電子の帝国

Flight_kj

文字の大きさ
121 / 173
第18章 外伝(北アフリカ戦線編)

18.4章 エルアラメイン攻略

しおりを挟む
 1942年6月末になるとロンメルは、エル・アラメインの攻略について検討を開始した。しかし、枢軸軍が、キレナイカからトブルクへと東に進んでくるまでの間に、エル・アラメインの守備隊は、堅固に防御された重層の陣地を完成させていた。結果的に、連合軍は、今まで友軍が稼いでくれた時間を利用することにより、エル・アラメインの防衛力強化に成功していた。

 エル・アラメイン市街地の南南西にはニュージーランドとインド、南アフリカの3つの師団が張り出すように陣地を構築しており、外側に張り出した出城のような役割を担っていた。しかもそれぞれの陣地には、対戦車壕に地雷原、防御柵と鉄条網、多数の火砲と機関銃を配置していた。3つの師団が直列に並んだ防御陣地は、エル・アラメイン市街地から南方の高地を越えて、南方のカッターラ低地まで続いていた。線状の陣地は距離にして南北約60km続いていることになる。

 枢軸側にとって都合が悪かったのは、線状の陣地の南側を迂回しようにも、カッターラ低地には多量の砂が溜まっていた。流砂が蓄積したこの低地は、車両や戦車の通行自体が不可能だった。しかもそこから南側は広大なサハラ砂漠が続いている。

 更に、偵察機からの報告では、仮に張り出しを突破できても、本陣とも言うべきエル・アラメイン市街地の外縁防御陣地として、相互に連携した多層構造のボックスが完成しており、城塞のようになった防御陣地は容易に突破できないことが明らかだった。しかも、陣地南東部には陣地の一部が突破されそうになっても、それを補強するための予備兵力として、自動車化された部隊が布陣しているのがわかった。

 事前偵察により、ロンメルが意図した防御陣地を短時間で突破して、エルアラメイン外郭の防衛線に取りつくという作戦は、かなりの大兵力でない限り不可能なことが明らかになった。ドイツ軍が外郭ぶへの集中攻撃により、とっぱを試みても、強力な砦の防御力と予備兵力も投入して頑強に抵抗するだろう。

 連合軍側が防衛戦闘を続ければ、攻勢に出てこなくても枢軸側の兵力はすり減ってゆく。持久戦になっても、連合軍はエル・アラメインの港さえ確保していれば、エジプト側から海上輸送で補給を受けられる。昼間に航行させた輸送船は、枢軸側の爆撃機から攻撃を受けたが、夜間の高速船による輸送はドイツ空軍には阻止できなかった。

 一方、いつも物資が不足気味の枢軸軍は、多量の食料と燃料をトブルクで鹵獲したため今のところは余裕があった。しかもトブルクで手に入れたアメリカ製のトラックが、軍事物資の砂漠での輸送事情を改善していた。今までよりも、物資を気にせず戦う態勢が整っていた。

 オーキンレック側にも大きな問題があった。連合軍はトブルクやマルサ・マトルーの戦いで、人員に加えて、かなり多くの戦車や火砲を失っていた。陣地の構築は完了していたが、戦車や自走砲は、損害を回復できていなかった。連合軍が積極的な攻勢に出られないのもこれらの装備が不足しているからだ。

 トブルク要塞が陥落すると、エル・アラメインへの攻撃が目前に迫っていた。連合軍は、エジプト領内の各地から兵力を抽出していたが、未だに十分ではなかった。オーキンレックは、イギリス本土とアメリカに増援の要請をしていたが、満足できる量の物資は送られてこなかった。

 補給が不十分なのは、イギリス本土からドイツ本土とその占領地域への爆撃作戦に被害が続出していることが大きな原因だった。イギリス空軍は、ヨーロッパでの爆撃作戦で損害が急上昇していた。加えて海軍も地中海の海戦で空母や巡洋艦を失うという大被害を受けた。海軍と空軍が受けた大損害が、エジプトへの輸送力の低下に直結していた。

