電子の帝国

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第17章 外伝(ドイツ本土防空編)

17.1章 ドイツ夜間防空戦1

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 カムフーバー少将は夜間戦闘師団長に任命されたために、1940年7月からはドイツ本土の夜間防空戦闘を統括する立場になった。当時の夜間防空体制は、サーチライトと夜間戦闘機、それに高射砲の組み合わせだったが、夜間爆撃に対しては必ずしも効果的ではなかった。

 少将は、まず150機以上のBf110とJu88を夜間戦闘機隊の中心戦力としてとして配備を進めた。しかし、探照灯に浮かび上がった目標を目視でとらえて攻撃する方法では、思うような効果を上げられなかった。特に雲の多い日は、探照灯の光が上空に届かず、敵機に接近することすら困難だった。当然ながら、天候に左右されて全く戦果がない日もあった。

 1941年10月になってカムフーバーが中将に昇進すると、第1夜間戦闘師団長に任命されて、戦闘機隊だけでなく、高射砲やレーダーなどの地上施設も統括することが可能になった。中将は新たな立場を利用して、以前から構想していたドイツ本土の夜間防空組織と防空システムの構築に着手した。彼は、参謀本部に勤務していた時からレーダーなどの電子機器は重要だと認識していたが、部隊配備になって改めて必要性を痛感した。夜間の防衛作戦には、目標とする敵編隊の位置を夜間戦闘機に指示するレーダーが必須だ。

 カムフーバー中将は、精力的に本土北方の防空体制の整備を始めた。作業を加速するために、中将は、部下のディール少佐とファルク少佐の二人に対して、防空システム構築の役割を与えた。ディール少佐がレーダーや対空砲などの地上設置機材を中心に担当したのに対して、飛行体の司令官を経験していたファルク少佐は夜間戦闘機や航空機に搭載する機材を分担した。

 カムフーバー中将が最初に着手したのがレーダー警戒網だ。フライヤと呼ばれる長距離捜索レーダーを北海沿岸に設置して、遠距離の警戒レーダー網の構築を目指した。更にフライヤの後方に設置したウルツブルグにより、精密測位を可能として夜間戦闘機の誘導を可能にした。長距離捜索のフライヤと測位ができるウルツブルグを組み合わせて、ヒンメルベット(天蓋付き寝台)と呼ばれる防空システムを国家規模で建設するために根回しを始めた。

 戦争が始まってから、ドイツとイギリスはドーバー海峡をはさんで激しい航空戦を繰り広げていた。このような戦闘状況で、さすがに空軍内の上層部もドイツ本土の防衛力を強化するカムフーバーの案に反対できなかった。夜間爆撃を阻止できていないのは事実だ。空軍の後ろ盾を得て、ヒンメルベットは1941年初頭から約半年間で、イギリス本土からの爆撃機を迎撃できるようにベルギーとオランダの沿岸から北部ドイツ、ユトランド半島にかけて建設が進んだ。

 レーダーと並行して整備を進めたのが、空中で目標発見を可能とする戦闘機へのレーダー搭載だ。ドイツ空軍は夜間戦闘機として使用されていたBf110とJu88へのレーダーの搭載を急ピッチで進めていった。当初、夜間戦闘機に装備されたのは、テレフンケン社製のFuG202「リヒテンシュタイン」レーダーだった。夜間に攻撃目標を探知するという目的は達成された。しかし魚の骨のようなアンテナを有するFuG202は、乗組員たちには抵抗増による速度の低下と探知距離の短さがかなり不評だった。

 1941年時点のヒンメルベットでは、1カ所のレーダー局で目標まで誘導できるのは1機の夜間戦闘機だった。友軍機と敵機の双方をレーダーで監視しながら、会敵地点に誘導する必要があったためだ。しかも夜間戦闘機が1つの管制局の覆域から外れると、隣の誘導局への引き継ぎが不可能だった。隣の管制局が最初から彼我の位置を確認して、誘導を開始する必要があった。また、航空部隊として多数機の行動を管理することも、司令部誘導員の個人任せだった。

 ……

 カムフーバーの上司だったマルティーニ中将は、ドイツ空軍総司令部(OKL)の技術統括に任命されて、ドイツ空軍軍全体の電子機器開発を推進する立場になった。彼以上に新型レーダーや電子計算機、近接信管などの開発内容を理解している人物は、他にいなかったので、誰もが当然の配置だと考えた。

