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第18章 外伝(北アフリカ戦線編)
18.1章 ロンメル登場
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北アフリカの地で連合国に対して戦端を開いたイタリア軍は、イタリア領リビアからエジプトに向けて侵攻を開始したが、わずか3個師団の連合軍から反撃だけで壊滅的な被害を受けた。その後は、リビアのキレナイカまで、あっという間に押し戻されてしまった。1941年には、至りの残存部隊は、リビアのトリポリを守るのに精いっぱいの状況になってしまった。ヒトラーにとって、もともと北アフリカは重要な戦域ではなかったが、同盟国のイタリア軍がアフリカで崩壊するのを黙って見過ごすことはできなくなった。
しかも、このまま北アフリカの地からイタリアが排除されれば、地中海の南側はほぼ連合国が制圧することになる。それは、地中海を介して枢軸国の下腹部が連合国側の占領地にむき出しになることを意味する。さすがにヒトラーもそれは許容できない。
これが、ドイツ軍にとっては戦いの主正面ではない北アフリカに、兵力を派遣した理由だった。1941年2月になって、この地に降り立ったのが、エルウィン・ロンメルだった。彼はアフリカ大陸に到着すると、トリポリ港に揚陸したドイツアフリカ軍団(DAK)と現地リビアのイタリア軍を率いて3月から攻撃を開始した。
1941年5月には、ロンメルは巧みな戦術と素早い攻撃で、難攻不落と言われていたトブルクを占領した。リビアとエジプト国境となっているハルファヤ峠まで進出してきたが、ここで進軍が止まった。さすがのロンメルも、すり減ってしまった兵力と物資の補給がなければ、これ以上進撃を続けられなくなったのだ。
11月には連合軍の逆襲が始まった。補給も続かず、兵力を消耗してしまった枢軸側のアフリカ軍団は西に向かって退却するしかなくなった。トリポリから前線までの補給線も伸びきっていた枢軸軍は、1942年1月にはスルト湾に面したエル・アゲイラ付近まで後退せざるを得なかった。
……
1942年1月になってイタリアのシチリア島からの輸送船がトリポリに到着した。北アフリカの枢軸軍は戦車や火砲に加えて、燃料や弾薬、食料の補給を得ることができた。増派された兵力と物資補給により、北アフリカ軍団とイタリア軍は息を吹き返した。ロンメルは、すぐに押し戻されていたベンガジから東へと攻撃を命じた。それからわずか2週間でキレナイカを横断した枢軸軍は、ガザラ近郊まで進撃した。
北アフリカでの目覚ましい功績により、ロンメルは上級大将に昇進した。この立場を利用して、ロンメルはヒトラーに北アフリカへの物資輸送の改善を直訴した。2月になって、ヒトラーは地中海の海上輸送に対する大きな障害になっているマルタ島攻撃の増強に合意した。総統がマルタの連合軍戦力を殲滅するように命令したのだ。ヒトラーにとっては、東部のソ連との戦いと西部の連合軍爆撃機との戦いが最大の関心事だったが、将軍の中でも最もひいきにしているロンメルからの直訴をさすがにむげにはしなかった。
……
マルタ島はシチリア島の南方に浮かぶイギリス領の島だ。トリポリに物資を海上輸送しようとする枢軸側にとっては、輸送路の中央に位置するイギリス側の基地だった。枢軸軍にとっては、イタリア領土からわずか100kmしか離れていない、のど元に刺さった鋭いとげのような存在だ。これほどイタリア本土に近い島が、いまだにイギリスの支配下にあるというのは奇跡と言ってよい。イギリスにとっては、西のジブラルタル、東のアレクサンドリアの中間に位置する地中海の要衝という極めて重要な位置づけになる。イギリス本土外で最初にスピットファイアを配備したのがこの島の基地だというのもうなずける。
ロンメルはマルタの兵力を壊滅できれば、アフリカ軍団への物資補給が大きく改善すると期待していた。彼は、北アフリカの戦いが始まってからは、補給物資の約7割が英軍により沈められていると信じていた。事実はロンメルの想定ほどには大きな損失を受けたわけではなかったが、4割を超える物資が地中海に沈んでいたのは事実だった。
ドイツ空軍で、北アフリカとイタリア方面を任務とする第2航空艦隊司令官のケッセルリンク元帥は、マルタ島の航空戦力が無力化できたならば、いずれは空挺部隊の攻撃や上陸作戦により占領するつもりだった。しかし、昨年の8月から10月にかけて連合国は、大きな被害を出しながらもマルタ島への物資輸送を成功させていた。空母による航空機の搬入と船団の輸送により、マルタのイギリス軍兵力は戦闘機も含めて大幅に強化された。これにより、枢軸軍による占領はかなり遠のいていた。
