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第18章 外伝(北アフリカ戦線編)
18.5章 アレクサンドリア攻略
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枢軸軍は、エルアラメインが陥落してから5日後には、追撃の手を緩めずに東へと敗走をしてゆく連合軍への攻撃を開始した。放置すれば、アレクサンドリアに入って再び抵抗してくるだろう。しかし、戦闘で疲弊していた枢軸側の部隊には燃料や弾薬、食料の補給が必要だ。何よりも戦い続けた兵士には休養が必要だった。追撃戦に参加できた兵力は必ずしも十分ではなかった。
連合軍の兵力は退避中にも地上での攻撃だけでなく、ドイツ空軍から攻撃を受けた。ここでも、Hs129は大きな威力を発揮した。但し、弱点のエンジンが故障を頻発したおかげで、稼働率が半減していたために攻撃は散発的になった。
モントゴメリーが残存兵力と一緒にアレクサンドリアに入れたのは、7月28日になってからだった。それでも、到着時に残っていた兵力は、エル・アラメインを脱出した時の6割に達した。しかも、スエズ経由でアレクサンドリア港に到着した貨物船には、アメリカからの新型戦車が搭載されていた。
ロンメル軍団の主隊が東に向けてやってくる間に、モントゴメリーはアレクサンドリアの防御の強化を直ちに開始した。もちろん、今までのトブルクやエル・アラメインの戦闘ですり潰してしまった連合軍の兵力は戻ってこない。それは、カイロやスエズ方面から部隊を派遣させて守備兵力を増強した。エジプト領内で調達できる兵力には限りがあったが、ないよりはましだ。
……
アレクサンドリアが今まで戦闘の対象となった海岸沿いの都市や要塞と大きく異なる点は、市街地に接して南から南西の方向に細長いマリウト湖が広がっていることだ。この湖は海岸線に沿った南西から北東に細長い野球のバットの先端に楕円形の頭をつけたような形状をしていた。南西側から市街地に近づくには海岸沿いの一本道のような細長い地形を約60km進む必要がある。日本的に言えば、60km続く天の橋立を巨大にした地形と言えばわかりやすいだろうか。アレクサンドリアは、この湖の北東端に近い海岸に位置していた。つまり、細長い湖の頭部に達すれば、アレクサドリアの防衛陣地も市街地も極めて近いことになる。
参謀長のバイエルライン中佐が、攻撃作戦についてロンメルに説明していた。ドイツアフリカ軍団の参謀は、アレクサンドリアの攻略方法をしばらく前から検討していたのだ。作戦のたたき台として、まずは今まで検討していた作戦を披露することになったのだ。
「第一段階として、アレクサンドリア市街の北東側陣地に激しく空爆と砲撃を加えます。そのまま正面から攻撃を仕掛けます。連合軍側もここが戦闘の重要地域だと考えているでしょうから、激しい攻防戦になるでしょう。しかし、この地域への攻勢はおとりです。被害が拡大する前に南方へと下がります。実際の主力は、更に北東側のアブキール湾近くの海岸に出るまで迂回して海沿いの北東の街道から接近します」
「北東側から迂回する作戦は、私でもすぐに思いつく。ある意味、迂回するのはアフリカ軍団が得意としたやり方だ。そんな作戦は、モントゴメリーも予測して待ち構えているぞ。しかも、アレクサンドリアの北東方面に接近する前に、湖の南東側で機甲部隊の戦いになるだろう。連合軍も戦車師団の使いどころは、市街地の前面ではなく、湖の南東に広がる荒地だと考えているはずだ。やり直しだな。計算機も活用して、再度検討してみてくれ」
「わかりました。計算機は簡単に机上演習ができますので、複数の作戦案に対して優劣の比較が可能です」
その後、3日間をかけて、情報参謀のメレンティン中佐を中心とした参謀達は計算機を利用して、何度も机上戦闘を繰り返してきた。その結果をもって、再度集まった。
ロンメルは計算機が打ち出したアレクサンドリア周辺の連合軍の配置を見ていた。用紙には、偵察機が集めてきた情報を基に、計算機が推定した配備兵力が示されていた。もう一枚の用紙には、作戦案毎に計算機が評価した青軍の被害と赤軍に与える戦果、懸念事項などが印字されていた。
「やはり、この作戦案を採用すれば、我々の損失は少なく、相手に与える戦果が多いのだな。計算機も攻撃すべきところは、防御の薄いこの部分だと評価しているのだろう」
ロンメルは前面に広げたアレクサンドリア周辺の地図を見ると、一点を指さした。彼が示したのは、マリウト湖の西側に一本道のようにまっすぐ伸びた海岸沿いのエリアだった。
「実際の偵察結果を基にしてもこのあたりの守備兵力は薄いということだな。常識的には、そういう結論になるだろう。そして連合軍の指揮官であるモントゴメリーは極めて常識的な男だ」
バイエルライン中佐は露骨にいやな顔をした。
「計算機の被害と戦果の評価については妥当だと思います。但し、計算が示した注意事項にもありますが、この一本道に想定以上の連合軍兵力が待ち構えていると、それだけで作戦は頓挫します。つまり敵の兵力が想定外に強力だった場合、他の戦線からの応援もできないこの地域では、攻撃隊は全滅しかねません。ギャンブルのような作戦よりも、もっと相互に支援可能な無難な作戦にすべきだと考えます。こんな右にも左にも逃れられないようなところで、連合軍の大部隊に迎え撃たれたら、大損害を受けるのは必至です。そうなれば、作戦全体が崩壊します」
ロンメルは、黙って首を横に振った。作戦を変更しないという意味だ。
8月14日には、アレクサンドリア周辺で戦闘が始まった。
アブキール湾の南西にはイギリス空軍の基地が存在していたが、連日ドイツ軍からの激しい爆撃にさらされていた。爆撃により、滑走路は使えなくなり、飛行できる航空機はカイロ方面へと退避していった。
一方、ロンメル軍団がアレクサンドリアの攻略に取り掛かったころ、イタリア艦隊が南方に向けて出港していた。「ローマ」と「ヴィットリオ・ヴェネト」「カイオ・デュイリオ」「アンドレア・ドーリア」を主力とした部隊は再び港から南下を始めた。地中海で東へと変針したイタリア艦隊が目指したのは、リビアのトリポリではなく、アレクサンドリア港だった。
