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第19章 外伝(東部戦線編)
19.1章 ブラウ作戦開始
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1942年3月になって、ラステンブルクの総統大本営では、東部戦線に対する攻勢についての検討が開始されていた。東プロイセンのラステンブルグ近郊に建設された総統大本営はヴォルフ・シャンツェ(オオカミの巣)と呼ばれ、対ソ戦全体の軍事作戦をヒトラーが指揮するための司令部であった。
大本営の検討会にはヒトラーのほかに国防軍総監のカイテル元帥や統帥部長ヨードル大将などが出席していた。陸軍の参謀総長であるフランツ・ハルダー上級大将が東部戦線の説明を始めた。
「ソ連軍は、昨年からの冬季攻勢により、我が軍を西へと押し返しています。しかし現時点では、赤軍の攻勢は限定的となっています。今やソ連軍の反攻は失速しつつあります。逆に我々は、現状では消耗を避けて兵力を温存できれば、夏季には反撃が可能になります」
ヒトラーは、1942年の夏季攻勢が可能であるという言葉を見逃さなかった。
「今期の攻勢として、参謀本部が考えている作戦を説明せよ。もちろん我が軍が攻撃作戦を実行するならば、ソ連の継戦能力に決定的な被害を与えなければならない。それが可能ならば、作戦計画を承認するぞ」
陸軍参謀本部は、ヒトラーの興味がレニングラードやモスクワなどの東部戦線の北側ではなく、南方地域に向いていることを心得ていた。そこで、参謀本部が提出したのは、ウクライナから東方に向けて攻略を開始、ヴォルガ川まで侵攻した後は、南方のコーカサス山脈を目指すというものだった。最終的には、世界最大の産油量を誇るカスピ海沿岸のバクー油田を攻略するという作戦だった。コーカサスの山麓には、バクー以外にもマイコプやグロズヌイなどの油田地帯が広がっている。ソ連の軍隊も産業もこの地域の石油に大きく依存していた。コーカサスをドイツの支配域にできれば、ソ連の軍隊も工場も石油不足で活動が大きく制約されるはずだ。コーカサスから石油の供給が途絶えれば、間違いなくソ連の戦争遂行能力は大きく減退するだろう。
ヒトラーは、石油が不足すれば、ソ連は国家として弱体化するという、戦略的な論理を気に入った。彼自身がよく主張している戦争経済という言葉に当てはまると考えたのだ。しかもコーカサス山脈を越えて更に南下すれば、そこはトルコだ。中立を保っているトルコを枢軸側に引き込める可能性が出てくる。それが実現できれば、ヨーロッパの戦い全体に非常に大きな影響をおよぼすだろう。
ドイツ陸軍の作戦名称には、作戦名称に色をつけることが恒例となっていたが、1942年の東部戦線の攻略作戦には、「ブラウ(青)」と言う名称が決まった。
もともと参謀本部が検討した初期のブラウ作戦は、段階的な侵攻案だった。
まず、最初の段階では、2つの部隊が行動を開始する。1つ目の部隊は、現状のクルスクあたりの前線から東進してドン川に到達する。その後は、ドン川に沿って南東へと転進して進む。
2つ目の部隊は、作戦開始と同時にアゾフ海の近傍から東進してロストフに侵攻する。ロストフの攻略後は、ドネツ川を渡河する。その後は、東北東へ進んでツィムリンスカヤからドン川が屈曲しているあたりを目指す。
結果的に、スターリングラードの西側で南北を侵攻した2つの部隊が合流する。この両軍の間に挟まれた広大な地域のソ連軍は包囲されるはずだ。そうなれば、ソ連軍部隊は、殲滅されるか降伏するかの選択となる。作戦が成功すれば、ドン川とドネツ川に挟まれた地域のソ連軍兵力を一掃できる。
東部戦線中央から南にかけてのの広い範囲のソ連軍を殲滅した後は、一気にコーカサス山脈を目指して機甲部隊を南下させる。この段階では、後顧の憂いがなく、早く進撃できるだろうとの前提だ。西側の部隊はマイコプから黒海沿岸を目指す。東側を侵攻する部隊は、ツィムリンスカヤから南下してグロズヌイからカスピ海沿岸のバクーを目指す。
東西の2方面から南下する部隊により、コーカサス山脈の油田地帯を占領する予定だった。
しかし、参謀本部で稼働を始めた大型計算機上で模擬戦闘を実行させると、この作戦の欠点が明らかになってきた。
まず、南北からドン川西域のソ連軍を包囲する作戦については、敵軍部隊が東方に逃げてしまう可能性が高いとの結果が出た。前年のバルバロッサ作戦では、ソ連軍はキエフなどの大都市の防衛については、市街地に踏みとどまって戦闘した。しかし、何もない草原では戦力温存のために後退する場面もあった。ハリコフとドン川の間には、犠牲を払っても防衛すべき重要な拠点があるとは考えられない。むしろ、ソ連軍はヴォルガ川あたりまで東に後退して、防衛線を構築する可能性を計算機が示してきたのだ。ソ連軍兵力がヴォルガ沿いに健在であれば、南下によりコーカサスを目指すドイツ軍を背後から攻撃できる。