ケッセルリンクは、作戦を変更して配下のドイツとイタリアの空軍兵力を用いて徹底的にマルタの航空戦力と湾内の水上兵力をたたくことにした。マルタの爆撃隊と潜水艦隊を殲滅させれば、枢軸側の輸送船の被害はかなり減少するはずだ。それだけでイタリアからトリポリへの大量の物資輸送が可能となる。
マルタ島の兵力が無力化できれば、次はマルタへの補給も阻止できる。輸送船団がバレッタに入港できなくなれば、遠からずマルタは干上がるに違いない。
ドイツとイタリアの合同軍は、前年の11月からこの島への攻撃を実施していたが、マルタの息の根を止めるには至っていない。ヒトラーからの命令を受けて、ケッセルリンク元帥の第2航空艦隊は、2月から爆撃隊の兵力を増強して本格的な攻撃を計画していた。
第2航空艦隊参謀長のザイデマン大佐が資料を持ってケッセルリンクの司令官室にやってきた。
「やはり想定通り、イギリス空軍はレーダーをうまく使っています。今まで我が軍の攻撃を効果的に妨害できたのは、常に先手を打って攻撃隊を発見できたからです。イギリス空軍は決して多くはない戦闘機をレーダーによる誘導で極めて効果的に活用しています。しかも基地の爆撃機などは、あらかじめ空中に退避させて被害を減少させています」
「レーダーさえ先につぶせば、爆撃の効果は拡大すると思えるな。レーダーだけを攻撃する部隊を先行させよう」
「それで、検討してきた作戦がこれです」
大佐はイギリス空軍が、ドイツ本土攻撃のために繰り返している攻撃法を参考にしていた。既に今までの作戦でイギリス軍のレーダーの設置位置は判明している。レーダー基地を攻撃する爆撃隊が低空飛行でマルタに向かう。
一方、ほぼ同時に戦闘機の編隊が高高度でマルタへと侵攻する。レーダーに発見されやすい高度で戦闘機隊が飛行することで、イギリス空軍の要撃機を爆撃機から引き離すのだ。
イギリス軍戦闘機が高高度へと引き寄せられた間に、爆撃隊が低空から接近して、レーダー基地を攻撃して破壊する。
マルタのレーダーが使用不可になった後は、攻撃目標を変えて、イギリス空軍の航空基地を攻撃する。レーダーの機能が復活する前に集中的に攻撃を実施してマルタの航空兵力を壊滅させる。
「いいだろう。私もレーダーを優先して破壊するという方針に賛成する」
……
ケッセルリンク元帥は本格的な攻撃を開始する前に、枢軸側のマルタ島近辺の探知手段を強化した。最初の対策として、シチリア島の南岸に捜索レーダーを設置して、マルタ付近の航空機と海上の艦艇の監視を可能とした。シチリア南岸からマルタ島までは約100kmなので、ぎりぎりレーダーの探知範囲に入っている。しかも、Fw200改造の早期警戒機を南イタリアに派遣した。
シチリア島のレーダーとFw200に搭載したレーダーを組み合わせて、西方のジブラルタルからマルタ方面に接近する連合軍の艦船や航空機を早期に発見できる態勢を構築した。同様に東方のアレクサンドリアを出港して南東から接近する航空機や艦艇も探知できるように、トリポリにもレーダー搭載のFw200を派遣した。
1942年2月になって、参謀長が提案した作戦を第2航空艦隊は発動した。ケッセルリンクは、目的を達成するために、追加でドイツ本土から爆撃隊を移動させた。
作戦が開始されると、2航艦司令部の決定に従ってマルタ島の3カ所のレーダー基地が最初の目標になった。今までの戦いで、レーダー基地の大まかな位置は把握している。3群に分かれた爆撃編隊が離陸した。海上に出ると、ぎりぎりまで飛行高度を下げてゆく。
第1教導航空団(LG1)のヘルビッヒ大尉は、9機のJu88を率いて海面上を飛行していた。彼の飛行隊のほとんどの隊員は、バトル・オブ・ブリテンから一緒に戦ってきたベテランが多い。地中海に移動してからも、既にギリシャの近海で輸送船を撃沈したのを皮切りに、クレタ島南方でイギリス駆逐艦を一気に3隻撃沈していた。輸送船も含めて10万トンを撃沈した彼の部隊は、「ヘルビッヒ飛行隊」とも呼ばれ、地中海の連合軍にも知れ渡っていた。
「戦闘開始の無線を傍受しました。上空で、先行していたFw190とイギリスの戦闘機との空戦が始まりました」
報告してきたのは、長くペアを組んできた通信士のシュルント曹長だ。
「今のところは、予定通りだな。友軍戦闘機がスピットを引き付けてくれれば、それだけ我々は攻撃を受けなくてすむ。まもなく攻撃目標が見えるはずだ。前方のアンテナに注意してくれ」
まもなく前方にマルタ島の海岸線が見えてきた。機首を東に向けて、海岸線と平行に飛行してゆく。
「14時方向、海岸からやや上がったところにアンテナが見えます。写真で見た通りの外形です」
「間違いない。我々の攻撃目標だ。計画通りの分担で攻撃する」
レーダーに接近すると、急降下爆撃のために高度をどんどん上げてゆく。幸いにも、対空砲は撃ってこない。おそらく、高射砲や対空機関銃は、基地や港の防衛に手いっぱいで、レーダー基地まで配備する余裕がないのだ。