 太平洋の戦いも大きな影響を及ぼしていた。開戦準備のために、アメリカ海軍は、4月には大西洋から太平洋に大型艦を移動させ始めた。しかも、6月に生起した日本本土近くの海戦で、アメリカ海軍の多数の艦艇が被害を受けた。数カ月前から大西洋から太平洋への海軍艦艇のシフトが始まり、太平洋の戦闘の推移と共にそれは拡大していた。その証拠に、地中海では昨年まで活動していた「ワスプ」や「ノースカロライナ」などのアメリカ海軍の大型艦の姿を見なくなっていた。

 太平洋の戦争が始まると、オーストラリアとニュージーランドの態度が変わり始めた。イギリスは、以前から、オーストラリアとニュージーランドに対してヨーロッパの戦いへの増派を要求していた。しかし、両国は、派兵要求に対して即座に回答することはなかった。太平洋で自国の防衛力強化を優先したいので、考えさせてほしいと先延ばししてきたのだ。

 エル・アラメイン周辺でのにらみ合いが続いて、2週間が経過した。7月15日になって、北アフリカ戦線の状況を視察するために、チャーチルがわざわざカイロまでやってきた。チャーチルは、今までの負け戦と積極性を欠いた態度に対して、オーキンレックを信頼できなくなっていた。オーキンレックの指揮は適切でなく、戦意にも欠けるとの理由で解任すると、後任の司令官にモントゴメリーを指名した。

 他方、ロンメルの部隊には待ち望んでいた新型のⅣ号戦車が届いていた。新型戦車が新たに装備した48口径75mm砲は、マチルダⅡ型やM3グラントの装甲も貫通できる性能を有していた。新たな兵器を得て機甲師団の攻撃力は大幅に増加した。

 7月から、ロンメルはヒトラーからスエズへの侵攻を要求されるようになっていた。ヒトラーもドイツがスエズ運河を支配下に収めることの重要性に改めて気付いたのだ。気の早いムッソリーニは、カイロに自ら乗り込むつもりで、白馬を準備していた。野心とみえが服を着たようなこの男は、馬に乗ってカイロ市内を行進するつもりだったのだ。

 ロンメルは、このムッソリーニからの要求に対して自らローマまで飛んでいった。北アフリカの飛行場からローマまでは1,400km程度だ。これは、ドイツ空軍のHe111ならば一気に飛んでいける距離だった。

 ムッソリーニに直接面会したロンメルは、この欲深い男の感情をうまく利用した。マルタ島の空軍機はほとんど活動できない状況になっているので、北アフリカの戦いのために、イタリア本土の戦艦を出港させてくれないかと頼みこんだのだ。それがエジプトを制圧するもっとも早道だと説明した。確かにロンメルが主張するように、マルタ島の戦力はかなり消耗して、補給も遅れていたので、イタリア艦隊はイオニア海を南下しやすい状況になっていた。しかも、イタリア海軍は、アレクサンドリアからの船団攻撃に2隻の新型戦艦を出撃させて、作戦を成功に導いた実績があった。

 一刻も早くエジプトを支配したいムッソリーニは、ロンメルの説明を信じた。ドゥーチェはロンメルの要求を受け入れて、イタリア海軍の戦艦に出撃を命じた。「ローマ」と「ヴィットリオ・ヴェネト」「カイオ・デュイリオ」「アンドレア・ドーリア」が巡洋艦、駆逐艦群と共に出撃することに決まった。

 ロンメルはこの決定をケッセルリンク大将に伝えた。戦艦がやってくる前に空軍にやってもらわねばならないことがある。第2航空艦隊司令官のケッセルリンクはすぐに空軍の出撃を決めた。それも新兵器を使って攻撃すると決断した。この作戦は、ケッセルリンク自身が目的としていた、マルタ島の攻略と地中海の制覇に避けたマイルストーンだと理解したからだ。

 ロンメルは、車載の計算機が導き出した作戦案を実行すべく動いていた。ドイツ空軍とイタリア海軍の戦闘参加により、それは実現に一歩近づいていた。

 ……

 短時間でトブルク攻略が完了したおかげで、市街地の南東の荒地に広がった平坦地に建設された飛行場がドイツ空軍に使用可能となって、エジプト領内への航空攻撃が容易になっていた。イギリス軍が整備したトブルクの飛行場には蓄積された燃料も残っていた。イギリス空軍が使用していたのは、ドイツ空軍が使用した96オクタンのC3燃料よりも、オクタン価の高い100オクタン超の燃料だった。