次に、コーカサスへの侵攻作戦については、圧倒的に時間が足りないのがわかった。ドン川の包囲戦で北側のソ連軍を撃退してから、コーカサス方面に進撃するという順序に従った計画はそれぞれの段階で時間を消費する。ドネツ川西方からソ連軍を排除して、作戦の目途がたってからの南下開始では時間が足りないのだ。例えば、8月になってコーカサス方面への南下を始めても、どんなに急いでも冬が到来する前にバクーまでは到達できないことが、計算機により明らかにされた。
それに加えて大きな問題は補給だ。ロストフからバクーまでは、直線でも1,000kmを軽く超える。しかも、ドイツ軍は敵軍を排除しながら険しく長い山麓の道路を輸送しなければならない。計算機は、補給物資の不足からバクーのはるか手前で燃料や弾薬不足から前進が止まると予測していた。それに対して、コーカサス地域のソ連軍はカスピ海を利用して物資を輸送できる。カスピ海上での貨物輸送は、戦前から盛んに利用されており、貨物船や港湾設備も整備されていた。そもそもコーカサスで産出する石油輸送手段が鉄道とカスピ海のタンカーなのだ。
……
陸軍参謀総長のフランツ・ハルダー大将は、計算機による机上演習の結果を吟味した後、作戦計画の全面的な見直しを指示した。計算機が示す通り、当初の作戦計画に無理があったと認めたのだ。
コーカサスを目指す部隊の背後の安全を確保するためには、ドネツ川とドン川の間からソ連軍を排除しておくことがどうしても必要だ。放置したままでコーカサスへの攻略に全兵力をつぎ込めば背後から攻撃されるだけでなく、後方を遮断されれば包囲される可能性さえある。
陸軍参謀本部は、いくつかの変更案を基に計算機で模擬戦闘を実行させてみた。複数の作戦案に対する結果を比較して、ブラウ作戦を2方向での並行作戦に変更した。
作戦の大まかな方針として、ウクライナから黒海にかけてのドイツ軍兵力を南のA軍集団と北のB軍集団に分離して、それぞれの集団が同時に攻勢を開始する。
作戦が開始されるとB軍集団の半数の部隊は、クルスク近郊から東に進んでヴォロネジ方面のソ連軍を攻略する。偵察の結果、この都市近郊に強力なソ連軍が駐留していると判明していた。モスクワに対する防衛線の役割だ。この地域のソ連軍を無力化しない限り以降の作戦が安心して進められないと判断された。ヴォロネジ攻撃後はドン川に沿って南東に進み川の湾曲部を目指す。
一方、B軍の残りの部隊は、ハリコフ近郊から東南東に直線的に進み、ドン川が折れ曲がった地点を目指す。進撃の過程でドネツ川とドン川に挟まれた地域のソ連軍を排除しつつ東進する。
カラチの北方付近で2つのB軍集団は合流して包囲を閉じる。合流した部隊は、スターリングラード市内には侵攻せず、第6軍とルーマニア軍、イタリア軍による包囲にとどめる。
この包囲戦でも当初の作戦で欠点とされた、ソ連軍部隊の一部がヴォルガ沿岸まで東に逃れることは防止できないだろう。しかし、B軍集団の一部がスターリングラード周囲に留まることにより、南下しようとするソ連軍を牽制する。
ソ連軍がヴォルガ側東岸からコーカサス山脈を目指して、ドイツ軍を攻撃しようとするならば、それはスターリングラード防衛の弱体化を意味する。スターリンは自分の名が冠された工業都市を進んで枢軸側に進呈するような判断はしないであろう。名前を別にしても、軍需工場地帯としての都市を一つ失うことにもなる。
一方、A軍集団は作戦の発動と同時に、2つの集団に分かれて南下を開始する。1群はロストフを攻略した後は、南下して、グラスノダール方面を目指す。その後は東南東のマイコプ経由でグロブヌイを目指す。
A軍集団の残りの部隊は、一気に東南に進んで、カスピ海西岸のグロブヌイとマハチカラを目標にする。占領後はカスピ海の西岸に沿って南下してバクーを目指すことになる。
更に、ドイツはこの作戦の開始にあたって、ドイツは20隻余りの輸送船の手配をルーマニアに依頼した。自国だけで不足するならば、中立国のトルコから購入せよとも付け加えた。トルコから軍艦を輸出するのはさすがに問題があるが、黒海で使う輸送船ならば民間の取り引きとして輸出可能だった。もちろん、ルーマニアの黒海艦隊にも輸送船の護衛を要求していた。駆逐艦や水雷艇により、黒海の北側航路を防衛するように要求したのだ。