港では、イギリス海軍で動ける艦艇は、ほぼ全てがスエズやシリア方面に脱出して、着底や座礁、故障で動けない艦艇だけが残っていた。イタリア艦隊は南西側から接近するとアレクサンドリア港の沖合を南西から北東に通過しながら、湾内の艦艇に砲撃を加えた。
続いて、アブキール湾の北側で180度回頭すると、アレクサンドリア市街の東北東に構築されていた連合軍陣地に向けて砲撃を浴びせた。陸上戦闘であれば決して経験することがないような大口径の砲弾により、陣地はたちまち月面のようになった。陣地には、多数の連合軍の火砲が配備されていたが、戦艦の砲弾を受けて半数以上が無力化された。
……
枢軸側の大規模な部隊が、マリウト湖の南側を大きく迂回して、南東の荒地に侵攻してきた。侵攻してきたのは、ドイツの第21装甲師団とイタリアのアリエテ戦車師団だった。この方向からの攻撃はモントゴメリーも想定していた。連合軍は全力で機甲師団を繰り出して、戦車戦が始まった。アリエテ師団の主力はM13/40戦車だった。一方、イギリス軍の前衛部隊の主力は2ポンド砲(40mm)を装備したクルーセイダー戦車だった。M13/40戦車の47mm砲はクルーセイダーの装甲に対しては十分な威力を発揮した。しかし、クルーセイダーもイタリア戦車に命中させれば、M13/40の30mm装甲を貫通できた。
一進一退の攻防をしていると、後方からイギリス軍の中で徐々に配備数を増やしている新型戦車が姿を現した。
1942年中旬になってイギリスに供与されたアメリカのM4シャーマンだ。M13/40戦車の47mmではかなり近づかない限りM4砲塔の3インチ(76mm)装甲を破ることはできなかった。一方、M4の75mmはどの距離でもM13/40の正面装甲を簡単に貫通できた。イタリア戦車が後退してゆくと、前面に出てきたのは長砲身75mm砲を備えたⅣ号戦車だった。新型のⅣ号戦車は48口径75mm砲を備えていた。
長砲身75mm砲の徹甲弾は、1,000mの距離でも約85mmの装甲を貫徹できた。3インチ(76mm)装甲の砲塔でも2インチ(51mm)の車体前面に命中しても確実にM4中戦車を撃破できる威力だ。一方、M4の75mm主砲もⅣ号の50mm前面装甲を遠距離でも貫通できた。
双方が戦闘を繰り広げている上空にHs129が飛来してきた。ヘンシェルの双発機が機銃弾を命中させるとM4のガソリンエンジンは簡単に火を噴いた。砲塔やエンジンルームの上面ならば、30mm機関銃弾でなくともMG151/20でも簡単に撃ち抜くことができた。しかし、長砲身Ⅳ号の数に比べて、M4とマチルダは圧倒的に数が多かった。しかし故障の多いHs129も飛行している数は4機に過ぎなかった。連合軍も枢軸側も突出した攻撃力を発揮できない戦いは膠着状態に陥っていった。
荒野での戦車戦が膠着しているころ、更に南側を大きく迂回してアブキール湾の西側をイタリアとドイツの混成軍が海岸目指して北上していった。第90軽機甲師団とリットリオ戦車師団だった。ドイツ軍の前衛はⅢ号突撃砲だった。長砲身の75mm砲はどんなイギリス戦車でも対抗できた。しかし、アレクサンドリア方面に接近してゆくと、海岸に近い地域では、ボックス型の陣地に加えて、穴を掘って車体を低くしたマチルダが待ち構えていた。ダグイン(dug-in)によりトーチカのように砲塔を出した戦車は、Ⅲ号突撃砲でもかなり厄介な相手だった。
膠着状態に陥っていた戦線の上空にJu87が急降下してきた。後方からの105mm榴弾砲と15cm榴弾砲の射撃も加わる。爆撃と砲撃により、次々と陣地を破壊したおかげで、立ち往生していたイタリア軍はのろのろと前進を始めた。
モントゴメリーは、北東の海岸沿いと湖の東端からの攻撃に対して、アレクサンドリアの予備兵力の投入を命じた。連合軍側の兵力が増えれば、形勢は逆転できるはずだ。前線が破られれば、海と湖にはさまれたアレクサンドリアは追い詰められることになる。逆に攻撃を凌いで枢軸軍を撃退すれば、この日の攻防戦は勝利に終わるだろう。
……
同じころ、マリウト湖の西南の端からドイツアフリカ軍団から分離した第15装甲師団の主力部隊が全速で進撃を開始していた。師団長のクラマー中佐が率いる部隊の前方を進んでいたのは、Ⅳ号戦車の前方に巨大な円筒形の二つの鉄製のドラムを取り付けた戦車だった。マイネンラウム(Minenraum)Ⅳ号と呼ばれるこの戦車は、ドラムの自重をかけて地雷を爆発させながら進む。地雷原を手っ取り早く突破するための新兵器だった。
地雷処理車の後方にはこれも新たに北アフリカ軍団に配備されたⅢ号突撃砲とⅣ号戦車が続いていた。いずれの車両も長砲身の48口径75mmを搭載した最新型だった。この部隊は、迅速に進撃できるように、全てが機械化されていた。歩兵も全員がSdKfz251などのハーフトラックに乗って高速移動が可能となっていた。
計算機が出した答えには、マリウト湖沿岸からの攻撃作戦が含まれていた。60kmの距離も平均時速20kmで走行すれば、3時間で目標まで到達できる。しかし、一本道で空から攻撃されたり長距離砲で攻撃されれば逃げるところがない。最前方と後方が攻撃されて立ち往生すれば、部隊は身動きできずにやられ放題になる。ドイツ空軍による基地の攻撃も、戦艦による火砲の陣地に対する砲撃も、この方面からの攻勢を支援するための作戦だった。
マルセイユの編隊は海岸線の上空を東北東に向けて飛行していた。既に前方には、地中海に飛び出したアレクサンドリアの港が見えていた。さっそく後方のFw200から通報が入ってきた。
「11時方向に編隊だ。おそらく30機を超える」
警告を受けた通り前方に編隊が見えてきた。接近してくる機影を注意深く観察していると、それがスピットファイアとハリケーンの混成編隊だとわかった。相手もドイツ軍機を視認したのだろう編隊を北西から南東に開いた。