「ゲルべ14」のマルセイユ中尉は、中隊を率いて北アフリカの海岸線を東に飛行していた。海岸の北側にはFw200のレーダー警戒機が飛行している。やがて、エル・アラメインを過ぎて、前方にアレクサンドリアの港と市街が見えてくると、警戒機から連絡が入ってきた。

「方位80度、同高度に戦闘機の編隊。40機程度」

 通報を受けて、マルセイユは、東方を目指して増速した。今日の任務は爆撃機の護衛だ。友軍の爆撃機が攻撃される前に迎撃の戦闘機を排除しなければならない。目の前に現れたのは、いつものハリケーンやP-40とはシルエットの異なる楕円翼のスマートな機体だった。

 後続の列機に向けて注意を促す。
「11時方向にスピットファイアだ。全機、注意しろ」

 約40機のスピットファイアの編隊がやじりのような編隊で西へと飛行してきた。連合軍の戦闘機が得意とする輪形陣はとらない。爆撃隊の攻撃を任務としているからだ。そのまま南北に散開してドイツ軍戦闘機の編隊を突破しようとした。

 マルセイユ機は、スピットファイアの南側から切り込むと、編隊の中央付近で鋭くターンして目の前の機体に向けて射撃した。狙った機体に機銃弾が命中した時には、既に北西側を飛行していた次のスピットファイアに向けた射撃が終わっていた。

 わずか5分の間にマルセイユは、8機を撃墜した。この頃の僚機の役目はマルセイユが撃墜した機体の種別や位置情報、時刻を記録することだった。それが間に合わないほどの速さで次々と撃墜するのがいつものことだった。中隊長機の攻撃でイギリス軍機の編隊はバラバラになった。パニックのようになったスピットファイアの編隊に向けて、ドイツ空軍のBf109Fが襲いかかった。

 マルセイユと列機が、続いて5機を墜としたところで、スピットファイアは東方に向けて逃走していった

 敵戦闘機がいなくなると、爆撃隊が前方へと出てきた。既に目標としていた港は目前に見えていた。Do217はどんどん高度を上げていった。一方、その後方を飛行していたJu88はそのままの高度で進んでいった。

 湾内から対空砲火の射撃が始まったが、爆撃隊はそれにかまわず直線的に目的とした艦艇に向けて飛行していった。湾内に停泊していた艦艇からの対空射撃も加わって、時間と共に空中で爆発する高射砲弾はどんどん増えていった。1機のDo217が、直撃弾で吹き飛んだ。更に1機が炎を噴き出しながら墜ちてゆく。

 上空に達した10機のDo217が、エジプトのアレクサンドリア港に停泊していた戦艦に向けて誘導弾を投下した。フリッツXが狙ったのは、戦艦「ヴァリアント」と「クイーンエリザベス」だった。2隻の戦艦は、前年にイタリア海軍の人間魚雷「マイアーレ」による攻撃により、喫水線下に被害を受けて、停泊して修理を行っていたのだ。

 修理が終わったばかりの「ヴァリアント」には、6発のフリッツXが向かっていった。そのうちの3発が船体の前部から後部にかけて命中した。この戦艦の水平装甲は3インチ(76mm)を基本として、ところどころ5インチ(127mm)に強化されていた。しかし、高空から投下されたSD1400(1.4トン徹甲弾)は、上甲板も装甲甲板も次々に貫通して船体下部の機関室で爆発した。3カ所の船体下面に巨大な亀裂が発生すると、あっという間に湾内に着底していった。

「クイーンエリザベス」には4発の誘導爆弾が投下されて2発が命中した。修理中だった右舷側の破孔が再び大きく開いて浸水が始まった。しかも、爆発により船底の亀裂が生じて大量の海水が流入してきた。乗組員が退去する間もなく、「クイーンエリザベス」は右舷に横転しながらアレクサンドリア湾に沈んだ。

 高度を変えずにアレクサンドリア湾に接近していったヘルビッヒ大尉が率いたJu88の編隊は、湾内から動き出そうとしていた巡洋艦に向かってHs293を発射した。

 北に向けて動き始めていた軽巡「コヴェントリー」には、6発のミサイルが飛行していった。左舷側に連続して3発が命中すると、巡洋艦上では火災が発生すると共に、たちまち左舷へと傾斜が始まった。「アリシューザ」には、4発が向かっていって、1発が命中した。更に、軽巡「ユーライアラス」にも4発が発射されて、2発の命中により、ゆっくりと沈み始めた。