ソ連の黒海艦隊は、旧式戦艦1隻と巡洋艦4隻、駆逐艦8隻を保有していた。しかし、セバストポリへの支援作戦で被害を受けてからは、ドイツ空軍の制空権下では活動がかなり低調だった。
クリミア半島を攻略しているドイツ軍部隊は、支援作戦として速やかに攻略を完了させて黒海の東海岸に進出するものとされた。ノヴォロシースクのような港湾都市を制圧して、そこにルーマニアのコンスタンツァなどから黒海経由で輸送される物資を揚陸するのだ。陸上に比べて大量輸送可能な海上を利用できれば、コーカサスを目指す部隊への物資補給は大幅に改善できる。
……
改訂されたブラウ(青)作戦は、一部の修正だけでヒトラーは承認した。しかし、ヒトラーの訂正は極めて重要な内容だった。作戦に対する最高指揮権は、南方軍集団司令官のボック元帥が有していた。前線で発生する不測の事態に、短時間で柔軟に対応するためには、重要事項でも前線に近いところで短時間での決断が必要だ。軍として当然のことでも、ヒトラーはそれがどうにも我慢できなかった。ヒトラーはブラウ作戦の戦略的な最高指揮権は自分が有するとの修正を加えて承認した。
この変更をヒトラーは忘れてはいなかった。わざわざ東部戦線の南方集団の指揮をヒトラー自身が行えるように「ヴェア・ヴォルフ(人狼)」と名付けた野戦指揮所をウクライナのヴィニッツア近郊の森に建設させたほどだ。
……
4月末になって、思わぬ事態によって、ブラウ作戦の開始前に戦闘が始まった。前年の冬季攻勢の結果、ハリコフ南方のイジューム周辺の地域は、ソ連側が前線を西に押し戻していた。
4月になって、ソ連軍南西戦線司令官だったティモシェンコ元帥にソビエト連邦軍総司令部(スタフカ)から命令が届いた。
ティモシェンコは、早速、副官のバグラミャン中将と作戦について検討を開始した。
「総司令部からの命令は、全て同志スターリンが承認している。つまりは、最高総司令官自身の命令だ。なんとしてもハリコフ奪還を成功させなければならん」
「我々が進出したイジューム近郊の占領地を足がかりにすれば、ハリコフまで100km程度です。しかも、この地域のドイツ軍は決して優勢ではありません。大兵力を投入すれば前線を突破してハリコフへの進軍が可能です」
「現状で、この方面には30個師団がある。そのうちの18個をまず侵攻させよう。作戦の進捗により、残りの師団も投入を考える」
「大丈夫ですか? ドネツ川沿岸の兵力をイジュームとハリコフ周囲に集中すれば、他の地域の戦力は弱体化します」
「ハリコフを奪還できれば、そこを拠点にできる。しかも攻略の過程でドイツ軍も損害を受けてすり減るはずだ。目的が達成できれば、その次はドニエプル川のキエフだ」
バグラミャン中将は、さすがにそれは楽観的過ぎるだろうと思ったが、何も言わなかった。まずはハリコフ奪還が目標なのだ。
一方、ドイツ軍もこのイジュームの突き出し地域には着目していた。突出部を包囲して締め付ければそれだけソ連軍の兵力をそぎ落とせる。フレデリクス作戦と名付けて、ブラウ作戦の一部として実現性の検討をしていたのだ。参謀本部がウクライナ東側の戦線に対して計算機により模擬戦闘を実行してみると、イジュームの張り出しからソ連軍がハリコフを攻略する可能性が提示された。
更に、ドイツ空軍が偵察機により入手した最新のソ連軍の配備情報を計算機に入力してみると、ソ連の作戦開始時期は極めて近いとの結果が出てきた。ハルダーは、すぐにこの方面に展開していた第6軍のパウルス上級大将と第1装甲軍のクライスト上級大将、第4装甲軍のヘルマン・ホト上級大将にソ連軍の攻撃が迫っていると警告を発した。
ホトとパウルスは、検討の結果あえてソ連軍を引き込むことにした。こぶのように突き出たソ連軍の占領域を西側にあえて拡大させて、その後に包囲する作戦だ。イジュームのこぶの西側正面は第6軍の守備領域だった。徐々に前線の部隊を移動させて、東のソ連側からあえて手薄に見えるように工夫した。
すぐに、ティモシェンコは前線の状況変化に反応した。目ざとく枢軸側の防御兵力が手薄になってきていることに気づいたのだ。
「どうやら、ドイツ軍は北部の作戦を考えているようだ。イジュームからハリコフにかけての戦力は明らかに不十分だ。この機会に攻勢を開始すべきだ」
……
5月2日になって、ソ連軍の攻撃が始まった。ハリコフを取り戻すための戦いが始まった。あらかじめ攻撃を想定していたドイツ軍第6軍は、事前計画に従って後退していった。北西の防御を特に手薄にしていたので、ソ連軍はそれに誘い込まれるように北北西のハリコフ方面へとどんどん前進していった。ところが、ハリコフの前面では第6軍が防御陣地を構築して待ち構えていた。