Ju88は内翼部の4カ所の爆弾架にそれぞれ500kg爆弾(SC500)を搭載していた。4機がレーダーアンテナを取り付けた鉄骨の塔に向かって急降下してゆく。塔の直下で16発の爆弾が連続して爆発すると、鉄塔がゆっくりと倒れていった。
その間に残りの5機は、レーダーの本体を収容した建築物を探していた。すぐに、アンテナから50mほど離れたところに2ヶ所の建物を発見した。
3機のJu88が、2階建てのビルに向けて急降下爆撃を行った。2機がその近くの平屋の建物を攻撃した。多数の500kg爆弾が、2つの小さな建築物を跡形もなく吹き飛ばした。
ケッセルリンク元帥の思惑通り、マルタ島にある3つのレーダー基地は全てが使用不可能になった。レーダーへの爆撃が終了しても、上空のFw190Aの編隊は、迎撃のために上昇してきたスピットファイアとハリケーンに対して戦闘を続けていた。飛行場を攻撃する爆撃隊がやってくるはずだ。その任務が終わるまではまだ後退できない。
イギリス側が目を失ったのと対照的に、シチリアのレーダーと地中海上空のFw200はマルタ上空の航空機を監視できた。ドイツとイタリアの爆撃隊はイギリス空軍の戦闘機が上がってくると、即座に通報を受けられるようになっていた。敵軍の戦闘機の位置がわかれば、飛行ルートを変えてそれを避けることができる。
シチリアの基地を離陸したHe111の爆撃隊が、マルタ上空に達すると3カ所の航空基地を爆撃した。更に、Ju87が水平爆撃で破壊されなかった格納庫や石油タンクを狙って急降下爆撃を行った。2航艦の参謀長は、トリポリの爆撃隊にも出撃を命令していた。やや遅れて、南方から飛来したJu88の編隊が念を入れて航空基地のめぼしい目標を見つけて急降下爆撃を繰り返した。
しかもドイツ空軍に続いて、イタリア空軍のSM.79スパルヴィエロの編隊がMC.200サエッタを護衛に伴って攻撃してきた。SM.79は三発機にもかかわらず、爆弾を1.2トンまでしか搭載していなかったが、30機以上の爆撃により、イギリス基地の被害は拡大した。
マルタへの攻撃の最中にシチリア方面から南下していたFw200は、まだ逆探に超短波の電波放射を受信していた。ほぼ同時にトリポリから海上に出ていたFw200も基地のレーダーとは異なる周波数の電波を受信していた。
索敵機の測定した方位に向けて受信位置から直線を引っ張ると、2カ所の測定値が正確であれば、2本線がどこかで交差する。地図上に引かれた線の交点はバレッタ港だった。
ザイデマン大佐がケッセルリンクに報告にやってきた。
「攻撃は順調に進んでいます。爆撃により目標を破壊しましたが、レーダー電波の発信源がまだ1カ所残っています。湾内の艦艇がレーダーを使っているようです。海軍と空軍間の連絡が密接になれば、早期警戒の役目は軍艦でもはたせます」
「それは放置できないだろう。すぐに攻撃隊を向かわせてくれ」
シチリアの基地に帰投して燃料補給中だった、ヘルビッヒ大尉のところに爆撃命令がもたらされた。
「全員聞いてくれ、バレッタ港にレーダーを使っている艦艇が残っているようだ。我々に攻撃命令が出た。バレッタ港は対空砲火が激しいとのことだ。加えて、艦艇の対空砲も存在しているだろう。新型のミサイルを搭載して出撃するぞ」
イギリス海軍駆逐艦の「ウルバリン」は、ドイツ軍の編隊が接近してくるのをレーダーで探知した。まだ、錨も上げていない状態で、今から、湾外に逃げようとしても間に合わない。
「ウルバリン」は4インチ(102mm)連装高射砲で反撃を開始した。この駆逐艦は、対空火力を強化するために、平射砲を2基の4インチ連装砲に換装していた。しかも、タイプ285レーダーによる照準により、遠距離でも対空射撃が可能だった。駆逐艦の砲撃に合わせて、バレッタ港を守っていた高射砲も射撃を開始した。
想定以上の対空砲火に、ヘルビッヒ大尉はミサイルの搭載が正解だったと思った。
「一旦、距離をとる。北東からミサイルを投下する」
パワーブーストを使ったエンジン全開でJu88を北東方向に飛行させた。一旦機体を上昇させて高度をとってから、バレッタ港へと再び機首を向けた。大尉は、高度計を見ながら、6,000mでミサイルを発射した。これで、射程として、10,000mは確保できたはずだ。
Ju88から投下されたHs293は、液体推進のワルターロケットを約10秒噴射した。その間もJu88の爆撃手は、ミサイルの尾部で光っているフレアを見ながらHs293の飛行方向を修正していた。
ヘルビッヒ部隊から、Hs293は9発が投下された。2発が駆逐艦右舷の中央部と艦首近くに命中した。直後に中央部に1発が直撃した。更に、2発が至近弾になった。この時使用されたHs293の弾頭は、ほぼ500kg爆弾と同一だった。