 U81とU73は、アレクサンドリア港への空軍による攻撃を事前に知らされて、イタリア基地を出発して南下していた。前方の水平線上に黒煙が見えてきた。潜水して待っていると、案の定、港から慌てて脱出してくる艦艇を発見した。

 この日、2隻のUボートは2隻の駆逐艦と1隻のコルベット、更に1隻の潜水艦をウェーキホーミング魚雷で撃沈した。しかもそれとは別の1隻のコルベットは魚雷を避けようとして、沿岸に向けて回頭した結果、回避はできたが浅瀬に座礁してしまった。

 ……

 アレクサンドリアのイギリス海軍への攻撃が成功すると、地中海のイアキーノ提督が指揮するイタリア艦隊はアフリカ沿岸に向けて南下を開始した。7月21日には、イタリア艦隊はクレタ島の南方海域を通過してエル・アラメインの北方に達した。艦隊の上空は、連合軍の爆撃機を警戒してBf110の編隊が護衛していた。この海域でもっとも警戒すべき相手だったアレクサンドリアのイギリス艦隊はドイツ空軍のミサイルにより無力化されていた。

 深夜になって、縦列になった4隻の戦艦は、エル・アラメイン北西方向からエル・アラメイン市街地に接近すると東に向けて90度転舵した。そのまま、北アフリカ沿岸を右舷に見ながら38cm砲の射撃を開始した。上空ではFw189が弾着観測のために飛行して、イタリア戦艦に着弾地点を連絡していた。

 4隻の戦艦は、38センチ砲弾と32センチ砲弾を合わせて、約900発を撃った後に、射撃を中断して180度回頭した。航路を安定させると再び左舷に向けて、ほぼ同数を射撃した。4隻合わせて、総計約1,800発を射撃すると、北方に艦首を向けてクレタ島の方向に脱出していった。イタリア艦隊の照準は決して良好とは言いがたかった。照準が数百メートルずれたり、散布界も広かった。しかし、海戦とは異なり、広い範囲に構築された陣地の破壊には、弾着がばらつくほうがむしろ好都合だった。

 エル・アラメインを幾重にも取り囲むように構築されたボックス型陣地と縦深深く埋められた地雷原も戦艦の主砲弾には無力だった。直撃された陣地は、爆炎がおさまった後は、クレーターが開口して跡には何も残らなかった。砲撃により破壊されたのは、連合軍の陣地や地雷原だけでなく、エル・アラメインの防衛兵力も含まれていた。陣地の南西側に布陣した歩兵師団や戦車旅団の頭上にも砲弾は降り注いだ。

 戦艦の主砲射程内の陣地や塹壕は、激しく破壊されたが、海岸から20km程度までの範囲だった。主砲弾の届かない南方の部隊と陣地は、この時点では無傷で残っていた。

 ……

 夜が明けるとドイツ空軍の攻撃が始まった。この日もマルセイユは戦闘機隊を率いて、エル・アラメインに向けて飛行してきた。東に向けて飛行してゆくと海岸の陣地の周囲に月面のように多数のクレーターができた地域が見えてきた。しかもいたるところで多数の炎と煙が上がっている。昨夜のイタリア戦艦の砲撃の跡だ。海岸に近い位置の防御陣地はほとんど破壊されていた。しかし、カッターラ低地まで続いていた線上にあった射程外の陣地には砲弾が届かずそのまま残っていた。

 周囲を警戒していると、後方のFw200が警告を発した。指示された方向に飛行すると、30機のP-40が向かってきた。マルセイユにとってはおなじみの相手だ。何度も経験したような戦闘が始まり、その結果もいつもとそれほど変わりはなかった。マルセイユ自身が7機を撃墜して、中隊の列機が5機を墜とした。残りのP-40は一目散に逃げていった。