陣地を構築していた88mm高射砲と75mm対戦車砲が射撃を始めると、直撃弾を受けたT-34が煙を上げて停止した。88mm徹甲弾の直撃を受けたKV-1は砲弾に誘爆して砲塔が高く吹き飛んだ。並んで進んでくる戦車は、大口径砲から次々に射撃を受けた。しかも、今までは緩慢な攻撃しかしてこなかった、ドイツ空軍からの攻撃も激化してきた。Ju87が飛来すると、戦車を目指して次々と急降下を開始した。
大火力の攻撃により、ソ連戦車部隊も前進が停止した。既にドイツ軍はT-34とKV-1に対する攻撃法を研究していた。大口径砲を直撃させなければ、このソ連戦車を破壊できない。しかし、装甲だけに頼って直進してくる戦車は、遠距離からも射撃目標になった。
もちろん、ティモシェンコはこの程度の反撃であきらめるつもりはなかった。
「枢軸側の反撃は想定内だ。ハリコフまで、あと一歩だ。予備兵力を投入して突破するぞ」
司令官の命令に従って、ハリコフ方面に前進するソ連第21軍、第6軍に、予備の第23軍と第38軍が投入された。
5月7日になって、この機会を待っていた第1装甲軍のクライスト大将は、部隊をイジュームの南側から北上させた。北西へと突出しているソ連軍の首根っこを南側から突破し始めた。第1装甲軍は、夏季攻勢に備えてウクライナで装備の更新を追えたばかりだった。Ⅲ号はまだ相当数残っていたが、長砲身75mm砲を備えたⅣ号戦車と75mm級の砲を搭載したマルダーⅡ及びⅢ、それに長砲身75mmⅢ号突撃砲が攻撃の主力になった。
ティモシェンコは枢軸軍の南側からの攻撃を想定して、ソ連の第9軍と第57軍を防御のための布陣をさせていたが、ハリコフ方面に深く侵攻したおかげで、防衛すべき側面がかなり長く伸びきっていた。第1装甲軍は、狙いをつけた地域に主戦力を集中させることにより、ソ連軍の防御を短時間で突破した。
ほぼ同時に第4装甲軍が行動を開始した。ホト大将の部隊は、参謀本部からの情報を得てからすぐにクルスク方面から南下していたが、イジューム包囲戦にかろうじて間に合った。西方へと大きく張り出したソ連軍の首根っこの北北東側から南下を開始した。南の側面に比べれば北側のソ連軍の防衛兵力は少なかった。前線を突破してどんどん南下していった。
5月8日になって、さすがのティモシェンコ元帥も枢軸側の包囲に気づいた。
「我々はドイツ軍の待ち構えている罠に飛び込んだのだ。これ以上前進すれば全滅だ、直ちに退却しなければならない」
南西戦線司令部は、スターリンの総司令部に後退の許可を求めたが、答えは引き続きハリコフを攻略せよというものだった。しかし、仮にスターリンが東方への退却を許可しても、もはや手遅れだった。既に、第4装甲軍と第1装甲軍は南北から侵攻して、ソ連軍の首根っこを食い破ってがっちりと手を結んでいた。巨大なハサミのように北と南からの刃がしっかりとかみ合ったのだ。もはや、ソ連軍に退路は残されていなかった。
南西のドイツ第6軍と北の第1装甲軍、更に南の第4装甲軍に包囲されたソ連軍は殲滅されるか降伏しか選択肢は残されていなかった。ティモシェンコは、代理のコステンコ大将を派遣して、退却戦の指揮をさせていたのだが、できることはほとんどなかった。5月9日には退却を許可するスターリンの指令が届いたが何の意味もなかった。
包囲網内の全ての部隊が大きな被害を受けた。最終的にティモシェンコが投入した23個師団は粉砕され、そのほかウクライナ戦域の多くの部隊も大損害を被ってしまった。ソ連の第9軍と第57軍、第57軍などのドイツ装甲師団の攻撃をまともに受けた部隊は、軍の司令官も含めて全滅してしまった。ティモシェンコの司令部だけが、かろうじて輸送機で脱出した。
ティモシェンコは、冬季攻勢で枢軸軍を押し戻せたことから、彼らの戦力を過小評価していた。戦車を中心とした機甲部隊の運用については、上級士官が不慣れだっただけでなく、前線の士官も機動力を生かした柔軟な指揮ができなかった。多数の士官が、対戦車砲の待ち構えている陣地に無策で接近して撃破された。しかも、戦力が消耗してゆくと、補充戦力を逐次投入するという愚を犯した。
攻撃を仕掛けてきたソ連軍は、兵員28万、戦車1,200両、火砲4,500門を失った。もちろんかなりが枢軸側に鹵獲されている。
今季の戦いの劈頭で大きな被害を受けたために、ソ連軍はドイツ軍の強さを改めて認識することになった。この戦闘での大敗は、ソ連軍上級指揮官に大きな傷跡を残した。これから始まるブラウ作戦の戦闘において、ソ連軍が大規模な決戦を避ける遠因になった。
