電子の帝国

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第16章 外伝(ドイツ開発編)

16.1章 ドイツの電子技術1

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 1939年(昭和14年)に、テレフンケン社のルンゲ博士たちはマグネトロンという超短波の発振管を日本人から手に入れることができた。ドイツで設計したウルツブルクレーダーの技術情報との交換条件として入手したマグネトロンは直ちに、テレフンケン社の研究所に運ばれた。当然ながら、テレフンケン社内では、多数の技術者が今までも高周波発振管を研究してきた。彼らは今までの研究知識を有していたので、それほど時間をかけずに日本のマグネトロンの原理と動作の分析を終えることができた。

 マグネトロン自身はアメリカやイギリスでも研究が行われていて、むしろ日本よりも研究は進んでいた。但し、当時はドイツにとっては、あと一歩で完成していない技術だった。しかし、効率よく高周波を発生させるための陽極の形状と陰極と陽極間の電子の制御法が日本からもたらされた。内部の電子の振る舞いが、理論的に解析できれば、発振周波数の変更や出力向上などの修正も可能だ。

 テレフンケン社では、陽極を花びらの形状に8分割した20cm波長を発振するマグネトロンの生産が始まった。すぐに出力や波長などの仕様を変えた管の設計が行われて、用途に応じたマグネトロンが生産されるようになった。生産工場もテレフンケンだけでなく、GEMAとシーメンス、AEGも加わってドイツでレーダーを製造していたほとんどの会社がマグネトロンを生産するようになった。

 マグネトロンの改良により、出力が大きく波長の短いマイクロ波が容易に利用できるようになると、レーダーもより遠くまで、より正確に探知が可能な性能へとどんどん進歩していった。

 レーダーのマグネトロンによる性能改善を、最も積極的に推進したのは、ドイツ空軍だった。1939年からドイツ空軍の通信部長に就任していたマルティーニ少将は、GEMA社が開発したレーダーのデモンストレーションを見学しており、詳細な動作説明も受けていた。その結果、間違いなく有用な機器として将来性に着目していた。

 マルティーニ少将は、1940年に中将に昇進してドイツ空軍の無線技術に関する最高司令官となると、レーダーを中心とする電子機器の開発に対して、資金と資材の援助を大幅に増やした。ゲーリングが新しく登場した電子機器のことをほとんど理解できなかったのと対照的だ。当然のように少将は、資金の配分でゲーリングと激しく意見が衝突することが多かったが、それに負けずに各種の電子機器の開発に関して助力を継続した。

 レーダーの開発が進んでいる頃、中将はドイツ空軍内で同様にレーダーの有効性を理解して開発を促進すべきだと主張していた参謀本部の大佐を信頼していた。参謀本部で高射砲や電子機器類を担当していたカムフーバー大佐だ。カムフーバーは1940年7月になって、少将になって夜間戦闘部隊の指揮官に任命されると、中将にあいさつにやってきた。

「今年になって、新設された夜間戦闘専門の航空軍団(第12航空軍団)の司令官に任命されました。この立場を生かして、多数のレーダーを配備した警戒システムを我が国に構築するつもりです」

「夜間爆撃機への対策となると、北方から我が国上空に侵入してくる攻撃機を漏れなく探知できなくてはならない。そのためには、特定の地域ではなく、レーダーを広く帯状に配置しなければならないぞ」

「ええ、北部ドイツからフランスにかけてレーダーの警戒網を構築するつもりです。実際に配備するレーダーは長距離で捜索するためのフライヤと正確に測位するためにウルツブルグの2種類を利用することになります」

「そうだな、電子機器の開発については私に任せてくれ。君が必要とする電子機器をすぐにも使えるように準備しておくよ」

 1941年になると、中将に昇格したカムフーバーは、自分の地位も活用して双発機による夜間戦闘機隊とヒンメルベットと呼ばれるレーダーを活用した防空網の建設を加速させた。多数のレーダーを利用したドイツの防空網の構築には、マルティーニ中将が開発を推進した性能改善版のレーダーが間に合った。