 後方ではJu88とJu87の編隊がそれぞれ目標を見つけて、爆弾を投下していた。インド師団の陣地とニュージーランド師団の陣地が爆撃によって破壊されてゆく。

 更に、小型の双発機がエル・アラメインの東南方向に陣取っていた機甲部隊に向かっていった。マイヤー少佐は、艦砲の射撃を避けるためにエル・アラメインの市街地から30km南南東のやや高地になった地域に戦車や自走砲が集まっているのを発見した。半数以上の車両は擬装していたが、戦艦からの射撃を避けるためにエル・アラメイン付近から南下してきた車両も集まっているようだ。機甲部隊の陣地を中心として多数の車両が集合しているのは、上空から見れば一目瞭然だった。

「攻撃を開始する。突撃せよ」

 ドイツ本国からの補給を得て、マイヤー少佐の部隊は8機が出撃可能になっていた。Hs129は、もっとも密度の高いところを狙って上空からSC250(250kg爆弾)を投下していった。

 Hs129は、爆炎が収まらないうちに、爆撃を逃れた戦車や自走砲を狙って30mmと20mm機関銃を目標により使い分けて、しらみつぶしに攻撃していった。もちろん、全ての車両を破壊することはできなかったが、攻撃を避けるために、戦車部隊は東方へと後退していった。

 結果的に、枢軸軍がエル・アラメインから北方に続いている陣地に攻撃を仕掛けた場合に、側面や背後からそれを防衛する機動戦力は、守るべき地域から遠ざかることになった。

 既に、マルセイユの中隊を含むドイツ空軍の戦闘機隊がハリケーン、P-40などの連合軍戦闘機を撃退したおかげで、マイヤー少佐の部隊は何度も地上攻撃を繰り返すことができた。

 戦艦の砲撃と空軍の爆撃で全ての地上戦力を破壊できたわけではなかった。エルアラメイン南方に布陣したイギリスとインド、ニュージーランドの歩兵師団の兵力は半数以上が健在だった。陣地周囲の地雷原も6割は残っていた。

 しかし、ロンメルにとっては、これだけ陣地を破壊して、連合軍の兵力を削り取れば十分だった。エルアラメインからカッターラ低地に至る線上の防衛線は寸断されて、防衛力の観点からは大きく低下していた。空軍の攻撃が一段落すると、アフリカ軍団(DAK)とイタリア軍は、砲撃と爆撃で寸断された南北の連合軍陣地を目指して前進を開始した。

 新型のⅣ号戦車に搭乗したキュメル少佐も南寄りのニュージーランド師団が防衛していた拠点を突破しようとしていた。少佐は、既に急降下爆撃機が、地雷原と対戦車砲を壊滅させたあたりを突破目標に定めていた。陣地が破壊されて、兵力も手薄になった地点に戦車と自走砲から射撃を集中した。機銃陣地も破壊してゆく。陣地側からも撃ってくるが散発的だ。明らかに、火砲の数がかなり減っている。

 自走砲から制圧射撃が始まると、対戦車地雷を取り除くために地雷原に工兵が取りついた。しばらくして、キュメル少佐は戦車隊に前進を命じた。少佐の第1大隊は、陣地に生じたほころびを突破すると、そのまま防衛線の東側を進んでいった。本来敵軍がやってくるはずのない位置まで回り込んで予想外の方向から奇襲攻撃するのはロンメルが得意とした戦法だった。しかも、このような場合に枢軸軍を迎え撃つのが役割の連合軍の機械化部隊は、ドイツ空軍の激しい攻撃により、著しく戦力を損耗して、残存兵力も東方に追いやられていた。

 第1大隊が北上していくと海岸沿いのエル・アラメイン市街地の防衛軍は砲撃と爆撃により大混乱に陥っていた。市街地の東側にも地雷原と戦車壕、火砲、機銃陣地はあったが、戦艦の砲撃により、かなりが吹きとばされていた。戦車隊が陣地へ突入できる突破路はいくつも開いていた。

 キュメル少佐の大隊は、東に抜けた後はエル・アラメインの港湾を目指して北上を開始した。市街地が見えるところまで進撃してゆくと、市街地内部は徹底的な砲撃を受けて、防御陣地も地下の司令部もクレーターに変わっていた。砲撃からかろうじて生き残った兵力も指揮系統がズタズタになっていてまともに反撃できない。

