電子の帝国

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第19章 外伝(東部戦線編)

19.2章 セバストポリ要塞攻略

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 イジューム包囲戦が終結した頃、南方のクリミア半島の戦闘も終盤に近づいていた。ドイツ第11軍が、ペレコプ地峡に築かれたソ連軍陣地をわずか数日で突破してクリミア半島へと侵入したのは、1941年9月だった。半島の東へと進んだ第42軍団と第30軍団は短時間でケルチ半島を制圧した。半島の端へと追いやられたソ連軍はケルチ半島の先端から様々な小舟を利用してノヴォロシースク方面へと脱出していった。

 半島の東側が攻略できれば、残るのは西側だ。しかし、クリミア半島西側こそが最大の課題だった。西端に残っていたのは、歴史上、幾度も戦いが行われてきたセバストポリ要塞だった。それでも、第11軍の司令官であるマンシュタイン上級大将は、11月には北と東から要塞を包囲して要塞攻略の準備を開始した。

 しかし、12月26日になって思わぬところから、ソ連軍の反撃が始まった。攻略が完了したはずのクリミア東側のケルチに艀や漁船に乗船した部隊が上陸してきたのだ。黒海とアゾフ海を結ぶケルチ海峡はわずか20km以下の幅しかない。悪天候でなければ、小舟でも渡れる。上陸の翌日には、ケルチ半島の付け根に位置する港湾を有するフェオドシアに輸送船が接岸してきた。港からは多数のソ連軍部隊と重装備が揚陸された。黒海の東側に追い込まれているソ連軍にとっては、クリミア全域への侵攻を考えると、黒海から物資を容易に運び込める港の確保は最重要だ。

 この時期、第11軍はセバストポリ要塞攻略に注力していたため、ケルチ半島内部にはわずか1個歩兵師団が配置されていただけだった。ケルチ上陸作戦を指揮したソ連軍のコズロフ中将は、第44軍、第47軍、第51軍の3個軍をクリミア西方への攻略部隊として編成した。

 ソ連軍がケルチで反攻を開始したとの報告を受けると、マンシュタイン上級大将は、直ちに手を打った。セバストポリを包囲していた第42軍団の中から、3個師団を抽出して東へと向かわせた。要塞の攻略よりも、ソ連軍のクリミア半島全土への侵攻を防ぐことが先決だ。

 年が明けて2月になると、ケルチ半島内部の攻略を終えたコズロフ中将は3個軍によるクリミア半島西側への攻勢を仕掛けた。しかし、巧みなドイツ軍の防御により、西側への侵攻は成功しなかった。ソ連軍を撃退したにもかかわらず、4月までの間は、ドイツ軍は東方への攻勢に出ることなく守りに徹していた。

 マンシュタインは消耗が大きくなる冬季には、積極的な攻勢を避けて、防御に徹することにより、兵力を温存していた。彼は、4月中旬になって、ウクライナの泥濘期も終末に近づくと、ケルチ半島内のソ連軍に対する掃討作戦を発動した。4月20日から「野雁猟作戦」(トラッペンヤークト)と命名された枢軸軍の攻勢が開始された。

 作戦開始とともに第11軍の参謀とともにマンシュタインは、Fi156シュトルヒに乗り込むと、前線近くを飛行した。
「ソ連軍は北側の部隊が突出して前に出ているな。これならば南側面に回り込めるぞ。いやむしろ南方から思い切ってソ連軍の背後に出て、後方から奇襲する案がよさそうだな」

 マンシュタインの言葉を聞いて、作戦部長のブッセ大佐も同意した。
「南からの攻勢には、思い切って海岸を小型船で東に進んで奇襲する方法が使えます。一旦、きっかけができれば、第22装甲師団が突入できると思います。装甲師団が、南側の前線を突破すれば、一気にソ連軍本隊の背後に出ることが可能だと思われます」

 マンシュタインも奇襲と装甲師団の足を活用する作戦に賛成した。直ちに、軽飛行機での決定は実行に移された。ドイツ軍とルーマニア軍はケルチの北側に攻撃を仕掛ける準備を始めた。部隊の移動だけで、実際には攻撃を開始せず、北側の前線に注意を引き付ける陽動作戦だ。