ドイツ軍にとっては、ウクライナ東側に展開していたソ連軍兵力を消耗させたことは朗報だった。ブラウ作戦でB軍集団が交戦すべき相手がわざわざ出てきて罠にはまってくれたのだ。しかも、あらかじめ計算機の警告により包囲戦の準備をしていたことで、短期間でソ連軍を殲滅できた。包囲戦によるブラウ作戦の開始時期の遅れは2週間程度だった。得られた戦果を考えれば十分それに見合うだろう。
大本営の検討会にはヒトラーのほかに国防軍総監のカイテル元帥や統帥部長ヨードル大将などが出席していた。陸軍の参謀総長であるフランツ・ハルダー上級大将が東部戦線の説明を始めた。
「ソ連軍は、昨年からの冬季攻勢により、我が軍を西へと押し返しています。しかし現時点では、赤軍の攻勢は限定的となっています。今やソ連軍の反攻は失速しつつあります。逆に我々は、現状では消耗を避けて兵力を温存できれば、夏季には反撃が可能になります」
ヒトラーは、1942年の夏季攻勢が可能であるという言葉を見逃さなかった。
「今期の攻勢として、参謀本部が考えている作戦を説明せよ。もちろん我が軍が攻撃作戦を実行するならば、ソ連の継戦能力に決定的な被害を与えなければならない。それが可能ならば、作戦計画を承認するぞ」
陸軍参謀本部は、ヒトラーの興味がレニングラードやモスクワなどの東部戦線の北側ではなく、南方地域に向いていることを心得ていた。そこで、参謀本部が提出したのは、ウクライナから東方に向けて攻略を開始、ヴォルガ川まで侵攻した後は、南方のコーカサス山脈を目指すというものだった。最終的には、世界最大の産油量を誇るカスピ海沿岸のバクー油田を攻略するという作戦だった。コーカサスの山麓には、バクー以外にもマイコプやグロズヌイなどの油田地帯が広がっている。ソ連の軍隊も産業もこの地域の石油に大きく依存していた。コーカサスをドイツの支配域にできれば、ソ連の軍隊も工場も石油不足で活動が大きく制約されるはずだ。コーカサスから石油の供給が途絶えれば、間違いなくソ連の戦争遂行能力は大きく減退するだろう。
ヒトラーは、石油が不足すれば、ソ連は国家として弱体化するという、戦略的な論理を気に入った。彼自身がよく主張している戦争経済という言葉に当てはまると考えたのだ。しかもコーカサス山脈を越えて更に南下すれば、そこはトルコだ。中立を保っているトルコを枢軸側に引き込める可能性が出てくる。それが実現できれば、ヨーロッパの戦い全体に非常に大きな影響をおよぼすだろう。
ドイツ陸軍の作戦名称には、作戦名称に色をつけることが恒例となっていたが、1942年の東部戦線の攻略作戦には、「ブラウ(青)」と言う名称が決まった。
もともと参謀本部が検討した初期のブラウ作戦は、段階的な侵攻案だった。
まず、最初の段階では、2つの部隊が行動を開始する。1つ目の部隊は、現状のクルスクあたりの前線から東進してドン川に到達する。その後は、ドン川に沿って南東へと転進して進む。
2つ目の部隊は、作戦開始と同時にアゾフ海の近傍から東進してロストフに侵攻する。ロストフの攻略後は、ドネツ川を渡河する。その後は、東北東へ進んでツィムリンスカヤからドン川が屈曲しているあたりを目指す。
結果的に、スターリングラードの西側で南北を侵攻した2つの部隊が合流する。この両軍の間に挟まれた広大な地域のソ連軍は包囲されるはずだ。そうなれば、ソ連軍部隊は、殲滅されるか降伏するかの選択となる。作戦が成功すれば、ドン川とドネツ川に挟まれた地域のソ連軍兵力を一掃できる。
東部戦線中央から南にかけてのの広い範囲のソ連軍を殲滅した後は、一気にコーカサス山脈を目指して機甲部隊を南下させる。この段階では、後顧の憂いがなく、早く進撃できるだろうとの前提だ。西側の部隊はマイコプから黒海沿岸を目指す。東側を侵攻する部隊は、ツィムリンスカヤから南下してグロズヌイからカスピ海沿岸のバクーを目指す。
東西の2方面から南下する部隊により、コーカサス山脈の油田地帯を占領する予定だった。
しかし、参謀本部で稼働を始めた大型計算機上で模擬戦闘を実行させると、この作戦の欠点が明らかになってきた。
まず、南北からドン川西域のソ連軍を包囲する作戦については、敵軍部隊が東方に逃げてしまう可能性が高いとの結果が出た。前年のバルバロッサ作戦では、ソ連軍はキエフなどの大都市の防衛については、市街地に踏みとどまって戦闘した。しかし、何もない草原では戦力温存のために後退する場面もあった。ハリコフとドン川の間には、犠牲を払っても防衛すべき重要な拠点があるとは考えられない。むしろ、ソ連軍はヴォルガ川あたりまで東に後退して、防衛線を構築する可能性を計算機が示してきたのだ。ソ連軍兵力がヴォルガ沿いに健在であれば、南下によりコーカサスを目指すドイツ軍を背後から攻撃できる。