「前方にスピットとハリケーンの編隊だ。スピットが地上攻撃部隊を護衛しているのだろう」
北アフリカに配備されたハリケーンはイスパノ・スイザ20mmを4挺装備して、500lb(227kg)爆弾を搭載できるので、地上部隊にとっては大きな脅威だ。わずかの機体でも漏らせば、地上の部隊は大きな被害を受けるだろう。
それでも、まずは、護衛のスピットファイアを排除しなければ、ハリケーンを攻撃できない。
マルセイユは、躊躇することなく横に広がったスピットファイア編隊の中央部に突進していった。中隊の列機は左翼と右翼に分かれて向かっていった。
マルセイユの中隊は、JG27の中でもいち早く新型機のMe309Bを受領していた。マルセイユは、7月にベルリンに戻った際に、開発中の新型戦闘機のうわさを聞き付けていた。すぐに戦闘機総監のガーランドに談判して、ぜひ新型のメッサーシュミットをすぐにも北アフリカに配備してくれとお願いしてきたのだ。
ガーランド少将は「アフリカの星」が依頼したことを忘れていなかった。Me309Bの生産が本格化すると、先行配備先の一つにマルセイユのJG27を指定したのだ。そんないきさつで、ドイツ本土でも極めて珍しい新型のメッサーシュミットがアフリカの空を飛んでいた。
Me309Bは全ての性能で、スピットファイアの性能を圧倒しているはずだ。しかし、観察力の鋭いマルセイユは、イギリス戦闘機の加速がかなり良いことに気が付いた。
「気をつけろ。スピットファイアは新型だ。エンジンを強化した性能向上型がアフリカにも現われたぞ」
列機に注意を促したが、マルセイユは、相手が性能向上型のスピットファイアでも、新型のメッサーシュミットが負けるはずはないと冷静に考えていた。こちらの機体は、Bf109からとんでもなく性能が向上しているのだ。
いつものようにマルセイユは単機で敵編隊に飛び込むと、フラップを下げた急旋回で右から飛行してくるスピットファイアを一撃で撃墜した。周囲を飛行するスピットファイアⅨ型を見つけると、手当たり次第に方向転換しながら射撃した。狙われた機体は、1機も逃げることができなかった。あっという間に6機のスピットファイアが撃墜された。
マルセイユの小隊がスピットファイアと交戦している間に、他のドイツ軍機はハリケーンの編隊に襲い掛かった。ハリケーンの編隊中に見慣れない装備を搭載した機体が混ざっているのを発見した。
「翼下面に大型機関砲を搭載した機体がいるぞ。おそらく40mm程度の大口径砲だ。こんなのが地上部隊を攻撃したら、戦車もひとたまりもないぞ。残らず墜とせ」
編隊を組んでいた30機近くのハリケーンはMe309Bにより、あっという間に撃墜されてしまった。重量物を搭載して動きが鈍った機体は、新型メッサーシュミットの前では長く飛んでいることは不可能だった。残ったスピットファイアはカイロ方面に逃げていった。マルセイユの中隊がしばらく、ドイツ機甲部隊の上空を旋回していると、南西方向にBf109Fの編隊が見えてきた。
「シュタールシュミットだ。任務を引き継ぐ」
シュタールシュミット中尉は、同じJG27に所属するマルセイユの友人だった。彼自身も、北アフリカで既に10機以上を撃墜しているエースだ。彼の編隊はまだBf109Fを使用していたが、相手がP-40やハリケーンならば十分だろう。
空からの攻撃を受けることなく第15装甲師団はアレクサンドリアの建築物が遠望できるところまでやってきた。途中で何カ所か地雷原はあったが、事前偵察の通り、一本道の途中には連合軍の部隊は待ち構えてはいなかった。モントゴメリーは、この方向からの攻撃はせいぜい軽火力の装甲車の部隊が突入してくることはあっても、まさか多数の戦車を含む大部隊が攻撃してくることまでは考えていなかったのだろう。
市街地が見えるところまで前進してくると、前方に連合軍の陣地が現われた。さすがに連合軍も南西方面からの攻撃を軽視はしていたが、防衛線の構築までおろそかにしていたわけではなかったのだ。
陣地に隠れていた25ポンド砲(87.6mm)が撃ってきた。更に、前方のⅣ号戦車を狙って6ポンド対戦車砲(57mm)が火を噴いた。
6ポンドの57mm砲弾が先頭のマイネンラウム(地雷処理)型Ⅳ号に命中すると、上部のハッチから黒煙を噴き出して停止した。Ⅳ号の50mmの正面装甲では6ポンド砲を防ぐことはできなかった。防御陣地からの砲撃を確認すると、後方のⅣ号戦車とⅢ号突撃砲が次々と射撃を開始した。もちろん、この程度の反撃は想定内だ。榴弾による射撃を受けると、連合軍陣地からの火力は次第に減少していった。
被害を受けて停止してしまった地雷除去器をつけたⅣ号戦車を後続の戦車が路外へと押し出した。回収すれば修理は可能だが、今の状況では海岸に突き落とすしかない。
二重に構築された陣地に自走砲から激しい砲撃を加える。Ⅲ号突撃砲とⅣ号戦車が地雷原の直前まで前進して砲撃により、対戦車砲と機銃陣地を制圧する。生き残っていた地雷処理型Ⅳ号が前進してくると、対戦車地雷を爆破しながら前進していった。
固く防御された陣地も、一部が突破されて、陣地の内側にドイツ軍が流れ込むと、驚くほどもろかった。背後からの攻撃を想定していなかった陣地は簡単に陥落した。
連合軍の防御陣地を突破すると、第1大隊長のキュメル少佐の目前に港とアレクサンドリアの市街地が見えてきた。
(この街でもっとも重要な設備はアレクサンドリアの港湾だ。港を占領すれば、守るべきものを失った連合軍は総崩れになるはずだ)
「第1大隊は、市街地前面で左に向けて方向転換。10時方向の港湾への進出を優先する」
連合軍が、東と北東からの枢軸軍部隊と戦っている間に、突如として市街地の南西側から大規模な戦車部隊が現れた。北東の陣地では連合軍側がやや有利に戦っていたはずだ。しかし、モントゴメリーも港湾に向けて進んでくる南西の敵機甲部隊を無視できない。
「背に腹は代えられない。港の方面に、予備兵力を移動させろ」