旧式の駆逐艦を撃沈するのには、3発の500kg爆弾の直撃と2発の至近弾は十分すぎるほどだった。あっというまに、右舷に傾斜しながら「ウルバリン」は湾内に着底した。
ドイツ空軍とイタリア空軍の激しい攻撃が過ぎ去って、上空で戦闘していたスピットファイアとハリケーンは4機が着陸してきた。島内全ての飛行場が攻撃されていたが、4機は、マルタ中央部のルカ飛行場のわずかに残った平坦地を利用してなんとか着陸した。南のハルファー基地にも2機が降りてきたが、爆弾のクレーターに足をとられて機体は全損になった。
爆撃後に2日をかけて、イギリス軍は苦労してルカ基地の滑走路を復旧した。滑走路の平坦部は7割に減ってしまったが、スピットファイアとハリケーンならば運用可能な長さを確保できた。しかし、基地の燃料も弾薬も爆撃でかなり被害を受けたので、補給が到着するまでは、ドイツ軍の攻撃を逃れた物資をやりくりするしかない。
ドイツ軍はイギリスのファイター・スイープをまねて、シチリア島の戦闘機隊が哨戒を実施するようになった。復旧したルカ飛行場に駐機していれば攻撃目標になるので、スピットファイアとハリケーンは飛び立つしかない。上空に戦闘機を見つければ、Bf109Fを主力とする戦闘機隊は有利な態勢で攻撃を仕掛けてきた。イギリス軍にとっては貴重な戦闘機がどんどん消耗してゆくことになった。
第2航空艦隊がマルタ島の航空戦力を壊滅させたおかげで、北アフリカへの様々な物資の輸送はかなりはかどった。イギリス海軍の潜水艦やエジプト側からの長距離爆撃機による攻撃の危険性もあるので完全に安全になったとは言い難いが、以前からは格段の改善だ。かなりの確率で貨物船は無傷でトリポリに入港できるようになった。
……
マルタ島への攻撃に呼応して第27戦闘航空団(JG27)は、地中海へ楕円形に飛び出したキレナイカ半島への攻撃を強化していた。エジプト方面に向けて進撃することを考えているロンメルにとっては、キレナイカは必ず通過しなければならない中継点だった。
ゲルプ14(黄の14番)は、この日もトゥブルク方面に向けて飛行していた。そもそもドイツ空軍の中隊(シュタッフェル)は12機編制だったので、機番の14は存在しない。あるはずのない番号を許されていたのは、北アフリカの軍人ならば全員が知っているヨアヒム・マルセイユひとりだけだった。彼は、1941年4月に北アフリカに配属されて以来、驚異的な速さで撃墜数を伸ばして、既に50機以上を撃墜していた。
ドイツ軍のBf109F4/Tropの編隊が、キレナイカの上空に達すると、エジプト国境の方向からP-40の編隊が飛行してきた。彼我の基地が接近している北アフリカでは、わずかの時間飛行しただけで、会敵するのは常識になっていた。逆にいえば、1日に何度も出撃できることになる。
JG27の4機小隊(シュバルム)は、キレナイカ上空で優勢なイギリス軍戦闘機と向かいあっていた。8機のP-40は、大きな輪を描くように旋回を始めた。連合軍が得意とするラフベリーサークルだ。うかつに円陣を構成する機体を攻撃しようと接近すると後ろの戦闘機から攻撃されてしまう。サークルの中にドイツ軍機が入り込めば、周囲を周回する戦闘機から次から次に連続攻撃される。ドイツ軍にとっては、攻めにくい隊形だ。しかもJG27の編隊はわずか4機で劣勢だった。
しかし、マルセイユにとっては、こんな状況はいつもの日常だった。
「周囲を警戒していてくれ。私が、イギリスの編隊を切り崩す」
単機攻撃がマルセイユにとっては得意な戦法だった。たった1機で円陣の中央に向けて飛び込んでゆくと、フラップをおろして失速寸前の急旋回をした。機首を北東に向けるとわずかに前進して機銃を短く一連射した。前方に機銃弾が飛んでゆくと、そこにP-40が横からスーッと吸い込まれるように飛行してきた。P-40の機首から操縦席にかけて側方から機銃弾が命中した。イギリス戦闘機は煙も吐き出さずに砂漠に墜落していった。おそらく機銃弾は10発も撃っていない。それでも驚異的な命中率で1機を撃墜したのだ。
墜ちてゆく戦闘機を確認もしないで、マルセイユは次の機体に機首を向けていた。再びフラップを下げた超低速での旋回だ。狙った方向に機首が向くと、再び短い連射をした。魔法のように飛行してきたP-40の胴体中央に機銃弾が吸い込まれると、黒煙を吐き出して墜落していった。
マルセイユは、同じ戦法で4機を次々と撃墜した。戦闘時間はわずか5分だ。彼の言葉通り、隊形をめちゃめちゃにされた残りの4機のP-40は、東側のエル・アラメインに向けて敗走を始めた。
サークルの周囲で撃墜王の戦いを見守っていた小隊の僚機に対しては、想定内の行動だ。この日、マルセイユと共に出撃したシュタインハウゼン伍長は、東南東に向けて逃げてゆくP-40に追いつくと背後から攻撃した。エジプト国境を再び越えることができたのはわずかに2機のP-40だった。
