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第19章 外伝(東部戦線編)
19.4章 スターリングラード包囲戦
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今までドン川西側に広がる平原で戦い続けてきた第4装甲軍は、1942年6月末になってドン川とヴォルガ川が最も接近している地域まで南下していた。予定通り第6軍と合流するとドン川を渡河して東岸のカラチ付近に布陣した。
しかし、B軍集団にとっては、ブラウ作戦の前半戦を消化しただけだ。今までの戦いはほぼ計画通りに進んでいると思われた。ホト上級大将は第6軍のパウルス上級大将と、今後の作戦行動について再確認することにした。
「偵察機の情報からは、スターリングラード周辺の部隊とヴォルガ川の東岸に温存されている部隊を合わせると、我々よりも大きな兵力になるかもしれない。しかし、A軍集団のコーカサスへの攻撃を考えると、ここでソ連軍のカスピ海方面への南下を抑止しなければならない。つまり、ソ連軍の兵力を大きく消耗させる作戦が必要だ」
パウルス上級大将は画期的な作戦は思いつかなかったが、市街戦には反対だった。
「まず、スターリングラード市街地に侵入して戦うのは論外だ。そんなことをすれば、予期しない接近戦で兵員の損害が増えて時間も浪費することになる。頭数に勝るソ連軍に有利な戦い方に引き込まれることになる。我々は消耗戦をすべきではない」
第4装甲軍の参謀長のファンゴール大佐は平原に誘い出す作戦方針を考えていた。
「私も市街地のビルを順番に攻略してゆくような戦い方には反対です。機甲部隊の機動力を自ら封印することになります。しかし、平原で戦うためには、スターリングラード周囲の部隊と市内の部隊を、スターリングラード西側におびき出す何らかの方策が必要です。例えば、ソ連軍の食指が動くような目標を平原に意図的に準備して、誘引するような作戦です」
「イジュームとハリコフ近郊の戦いでは、ソ連軍は、我が方の戦力を実際よりも過小評価して攻撃してきたのだったな。攻撃すれば我が軍の部隊を殲滅できると、ソ連軍に思いこませれば、誘い出せるかもしれないな」
第6軍参謀長のシュミット中将は、誘い出し作戦の実効性に疑問を持っていた。
「誘い出すためには、懸念事項が2つあります。一つ目は、ソ連軍にとって、防御陣地から出てきて前進しようと思えるだけの戦果が必要です。いわば、食いつこうと思えるだけの魅力的な餌の存在が必要です。二つ目は、我々がおびき出し作戦を実行していると見破られないだけのカモフラージュが必要です。例えば、部隊配置や陣地の構築に不自然な点があれば、誘引作戦に気づかれる可能性があります」
ファンゴール大佐は、計算機を利用すれば実現可能な作戦を立案できると考えていた。
「確かにその心配は、もっともだと私も考えます。逆にそれを解決できるならば、おびき出し作戦は実現可能だということになります。我々が保有するハーフトラック搭載の計算機でいくつかの案について検証したいと思います」
最終的に計算機による模擬戦闘の結果も参考にして、ドイツ軍が採用したのは、スターリングラードの西側郊外を北から南まで、部隊を分けて包囲する作戦だった。第6軍の主隊がスターリングラードの西方からやや離れて布陣した。特に北西側の部隊は、あたかも市内に突入するように機動兵力を配置した。第6軍の背後には予備兵力としてイタリア第8軍が布陣した。更に、北側の側面を防御するためにヴォルガ川とドン川の中間あたりに北北東に広がるようにルーマニア第3軍を配置した。逆方向の南側の側面にはルーマニア第4軍が北西から南東にかけて配置された。
……
ドイツ軍がドン川の東に兵力を配備しても、ソ連軍は、ヴォルガ川を横断して東部やアストラハンの方面からスターリングラードへの物資輸送が可能だった。昼夜を問わず、はしけや漁船のような小舟を使って軍事物資を運び込んでいた。市内の部隊を締め上げるために空軍の攻撃が始まった。スターリングラードの軍事拠点への爆撃とともに、川を航行する艦船も重点対象となった。