しかし、港の防衛に向けて予備兵力の移動を命じた時点で、既に第15戦車師団の機甲部隊は市街地から港に接近していた。移動に要する時間を考えれば、もはや手遅れだった。港湾の一帯を短時間で制圧したキュメル少佐の部隊は、連合軍が北東からやってくるのを想定して待ち構えていた。
Ⅲ号突撃砲は、低い車体を生かして物陰に隠れていた。連合軍のM4戦車の一隊が港に向けて前進してきたが、前面にⅣ号戦車が現われた。攻撃すべく前進してゆくと、隠れていたⅢ号突撃砲の75mm砲が次々に射撃を開始した。車体を隠したⅢ号突撃砲の射撃に気づいて、シャーマンも反撃したがなかなか命中しない。このような状況では、突撃砲に比べて圧倒的に背の高いM4戦車はかなり不利だった。48口径の75mm砲は、数百メートル以内ならば、M4シャーマンのどこに命中しても貫通した。連合軍にとって貴重なM4の部隊は、港の前面で消滅した。
モントゴメリーも南西と北東の双方から攻撃を受けて、逃げ場をなくした。南西方向のドイツ軍は既に港湾を制圧していた。第15戦車師団の一部は、港を越えて北東に進み始めた。北東方向の前線は、やや連合軍が有利に攻撃を跳ね返しつつあったが、背後からの攻撃を受けて一気に崩壊した。挟撃された連合軍部隊は、カイロ方面に脱出するチャンスを失っていた。
5日間、アレクサンドリア市街の北側でモントゴメリーの部隊は粘っていたが、市街地側の北東と南西から挟撃されてついに降伏した。
……
アレクサンドリアを攻撃したイタリア戦艦の艦隊は、そのまま西へと進んだ。アレクサンドリアの抵抗が終わるころには、艦隊はマルタの南端付近に達していた。マルタ島が見えてくると、ぐるりと西側に回り込んで北上を始めた。マルタの西岸方向から島内の基地に向けて砲撃を開始した。マルタの北側でUターンすると再び砲撃を繰り返しながら、東岸へと1周するように航行してきた。
マルタの北東海域には、シチリア島を出港してきた駆逐艦に護衛された枢軸軍の輸送船団が待ち構えていた。輸送船はマルタ北方のゼムキシャ湾とメリーハ湾を目指した。湾の沖合から駆逐艦が海岸に激しく砲撃を開始した。その間に輸送船が下した小型艇が海岸に乗り上げてきた。輸送船にはイタリア兵とドイツ兵が乗船していた。砲撃により制圧した間にマルタ島では珍しい2カ所の砂浜が広がる海岸から上陸すると兵員や車両を降ろした。
上陸作戦の間にもマルタへの枢軸側空軍の空爆が繰り返されていた。ほぼ同時期に南岸のマルサシュロックにも輸送船が接近していた。沖合の輸送船から舟艇が降ろされて湾内に突入するとそのまま海岸に乗り上げた。多方面での上陸作戦に対して、補給物資が不足していたマルタの地上兵力は、満足に反撃することもできなかった。
マルタ島内の3カ所の航空基地の上空では、シチリア島を発進した戦闘機が警戒していた。しばらくして、多数のJu52の編隊が飛行してきた。あっという間にJu52からドイツ空軍の空挺部隊が降下する。飛行場を制圧すると、とんでもない巨人機が降りてきた。6機のMe323ギガントが飛行場に降下してきたのだ。落下傘では降ろせない自走砲や火砲が空挺部隊の装備に追加された。
海岸と空の双方から攻撃を受けて、マルタ島内の戦闘はすぐに掃討戦のようになっていった。海岸から内部に侵攻した枢軸軍がマルタ島を完全に制圧したのは、2週間後だった。
……
モントゴメリーがエル・アラメインからアレクサンドリアに移動して防衛線の強化をしていたころ、連合軍のリース中将はイギリス本国からカイロに移動するように命令を受けた。もちろんこの大都市の防衛を強化するためだ。
しかし、大都市の防衛兵力は全く不十分だった。カイロ守備隊の司令官になったリース中将は、アレクサンドリアが陥落したと聞いて、次はカイロだろうと覚悟した。劣勢な兵力でもカイロの防衛を強化するしかない。手の内の戦力を活用して市街の防衛準備を始めた。
しかし、ロンメル軍団が侵攻したのは、ナイルの三角州のほぼ中央に位置するタンタだった。わずかな数の防衛隊が駐屯していた地方都市は、すぐに枢軸軍の支配下になった。しかし、タンタはナイルデルタの交通の中継点であり、アレクサンドリアからは、鉄道もつながっていた。
その地からロンメルの部隊がそのまま東進すればスエズ運河に行き当たる。運河の西岸を北と南に進めば地中海側のポートサイドと紅海側のスエズに行き着く。双方の街には、運河を防衛する部隊が置かれていたが、他の地域防衛のために幾度も兵力を引き抜かれて、弱体化していた。そのため、突然襲撃してきた枢軸の戦車部隊には全くかなわなかった。1週間の戦いの後にスエズ運河は完全に枢軸側の支配下となった。
一方、ロンメルは、カイロへの攻撃に関しては、包囲戦を選択した。機甲部隊の戦いには、全く不向きな迷路のような市街地内部で戦闘することは避けて、市街地周囲の道路を封鎖した。包囲を続ければ食料も物資も内部に入ることはできない。200万近くのカイロの人口をすぐに支えられなくなって、自然に干上がるに違いない。
やがて、守備隊のリース中将のところにスエズ運河とマルタ島が攻略されたとの情報が入ってきた。さすがにスエズが落ちれば、シリアやインド洋からの物資輸送は絶望的だ。地中海のジブラルタル方面からの援軍もマルタの陥落で不可能になった。そもそもスエズ運河が攻略されたならば、カイロで連合軍が頑張っている意味は全くない。カイロ守備隊が遊兵となったとの認識と勝機が去ったことを悟って、リース中将はカイロの無血開城を宣言して、ロンメルに降伏した。
1942年9月末にはロンメルの目的だったリビアからエジプトまでの地中海の南岸のほとんどは枢軸国の支配下となった。壮絶な戦いが一段落してから、ロンメルは北アフリカを去った。砂漠の戦いで皮膚と肝臓の病が悪化していたのだ。
1942年の初めころから、連合軍によるヴィシー政権支配下にあるアルジェリアやカサブランカへの上陸作戦が検討されていた。年末ごろには、イギリスとアメリカの連合軍により、実行の予定と考えられていた。しかし、エジプトとマルタが枢軸側の支配地となってしまった状況下では、作戦の成功確率は著しく低下していた。しかも、スエズ運河の奪還がはるかに優先度の高い目標となったために、上陸作戦は無期延期となった。