補給のために、JG27の小隊が基地に戻ってきた。黄の14番を担当していた整備士は、機体に20mm弾がまだ残っているのを発見した。しかし整備士が驚くことはなかった。これもまたいつもの出来事なのだ。
しかも、このまま北アフリカの地からイタリアが排除されれば、地中海の南側はほぼ連合国が制圧することになる。それは、地中海を介して枢軸国の下腹部が連合国側の占領地にむき出しになることを意味する。さすがにヒトラーもそれは許容できない。
これが、ドイツ軍にとっては戦いの主正面ではない北アフリカに、兵力を派遣した理由だった。1941年2月になって、この地に降り立ったのが、エルウィン・ロンメルだった。彼はアフリカ大陸に到着すると、トリポリ港に揚陸したドイツアフリカ軍団(DAK)と現地リビアのイタリア軍を率いて3月から攻撃を開始した。
1941年5月には、ロンメルは巧みな戦術と素早い攻撃で、難攻不落と言われていたトブルクを占領した。リビアとエジプト国境となっているハルファヤ峠まで進出してきたが、ここで進軍が止まった。さすがのロンメルも、すり減ってしまった兵力と物資の補給がなければ、これ以上進撃を続けられなくなったのだ。
11月には連合軍の逆襲が始まった。補給も続かず、兵力を消耗してしまった枢軸側のアフリカ軍団は西に向かって退却するしかなくなった。トリポリから前線までの補給線も伸びきっていた枢軸軍は、1942年1月にはスルト湾に面したエル・アゲイラ付近まで後退せざるを得なかった。
……
1942年1月になってイタリアのシチリア島からの輸送船がトリポリに到着した。北アフリカの枢軸軍は戦車や火砲に加えて、燃料や弾薬、食料の補給を得ることができた。増派された兵力と物資補給により、北アフリカ軍団とイタリア軍は息を吹き返した。ロンメルは、すぐに押し戻されていたベンガジから東へと攻撃を命じた。それからわずか2週間でキレナイカを横断した枢軸軍は、ガザラ近郊まで進撃した。
北アフリカでの目覚ましい功績により、ロンメルは上級大将に昇進した。この立場を利用して、ロンメルはヒトラーに北アフリカへの物資輸送の改善を直訴した。2月になって、ヒトラーは地中海の海上輸送に対する大きな障害になっているマルタ島攻撃の増強に合意した。総統がマルタの連合軍戦力を殲滅するように命令したのだ。ヒトラーにとっては、東部のソ連との戦いと西部の連合軍爆撃機との戦いが最大の関心事だったが、将軍の中でも最もひいきにしているロンメルからの直訴をさすがにむげにはしなかった。
……
マルタ島はシチリア島の南方に浮かぶイギリス領の島だ。トリポリに物資を海上輸送しようとする枢軸側にとっては、輸送路の中央に位置するイギリス側の基地だった。枢軸軍にとっては、イタリア領土からわずか100kmしか離れていない、のど元に刺さった鋭いとげのような存在だ。これほどイタリア本土に近い島が、いまだにイギリスの支配下にあるというのは奇跡と言ってよい。イギリスにとっては、西のジブラルタル、東のアレクサンドリアの中間に位置する地中海の要衝という極めて重要な位置づけになる。イギリス本土外で最初にスピットファイアを配備したのがこの島の基地だというのもうなずける。
ロンメルはマルタの兵力を壊滅できれば、アフリカ軍団への物資補給が大きく改善すると期待していた。彼は、北アフリカの戦いが始まってからは、補給物資の約7割が英軍により沈められていると信じていた。事実はロンメルの想定ほどには大きな損失を受けたわけではなかったが、4割を超える物資が地中海に沈んでいたのは事実だった。
ドイツ空軍で、北アフリカとイタリア方面を任務とする第2航空艦隊司令官のケッセルリンク元帥は、マルタ島の航空戦力が無力化できたならば、いずれは空挺部隊の攻撃や上陸作戦により占領するつもりだった。しかし、昨年の8月から10月にかけて連合国は、大きな被害を出しながらもマルタ島への物資輸送を成功させていた。空母による航空機の搬入と船団の輸送により、マルタのイギリス軍兵力は戦闘機も含めて大幅に強化された。これにより、枢軸軍による占領はかなり遠のいていた。
ケッセルリンクは、作戦を変更して配下のドイツとイタリアの空軍兵力を用いて徹底的にマルタの航空戦力と湾内の水上兵力をたたくことにした。マルタの爆撃隊と潜水艦隊を殲滅させれば、枢軸側の輸送船の被害はかなり減少するはずだ。それだけでイタリアからトリポリへの大量の物資輸送が可能となる。
マルタ島の兵力が無力化できれば、次はマルタへの補給も阻止できる。輸送船団がバレッタに入港できなくなれば、遠からずマルタは干上がるに違いない。