 中将は、日本からもたらされた技術開発でも小型計算機と電磁気式の近接信管を第一優先として、次にレーダーの高性能化を重視していた。ところが、日本の技術情報を聞いたヒトラーは、中将とは全く別の発想をした。日本人が開発した「オモイカネ」という、大型の計算機が軍で使われていることを聞いて、それを上回る世界最大の計算機を実現せよと命じてきたのだ。

 ツーゼ技師の開発した計算機は、ドイツ国内でもいくつもの分野で使われていたが、ヒトラーはこの程度の説明を聞いても全く満足しなかった。彼が夢想したのは、1つのビルを丸ごと計算機にしたような巨大なシステムだった。ヒトラーはその計算機で、国家規模の戦略や大規模な軍の作戦を計算させることを考えていた。誰かが、日本軍では計算機を使って、軍事作戦の立案や評価に利用していると入れ知恵したらしい。

 結局、マルティーニ中将は段階的に大規模化してゆくという開発手法で、やがては超大型計算機を実現するという説明でヒトラーを納得させた。それでも、自分で説明した手前、ヒトラーが夢想したような超々大型機ではないが、軍事作戦の立案に使える程度の大型計算機の開発は進めなければならなかった。実は、中将も軍の作戦に使える大規模演算を実行する計算機の必要性は感じていたのだ。後になって、広い部屋いっぱいに設置されたツーゼの計算機の数十倍の性能を有する超大型計算機が力業で完成した。これにより、暗号処理や設計計算に用いられていた従来の計算機は中型機として扱われるようになった。

 ……

 カムフーバー中将とディール少佐は、空軍総司令部が開発した計算機の情報を空軍経由で入手していた。その結果、司令部で航空部隊を指揮するための大型機と、各地のレーダー基地に配備が可能な小型の計算機の2種類が必要だと判断した。

 レーダーにより戦闘機を誘導する基地局に配備する計算機は、小型と言っても魚雷が内蔵しているような超小型機ではない。車載が可能な程度の大きさの計算機だ。マルティーニ中将の決定により、1941年末になって大型機と小型の2種類が完成していた。小型の計算機は、サイズを縮小しても以前のツーゼの計算機の数倍の性能を確保できていた。しかも小さくなったおかげで、ウルツブルグ以上に数をそろえることが可能になった。

 配下の夜間航空団を指揮するための第12航空軍団の司令部は、ドイツ西部の都市であるデュッセルドルフに建設された。麾下の夜間戦闘部隊を指揮するために完成したばかりの大型計算機を司令部設備の一つとして設置することに決めた。配下の航空師団の状況を把握して、戦闘隊や高射砲部隊を指揮するためだ。ドイツでは空軍が高射砲部隊を保有している。

 師団司令部は、通称オペラハウスと呼ばれる半地下式の巨大なコンクリート製の建築物だった。厚さ4m以上の頑丈な天井を有する立方体の建物は、地上より上階は勤務する人員の衣食住の空間とされた。その下の巨大な地下空間に司令部設備が設置された。最も大きな部屋には壁一面に巨大なスクリーンが設置されて、防空用の地図が映し出された。スクリーンの反対側は、大きなひな壇状の作りになっていて、各段に多数のオペレータが座っていた。彼らはレーダーや前線部隊から得た情報を基にして、敵機や友軍機、付随する情報を示す図形や数字を複数の投影機から壁面の地図に向けて映し出した。

 大型スクリーンの横の壁面にも小型のスクリーンが設置されて、こちらには友軍の戦闘機隊や高射砲部隊の状況が表示されていた。

 壁面の地図とひな壇の間が、司令部要員とスタッフが映し出された戦域情報を基に指揮をする空間となっていた。なおスクリーンの左右の部屋は、片方が計算機や通信機材を収納した機器室となっていた。他方は、各地との連絡を行う通信要員の連絡室となっていた。

 地上局の計算機数が増えると、それらを相互に通信回線でつないで、レーダーで探知した友軍や敵機の位置や基地局が管理している情報を計算機間で交換可能とした。もちろん、ウルツブルグ局からの全ての情報はオペラハウスの計算機に集められて、スクリーンに表示された。

 電子計算機を相互に接続したシステムが稼働すると、1カ所の局で複数の戦闘機の誘導が可能になった。しかも特定の局のウルツブルグのカバー範囲から戦闘機が出てしまっても、隣接局が引き継いで戦闘機の誘導が可能となった。