次に、コーカサスへの侵攻作戦については、圧倒的に時間が足りないのがわかった。ドン川の包囲戦で北側のソ連軍を撃退してから、コーカサス方面に進撃するという順序に従った計画はそれぞれの段階で時間を消費する。ドネツ川西方からソ連軍を排除して、作戦の目途がたってからの南下開始では時間が足りないのだ。例えば、8月になってコーカサス方面への南下を始めても、どんなに急いでも冬が到来する前にバクーまでは到達できないことが、計算機により明らかにされた。
それに加えて大きな問題は補給だ。ロストフからバクーまでは、直線でも1,000kmを軽く超える。しかも、ドイツ軍は敵軍を排除しながら険しく長い山麓の道路を輸送しなければならない。計算機は、補給物資の不足からバクーのはるか手前で燃料や弾薬不足から前進が止まると予測していた。それに対して、コーカサス地域のソ連軍はカスピ海を利用して物資を輸送できる。カスピ海上での貨物輸送は、戦前から盛んに利用されており、貨物船や港湾設備も整備されていた。そもそもコーカサスで産出する石油輸送手段が鉄道とカスピ海のタンカーなのだ。
……
陸軍参謀総長のフランツ・ハルダー大将は、計算機による机上演習の結果を吟味した後、作戦計画の全面的な見直しを指示した。計算機が示す通り、当初の作戦計画に無理があったと認めたのだ。
コーカサスを目指す部隊の背後の安全を確保するためには、ドネツ川とドン川の間からソ連軍を排除しておくことがどうしても必要だ。放置したままでコーカサスへの攻略に全兵力をつぎ込めば背後から攻撃されるだけでなく、後方を遮断されれば包囲される可能性さえある。
陸軍参謀本部は、いくつかの変更案を基に計算機で模擬戦闘を実行させてみた。複数の作戦案に対する結果を比較して、ブラウ作戦を2方向での並行作戦に変更した。
作戦の大まかな方針として、ウクライナから黒海にかけてのドイツ軍兵力を南のA軍集団と北のB軍集団に分離して、それぞれの集団が同時に攻勢を開始する。
作戦が開始されるとB軍集団の半数の部隊は、クルスク近郊から東に進んでヴォロネジ方面のソ連軍を攻略する。偵察の結果、この都市近郊に強力なソ連軍が駐留していると判明していた。モスクワに対する防衛線の役割だ。この地域のソ連軍を無力化しない限り以降の作戦が安心して進められないと判断された。ヴォロネジ攻撃後はドン川に沿って南東に進み川の湾曲部を目指す。
一方、B軍の残りの部隊は、ハリコフ近郊から東南東に直線的に進み、ドン川が折れ曲がった地点を目指す。進撃の過程でドネツ川とドン川に挟まれた地域のソ連軍を排除しつつ東進する。
カラチの北方付近で2つのB軍集団は合流して包囲を閉じる。合流した部隊は、スターリングラード市内には侵攻せず、第6軍とルーマニア軍、イタリア軍による包囲にとどめる。
この包囲戦でも当初の作戦で欠点とされた、ソ連軍部隊の一部がヴォルガ沿岸まで東に逃れることは防止できないだろう。しかし、B軍集団の一部がスターリングラード周囲に留まることにより、南下しようとするソ連軍を牽制する。
ソ連軍がヴォルガ側東岸からコーカサス山脈を目指して、ドイツ軍を攻撃しようとするならば、それはスターリングラード防衛の弱体化を意味する。スターリンは自分の名が冠された工業都市を進んで枢軸側に進呈するような判断はしないであろう。名前を別にしても、軍需工場地帯としての都市を一つ失うことにもなる。
一方、A軍集団は作戦の発動と同時に、2つの集団に分かれて南下を開始する。1群はロストフを攻略した後は、南下して、グラスノダール方面を目指す。その後は東南東のマイコプ経由でグロブヌイを目指す。
A軍集団の残りの部隊は、一気に東南に進んで、カスピ海西岸のグロブヌイとマハチカラを目標にする。占領後はカスピ海の西岸に沿って南下してバクーを目指すことになる。
更に、ドイツはこの作戦の開始にあたって、ドイツは20隻余りの輸送船の手配をルーマニアに依頼した。自国だけで不足するならば、中立国のトルコから購入せよとも付け加えた。トルコから軍艦を輸出するのはさすがに問題があるが、黒海で使う輸送船ならば民間の取り引きとして輸出可能だった。もちろん、ルーマニアの黒海艦隊にも輸送船の護衛を要求していた。駆逐艦や水雷艇により、黒海の北側航路を防衛するように要求したのだ。
ソ連の黒海艦隊は、旧式戦艦1隻と巡洋艦4隻、駆逐艦8隻を保有していた。しかし、セバストポリへの支援作戦で被害を受けてからは、ドイツ空軍の制空権下では活動がかなり低調だった。
クリミア半島を攻略しているドイツ軍部隊は、支援作戦として速やかに攻略を完了させて黒海の東海岸に進出するものとされた。ノヴォロシースクのような港湾都市を制圧して、そこにルーマニアのコンスタンツァなどから黒海経由で輸送される物資を揚陸するのだ。陸上に比べて大量輸送可能な海上を利用できれば、コーカサスを目指す部隊への物資補給は大幅に改善できる。