ドイツとイタリアの合同軍は、前年の11月からこの島への攻撃を実施していたが、マルタの息の根を止めるには至っていない。ヒトラーからの命令を受けて、ケッセルリンク元帥の第2航空艦隊は、2月から爆撃隊の兵力を増強して本格的な攻撃を計画していた。
第2航空艦隊参謀長のザイデマン大佐が資料を持ってケッセルリンクの司令官室にやってきた。
「やはり想定通り、イギリス空軍はレーダーをうまく使っています。今まで我が軍の攻撃を効果的に妨害できたのは、常に先手を打って攻撃隊を発見できたからです。イギリス空軍は決して多くはない戦闘機をレーダーによる誘導で極めて効果的に活用しています。しかも基地の爆撃機などは、あらかじめ空中に退避させて被害を減少させています」
「レーダーさえ先につぶせば、爆撃の効果は拡大すると思えるな。レーダーだけを攻撃する部隊を先行させよう」
「それで、検討してきた作戦がこれです」
大佐はイギリス空軍が、ドイツ本土攻撃のために繰り返している攻撃法を参考にしていた。既に今までの作戦でイギリス軍のレーダーの設置位置は判明している。レーダー基地を攻撃する爆撃隊が低空飛行でマルタに向かう。
一方、ほぼ同時に戦闘機の編隊が高高度でマルタへと侵攻する。レーダーに発見されやすい高度で戦闘機隊が飛行することで、イギリス空軍の要撃機を爆撃機から引き離すのだ。
イギリス軍戦闘機が高高度へと引き寄せられた間に、爆撃隊が低空から接近して、レーダー基地を攻撃して破壊する。
マルタのレーダーが使用不可になった後は、攻撃目標を変えて、イギリス空軍の航空基地を攻撃する。レーダーの機能が復活する前に集中的に攻撃を実施してマルタの航空兵力を壊滅させる。
「いいだろう。私もレーダーを優先して破壊するという方針に賛成する」
……
ケッセルリンク元帥は本格的な攻撃を開始する前に、枢軸側のマルタ島近辺の探知手段を強化した。最初の対策として、シチリア島の南岸に捜索レーダーを設置して、マルタ付近の航空機と海上の艦艇の監視を可能とした。シチリア南岸からマルタ島までは約100kmなので、ぎりぎりレーダーの探知範囲に入っている。しかも、Fw200改造の早期警戒機を南イタリアに派遣した。
シチリア島のレーダーとFw200に搭載したレーダーを組み合わせて、西方のジブラルタルからマルタ方面に接近する連合軍の艦船や航空機を早期に発見できる態勢を構築した。同様に東方のアレクサンドリアを出港して南東から接近する航空機や艦艇も探知できるように、トリポリにもレーダー搭載のFw200を派遣した。
1942年2月になって、参謀長が提案した作戦を第2航空艦隊は発動した。ケッセルリンクは、目的を達成するために、追加でドイツ本土から爆撃隊を移動させた。
作戦が開始されると、2航艦司令部の決定に従ってマルタ島の3カ所のレーダー基地が最初の目標になった。今までの戦いで、レーダー基地の大まかな位置は把握している。3群に分かれた爆撃編隊が離陸した。海上に出ると、ぎりぎりまで飛行高度を下げてゆく。
第1教導航空団(LG1)のヘルビッヒ大尉は、9機のJu88を率いて海面上を飛行していた。彼の飛行隊のほとんどの隊員は、バトル・オブ・ブリテンから一緒に戦ってきたベテランが多い。地中海に移動してからも、既にギリシャの近海で輸送船を撃沈したのを皮切りに、クレタ島南方でイギリス駆逐艦を一気に3隻撃沈していた。輸送船も含めて10万トンを撃沈した彼の部隊は、「ヘルビッヒ飛行隊」とも呼ばれ、地中海の連合軍にも知れ渡っていた。
「戦闘開始の無線を傍受しました。上空で、先行していたFw190とイギリスの戦闘機との空戦が始まりました」
報告してきたのは、長くペアを組んできた通信士のシュルント曹長だ。
「今のところは、予定通りだな。友軍戦闘機がスピットを引き付けてくれれば、それだけ我々は攻撃を受けなくてすむ。まもなく攻撃目標が見えるはずだ。前方のアンテナに注意してくれ」
まもなく前方にマルタ島の海岸線が見えてきた。機首を東に向けて、海岸線と平行に飛行してゆく。
「14時方向、海岸からやや上がったところにアンテナが見えます。写真で見た通りの外形です」
「間違いない。我々の攻撃目標だ。計画通りの分担で攻撃する」
レーダーに接近すると、急降下爆撃のために高度をどんどん上げてゆく。幸いにも、対空砲は撃ってこない。おそらく、高射砲や対空機関銃は、基地や港の防衛に手いっぱいで、レーダー基地まで配備する余裕がないのだ。
Ju88は内翼部の4カ所の爆弾架にそれぞれ500kg爆弾(SC500)を搭載していた。4機がレーダーアンテナを取り付けた鉄骨の塔に向かって急降下してゆく。塔の直下で16発の爆弾が連続して爆発すると、鉄塔がゆっくりと倒れていった。
その間に残りの5機は、レーダーの本体を収容した建築物を探していた。すぐに、アンテナから50mほど離れたところに2ヶ所の建物を発見した。