ヒトラーにとってロンメルの成功は大きな意味があった。1942年になって進めていた東部戦線のブラウ作戦が目的を達成すれば、中東を経由して北アフリカとコーカサス戦線が手を結ぶことが全くの絵空事ではなくなるからだ。
連合軍の兵力は退避中にも地上での攻撃だけでなく、ドイツ空軍から攻撃を受けた。ここでも、Hs129は大きな威力を発揮した。但し、弱点のエンジンが故障を頻発したおかげで、稼働率が半減していたために攻撃は散発的になった。
モントゴメリーが残存兵力と一緒にアレクサンドリアに入れたのは、7月28日になってからだった。それでも、到着時に残っていた兵力は、エル・アラメインを脱出した時の6割に達した。しかも、スエズ経由でアレクサンドリア港に到着した貨物船には、アメリカからの新型戦車が搭載されていた。
ロンメル軍団の主隊が東に向けてやってくる間に、モントゴメリーはアレクサンドリアの防御の強化を直ちに開始した。もちろん、今までのトブルクやエル・アラメインの戦闘ですり潰してしまった連合軍の兵力は戻ってこない。それは、カイロやスエズ方面から部隊を派遣させて守備兵力を増強した。エジプト領内で調達できる兵力には限りがあったが、ないよりはましだ。
……
アレクサンドリアが今まで戦闘の対象となった海岸沿いの都市や要塞と大きく異なる点は、市街地に接して南から南西の方向に細長いマリウト湖が広がっていることだ。この湖は海岸線に沿った南西から北東に細長い野球のバットの先端に楕円形の頭をつけたような形状をしていた。南西側から市街地に近づくには海岸沿いの一本道のような細長い地形を約60km進む必要がある。日本的に言えば、60km続く天の橋立を巨大にした地形と言えばわかりやすいだろうか。アレクサンドリアは、この湖の北東端に近い海岸に位置していた。つまり、細長い湖の頭部に達すれば、アレクサドリアの防衛陣地も市街地も極めて近いことになる。
参謀長のバイエルライン中佐が、攻撃作戦についてロンメルに説明していた。ドイツアフリカ軍団の参謀は、アレクサンドリアの攻略方法をしばらく前から検討していたのだ。作戦のたたき台として、まずは今まで検討していた作戦を披露することになったのだ。
「第一段階として、アレクサンドリア市街の北東側陣地に激しく空爆と砲撃を加えます。そのまま正面から攻撃を仕掛けます。連合軍側もここが戦闘の重要地域だと考えているでしょうから、激しい攻防戦になるでしょう。しかし、この地域への攻勢はおとりです。被害が拡大する前に南方へと下がります。実際の主力は、更に北東側のアブキール湾近くの海岸に出るまで迂回して海沿いの北東の街道から接近します」
「北東側から迂回する作戦は、私でもすぐに思いつく。ある意味、迂回するのはアフリカ軍団が得意としたやり方だ。そんな作戦は、モントゴメリーも予測して待ち構えているぞ。しかも、アレクサンドリアの北東方面に接近する前に、湖の南東側で機甲部隊の戦いになるだろう。連合軍も戦車師団の使いどころは、市街地の前面ではなく、湖の南東に広がる荒地だと考えているはずだ。やり直しだな。計算機も活用して、再度検討してみてくれ」
「わかりました。計算機は簡単に机上演習ができますので、複数の作戦案に対して優劣の比較が可能です」
その後、3日間をかけて、情報参謀のメレンティン中佐を中心とした参謀達は計算機を利用して、何度も机上戦闘を繰り返してきた。その結果をもって、再度集まった。
ロンメルは計算機が打ち出したアレクサンドリア周辺の連合軍の配置を見ていた。用紙には、偵察機が集めてきた情報を基に、計算機が推定した配備兵力が示されていた。もう一枚の用紙には、作戦案毎に計算機が評価した青軍の被害と赤軍に与える戦果、懸念事項などが印字されていた。
「やはり、この作戦案を採用すれば、我々の損失は少なく、相手に与える戦果が多いのだな。計算機も攻撃すべきところは、防御の薄いこの部分だと評価しているのだろう」
ロンメルは前面に広げたアレクサンドリア周辺の地図を見ると、一点を指さした。彼が示したのは、マリウト湖の西側に一本道のようにまっすぐ伸びた海岸沿いのエリアだった。
「実際の偵察結果を基にしてもこのあたりの守備兵力は薄いということだな。常識的には、そういう結論になるだろう。そして連合軍の指揮官であるモントゴメリーは極めて常識的な男だ」
バイエルライン中佐は露骨にいやな顔をした。
「計算機の被害と戦果の評価については妥当だと思います。但し、計算が示した注意事項にもありますが、この一本道に想定以上の連合軍兵力が待ち構えていると、それだけで作戦は頓挫します。つまり敵の兵力が想定外に強力だった場合、他の戦線からの応援もできないこの地域では、攻撃隊は全滅しかねません。ギャンブルのような作戦よりも、もっと相互に支援可能な無難な作戦にすべきだと考えます。こんな右にも左にも逃れられないようなところで、連合軍の大部隊に迎え撃たれたら、大損害を受けるのは必至です。そうなれば、作戦全体が崩壊します」
ロンメルは、黙って首を横に振った。作戦を変更しないという意味だ。
8月14日には、アレクサンドリア周辺で戦闘が始まった。
アブキール湾の南西にはイギリス空軍の基地が存在していたが、連日ドイツ軍からの激しい爆撃にさらされていた。爆撃により、滑走路は使えなくなり、飛行できる航空機はカイロ方面へと退避していった。
一方、ロンメル軍団がアレクサンドリアの攻略に取り掛かったころ、イタリア艦隊が南方に向けて出港していた。「ローマ」と「ヴィットリオ・ヴェネト」「カイオ・デュイリオ」「アンドレア・ドーリア」を主力とした部隊は再び港から南下を始めた。地中海で東へと変針したイタリア艦隊が目指したのは、リビアのトリポリではなく、アレクサンドリア港だった。
港では、イギリス海軍で動ける艦艇は、ほぼ全てがスエズやシリア方面に脱出して、着底や座礁、故障で動けない艦艇だけが残っていた。イタリア艦隊は南西側から接近するとアレクサンドリア港の沖合を南西から北東に通過しながら、湾内の艦艇に砲撃を加えた。