 夜陰に乗じてケルチの南岸をドイツ軍の突撃舟艇が、東へと進んでいた。突撃舟艇とは、モーターボートを一回り大きくしたような木製ボートだ。今回の作戦では、あえてエンジンを使わず手漕ぎで音もたてずに進んでゆく。突撃舟艇の部隊は、フェオドシア東方の海岸から上陸すると、ソ連軍前線部隊の背後から襲いかかった。想定外の攻撃により、ケルチ南側の前線は一時的に混乱に陥った。しかし、ドイツ軍の兵力が小部隊だとわかると、ソ連軍は背後の部隊に反撃を開始した。

 第22装甲師団のグロテック大佐は、前線の南側に生じた混乱を見逃さなかった。あらかじめ決めた作戦通りだ。ためらうことなく、部隊を突入させた。一旦、ソ連軍の前線部隊を突破して背後へと抜けた後は、ドイツ陸軍の得意の電撃戦となった。機動力の高い第22装甲師団は、ケルチ半島の南側から迂回すると、中央部のソ連第51軍の側面に達して攻撃を開始した。

 ドイツ空軍も地上軍の攻撃開始に合わせて飛来してきた。クリミア半島上空は、ソ連空軍にとっては、ノヴォロシースクなどの黒海対岸の基地から、海上飛行しなければ到達できない空域だった。そのため、ソ連戦闘機は戦場には飛来できるが、長時間留まってはいられない。空軍の戦いに関しては、半島内の前線近くに航空基地を有するドイツ軍が圧倒的に有利だった。

 第1地上攻撃航空団(Sch.G1)に配属されたオスヴァルト中尉にとって、Hs129による実戦はこの戦いが初めてだった。尋常ではない窮屈な操縦席から視界の限られた空を確認した。何しろ、この機体の操縦席は、機銃の照準器を風防より外側の機首に取り付けねばならないほど狭いのだ。苦労して上空を観察した結果、どうやら友軍機だけのようだ。
「頭上は、メッサーが守ってくれている。地上攻撃を開始する」

 大尉の率いた4機編隊のシュバルム(小隊)は、地上の戦車や火砲、トラックを見つけ次第、片っ端から攻撃していった。彼の機体は初期型で、30mm機関砲はまだ装備されていなかったが、爆弾投下後は、20mmで戦車や火砲を破壊していった。
「T-34の正面装甲は20mm弾を跳ね返す。それでも、後方から攻撃すれば、撃破できるぞ」

 T-34といえども、エンジンの上面は装甲板で完全に覆われているわけではない。砲塔の上面も20mmの鋼板だ。上空から20mm機関銃で攻撃すれば、エンジンを破壊できた。

 やがて、オスヴァルト中尉機の弾薬が切れかけた頃に、巨大な爆撃機が飛来してきた。
(He177じゃないか。ルフトバッフェはあんなゲテモノまがいの大型機まで持ち出してきたのか)

 北西から飛行してきたHe177は、通常形式のエンジンを4基主翼前縁に備えていた。He177は、もともと2基の液冷エンジンを連結した異形の双子エンジンの搭載を前提として設計された。

 ところが、計算機を利用して性能推定をしてみると、通常の四発形式としても性能低下はそれほどないことがわかった。むしろ高馬力のDB603を4基搭載すれば、双子エンジンのDB606双発よりも性能向上が見込める。もちろん初飛行時からついて回ったエンジンの故障多発や火災の危険性は根本的に解消できる。

 ハインケルは性能計算結果をもとに、ドイツ航空省としつこく交渉した。最終的にドイツ空軍省も双子エンジンのHe177と並行開発との条件で、4発型のHe177をB型として開発を認めた。

 1940年中旬からHe177Bが試験飛行を始めると、エンジンの欠点が解決したおかげで、試験はどんどん進んだ。1941年末からは、エンジンに関してはまともな軍用機となったHe177Bグライフ(グリフォン)は、エンジンの不安定性がいつまでも解決しないA型を置きざりにして実験中隊での審査も完了した。年明けからは、実戦部隊に配備が始まっていた。

 そんないきさつで、やっとのことで実戦参加可能となったHe177Bが、第40爆撃航空団第1中隊(Ⅰ/KG40)の所属機としてクリミアの空に現れたのだ。11機のHe177Bは、ケルチ市街の西側のソ連軍の物資が集積されたあたりを目指して、それぞれが6トンの爆弾を投下した。合計66トンの爆弾は、オスヴァルト中尉の心配を吹き飛ばすように地上に大きな破壊をもたらした。爆弾は、物資集積所の弾薬と燃料を誘爆させて、爆弾以上の巨大な赤黒い炎が噴き上がった。