3機のJu88が、2階建てのビルに向けて急降下爆撃を行った。2機がその近くの平屋の建物を攻撃した。多数の500kg爆弾が、2つの小さな建築物を跡形もなく吹き飛ばした。
ケッセルリンク元帥の思惑通り、マルタ島にある3つのレーダー基地は全てが使用不可能になった。レーダーへの爆撃が終了しても、上空のFw190Aの編隊は、迎撃のために上昇してきたスピットファイアとハリケーンに対して戦闘を続けていた。飛行場を攻撃する爆撃隊がやってくるはずだ。その任務が終わるまではまだ後退できない。
イギリス側が目を失ったのと対照的に、シチリアのレーダーと地中海上空のFw200はマルタ上空の航空機を監視できた。ドイツとイタリアの爆撃隊はイギリス空軍の戦闘機が上がってくると、即座に通報を受けられるようになっていた。敵軍の戦闘機の位置がわかれば、飛行ルートを変えてそれを避けることができる。
シチリアの基地を離陸したHe111の爆撃隊が、マルタ上空に達すると3カ所の航空基地を爆撃した。更に、Ju87が水平爆撃で破壊されなかった格納庫や石油タンクを狙って急降下爆撃を行った。2航艦の参謀長は、トリポリの爆撃隊にも出撃を命令していた。やや遅れて、南方から飛来したJu88の編隊が念を入れて航空基地のめぼしい目標を見つけて急降下爆撃を繰り返した。
しかもドイツ空軍に続いて、イタリア空軍のSM.79スパルヴィエロの編隊がMC.200サエッタを護衛に伴って攻撃してきた。SM.79は三発機にもかかわらず、爆弾を1.2トンまでしか搭載していなかったが、30機以上の爆撃により、イギリス基地の被害は拡大した。
マルタへの攻撃の最中にシチリア方面から南下していたFw200は、まだ逆探に超短波の電波放射を受信していた。ほぼ同時にトリポリから海上に出ていたFw200も基地のレーダーとは異なる周波数の電波を受信していた。
索敵機の測定した方位に向けて受信位置から直線を引っ張ると、2カ所の測定値が正確であれば、2本線がどこかで交差する。地図上に引かれた線の交点はバレッタ港だった。
ザイデマン大佐がケッセルリンクに報告にやってきた。
「攻撃は順調に進んでいます。爆撃により目標を破壊しましたが、レーダー電波の発信源がまだ1カ所残っています。湾内の艦艇がレーダーを使っているようです。海軍と空軍間の連絡が密接になれば、早期警戒の役目は軍艦でもはたせます」
「それは放置できないだろう。すぐに攻撃隊を向かわせてくれ」
シチリアの基地に帰投して燃料補給中だった、ヘルビッヒ大尉のところに爆撃命令がもたらされた。
「全員聞いてくれ、バレッタ港にレーダーを使っている艦艇が残っているようだ。我々に攻撃命令が出た。バレッタ港は対空砲火が激しいとのことだ。加えて、艦艇の対空砲も存在しているだろう。新型のミサイルを搭載して出撃するぞ」
イギリス海軍駆逐艦の「ウルバリン」は、ドイツ軍の編隊が接近してくるのをレーダーで探知した。まだ、錨も上げていない状態で、今から、湾外に逃げようとしても間に合わない。
「ウルバリン」は4インチ(102mm)連装高射砲で反撃を開始した。この駆逐艦は、対空火力を強化するために、平射砲を2基の4インチ連装砲に換装していた。しかも、タイプ285レーダーによる照準により、遠距離でも対空射撃が可能だった。駆逐艦の砲撃に合わせて、バレッタ港を守っていた高射砲も射撃を開始した。
想定以上の対空砲火に、ヘルビッヒ大尉はミサイルの搭載が正解だったと思った。
「一旦、距離をとる。北東からミサイルを投下する」
パワーブーストを使ったエンジン全開でJu88を北東方向に飛行させた。一旦機体を上昇させて高度をとってから、バレッタ港へと再び機首を向けた。大尉は、高度計を見ながら、6,000mでミサイルを発射した。これで、射程として、10,000mは確保できたはずだ。
Ju88から投下されたHs293は、液体推進のワルターロケットを約10秒噴射した。その間もJu88の爆撃手は、ミサイルの尾部で光っているフレアを見ながらHs293の飛行方向を修正していた。
ヘルビッヒ部隊から、Hs293は9発が投下された。2発が駆逐艦右舷の中央部と艦首近くに命中した。直後に中央部に1発が直撃した。更に、2発が至近弾になった。この時使用されたHs293の弾頭は、ほぼ500kg爆弾と同一だった。
旧式の駆逐艦を撃沈するのには、3発の500kg爆弾の直撃と2発の至近弾は十分すぎるほどだった。あっというまに、右舷に傾斜しながら「ウルバリン」は湾内に着底した。
ドイツ空軍とイタリア空軍の激しい攻撃が過ぎ去って、上空で戦闘していたスピットファイアとハリケーンは4機が着陸してきた。島内全ての飛行場が攻撃されていたが、4機は、マルタ中央部のルカ飛行場のわずかに残った平坦地を利用してなんとか着陸した。南のハルファー基地にも2機が降りてきたが、爆弾のクレーターに足をとられて機体は全損になった。