ルーデル中尉は、スターリングラードの南側からヴォルガ川の上空を目指していた。このあたりはドイツ軍が完全に制空権を握っているわけではなかった。それでも、レーダー警戒型のFw200が飛行するようになって、友軍戦闘機がかなりの確率で敵機を撃退できるようになった。今日も、友軍の戦闘機隊が上空を警戒していると連絡を受けていた。当面は眼下の目標への攻撃に専念できるはずだ。
ヴォルガ川の上空に出てから、北上してゆくと河面に浮かんだ多数の小型船が見えてきた。水面ギリギリまで降下してから、4台のトラックを搭載した輸送船の側面に向けて銃撃した。37mm弾が数発爆発する。今日は戦車攻撃が任務ではないので、射撃しているのは榴弾だった。被弾した小型船が左舷側に傾いた。トラックが傾斜に耐えられずに、甲板を滑って川の中へと落ちてゆく。すぐに船底の破孔からの浸水が大きくなった河船も後を追っていった。
その先には、甲板上に多数の木箱を積み上げたはしけのような船が航行していた。この船も、37mm弾が船体で爆発すると船底に穴が開いたようだ。あっという間に川底へと沈んでいった。
南側では、通常型のJu87が別の艦船を攻撃していた。爆弾が命中して水面上に半球型に爆炎が広がっている。他の部隊は桟橋を攻撃していた。スターリングラード市街がヴォルガ川に面したところには、いくつも倉庫のような建物と船着き場がある。スツーカは川の桟橋を狙って攻撃をしていった。
同じ頃、第6軍はスターリングラード市内の兵器工場と大砲工場、トラクター工場の3カ所を目指して市内に突入していた。市街地を防衛していたソ連軍第62軍は市内のビルを巧妙に利用して反撃してきた。既にほとんどのビルは爆撃と砲撃により廃墟になっていた。それが、銃弾や砲火を避ける遮蔽物となっていた。
ドイツ軍は、暗くなると前進を停止して、やがて西方に後退していった。第6軍は似たような市内への突撃を更に2度繰り返したが、市街地を防御するソ連軍第62軍は激しく反撃して来て第6軍の先鋒部隊を撃退した。
パウルス上級大将は第6軍の司令官になってから、実質的な作戦の判断を幕僚に頼るようになっていた。
「ソ連軍は、我々の攻撃が本気だと信じてくれただろうか?」
すぐに、シュミット参謀長が答えた。
「大丈夫ですよ。我が軍の市内への攻撃により、いずれ本気でスターリングラードを攻撃してくるだろうと考えているはずです。しかも、我が軍の市内への攻撃を跳ね返したことから、自分たちの実力を過大に評価しているでしょう」
市内戦でドイツ軍に損害を与えても、スターリングラードの西側にはまだ大きな兵力を有する第6軍が布陣していた。加えて後方の予備としてのイタリア軍も無傷で残っていた。第62軍の司令官だったチェイコフ中将は、今までの市内への攻撃は偵察行動であって、いずれドイツ軍が総力を挙げて、スターリングラード市街地に攻撃を仕掛けてくると予測していた。もちろんその予想を最高総司令部(スタフカ)にも報告していた。
スターリンはチェイコフ中将からの報告を受けて、スターリングラードの市街地をなんとしても防衛せよとの命令を発した。共産党書記長は、自分の名がついた都市ということで、個人的な面子にこだわったのではなかった。ソ連国民に与える影響を考えていたのだ。一般のロシア人にとって、ヴォルガ川は母なる大河として祖国の象徴だった。その河畔の都市がドイツ人に支配されることは、ソ連の国家としての敗北を象徴する国民に印象づけることになる。もちろん、ロシア南部とモスクワ、加えてカスピ海沿岸を結ぶ複数の鉄道網を接続する結節点として、スターリングラードは重要な年だ。更にいくつもの工場が存在する工業都市としての価値も大きい。命令を受けて、チェイコフ中将は、市街地がガレキの山になるような戦いを避けて、都市部の外縁で枢軸軍の攻撃を撃退せよとの命令だと解釈した。
スターリンは、参謀本部で反撃を計画していたジューコフ上級大将と参謀総長のワシレフスキー大将にも、似たような命令を発していた。スターリングラードの外側を囲んでいた枢軸軍を殲滅せよと命令すれば、敵軍に対して、先手を打って攻撃を仕掛けろという解釈もできる。当初は、準備に時間がかかると報告していたジューコフも最高総司令部(スタフカ)から繰り返し催促されると逆らえなくなった。