続いて、アブキール湾の北側で180度回頭すると、アレクサンドリア市街の東北東に構築されていた連合軍陣地に向けて砲撃を浴びせた。陸上戦闘であれば決して経験することがないような大口径の砲弾により、陣地はたちまち月面のようになった。陣地には、多数の連合軍の火砲が配備されていたが、戦艦の砲弾を受けて半数以上が無力化された。
……
枢軸側の大規模な部隊が、マリウト湖の南側を大きく迂回して、南東の荒地に侵攻してきた。侵攻してきたのは、ドイツの第21装甲師団とイタリアのアリエテ戦車師団だった。この方向からの攻撃はモントゴメリーも想定していた。連合軍は全力で機甲師団を繰り出して、戦車戦が始まった。アリエテ師団の主力はM13/40戦車だった。一方、イギリス軍の前衛部隊の主力は2ポンド砲(40mm)を装備したクルーセイダー戦車だった。M13/40戦車の47mm砲はクルーセイダーの装甲に対しては十分な威力を発揮した。しかし、クルーセイダーもイタリア戦車に命中させれば、M13/40の30mm装甲を貫通できた。
一進一退の攻防をしていると、後方からイギリス軍の中で徐々に配備数を増やしている新型戦車が姿を現した。
1942年中旬になってイギリスに供与されたアメリカのM4シャーマンだ。M13/40戦車の47mmではかなり近づかない限りM4砲塔の3インチ(76mm)装甲を破ることはできなかった。一方、M4の75mmはどの距離でもM13/40の正面装甲を簡単に貫通できた。イタリア戦車が後退してゆくと、前面に出てきたのは長砲身75mm砲を備えたⅣ号戦車だった。新型のⅣ号戦車は48口径75mm砲を備えていた。
長砲身75mm砲の徹甲弾は、1,000mの距離でも約85mmの装甲を貫徹できた。3インチ(76mm)装甲の砲塔でも2インチ(51mm)の車体前面に命中しても確実にM4中戦車を撃破できる威力だ。一方、M4の75mm主砲もⅣ号の50mm前面装甲を遠距離でも貫通できた。
双方が戦闘を繰り広げている上空にHs129が飛来してきた。ヘンシェルの双発機が機銃弾を命中させるとM4のガソリンエンジンは簡単に火を噴いた。砲塔やエンジンルームの上面ならば、30mm機関銃弾でなくともMG151/20でも簡単に撃ち抜くことができた。しかし、長砲身Ⅳ号の数に比べて、M4とマチルダは圧倒的に数が多かった。しかし故障の多いHs129も飛行している数は4機に過ぎなかった。連合軍も枢軸側も突出した攻撃力を発揮できない戦いは膠着状態に陥っていった。
荒野での戦車戦が膠着しているころ、更に南側を大きく迂回してアブキール湾の西側をイタリアとドイツの混成軍が海岸目指して北上していった。第90軽機甲師団とリットリオ戦車師団だった。ドイツ軍の前衛はⅢ号突撃砲だった。長砲身の75mm砲はどんなイギリス戦車でも対抗できた。しかし、アレクサンドリア方面に接近してゆくと、海岸に近い地域では、ボックス型の陣地に加えて、穴を掘って車体を低くしたマチルダが待ち構えていた。ダグイン(dug-in)によりトーチカのように砲塔を出した戦車は、Ⅲ号突撃砲でもかなり厄介な相手だった。
膠着状態に陥っていた戦線の上空にJu87が急降下してきた。後方からの105mm榴弾砲と15cm榴弾砲の射撃も加わる。爆撃と砲撃により、次々と陣地を破壊したおかげで、立ち往生していたイタリア軍はのろのろと前進を始めた。
モントゴメリーは、北東の海岸沿いと湖の東端からの攻撃に対して、アレクサンドリアの予備兵力の投入を命じた。連合軍側の兵力が増えれば、形勢は逆転できるはずだ。前線が破られれば、海と湖にはさまれたアレクサンドリアは追い詰められることになる。逆に攻撃を凌いで枢軸軍を撃退すれば、この日の攻防戦は勝利に終わるだろう。
……
同じころ、マリウト湖の西南の端からドイツアフリカ軍団から分離した第15装甲師団の主力部隊が全速で進撃を開始していた。師団長のクラマー中佐が率いる部隊の前方を進んでいたのは、Ⅳ号戦車の前方に巨大な円筒形の二つの鉄製のドラムを取り付けた戦車だった。マイネンラウム(Minenraum)Ⅳ号と呼ばれるこの戦車は、ドラムの自重をかけて地雷を爆発させながら進む。地雷原を手っ取り早く突破するための新兵器だった。
地雷処理車の後方にはこれも新たに北アフリカ軍団に配備されたⅢ号突撃砲とⅣ号戦車が続いていた。いずれの車両も長砲身の48口径75mmを搭載した最新型だった。この部隊は、迅速に進撃できるように、全てが機械化されていた。歩兵も全員がSdKfz251などのハーフトラックに乗って高速移動が可能となっていた。
計算機が出した答えには、マリウト湖沿岸からの攻撃作戦が含まれていた。60kmの距離も平均時速20kmで走行すれば、3時間で目標まで到達できる。しかし、一本道で空から攻撃されたり長距離砲で攻撃されれば逃げるところがない。最前方と後方が攻撃されて立ち往生すれば、部隊は身動きできずにやられ放題になる。ドイツ空軍による基地の攻撃も、戦艦による火砲の陣地に対する砲撃も、この方面からの攻勢を支援するための作戦だった。
マルセイユの編隊は海岸線の上空を東北東に向けて飛行していた。既に前方には、地中海に飛び出したアレクサンドリアの港が見えていた。さっそく後方のFw200から通報が入ってきた。
「11時方向に編隊だ。おそらく30機を超える」
警告を受けた通り前方に編隊が見えてきた。接近してくる機影を注意深く観察していると、それがスピットファイアとハリケーンの混成編隊だとわかった。相手もドイツ軍機を視認したのだろう編隊を北西から南東に開いた。
「前方にスピットとハリケーンの編隊だ。スピットが地上攻撃部隊を護衛しているのだろう」
北アフリカに配備されたハリケーンはイスパノ・スイザ20mmを4挺装備して、500lb(227kg)爆弾を搭載できるので、地上部隊にとっては大きな脅威だ。わずかの機体でも漏らせば、地上の部隊は大きな被害を受けるだろう。
それでも、まずは、護衛のスピットファイアを排除しなければ、ハリケーンを攻撃できない。