爆撃後に2日をかけて、イギリス軍は苦労してルカ基地の滑走路を復旧した。滑走路の平坦部は7割に減ってしまったが、スピットファイアとハリケーンならば運用可能な長さを確保できた。しかし、基地の燃料も弾薬も爆撃でかなり被害を受けたので、補給が到着するまでは、ドイツ軍の攻撃を逃れた物資をやりくりするしかない。
ドイツ軍はイギリスのファイター・スイープをまねて、シチリア島の戦闘機隊が哨戒を実施するようになった。復旧したルカ飛行場に駐機していれば攻撃目標になるので、スピットファイアとハリケーンは飛び立つしかない。上空に戦闘機を見つければ、Bf109Fを主力とする戦闘機隊は有利な態勢で攻撃を仕掛けてきた。イギリス軍にとっては貴重な戦闘機がどんどん消耗してゆくことになった。
第2航空艦隊がマルタ島の航空戦力を壊滅させたおかげで、北アフリカへの様々な物資の輸送はかなりはかどった。イギリス海軍の潜水艦やエジプト側からの長距離爆撃機による攻撃の危険性もあるので完全に安全になったとは言い難いが、以前からは格段の改善だ。かなりの確率で貨物船は無傷でトリポリに入港できるようになった。
……
マルタ島への攻撃に呼応して第27戦闘航空団(JG27)は、地中海へ楕円形に飛び出したキレナイカ半島への攻撃を強化していた。エジプト方面に向けて進撃することを考えているロンメルにとっては、キレナイカは必ず通過しなければならない中継点だった。
ゲルプ14(黄の14番)は、この日もトゥブルク方面に向けて飛行していた。そもそもドイツ空軍の中隊(シュタッフェル)は12機編制だったので、機番の14は存在しない。あるはずのない番号を許されていたのは、北アフリカの軍人ならば全員が知っているヨアヒム・マルセイユひとりだけだった。彼は、1941年4月に北アフリカに配属されて以来、驚異的な速さで撃墜数を伸ばして、既に50機以上を撃墜していた。
ドイツ軍のBf109F4/Tropの編隊が、キレナイカの上空に達すると、エジプト国境の方向からP-40の編隊が飛行してきた。彼我の基地が接近している北アフリカでは、わずかの時間飛行しただけで、会敵するのは常識になっていた。逆にいえば、1日に何度も出撃できることになる。
JG27の4機小隊(シュバルム)は、キレナイカ上空で優勢なイギリス軍戦闘機と向かいあっていた。8機のP-40は、大きな輪を描くように旋回を始めた。連合軍が得意とするラフベリーサークルだ。うかつに円陣を構成する機体を攻撃しようと接近すると後ろの戦闘機から攻撃されてしまう。サークルの中にドイツ軍機が入り込めば、周囲を周回する戦闘機から次から次に連続攻撃される。ドイツ軍にとっては、攻めにくい隊形だ。しかもJG27の編隊はわずか4機で劣勢だった。
しかし、マルセイユにとっては、こんな状況はいつもの日常だった。
「周囲を警戒していてくれ。私が、イギリスの編隊を切り崩す」
単機攻撃がマルセイユにとっては得意な戦法だった。たった1機で円陣の中央に向けて飛び込んでゆくと、フラップをおろして失速寸前の急旋回をした。機首を北東に向けるとわずかに前進して機銃を短く一連射した。前方に機銃弾が飛んでゆくと、そこにP-40が横からスーッと吸い込まれるように飛行してきた。P-40の機首から操縦席にかけて側方から機銃弾が命中した。イギリス戦闘機は煙も吐き出さずに砂漠に墜落していった。おそらく機銃弾は10発も撃っていない。それでも驚異的な命中率で1機を撃墜したのだ。
墜ちてゆく戦闘機を確認もしないで、マルセイユは次の機体に機首を向けていた。再びフラップを下げた超低速での旋回だ。狙った方向に機首が向くと、再び短い連射をした。魔法のように飛行してきたP-40の胴体中央に機銃弾が吸い込まれると、黒煙を吐き出して墜落していった。
マルセイユは、同じ戦法で4機を次々と撃墜した。戦闘時間はわずか5分だ。彼の言葉通り、隊形をめちゃめちゃにされた残りの4機のP-40は、東側のエル・アラメインに向けて敗走を始めた。
サークルの周囲で撃墜王の戦いを見守っていた小隊の僚機に対しては、想定内の行動だ。この日、マルセイユと共に出撃したシュタインハウゼン伍長は、東南東に向けて逃げてゆくP-40に追いつくと背後から攻撃した。エジプト国境を再び越えることができたのはわずかに2機のP-40だった。
補給のために、JG27の小隊が基地に戻ってきた。黄の14番を担当していた整備士は、機体に20mm弾がまだ残っているのを発見した。しかし整備士が驚くことはなかった。これもまたいつもの出来事なのだ。
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