 ……

 ヒンメルベットのレーダーと計算機の次にディール少佐が力を入れたのが、重要施設や都市周辺への高射砲の設置だ。初期には数をそろえるために、88mm高射砲を中心として整備を進めていた。しかし、イギリス軍機の攻撃が始まると、実際の戦闘結果が得られるようになった。実戦で使ってみると高高度を飛行する爆撃機に対しては、88mm高射砲の射程では不足しることが明らかになった。88mmでは、せいぜい6,000mから8,000mの高度が実用上の限界だった。より威力が高く射程の長い10.5cm高射砲と12.8cmに切り替えることになった。

 基地や地域防衛の高射砲は、数門を戦術単位として、各砲をケーブルで射撃指揮装置に接続した。射撃指揮装置は、目標を測位して未来位置計算により射撃諸元を求めて、各高射砲に伝達した。戦術単位としてまとめられた砲は、同一目標を狙うことにより命中率が高まるはずだった。

 1941年末になって、高射砲の射撃指揮装置には、より正確な測位を可能とするために、センチ波を利用したレーダーが追加された。ウルツブルグは順次精度が改善されていたので、高射砲の射撃諸元を求めるために利用できた。

 更に、射撃指揮装置に弾道計算用の電子計算機が追加された。今までは機械式の射撃算定具が目標の方位、距離などから仰角や方位角、信管調停時間を計算していたが、それが計算機に置き換わった。レーダーが探知した目標の位置と速度から計算機が精密な射撃諸元を計算するようになって、射撃精度は劇的に改善された。

 1941年末になると、捜索レーダーとして海岸に設置されたフライヤに代わって、探知性能が向上したヤークト・シュロスとヴァッサーマン、マムートという3種類の捜索レーダーが完成した。いずれも電波出力を増加して、波長も変えて探知距離が向上していた。上空の編隊に対して、約250kmの探知距離を有するFuMo51マムートが最も性能が優れていたが、フライヤから早期に更改するために3種類のレーダーが全て使用されることになった。ディール少佐はあまり意識していなかったが、波長が大きく異なる3種類のレーダーを併用するのは、電波妨害の観点からは、耐力が向上したことになる。

 ヒンメルベット局で戦闘機の誘導に使用するレーダーも出力を増して、探知範囲を拡大したウルツブルグの改良型が利用可能になっていた。アンテナを大きくして出力を増加しただけでなく、状況に応じて波長の変更が可能となっていた。

 しかも、マルティーニ中将が極めて重要な開発案件として、資金と技術者を重点的に投入していた近接信管がやっとのことで完成した。電磁誘導を利用していた近接信管の生産が1942年初旬から立ち上がった。日本で試作されていた電磁気信管の回路を参考にして、ドイツが開発した近接信管が遂に完成したのだ。近接信管は、ドイツらしく高精度の機械加工により、日本製の信管よりも不発となる不良率は小さくなっていた。近接信管を備えた砲弾が前線部隊に順次行き渡ると、レーダーと計算機を使用した射撃照準器と合わせて、高射砲部隊の能力は飛躍的に向上することになった。

 ……

 一方、ファルク少佐は、空軍向けにレーダーを開発していたテレフンケン社から空飛ぶレーダーサイトの構想を聞いていた。大出力のレーダーを高高度に持ち上げればその分だけ、地球の曲率の影響が緩和される。遠距離での探知が可能となったおかげで、イギリス本土上空の航空機も探知可能となるはずだ。地上設置のレーダーよりもはるかに柔軟な活用ができると技術者から説明を受けたのだ。加えて、レーダー局自身が戦闘状況に応じて自由に移動できるという大きな利点もある。

 その結果、少佐が一刻も早く実現すべきだと注力していたのが、大型機に捜索レーダーと測位レーダーの2種類を搭載した早期警戒機だった。Fw200の背中に魚の背びれを巨大化したような大型のフェアリングを追加した。フェアリング内部には、長距離捜索のためのアンテナとマイクロ波用の楕円型アンテナを内蔵していた。もちろんレーダーの送受信機はFw200の胴体内に格納している。

 警戒機の機能としては、遠距離での目標探知だけでなく、ヒンメルベットの地上局と同様に計算機と他局との通信機も搭載して、機上から戦闘機の指揮と誘導が可能となっていた。そのために、8人の誘導員が戦闘機隊に指示を与えるために搭乗していた。レーダーの表示管と計算機の答えを示すブラウン管も誘導員の数に合わせて搭載された。