 ……

 陸軍に加えて空からも連携した攻撃を受けて、ケルチ半島内のソ連軍の被害は、壊滅的になっていた。5日後には、ソ連軍を内部から食い破るように進撃していた第22装甲軍団は北東に進んで、ケルチの最東端に達した。ソ連軍は後退しようにも東端の出口を塞がれて、黒海東岸への脱出は不可能になった。

 ソ連軍の正面から迫っていた第30軍団とルーマニア第7軍団も、歩調を合わせて前線を突破した。ケルチ半島のソ連軍は、「野雁猟作戦」を開始してからわずか1週間で、半島の中央部に孤立して降伏した。

 第11軍は、ケルチ半島の戦いでは、ソ連兵捕虜18万を確保して、戦車300両と火砲1,200門を鹵獲した。クリミア半島東側のソ連軍を壊滅させたことにより、これ以降はセバストポリの攻略に集中できる。

 ……

 ケルチの戦いが続いている間にも、セバストポリ攻撃の準備は着々と進んでいた。待ち望んでいた巨大な要塞攻略砲がクリミアに到着したのだ。

 マンシュタインは目の前の巨大な構造物に驚嘆していた。
「しかし、聞きしに勝るとはこのことだな。まさに化け物のと言ってもいいな」

 列車砲の部隊長のベーム大佐は、自慢げに話し始めた。
「どうですか、間違いなく世界最大の大砲ですよ。こんな武器を作り上げるとは、ドイツの技術はやはり世界一です」

 そんなことよりも、どんなに技術と資源を投入しようとも巨大な兵器を実現したドイツ人にありがちな異常な執着心に、何かうすら寒いものをマンシュタインは感じていた。
「やはり、ドイツ人以外ではこんな兵器は実現不可能だろうな」

 ベーム大佐は、上級大将からの言葉を誉め言葉だと解釈した。口元がうっすらと笑っている。列車砲の後方で青い旗が振られた。
「射撃準備が完了しました。よろしいですね?」

「もちろんだ。射撃を開始したまえ」

 80cm列車砲「グスタフ」の射撃が始まった。目標は、セバストポリ要塞北側の最も防御が固い要塞砲が集中した区域だった。要塞砲の後方にはゼヴェルナヤ湾が東から西に大きく切れ込んでおり、湾の北岸地下には砲台の弾薬庫が存在していた。第11軍は地下弾薬庫の位置をつかんでいたが、地下30mという深さに加えて厚さ10m以上のコンクリートで厳重に防御された施設にかなりてこずっていた。余りに強固な防御に陸軍の大口径砲でも空軍の爆弾でも全く歯が立たないのだ。

「グスタフ」の初日の砲撃は目標から数百メートルも離れたところに着弾して周囲の堡塁を破壊したものの目標への直撃はなかった。「グスタフ」は翌日になっても射撃を続けた。やっとのことで、弾薬庫に80cm徹甲弾が直撃した。徹甲弾は湾の海水面に着弾して、その下の海底をえぐって、弾薬庫天井の分厚いコンクリートを貫通した。7トンの徹甲弾は、厚さ10mのコンクリート天井を破って弾薬庫で爆発した。きのこ雲を伴う大爆発が、ゼヴェルナヤ湾の海岸で起こった。爆圧で生じた波をもろに受けて湾内の4隻の小型船が転覆したほどだ。

 ……

 マンシュタインは、クリミア半島攻略の司令部で第54軍団指揮官のハンセン大将と第30軍団のピコ中将を前にしていた。二つの部隊はセバストポリ要塞攻略の主力部隊だ。

「このまま攻撃を続ければ、セバストポリを2カ月以内に完全に制圧できるだろう。しかし、総統大本営(ヴォルフシャンツェ)からはもっと短期間で制圧しろと言ってきている。まあ、我々の部隊をブラウ作戦のコーカサス攻略に使いたいという司令部の気持ちはわかるがね。それで諸君への質問は、我々の被害をこれ以上増やすことなく、制圧を完了する時間を大幅に短縮するにはどうしたらよいかだ」