……
改訂されたブラウ(青)作戦は、一部の修正だけでヒトラーは承認した。しかし、ヒトラーの訂正は極めて重要な内容だった。作戦に対する最高指揮権は、南方軍集団司令官のボック元帥が有していた。前線で発生する不測の事態に、短時間で柔軟に対応するためには、重要事項でも前線に近いところで短時間での決断が必要だ。軍として当然のことでも、ヒトラーはそれがどうにも我慢できなかった。ヒトラーはブラウ作戦の戦略的な最高指揮権は自分が有するとの修正を加えて承認した。
この変更をヒトラーは忘れてはいなかった。わざわざ東部戦線の南方集団の指揮をヒトラー自身が行えるように「ヴェア・ヴォルフ(人狼)」と名付けた野戦指揮所をウクライナのヴィニッツア近郊の森に建設させたほどだ。
……
4月末になって、思わぬ事態によって、ブラウ作戦の開始前に戦闘が始まった。前年の冬季攻勢の結果、ハリコフ南方のイジューム周辺の地域は、ソ連側が前線を西に押し戻していた。
4月になって、ソ連軍南西戦線司令官だったティモシェンコ元帥にソビエト連邦軍総司令部(スタフカ)から命令が届いた。
ティモシェンコは、早速、副官のバグラミャン中将と作戦について検討を開始した。
「総司令部からの命令は、全て同志スターリンが承認している。つまりは、最高総司令官自身の命令だ。なんとしてもハリコフ奪還を成功させなければならん」
「我々が進出したイジューム近郊の占領地を足がかりにすれば、ハリコフまで100km程度です。しかも、この地域のドイツ軍は決して優勢ではありません。大兵力を投入すれば前線を突破してハリコフへの進軍が可能です」
「現状で、この方面には30個師団がある。そのうちの18個をまず侵攻させよう。作戦の進捗により、残りの師団も投入を考える」
「大丈夫ですか? ドネツ川沿岸の兵力をイジュームとハリコフ周囲に集中すれば、他の地域の戦力は弱体化します」
「ハリコフを奪還できれば、そこを拠点にできる。しかも攻略の過程でドイツ軍も損害を受けてすり減るはずだ。目的が達成できれば、その次はドニエプル川のキエフだ」
バグラミャン中将は、さすがにそれは楽観的過ぎるだろうと思ったが、何も言わなかった。まずはハリコフ奪還が目標なのだ。
一方、ドイツ軍もこのイジュームの突き出し地域には着目していた。突出部を包囲して締め付ければそれだけソ連軍の兵力をそぎ落とせる。フレデリクス作戦と名付けて、ブラウ作戦の一部として実現性の検討をしていたのだ。参謀本部がウクライナ東側の戦線に対して計算機により模擬戦闘を実行してみると、イジュームの張り出しからソ連軍がハリコフを攻略する可能性が提示された。
更に、ドイツ空軍が偵察機により入手した最新のソ連軍の配備情報を計算機に入力してみると、ソ連の作戦開始時期は極めて近いとの結果が出てきた。ハルダーは、すぐにこの方面に展開していた第6軍のパウルス上級大将と第1装甲軍のクライスト上級大将、第4装甲軍のヘルマン・ホト上級大将にソ連軍の攻撃が迫っていると警告を発した。
ホトとパウルスは、検討の結果あえてソ連軍を引き込むことにした。こぶのように突き出たソ連軍の占領域を西側にあえて拡大させて、その後に包囲する作戦だ。イジュームのこぶの西側正面は第6軍の守備領域だった。徐々に前線の部隊を移動させて、東のソ連側からあえて手薄に見えるように工夫した。
すぐに、ティモシェンコは前線の状況変化に反応した。目ざとく枢軸側の防御兵力が手薄になってきていることに気づいたのだ。
「どうやら、ドイツ軍は北部の作戦を考えているようだ。イジュームからハリコフにかけての戦力は明らかに不十分だ。この機会に攻勢を開始すべきだ」
……
5月2日になって、ソ連軍の攻撃が始まった。ハリコフを取り戻すための戦いが始まった。あらかじめ攻撃を想定していたドイツ軍第6軍は、事前計画に従って後退していった。北西の防御を特に手薄にしていたので、ソ連軍はそれに誘い込まれるように北北西のハリコフ方面へとどんどん前進していった。ところが、ハリコフの前面では第6軍が防御陣地を構築して待ち構えていた。
陣地を構築していた88mm高射砲と75mm対戦車砲が射撃を始めると、直撃弾を受けたT-34が煙を上げて停止した。88mm徹甲弾の直撃を受けたKV-1は砲弾に誘爆して砲塔が高く吹き飛んだ。並んで進んでくる戦車は、大口径砲から次々に射撃を受けた。しかも、今までは緩慢な攻撃しかしてこなかった、ドイツ空軍からの攻撃も激化してきた。Ju87が飛来すると、戦車を目指して次々と急降下を開始した。