 この警戒機は、実戦配備されていたFw200の胴体を強化してレーダーを搭載することにより数をそろえることになった。既に前年から、フォッケウルフ以外にアラドとドルニエが生産に加わることで、Fw200の新造機は急速に増え始めていた。レーダー搭載機は通常型として完成していた機体を利用して、改修を進めることにより、短時間で前線に配備できた。

 なお、Fw200警戒機は、特殊目的の機体の運用を任務としていたⅡ./KG200(第200爆撃航空団)所属とされた。電子警戒機は、ドイツ本土の防空戦闘だけでなく、東部戦線や北アフリカなどの各地で、敵機の発見とドイツ空軍機の誘導により、威力を発揮することになる。

 更に夜間戦闘機に搭載していたレーダーも高性能版への置き換えが始まった。従来のリヒテンシュタインを改善するために採用したのが、FuG240ベルリンだった。10cm波長のマグネトロンを利用して、70cmのパラボラ型アンテナを備えたレーダーは、流線型の機首内に収まった。パイロットが最も嫌っていたFuG202リヒテンシュタインのアンテナによる速度低下が解消された。新型レーダーは、電波出力を増加させて、コニカルスキャンを採用していた。しかも、アンテナ自身を首振り可能として、扇型の前方探知範囲を拡大していた。これにより、探知距離と範囲、方位の分解能がかなり改善しており、夜間戦闘での有効性は大幅に高まった。

 ……

 1942年2月になって、イギリス空軍ではアーサー・ハリス中将が、爆撃軍団司令官に任命された。彼は、もともと大規模編隊による都市を壊滅させる無差別爆撃こそ勝利につながる近道であると主張していた。

 ハリス中将は、ボンバー・ストリーム戦術と名付けて、多数の爆撃機を一気に目標上空に送り込むことにより、ドイツ軍の防衛線の迎撃能力を飽和させて、爆撃機の損害を減らすと共に短時間で目標を破壊する作戦が必要だと考えていた。ドイツ上空の昼間爆撃では、イギリス空軍は散々痛い目にあっていたから、このような大規模爆撃を実行するならば、必然的に夜間爆撃でなければならない。幸いにも、イギリス空軍には、夜間攻撃可能な爆撃機として、各種の双発機と四発機がそろっていた。

 彼は自分の考案した戦術に基づいて、都市を破壊する夜間爆撃作戦の準備を積極的に進めた。ハリス中将も、今までの戦闘経験から夜間爆撃には航法支援装置が必要だと考えていた。中将が要求していた航法精度を向上できる機器として「GEE」の生産が始まった。GEEは3つの地上局が発信する電波を受信して、それぞれの局からの距離を計算して測位する装置である。

 爆撃機と支援機器がそろった結果、ハリス中将は大編隊の爆撃を実行すると決断した。この都市爆撃に対する実験目標として選ばれたのが、ドイツ北側のバルト海に近いところに位置するリューベックであった。もちろん、イギリス空軍としてもいきなり遠距離爆撃を実行することの危険性を承知していたので、最初の目標にはイギリス本土から比較的近い都市が選択された。

 ……

 この頃には、カムフーバーが心血を注いで構築したヒンメルベット(米英軍はカムフーバーラインと呼ぶ)はデンマークから北ドイツを経てオランダ、ベルギー、東部フランス付近にまで張り巡らされていた。しかもレーダーの過半数は新型に更新され、ヒンメルベット局には計算機の配備が進んでいた。早期警戒型Fw200も管制して、複数機が飛行可能となっていた。

 英軍の暗号が次第に解読できるようになったおかげで、カムフーバーのところには、3月にロストック、あるいはリューベックが攻撃されるようだとの情報が入っていた。イギリス空軍の暗号文を解読した結果、目標と攻撃時期が判明したのだ。

 この時期、ドイツ軍はイギリス軍が使用していた「Typex」と呼ばれる暗号を解読できていた。

 フランスのダンケルクにイギリス軍が残していった武器や資材の中には、2台の「Typex」暗号機が含まれていたのだ。もちろん装置は破壊されていて、暗号化の鍵となるローターも廃棄されていた。しかし、ドイツ軍は今まで入手していた暗号文と電子計算機を活用して、失われていたローターの文字配列を復元できた。暗号化のキーとなっているローターの文字配列がわかれば、暗号文から元の電文への復元は可能だ。
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