 ハンセン大将は常識的な説明を始めた。
「そもそも、堅固であるならばマジノ要塞と同様に回避すべきです。迂回戦略は機甲戦のイロハですよ。ろくな補給もないセバストポリはこのまま包囲だけしていれば、3カ月もすれば干上がります。その時間を短縮したいのであれば、今よりも多量の兵力と弾薬、それに友軍の犠牲が必要となります」

 ピコ中将は、全く別の考えを持っていた。
「要塞の攻略に時間がかかるのは、砲撃の命中率に一因があります。例えば、『グスタフ』のように命中して破壊するまでに時間を要しています。ところが、砲撃を開始してから短時間で直撃弾を得られるならば、それだけで攻略に要する時間をかなり節約できます。私は、司令部に最近配備された電子計算機搭載車両の活用を進言します」

 Sd.Kfz.9(18トン重ハーフトラック)に計算機を搭載した4両の車両が、セバストポリ戦線にも配備された。どうやら、軍団の数に合わせてそれぞれの司令部で使うように送られてきたようだ。

「あれは、机上演習や作戦の立案、彼我の兵力見積もりに使うんじゃないのか? 砲撃に対しても有効に活用できるのか?」

「プログラムを変更すれば、弾道計算も可能だと説明書にありますよ。火砲の諸元と試射した結果を入力すれば、弾着予想位置を計算してくれるようです。それともう一つは、空軍部隊ももっと活用すべきです。空軍には、本国で実用化された無線誘導の大型爆弾が配備されたようです。1.4トンの爆弾をかなり正確に命中させるとのことです。すぐにでも第8航空軍団のリヒトホーフェン少将に要求してください」

 マウンシュタインも、砲撃と爆撃の命中率が向上して、要塞の目標をピンポイントで攻撃できるならば、確かに時間を短縮できるように思えた。問題は、計算機がどこまで使えるかと空軍の誘導爆弾の性能だ。
「なるほど計算機を使ってみよう。今よりも結果が悪くなることはないだろうからな。リヒトホーフェンに対しては、私から直接要請する。どこまで有効かわからないが、少なくとも今よりも悪くなることはないだろう」

 要塞攻撃のために準備されたのは「グスタフ」だけではなかった。60cm自走臼砲の「カール」と42cm臼砲の「ガンマ」をはじめとする新旧1300門の火砲をドイツ占領下から集めて、一斉に要塞を攻撃した。

 2門の35.5cm臼砲は要塞北側の分厚い砲塔に収められた10基の連装砲が設置された地域に向けて射撃を開始した。プログラムを修正した計算機搭載車が弾道計算を開始した。射撃の都度、弾着位置から修正諸元を求めて、照準を修正した。

 35.5cm臼砲は、射撃補正しつつ3回射撃すると、1トン砲弾が見事に「マキシム・ゴーリキーⅠ」砲台に命中した。要塞で最も攻撃力の高い砲台は203mmの鋼板でできた砲塔に30.5cm連装砲を収めて厳重に防御されていた。一度命中すると、地上で動くことのできない砲台は射撃を回避できない。さすがに重防御の砲台も、複数の徹甲弾が命中すると装甲が破られて沈黙した。計算機の威力が証明されたのだ。

 要塞砲地区を狙っていた「グスタフ」も計算機による弾道計算で残っている砲台に命中させ。セヴァルナヤ湾の北側には、合計10基の要塞砲が配置されていた。最強の「マキシム・ゴーリキーⅠ」を沈黙させた後も攻撃すべき目標は数多く残っていた。「グスタフ」と35.5cm臼砲は2日間の砲撃で北方の要塞砲とその近傍の堡塁を破壊していった。砲塔の直近には、コンクリートで防護されたいくつもの地下壕が建設されていたが、これも巨大な砲弾の直撃により破壊された。

 ほぼ同時期に第8航空軍団は、フリッツXを空輸してきて要塞攻撃に使い始めた。特殊な爆弾の輸送に合わせて、フリッツXを使いこなすために、誘導訓練を受けた隊員が同行していた。操作に慣れた誘導員が搭乗して、フリッツXを遠隔操縦することが可能となった。He177Bはエンジン外側のラックに左右合わせて2発のフリッツXを搭載できた。それに合わせて機首には2式の誘導装置を追加していた。