マルセイユは、躊躇することなく横に広がったスピットファイア編隊の中央部に突進していった。中隊の列機は左翼と右翼に分かれて向かっていった。
マルセイユの中隊は、JG27の中でもいち早く新型機のMe309Bを受領していた。マルセイユは、7月にベルリンに戻った際に、開発中の新型戦闘機のうわさを聞き付けていた。すぐに戦闘機総監のガーランドに談判して、ぜひ新型のメッサーシュミットをすぐにも北アフリカに配備してくれとお願いしてきたのだ。
ガーランド少将は「アフリカの星」が依頼したことを忘れていなかった。Me309Bの生産が本格化すると、先行配備先の一つにマルセイユのJG27を指定したのだ。そんないきさつで、ドイツ本土でも極めて珍しい新型のメッサーシュミットがアフリカの空を飛んでいた。
Me309Bは全ての性能で、スピットファイアの性能を圧倒しているはずだ。しかし、観察力の鋭いマルセイユは、イギリス戦闘機の加速がかなり良いことに気が付いた。
「気をつけろ。スピットファイアは新型だ。エンジンを強化した性能向上型がアフリカにも現われたぞ」
列機に注意を促したが、マルセイユは、相手が性能向上型のスピットファイアでも、新型のメッサーシュミットが負けるはずはないと冷静に考えていた。こちらの機体は、Bf109からとんでもなく性能が向上しているのだ。
いつものようにマルセイユは単機で敵編隊に飛び込むと、フラップを下げた急旋回で右から飛行してくるスピットファイアを一撃で撃墜した。周囲を飛行するスピットファイアⅨ型を見つけると、手当たり次第に方向転換しながら射撃した。狙われた機体は、1機も逃げることができなかった。あっという間に6機のスピットファイアが撃墜された。
マルセイユの小隊がスピットファイアと交戦している間に、他のドイツ軍機はハリケーンの編隊に襲い掛かった。ハリケーンの編隊中に見慣れない装備を搭載した機体が混ざっているのを発見した。
「翼下面に大型機関砲を搭載した機体がいるぞ。おそらく40mm程度の大口径砲だ。こんなのが地上部隊を攻撃したら、戦車もひとたまりもないぞ。残らず墜とせ」
編隊を組んでいた30機近くのハリケーンはMe309Bにより、あっという間に撃墜されてしまった。重量物を搭載して動きが鈍った機体は、新型メッサーシュミットの前では長く飛んでいることは不可能だった。残ったスピットファイアはカイロ方面に逃げていった。マルセイユの中隊がしばらく、ドイツ機甲部隊の上空を旋回していると、南西方向にBf109Fの編隊が見えてきた。
「シュタールシュミットだ。任務を引き継ぐ」
シュタールシュミット中尉は、同じJG27に所属するマルセイユの友人だった。彼自身も、北アフリカで既に10機以上を撃墜しているエースだ。彼の編隊はまだBf109Fを使用していたが、相手がP-40やハリケーンならば十分だろう。
空からの攻撃を受けることなく第15装甲師団はアレクサンドリアの建築物が遠望できるところまでやってきた。途中で何カ所か地雷原はあったが、事前偵察の通り、一本道の途中には連合軍の部隊は待ち構えてはいなかった。モントゴメリーは、この方向からの攻撃はせいぜい軽火力の装甲車の部隊が突入してくることはあっても、まさか多数の戦車を含む大部隊が攻撃してくることまでは考えていなかったのだろう。
市街地が見えるところまで前進してくると、前方に連合軍の陣地が現われた。さすがに連合軍も南西方面からの攻撃を軽視はしていたが、防衛線の構築までおろそかにしていたわけではなかったのだ。
陣地に隠れていた25ポンド砲(87.6mm)が撃ってきた。更に、前方のⅣ号戦車を狙って6ポンド対戦車砲(57mm)が火を噴いた。
6ポンドの57mm砲弾が先頭のマイネンラウム(地雷処理)型Ⅳ号に命中すると、上部のハッチから黒煙を噴き出して停止した。Ⅳ号の50mmの正面装甲では6ポンド砲を防ぐことはできなかった。防御陣地からの砲撃を確認すると、後方のⅣ号戦車とⅢ号突撃砲が次々と射撃を開始した。もちろん、この程度の反撃は想定内だ。榴弾による射撃を受けると、連合軍陣地からの火力は次第に減少していった。
被害を受けて停止してしまった地雷除去器をつけたⅣ号戦車を後続の戦車が路外へと押し出した。回収すれば修理は可能だが、今の状況では海岸に突き落とすしかない。
二重に構築された陣地に自走砲から激しい砲撃を加える。Ⅲ号突撃砲とⅣ号戦車が地雷原の直前まで前進して砲撃により、対戦車砲と機銃陣地を制圧する。生き残っていた地雷処理型Ⅳ号が前進してくると、対戦車地雷を爆破しながら前進していった。
固く防御された陣地も、一部が突破されて、陣地の内側にドイツ軍が流れ込むと、驚くほどもろかった。背後からの攻撃を想定していなかった陣地は簡単に陥落した。
連合軍の防御陣地を突破すると、第1大隊長のキュメル少佐の目前に港とアレクサンドリアの市街地が見えてきた。
(この街でもっとも重要な設備はアレクサンドリアの港湾だ。港を占領すれば、守るべきものを失った連合軍は総崩れになるはずだ)
「第1大隊は、市街地前面で左に向けて方向転換。10時方向の港湾への進出を優先する」
連合軍が、東と北東からの枢軸軍部隊と戦っている間に、突如として市街地の南西側から大規模な戦車部隊が現れた。北東の陣地では連合軍側がやや有利に戦っていたはずだ。しかし、モントゴメリーも港湾に向けて進んでくる南西の敵機甲部隊を無視できない。
「背に腹は代えられない。港の方面に、予備兵力を移動させろ」
しかし、港の防衛に向けて予備兵力の移動を命じた時点で、既に第15戦車師団の機甲部隊は市街地から港に接近していた。移動に要する時間を考えれば、もはや手遅れだった。港湾の一帯を短時間で制圧したキュメル少佐の部隊は、連合軍が北東からやってくるのを想定して待ち構えていた。