一方、ソ連空軍は偵察機により、ドイツ地上軍の配備からドイツ第6軍の北から北東側にはルーマニア第3軍が、南から南東側にはルーマニア第4軍が布陣していることに気づいた。ルーマニア軍は、ドイツ軍に比べて装備も兵士の訓練も劣っている。これらの同盟国の軍隊は、攻撃されれば後退するだろう。
ところが、スターリングラードの北北西に配備されていたソ連の南西方面軍は、万全な状況ではなかった。第21軍はイジューム近郊の戦いで大きな被害を受けて、一部の兵力だけが逃げてきた。第1親衛軍と第28軍は、ヴォロネジ南西の戦いで第4装甲軍に追いつかれて、散々に撃破されて逃げ延びた兵力だった。ヴォルガ近郊まで逃げる間にも兵力をすり潰して実質的な敗軍は攻勢に出られるような状態ではなかった。これらの軍はドン川の東岸に後退してきてから、表面上は火砲や戦車、物資が補給されていたが、3軍の兵力を全て合わせても1個師団程度だった。しかも、兵員は新兵で補っただけで、新規配備の兵器への訓練は全く不十分だった。
一方、ドン川とヴォルガ川の間に配備されていた第65軍は、航空攻撃以外は被害を受けずに後退してきており、それなりの戦力を維持していた。
スターリングラードの南側の兵力に関しては、ヴォルガ川の東に配備されていた第57軍と第64軍であり、今までに本格的な戦闘は行っていなかった。更に、スターリングラードの東側には、第24軍と第66軍が配備されていた。ヴォルガ川の東海岸であり、ドイツ空軍から攻撃を受けていたが、兵員の損失は新兵でなんとか回復していた。このような状況下で、ジューコフ上級大将は、ソ連軍の兵力は圧倒的であり、ドイツ軍に勝てると判断した。
ルーマニア軍の前線を突破して、西へと攻勢をかけるスターリングラード方面軍の司令官にはティモシエンコが任命されていた。イジュームの包囲戦での敗戦により、この元帥はスターリンの信頼を大きく損ねていた。南西方面での反撃の総司令官としてドイツ軍に大勝しなければ、最低でもシベリアへの左遷だ。逆に敗退すれば、スターリンは今度こそ激怒するだろう。それは銃殺を意味する。
1942年7月28日になって、ソ連軍の反攻が開始された。スターリングラードからやや距離を空けたヴォルガ川の北側と南側から同時にソ連軍部隊の攻勢が始まった。
カチューシャが猛然と射撃を開始した。ベテランの兵ならば、固有の飛来音に気づいて物陰に隠れるが、戦いに慣れていないルーマニア兵は何事かわからないうちに、雨あられのようにロケット弾が落下し始めた。戦闘経験の少ない兵士はパニックになった。もっとも、経験を有する兵であってもしばらくは、塹壕の下に隠れて身動きがとれない。
序盤でのロケット弾攻撃は、兵力を直接叩くことが目的ではない。激しいロケット弾により、兵隊の頭を下げさせるのが目的だ。その間に攻撃の主力が守備隊の陣地に接近するのだ。
北側のルーマニア第3軍には、南西方面軍の第1親衛軍と第21軍、第28軍の残存部隊と第65軍が攻撃を仕掛けた。南のルーマニア第4軍の陣地は第57軍と第64軍が戦車を先頭にして攻撃を開始した。
ルーマニア軍の前線は、戦力を集中させたソ連軍の攻撃にたちまち突破された。守備範囲が南北に広かったのに加えて、ルーマニア軍の装備はドイツ軍やソ連軍に比べると1世代遅れをとっていた。フランスやチェコから購入した37mm砲の戦車では、ソ連軍のT-34には全く太刀打ちできなかった。攻撃を受けてルーマニア第3軍は被害が大きくならないうちに全力で南西へと後退を始めた。その地域の防衛よりも戦力の温存を優先したのだ。同じ頃、ルーマニア第4軍も西へと後退していた。計画的な誘引作戦とはいえソ連軍の前進が早かったので、ルーマニア軍はほどほどの被害を受けていた。
北から侵攻したソ連軍は当初西へと進んでいたが、後方のイタリア軍を迂回するように進行方向を西北西へと変えた。南から侵攻した部隊はそのまま西へと進んでいた。2つの部隊がドン川東岸のカラチ付近で出会えば、ドン川とスターリングラードの間に布陣していた第6軍全体を挟み込むように包囲できる。