 He177Bは、搭載した誘導弾を、投下すると目標に着弾するまで無線で誘導した。誘導手には技量が要求されたが、慣れれば目標の数メートル以内に弾着させられた。幸いにもクリミアではドイツ軍が完全に制空権を有していたので、速度を落として冷静に爆弾を誘導できた。遅動信管をつけた1.4トン徹甲弾は、高度6,000mから投下すると、ほぼ音速に達して数メートルのコンクリートでも貫通した。

 巨砲群が攻撃した北側の要塞砲に対して、セバストポリの南西端の海岸沿いには、最強砲台の「マキシム・ゴーリキーⅡ」がまだ残っていた。ドイツ空軍は、この要塞砲を目標として攻撃した。「マキシム・ゴーリキーⅡ」にフリッツXが立て続けに着弾した。1.4トンの徹甲弾は、「大和」級の46センチ砲の九一式徹甲弾弾とほぼ同じ重量だ。直撃したフリッツXは30.5cm砲台の203mm装甲を貫通して破壊した。2発の命中弾は砲台を完全に沈黙させるには十分だった。

 続いて、フリッツXは、要塞東側の分厚いコンクリートで防御されたトーチカや地下壕をしらみつぶしに破壊していった。大口径砲と合わせて、防御拠点が次々と破壊されてゆくとソ連軍は浮足立った。命中すれば数メートルの地下壕でも確実に貫通するような巨大な爆弾や砲弾が、順番に狙いを移してくるのだ。地下の拠点が破壊されれば、二度と地上に出てこられない。それは恐怖以外の何物でもない。

 マンシュタインは要塞の北東と東、東南側から包囲網を絞り込むように攻略していった。要塞の西側の海岸には北から南に切り込んだ入り江がいくつもあった。その中には、多くの小型の船舶が残っていた。

 要塞の火砲がほとんど破壊されて反撃も不可能になると、守備隊員の西方への脱出が始まった。小さな守備班には、共産党の督戦将校も配置されていない。マンシュタインは意図的にセバストポリ裏側の西側は攻撃を控えさせた。残っていた艦船による脱出が始まった。一部の地区で防衛線が崩れると、残りの陣地は一気に崩壊した。セバストポリで船に乗ってケルチ海峡の東側まで脱出すれば、そこはソ連の領土だ。

 短時間での制圧を命令されていたドイツ軍にとっては、陣地を死守するよりも速やかに逃げ出してもらった方が好都合だった。もちろん、マンシュタインは脱出する艦船を見逃すように命令を出した。

 クリミア半島の制圧は、当初の予測よりも2カ月早く5月末には完了した。要塞内部に飛び込んで、守備隊を殲滅するというような戦いが減ったおかげで、兵員の損失も想定よりは少なかった。加えて、戦車や突撃砲などの装甲車両、火砲の被害が少なかったのが僥倖だった。

 クリミア半島の早期制圧を喜ぶ司令部の中で、マンシュタインは次の戦いのことを考えていた。ワインを飲みながらやってきた参謀長のシュルツ少将に話しかけた。

「すぐにも、次の作戦の準備を始めるぞ。ルーマニアの黒海艦隊に艦艇を融通させて、ノヴォロシースクに上陸するのだ。ソ連軍のケルチ上陸で我々は痛い目にあったが、今度は意趣返しをさせてもらう」

「ノヴォロシースクの後はどちらに向かうのですか?」

「黒海の港湾設備を確保すれば、海上輸送が可能になる。それを利用して黒海沿岸を南東に侵攻するのだ。当面は、スフーミあたりが目標になるだろう。しかし我々はそこで踏みとどまることはない。コーカサス山脈の麓を南東に進んで一気にトビリシを目指す。作戦終了までには、想像以上の領域を侵攻してヴォルフ・シャンツェの連中の鼻を明かしてやるよ」

 シュルツ少将は、自分の上司が大胆なことを考えていることに一瞬驚いたが、すぐに納得した。なんといってもこの男は、名将マンシュタインなのだ。それよりも、いいことを思い出した。

「トビリシは、コーカサス山脈南側の鉄道の中継点です。上手く占領すれば、黒海からカスピ海につながる鉄道網を手に入れることができますよ」

「なるほど、鉄道が使えるなら、黒海から軍需物資を輸送するだけでなく、カスピ海から黒海に石油を運ぶこともできるな」

 マンシュタインは、自分の計画に想定以上に大きな価値を見出してにやりと笑った。
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