Ⅲ号突撃砲は、低い車体を生かして物陰に隠れていた。連合軍のM4戦車の一隊が港に向けて前進してきたが、前面にⅣ号戦車が現われた。攻撃すべく前進してゆくと、隠れていたⅢ号突撃砲の75mm砲が次々に射撃を開始した。車体を隠したⅢ号突撃砲の射撃に気づいて、シャーマンも反撃したがなかなか命中しない。このような状況では、突撃砲に比べて圧倒的に背の高いM4戦車はかなり不利だった。48口径の75mm砲は、数百メートル以内ならば、M4シャーマンのどこに命中しても貫通した。連合軍にとって貴重なM4の部隊は、港の前面で消滅した。
モントゴメリーも南西と北東の双方から攻撃を受けて、逃げ場をなくした。南西方向のドイツ軍は既に港湾を制圧していた。第15戦車師団の一部は、港を越えて北東に進み始めた。北東方向の前線は、やや連合軍が有利に攻撃を跳ね返しつつあったが、背後からの攻撃を受けて一気に崩壊した。挟撃された連合軍部隊は、カイロ方面に脱出するチャンスを失っていた。
5日間、アレクサンドリア市街の北側でモントゴメリーの部隊は粘っていたが、市街地側の北東と南西から挟撃されてついに降伏した。
……
アレクサンドリアを攻撃したイタリア戦艦の艦隊は、そのまま西へと進んだ。アレクサンドリアの抵抗が終わるころには、艦隊はマルタの南端付近に達していた。マルタ島が見えてくると、ぐるりと西側に回り込んで北上を始めた。マルタの西岸方向から島内の基地に向けて砲撃を開始した。マルタの北側でUターンすると再び砲撃を繰り返しながら、東岸へと1周するように航行してきた。
マルタの北東海域には、シチリア島を出港してきた駆逐艦に護衛された枢軸軍の輸送船団が待ち構えていた。輸送船はマルタ北方のゼムキシャ湾とメリーハ湾を目指した。湾の沖合から駆逐艦が海岸に激しく砲撃を開始した。その間に輸送船が下した小型艇が海岸に乗り上げてきた。輸送船にはイタリア兵とドイツ兵が乗船していた。砲撃により制圧した間にマルタ島では珍しい2カ所の砂浜が広がる海岸から上陸すると兵員や車両を降ろした。
上陸作戦の間にもマルタへの枢軸側空軍の空爆が繰り返されていた。ほぼ同時期に南岸のマルサシュロックにも輸送船が接近していた。沖合の輸送船から舟艇が降ろされて湾内に突入するとそのまま海岸に乗り上げた。多方面での上陸作戦に対して、補給物資が不足していたマルタの地上兵力は、満足に反撃することもできなかった。
マルタ島内の3カ所の航空基地の上空では、シチリア島を発進した戦闘機が警戒していた。しばらくして、多数のJu52の編隊が飛行してきた。あっという間にJu52からドイツ空軍の空挺部隊が降下する。飛行場を制圧すると、とんでもない巨人機が降りてきた。6機のMe323ギガントが飛行場に降下してきたのだ。落下傘では降ろせない自走砲や火砲が空挺部隊の装備に追加された。
海岸と空の双方から攻撃を受けて、マルタ島内の戦闘はすぐに掃討戦のようになっていった。海岸から内部に侵攻した枢軸軍がマルタ島を完全に制圧したのは、2週間後だった。
……
モントゴメリーがエル・アラメインからアレクサンドリアに移動して防衛線の強化をしていたころ、連合軍のリース中将はイギリス本国からカイロに移動するように命令を受けた。もちろんこの大都市の防衛を強化するためだ。
しかし、大都市の防衛兵力は全く不十分だった。カイロ守備隊の司令官になったリース中将は、アレクサンドリアが陥落したと聞いて、次はカイロだろうと覚悟した。劣勢な兵力でもカイロの防衛を強化するしかない。手の内の戦力を活用して市街の防衛準備を始めた。
しかし、ロンメル軍団が侵攻したのは、ナイルの三角州のほぼ中央に位置するタンタだった。わずかな数の防衛隊が駐屯していた地方都市は、すぐに枢軸軍の支配下になった。しかし、タンタはナイルデルタの交通の中継点であり、アレクサンドリアからは、鉄道もつながっていた。
その地からロンメルの部隊がそのまま東進すればスエズ運河に行き当たる。運河の西岸を北と南に進めば地中海側のポートサイドと紅海側のスエズに行き着く。双方の街には、運河を防衛する部隊が置かれていたが、他の地域防衛のために幾度も兵力を引き抜かれて、弱体化していた。そのため、突然襲撃してきた枢軸の戦車部隊には全くかなわなかった。1週間の戦いの後にスエズ運河は完全に枢軸側の支配下となった。
一方、ロンメルは、カイロへの攻撃に関しては、包囲戦を選択した。機甲部隊の戦いには、全く不向きな迷路のような市街地内部で戦闘することは避けて、市街地周囲の道路を封鎖した。包囲を続ければ食料も物資も内部に入ることはできない。200万近くのカイロの人口をすぐに支えられなくなって、自然に干上がるに違いない。
やがて、守備隊のリース中将のところにスエズ運河とマルタ島が攻略されたとの情報が入ってきた。さすがにスエズが落ちれば、シリアやインド洋からの物資輸送は絶望的だ。地中海のジブラルタル方面からの援軍もマルタの陥落で不可能になった。そもそもスエズ運河が攻略されたならば、カイロで連合軍が頑張っている意味は全くない。カイロ守備隊が遊兵となったとの認識と勝機が去ったことを悟って、リース中将はカイロの無血開城を宣言して、ロンメルに降伏した。
1942年9月末にはロンメルの目的だったリビアからエジプトまでの地中海の南岸のほとんどは枢軸国の支配下となった。壮絶な戦いが一段落してから、ロンメルは北アフリカを去った。砂漠の戦いで皮膚と肝臓の病が悪化していたのだ。
1942年の初めころから、連合軍によるヴィシー政権支配下にあるアルジェリアやカサブランカへの上陸作戦が検討されていた。年末ごろには、イギリスとアメリカの連合軍により、実行の予定と考えられていた。しかし、エジプトとマルタが枢軸側の支配地となってしまった状況下では、作戦の成功確率は著しく低下していた。しかも、スエズ運河の奪還がはるかに優先度の高い目標となったために、上陸作戦は無期延期となった。
ヒトラーにとってロンメルの成功は大きな意味があった。1942年になって進めていた東部戦線のブラウ作戦が目的を達成すれば、中東を経由して北アフリカとコーカサス戦線が手を結ぶことが全くの絵空事ではなくなるからだ。
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