 第1大隊も含めた第15装甲師団の戦車や自走砲が、攻撃を加えた。港湾を守備するために布陣していた最終線のイギリス部隊も、トラウマになるような艦砲射撃の後に再び砲撃を受けると反撃よりも逃げることを優先した。エル・アラメイン市街地の道路上では、M4やマチルダが待ち構えていたが、新型の75mm砲を備えたⅣ号の餌食になった。戦車部隊が歩兵を従えて突入すると、連合軍の防衛隊は防御拠点を放棄して、次々と東側へ後退していった。

 第15装甲師団が港湾まで進んでゆくと、埠頭近くの倉庫には連合軍の物資が残されていた。モントゴメリーは十分な兵力を蓄えてから、枢軸軍に反撃することを基本方針としていたが、この時はそれが裏目に出た。いずれ反撃時に利用するつもりで備蓄していた大量の物資や兵器が全てロンメルの手に渡ってしまったのだ。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

藤本喜久雄の海軍

ypaaaaaaa
歴史・時代
海軍の至宝とも言われた藤本喜久雄造船官。彼は斬新的かつ革新的な技術を積極的に取り入れ、ダメージコントロールなどに関しては当時の造船官の中で最も優れていた。そんな藤本は早くして脳溢血で亡くなってしまったが、もし”亡くなっていなければ”日本海軍はどうなっていたのだろうか。

If太平洋戦争        日本が懸命な判断をしていたら

みにみ
歴史・時代
もし、あの戦争で日本が異なる選択をしていたら? 国力の差を直視し、無謀な拡大を避け、戦略と外交で活路を開く。 真珠湾、ミッドウェー、ガダルカナル…分水嶺で下された「if」の決断。 破滅回避し、国家存続をかけたもう一つの終戦を描く架空戦記。 現在1945年中盤まで執筆

異聞対ソ世界大戦

みにみ
歴史・時代
ソ連がフランス侵攻中のナチスドイツを背後からの奇襲で滅ぼし、そのままフランスまで蹂躪する。日本は米英と組んで対ソ、対共産戦争へと突入していくことになる

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

戦神の星・武神の翼 ~ もしも日本に2000馬力エンジンが最初からあったなら

もろこし
歴史・時代
架空戦記ファンが一生に一度は思うこと。 『もし日本に最初から2000馬力エンジンがあったなら……』 よろしい。ならば作りましょう! 史実では中途半端な馬力だった『火星エンジン』を太平洋戦争前に2000馬力エンジンとして登場させます。そのために達成すべき課題を一つ一つ潰していく開発ストーリーをお送りします。 そして火星エンジンと言えば、皆さんもうお分かりですね。はい『一式陸攻』の運命も大きく変わります。 しかも史実より遙かに強力になって、さらに1年早く登場します。それは戦争そのものにも大きな影響を与えていきます。 え?火星エンジンなら『雷電』だろうって?そんなヒコーキ知りませんw お楽しみください。

札束艦隊

蒼 飛雲
歴史・時代
 生まれついての勝負師。  あるいは、根っからのギャンブラー。  札田場敏太(さつたば・びんた)はそんな自身の本能に引きずられるようにして魑魅魍魎が跋扈する、世界のマーケットにその身を投じる。  時は流れ、世界はその混沌の度を増していく。  そのような中、敏太は将来の日米関係に危惧を抱くようになる。  亡国を回避すべく、彼は金の力で帝国海軍の強化に乗り出す。  戦艦の高速化、ついでに出来の悪い四姉妹は四一センチ砲搭載戦艦に改装。  マル三計画で「翔鶴」型空母三番艦それに四番艦の追加建造。  マル四計画では戦時急造型空母を三隻新造。  高オクタン価ガソリン製造プラントもまるごと買い取り。  科学技術の低さもそれに工業力の貧弱さも、金さえあればどうにか出来る!

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

超量産艦隊

ypaaaaaaa
歴史・時代
海軍内では八八艦隊の議論が熱を帯びていた頃、ある一人の天才によって地味ではあるが大きく日本の未来を変えるシステムが考案された。そのシステムとは、軍艦を一種の”箱”と捉えそこに何を詰めるかによって艦種を変えるという物である。海軍首脳部は直ちにこのシステムの有用性を認め次から建造される軍艦からこのシステムを導入することとした。 そうして、日本海軍は他国を圧倒する量産性を確保し戦雲渦巻く世界に漕ぎ出していく… こういうの書く予定がある…程度に考えてもらうと幸いです!

処理中です...