 ……

 コンラート・ツーゼ技師は、1939年(昭和14年)4月にドイツを訪問した望月少佐に、自身が開発していたZ型計算機の技術情報を提供した。Z型計算機は世界で最初のプログラマブルな計算機だった。但し、2進演算に機械式リレーのON・OFF機能を利用していたために、演算速度が著しく低速だった。そこに、ドイツの計算機技術との交換条件として、日本で発明されたパラメトロン素子とその説明書を受け取った。更に、日本で生産されているパラメトロン型計算機の技術解説書も入手できた。ツーゼ技師のZ型計算機最大の欠点を改善する手段が手にはいったのだ。

 ツーゼ技師の計算機は、そもそもドイツ空軍の資金により開発が実行されていた。従って、ツーゼ技師は、日本からの技術を全面的に採用した改良型計算機開発について空軍に打診した。ツーゼ技師の機械式接点のリレーを多用した計算機をパラメトロン型とするためには、全面的に設計をやり直す必要があった。今まで以上に資金が必要なのだ。

 この要求に対して、ドイツ航空省(RLM)の航空管理局の技術担当のヘルガー博士が面談することになった。博士も機器の設計経験があり、様々な分野の設計作業には、どんな装置でも多くの計算が必要になることをよくわかっていた。各種の演算を自動的に高速実行する装置が完成すれば、間違いなく設計作業に革命が起こると容易に想像できた。

 早速、ツーゼ技師が変更内容をヘルガー博士に説明した。
「今まで私は、電磁石で接点を機械的に開閉するリレーを使用した計算機を設計してきました。次期のZ3計算機も22桁の2進数を基にしたリレー式の計算機を開発するつもりでした。ところが、日本人が発明した革新的なパラメトロン素子の技術を手に入れました。新技術を活用すれば、1,000倍以上の速度を有する計算機が実現可能となります。今までのZ3の開発計画は全て破棄して、演算部にパラメトロン素子を利用した新たな計算機をZ4として設計したいのです」

「君が開発した計算機の性能が向上すれば、非常に多くの分野で活用できるだろうと報告を受けている。私も計算機の有用性に関しては、同じ見解を持っている。それに次期の計算機開発はRLMとして、予算も含めて決めていたことだ。今後もZ4開発の資金をドイツ空軍が提供するぞ」

「それと心苦しいのですが、パラメトロン素子の生産を企業に委託していただきたい。国内で通信機などの電子機器の生産をしている会社であれば、すぐにも製造可能だと思います。電子式の計算機を実現するためには、多数の素子が必要となります。それなりの規模の工場で、生産用の機器も含めて生産の準備をお願いします」

 ドイツ空軍からパラメトロン素子の生産を打診すると、シーメンス社がすぐに手を上げた。彼らも、電子計算機の将来性を認めて、この新規分野への参入を決断したのだ。シーメンス社がパラメトロン開発に参加すると、ツーゼ技師にも通知された。

 パラメトロン素子を研究して生産を立ち上げるのは、シーメンス社で高周波回路向けの真空管などの部品開発をしていたボリス博士の開発チームだった。彼らは、本格的にパラメトロン素子の開発に着手する前に、基本的な動作検証が必要だと考えた。そもそもパラメトロンが演算素子としてどれほどの性能を有するのか、実験回路で実際に動作させて確認しようと考えたのだ。

 ボリス博士の手元には、望月少佐から入手した資料と素子の見本品が届けられた。動作原理や構造については、電子技術の専門家である彼は、文書を一読するだけで理解できた。パラメトロンの回路構成については、特別高度な内容は含まれていなかった。強磁性体のフェライトについても、トランスや電磁石の材料として、3年ほど前からフィリップス社が生産を開始していた。

 リング状に加工したフェライトを使用して、博士の研究グループがパラメトロン素子の基本動作を確認するのには、1カ月もかからなかった。動作が確認できれば、次は高速で小型の素子の開発だ。フェライトの材質を変えて周波数特性を調べると共に、小型化についても研究を開始した。日本と同じように小さなフェライトリングを使って回路の共振周波数を増加できれば、演算部を高性化できるのは自明だからだ。

 その頃、ツーゼ技師はZ4の中核となる演算部の回路設計を行っていた。空軍は早期に計算機を完成させるために、ツーゼ技師だけでなくシーメンス社に対しても計算機開発への参加を要求した。要請に応じて、シーメンス社から電子回路の設計経験を有する技師が応援として参加することになった。