大火力の攻撃により、ソ連戦車部隊も前進が停止した。既にドイツ軍はT-34とKV-1に対する攻撃法を研究していた。大口径砲を直撃させなければ、このソ連戦車を破壊できない。しかし、装甲だけに頼って直進してくる戦車は、遠距離からも射撃目標になった。
もちろん、ティモシェンコはこの程度の反撃であきらめるつもりはなかった。
「枢軸側の反撃は想定内だ。ハリコフまで、あと一歩だ。予備兵力を投入して突破するぞ」
司令官の命令に従って、ハリコフ方面に前進するソ連第21軍、第6軍に、予備の第23軍と第38軍が投入された。
5月7日になって、この機会を待っていた第1装甲軍のクライスト大将は、部隊をイジュームの南側から北上させた。北西へと突出しているソ連軍の首根っこを南側から突破し始めた。第1装甲軍は、夏季攻勢に備えてウクライナで装備の更新を追えたばかりだった。Ⅲ号はまだ相当数残っていたが、長砲身75mm砲を備えたⅣ号戦車と75mm級の砲を搭載したマルダーⅡ及びⅢ、それに長砲身75mmⅢ号突撃砲が攻撃の主力になった。
ティモシェンコは枢軸軍の南側からの攻撃を想定して、ソ連の第9軍と第57軍を防御のための布陣をさせていたが、ハリコフ方面に深く侵攻したおかげで、防衛すべき側面がかなり長く伸びきっていた。第1装甲軍は、狙いをつけた地域に主戦力を集中させることにより、ソ連軍の防御を短時間で突破した。
ほぼ同時に第4装甲軍が行動を開始した。ホト大将の部隊は、参謀本部からの情報を得てからすぐにクルスク方面から南下していたが、イジューム包囲戦にかろうじて間に合った。西方へと大きく張り出したソ連軍の首根っこの北北東側から南下を開始した。南の側面に比べれば北側のソ連軍の防衛兵力は少なかった。前線を突破してどんどん南下していった。
5月8日になって、さすがのティモシェンコ元帥も枢軸側の包囲に気づいた。
「我々はドイツ軍の待ち構えている罠に飛び込んだのだ。これ以上前進すれば全滅だ、直ちに退却しなければならない」
南西戦線司令部は、スターリンの総司令部に後退の許可を求めたが、答えは引き続きハリコフを攻略せよというものだった。しかし、仮にスターリンが東方への退却を許可しても、もはや手遅れだった。既に、第4装甲軍と第1装甲軍は南北から侵攻して、ソ連軍の首根っこを食い破ってがっちりと手を結んでいた。巨大なハサミのように北と南からの刃がしっかりとかみ合ったのだ。もはや、ソ連軍に退路は残されていなかった。
南西のドイツ第6軍と北の第1装甲軍、更に南の第4装甲軍に包囲されたソ連軍は殲滅されるか降伏しか選択肢は残されていなかった。ティモシェンコは、代理のコステンコ大将を派遣して、退却戦の指揮をさせていたのだが、できることはほとんどなかった。5月9日には退却を許可するスターリンの指令が届いたが何の意味もなかった。
包囲網内の全ての部隊が大きな被害を受けた。最終的にティモシェンコが投入した23個師団は粉砕され、そのほかウクライナ戦域の多くの部隊も大損害を被ってしまった。ソ連の第9軍と第57軍、第57軍などのドイツ装甲師団の攻撃をまともに受けた部隊は、軍の司令官も含めて全滅してしまった。ティモシェンコの司令部だけが、かろうじて輸送機で脱出した。
ティモシェンコは、冬季攻勢で枢軸軍を押し戻せたことから、彼らの戦力を過小評価していた。戦車を中心とした機甲部隊の運用については、上級士官が不慣れだっただけでなく、前線の士官も機動力を生かした柔軟な指揮ができなかった。多数の士官が、対戦車砲の待ち構えている陣地に無策で接近して撃破された。しかも、戦力が消耗してゆくと、補充戦力を逐次投入するという愚を犯した。
攻撃を仕掛けてきたソ連軍は、兵員28万、戦車1,200両、火砲4,500門を失った。もちろんかなりが枢軸側に鹵獲されている。
今季の戦いの劈頭で大きな被害を受けたために、ソ連軍はドイツ軍の強さを改めて認識することになった。この戦闘での大敗は、ソ連軍上級指揮官に大きな傷跡を残した。これから始まるブラウ作戦の戦闘において、ソ連軍が大規模な決戦を避ける遠因になった。
ドイツ軍にとっては、ウクライナ東側に展開していたソ連軍兵力を消耗させたことは朗報だった。ブラウ作戦でB軍集団が交戦すべき相手がわざわざ出てきて罠にはまってくれたのだ。しかも、あらかじめ計算機の警告により包囲戦の準備をしていたことで、短期間でソ連軍を殲滅できた。包囲戦によるブラウ作戦の開始時期の遅れは2週間程度だった。得られた戦果を考えれば十分それに見合うだろう。
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