ジューコフは、攻撃が順調に進んでいるのを知って、ヴォルガの西岸に待機させていた第24軍と第66軍も追加で投入すると決めた。枢軸軍の前線を突破した状況で、追加の戦力を投入すれば、早期に包囲殲滅が可能になると考えたのだ。第6軍の北西には後続していたイタリア第8軍が駐屯していた。第6軍の後方にまで進出して、2つのソ連軍部隊がドン川のあたりで合流すれば、2つの刃が枢軸軍の後方で閉じることになる。そうなれば第6軍とイタリア第8軍、一部のハンガリー軍は行き場がなくなる。包囲陣の完成だ。
……
前線からの報告を聞いて、第4装甲軍参謀長のファンゴール大佐が早口でまくし立てていた。
「ソ連軍の攻撃が始まりました。やはり第6軍の北と南からの同時攻撃です。偵察機からの情報によると、北も南もそれぞれ2個から3個軍の兵力と思われます。なおルーマニア3軍と4軍は西方へと撤退を開始しています」
「いいだろう。計画通りだ。しばらくしたら、反撃開始だ。これからソ連軍はもっと増えてくるぞ。私がジューコフならば、包囲が可能だと判断すれば、この機に多くの敵軍を包囲できるだけの兵力を投入して戦果を拡大する。包囲する兵力が弱ければ内側から突破されるからな」
ヘルマン・ホトの命令は、突入したソ連軍よりも更に南北に距離をとっていた装甲軍団に伝えられた。
北側から突入したソ連軍の更に北方から南下してきたのは第48装甲軍団だった。長砲身の75mm砲を搭載したⅣ号戦車とⅢ号突撃砲が先頭となって、西方へと突出してきたソ連軍の根元を攻撃した。
一方、南側から北北東方向に前進してきたのは、ルーマニア第4軍の後方に隠れていた第503重戦車大隊だった。鉄道を使ってやっと前線に出てきた24両のティーガーIを中心とした重戦車部隊がソ連軍に向けて攻撃を開始した。
4月から訓練を続けてきたポスト中佐は、ティーガーIをソ連軍に対する破城槌のように使った。T-34とKV-1は側面を衝こうとする新型戦車を発見して、進行方向を変えて次々と射撃を開始した。しかし、ソ連戦車の76.2mm弾は1,000mで60mm装甲までしか貫通できなかった。ティーガーIは砲塔前面が100mm装甲で、車体前面が80mmだった。正面攻撃ならば、どこにあたってもソ連戦車の徹甲弾を跳ね返した。一方、ティーガーIの88mm砲弾は1,000mでも100mm装甲を貫通できた。T-34の45mm装甲だけでなく、重装甲のKV-1の75mm装甲でも全ての距離で撃破可能だった。
ティーガーIは早々に5両が駆動系の故障で停止してしまったが、残りの車両が多数のT-34とKV-1を撃破して、侵攻部隊の側面に突破口を開けた。第503重戦車大隊の後方には、第6軍配下の第14装甲師団が続いて、戦果を拡大してゆく。
一方、ルーマニア軍を突破したソ連軍の先頭部隊は、速度が鈍っていた。枢軸軍があらかじめ構築していた地雷原にはまり込んだのだ。速度が落ちたところで、空からの攻撃も始まった。
第2突撃航空団(StG2)のJu87は、東に向けて進んでいる一隊を下方に発見した。ルーデル中尉は、慎重に地上部隊を観察していた。この地域には、北からの友軍部隊も行動していると聞いていたのだ。
(間違いない。多数のソ連戦車が西に向けて走っている。それにしても部隊の規模が大きいな)
「ソ連軍の部隊に間違いない。攻撃開始。戦車を優先せよ」
37mm砲装備のJu87が一斉に機首を下げた。緩降下姿勢で、T-34を狙って37mm砲を射撃した。装甲の厚いT-34も上部を狙われればひとたまりもなかった。車体の上面は20mmしかない。正面からの攻撃では、砲塔の防楯に命中するとタングステン弾もはじかれたが、後ろ上方からはそんな心配は全くない。
Ju87は攻撃を続けた。撃破すべき対象はまだ数多く残っていたのだ。突然後方のトラックから炎が上がった。
「後方に燃料を搭載した車両が続いている。戦車の次は、燃料車を狙え。7.9mmでも炎上させられるぞ」