 もちろん設計に協力するのは、計算機自身の生産が始まったならば、シーメンス社が優先して受注したいとの思惑からだ。大企業が本格的に開発に参加したことと、パラメトロンの生産が早期に立ち上がったことから、Z4試作機は半年で完成した。1940年(昭和15年)8月にはドイツで最初のパラメトロン計算機が動作を開始した。試験を開始すると、すぐに従来の機械式計算機をはるかに上回る性能を実証した。

 しかもツーゼ技師は、計算機の性能向上が確実になると、計算機開発の当初から温めていたアイデアを実現することにした。彼が考えていたのは、プログラミングの高度化だった。そもそもツーゼの計算機は、個々の演算命令を組み合わせてプログラムとしていた。それをもっと人間が使う言語に近い形式に進化させたいと技師は考えていた。しかし、リレー式の計算機では、全く性能が不足していた。机上のアイデアとしてあきらめていた構想の実現性がにわかに高まったのだ。

 彼は、プランカルキュール(Plan Calculus)と名づけたプログラミング言語を机上で検討していたが、それを計算機上に実装することを決めた。このコンパイラを使用したプログラミング言語は、従来の機械語レベルのプログラムから高級言語に一歩近づいていた。ドイツでは世界初の高級言語であるプランカルキュールを利用することにより、ソフトウェアの生産性が日本よりも何倍も進歩することになった。

 ……

 1940年(昭和15年)中旬になって、ツーゼ技師の計算機が実用的に使えるレベルの性能を実証し始めると、ドイツ空軍省(RLM)のヘルガー博士は、この計算機を広く使ってもらうために開発成果を空軍の上層部に報告した。

ドイツ空軍の通信部長であるマルティーニ中将は開発報告を受けて、動作確認のために研究室を訪れた。通信部長と言っても電子技術に関してはドイツ空軍で最上位の責任者で空軍の上司はゲーリングだけという役職だ。中将は、目の前で実際に動作する計算機を見て、電子機器に対する知識と持ち前の技術的なセンスで、各種分野で革命を起こすような将来性を見抜いた。

「こんな高度な計算機が既に日本では完成して、いろいろな分野で使われているというのか? 歯車を利用した機械式の計算機は我が国でも様々な分野で使われている。それを高性能なこの計算機で置き換えることを考えただけでも、利用範囲はかなり広いぞ。しかもこれだけ高度な演算性能を有していれば、想像もできない多くの分野でも使い道があるに違いない。そして計算機を使った結果、今までできなかったことが可能になるのだ」

 マルティーニ中将は、計算機の実用的な利用分野を拡大するために布石を打った。日本での電子計算機の活用状況の調査だ。
「電子計算機の活用に関しては、我々よりも一歩も二歩も日本が進んでいるはずだ。どのような分野で日本人が使用しているのか調査を要求する」

 他の連合国とは異なり、ヨーロッパで戦争が始まっても日本国内では、ドイツ大使館は閉鎖されていなかった。日本にとっては、ドイツは交戦中の敵対国ではないからだ。すぐに、計算機活用状況の調査命令がドイツ駐日大使であるオイゲン・オットのところに届いた。日本国内では民間企業や大学でも設計や学術分野で計算機を利用していたから、それらの領域での情報は比較的簡単に集まった。

 マルティーニ中将のところに、日本での電子計算機の利用法についての情報が上がってきた。艦船や航空機などの構造強度や性能計算、それに科学分野への応用は想定範囲内だった。各種の装置設計のためにドイツでも機械式の計算機を既に活用していた分野だ。

「なるほど、我が国でも機械式計算機を活用している分野だな。特に、科学計算と設計分野にはツーゼの新型計算機を紹介することが必要だ。試行によりどこまで計算機が使えるのか見極めてから導入するという手順になるだろう」

 中将の提案により、守秘を条件に大学と民間企業から選ばれた技術者がツーゼの計算機を見学することになった。見学者の中にはメッサーシュミットやユンカース、フォッケウルフ、ダイムラー、BMWなどの航空機やエンジンの会社から派遣された技術者も含まれていた。これらの会社で積極的に計算機を導入した企業では各種機器の開発が加速することになる。
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