめとして、機首の形状が変更された。重心や補器類の変化を吸収するために発動架と防火壁の位置も変更された。しかも主翼や胴体も速度増加に対応できるように補強が実施されて、機体の重量が増加した。
カウリングについては、A20を搭載する場合にはやや開口部の径を大きくする必要があった。しかし、エンジンを強制冷却ファン付きとしたために、カウリング前端を絞り込んで空気抵抗を減少させることが可能になった。
飛行試験を開始すると、この試験機の最大速度は375ノット(694km/h)を上回ることが確実になった。当然のように出力の大きな三菱のエンジンは、7ノット程度優速となった。大きな差異ではなかったが、空技廠も三菱の意向も勘案して烈風のエンジンとしてA20を搭載することを決めた。陸海軍統一番号が採用されていなければ、今までの三菱の命名法に従って、木星あるいは土星と名付けられたであろうこのエンジンは堀越技師の見解通り、これ以降も出力が増加してゆくことになる。
……
中島や三菱の2,000馬力超のエンジンを搭載するために、三菱で烈風の設計変更が行われている頃、我々のところに新たな計算機の開発要求がもたらされた。開発の目的を説明するために、空技廠飛行機部の山名少佐が望月少佐のところにやってきた。
「計算機の制御により、フラップの上げ下げを自動的に行いたいのです。機体の速度や仰角、旋回によるGに応じて揚力と抗力の比が最善になるようにフラップを制御できれば、空戦時の旋回性能を大きく改善できます。空戦中も計算機が自動的に制御すれば、操縦員は空戦に集中できます」
機体の翼面荷重が増加すると旋回性能はどうしても悪化する。それを改善するために考案されたのが空戦フラップだ。速度が要求されるときには翼内に引き込んでおいて、旋回時に揚力が必要になるとフラップを引き出して急旋回を可能とする。従来は操縦員がボタン操作によりフラップの位置と上げ下げを制御してきた。しかし、極めて忙しい空戦中に操縦員が細かくフラップを制御するのは不可能だ。とんでもないベテラン搭乗員を除いて、事実上半固定のような使い方しかできなかった。それを計算機に実行させようという構想だ。
計算機の開発担当は、エンジンの電子制御に続いて穴山大尉が指名された。彼が検討を開始すると、制御に必要となる航空機の速度や仰角、ジャイロが計測する機体にかかるGなどの情報が既に入力されている計算機が存在していることに気がついた。ジャイロ照準器を制御する計算機は機体の運動状態を示す測定器からのデータを得て機銃の弾道計算をしていた。
穴山大尉は、より性能の高い計算機に交換して、照準器制御だけでなくファウラー型フラップをも制御させることを考えた。実時間制御すべき対象が増えるので、ある程度計算機の性能を高めなければ、即時の応答性が悪化する。逆にある程度以上の演算性能を有するならば、計算機への機能追加は可能だ。
プログラムを追加した計算機が速度や仰角、Gに応じて空気抵抗が増加しない範囲で主翼の揚力を増すように、自動的にフラップを後方に張り出して、更に下げ角を最適な角度に変化させた。これにより、急旋回でも失速を防止して、旋回半径を小さくできる理想的な空戦フラップが完成した。自動空戦フラップは、揚力係数を縦軸に抗力係数を横軸にとったグラフにおいて、フラップの張り出し量と下げ角に応じた複数の曲線群の最も揚抗比の高い部分を結んだ包絡線を利用するように、計算機が制御する。このため、別名として包絡線フラップとも呼ばれることになった。
量産に関しては、昭和17年(1942年)10月から、40機の新星搭載型の烈風12型が生産された。2カ月後には、烈風23型としてハ-43を搭載した機体の生産が始まった。この決定は海軍にとっては痛しかゆしだった。中島の誉は、他の機種でも多く使用される見込みとなっており、18気筒エンジンの生産が三菱と中島の双方の工場に分散されるのは多量生産の観点からは都合がよい。しかし、誉を予定する艦攻や艦爆と戦闘機のエンジンの統一の観点からは、エンジンの種類が増えることは、整備の統一や予備部品の取り揃えからは完全に望ましくない。もちろん、海軍としては三菱と中島双方にバランスよく発注できることは国策として産業を育成してゆく方針からは望ましいことだ。
俗称では烈風改とも呼ばれるこの機体は、既に全備重量で4トンを超えていた。一方、翼面積は零戦の22.5㎡をわずかに上回る25.5㎡のままなので、翼面荷重は零戦の107kg/㎡から167kg/㎡へと増加しており、戦闘機の性格も重戦的な機体へと変化していた。
エンジン出力増加の効果で、上昇性能や加速力を決める馬力荷重については、零戦の2.56kg/hpから烈風改は1.85kg/hpへと大きく改善された。これにより低高度では、1,300m/minという驚異的な上昇率を発揮できた。零戦は850から900m/minだったので、これから格段に向上している。米海軍のF4Uコルセアであっても馬力荷重は2.4kg/hp程度なので、毎分1,000mを超えるような上昇はとても無理だ。
戦闘法の変化については、堀越技師の発言が端的に表現している。
「零戦は低翼面荷重とエンジンの1,000馬力出力を生かして、相手が失速して追随できないような急角度上昇による垂直面での空戦を行った。一方、烈風は、低馬力荷重による余剰推力による高速上昇により相手を突き離す機動が可能だ。加速しながら上昇して距離をとった後は、空戦フラップを生かして急旋回すれば、烈風改はすぐに相手の後方につけることができる。大幅に性能が改善された烈風改は戦争が始まって登場した2,000馬力級の米戦闘機に対しても圧倒的に有利に戦えるはずだ」
この機体に対して、米軍はF8FベアキャットやP-51マスタングの開発により日本戦闘機を追いかけることになるが、これはもう少し先のことだ。
烈風12型(A7M2) 昭和17年(1942年)10月
・全幅:12.4m
・全長:9.6m
・全高:4.1m
・翼面積:25.5㎡
・自重:2,660 kg
・正規全備重量:3,960kg
・発動機:新星22型、離昇1,880hp(1段2速過給機、水メタノール噴射)
・プロペラ:3.30m 4翅プロペラ
・最高速度:362ノット(670km/h) 6,500mにて
・上昇力:6,000mまで5分36秒
・武装:翼内:20mm機銃4挺(携行弾数各250発)
・爆装:6番(60kg)×2または25番(250kg)×2、または両翼下に増槽
烈風23型(A7M3、通称烈風改) 昭和17年(1942年)12月
・全幅:12.4m
・全長:9.75m
・全高:4.1m
・翼面積:25.5㎡
・自重:2.980 kg
・正規全備重量:4,250kg
・発動機:ハ-43-12型、離昇2,300hp(1段2速過給機、強制冷却ファン)
・プロペラ:3.40m 4翅プロペラ
・最高速度:379ノット(702km/h) 6,500mにて
・上昇力:6,000mまで4分56秒
・武装:翼内:20mm機銃4挺(携行弾数各300発)
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