ルーデル中尉の中隊は、弾薬がなくなるまでしつこく攻撃を繰り返した。30両の戦車が破壊された。戦車部隊に続いていたトラックの部隊も攻撃されて、激しく黒煙が立ち上っていた。
スターリングラード北方のヴォルガ川まで飛来してきたのはHe177の編隊だった。渡河して進撃の準備をしていた第24軍と第66軍を24機のHe177が144トンの爆弾で攻撃した。
航空機からの攻撃により、ソ連軍は混乱していった。統制のとれていた隊列が次第にバラバラになっていった。突然、南方の第6軍から、マルダーⅡ型が射撃を開始した。側面からの75mmの射撃でT-34もたちまち数両が破壊された。ソ連戦車が左翼に向きを変えて攻撃を開始すると、マルダーはそれを予期していたかのように後退を始めた。装甲の貧弱な自走砲は正面から戦車とやり合ったら勝ち目はない。
マルダーⅡが後退して言った方角から射撃を開始したのは、88mm高射砲の砲列だった。一斉射撃で前方を走っていたT-34がたちまち黒煙を上げて擱座する。集中射撃を受けて、10両以上の戦車が残骸に変わっていた。激しい反撃にあって、今度はソ連軍の戦車が後退を始めた。
時間を合わせて、ソ連軍の南方からも攻撃が始まった第48装甲軍団の一群が西側に迂回してソ連軍の先鋒に向けて攻撃を開始したのだ。Ⅲ号突撃砲を主力とした一隊が地雷原にはまったソ連車両に向けて、攻撃を開始した。
第6軍を包囲しようと前進していた軍団の先鋒部隊が大損害を受けたことで、全体の侵攻が停止した。その頃には、南方に侵攻していた第48装甲軍団の主隊と北北東方向に進んできた第6軍の一隊により、ソ連軍団の南側の部隊は根元が食い破られた。遂に、ソ連軍に突入した第48装甲軍団と内側の第6軍は手を結ぶことができた。
東から西へと細長い隊形で侵攻してきた北方のソ連軍は先頭部隊が殲滅されて、反対側のヴォルガ川に近い根元は有力なドイツ軍に突破された。ソ連軍は東から圧力を受けて次第に東西のドン川の方向に集まることになった。
ルーマニア第4軍を攻撃して西へ進んでいた南側のソ連軍も似たような状況だった。先頭の部隊は陣地で待ち構えていた自走砲と88mmの罠にはまって集中的に攻撃されていた。
侵攻したソ連部隊の東側を北へと進んでいた18両のティーガーⅠと第14装甲師団の部隊はそのまま直進して、内側の第6軍と合流した。突進の途中で、更に4両が故障したが、残りの車両は弾薬がなくなるまで射撃を続けていた。南から進んだ重戦車大隊と北からの装甲部隊ががっちりと手を結ぶとソ連軍の退路は断たれた。ソ連軍は、またしてもイジューム近郊の戦いと同じく、ドイツ軍に包囲されるという過ちを犯した。
あっという間に2つのソ連軍団がドン川を一辺とする個別の長方形の地域に閉じ込められた。しかも相互に連携もとれないまま孤立していた。そこに激しい攻撃を加えたのはドイツ空軍だった。
ドイツ軍戦闘機は機数で負けていても、機体の性能とパイロットの技量で上回っていた。しかもFw190Aの配備が進んで、戦闘機の性能差は開いていた。結果的に、この地域では、ドイツ軍が航空優勢を確保できていた。
包囲されたソ連軍に対して激しい爆撃が開始された。もちろんルーデルも37mmで車両を次々と撃破していった。ソ連軍からの攻撃により、混乱していたルーマニア軍も態勢を立て直して、南北からの攻撃に加わった。更に、ヴォロネジの戦闘から第4装甲軍と行動を共にしていた第2軍も攻撃に加わった。
ヴォルガの東側にはまだソ連軍の2個軍が残っていたが、スターリングラードの防衛と包囲されたソ連軍の救助の双方を同時に実行できるだけの兵力ではない。
ジューコフ上級大将のところに最高総司令官からの命令書が届いた。すぐに、ヴァシレフスキーと命令をどうやって実行するかの相談を始めた。
「スターリンからの命令だ。スターリングラードをドイツ軍に占領されるなとのことだ」
「ドイツ軍に包囲されている我が軍の部隊を見捨てるということですか? 包囲された部隊には、ティモシエンコ元帥もいるのですよ。細長い地域を占領している我が軍は飛行場を押さえていません。輸送機で逃げることは不可能になりました」
「それは書いていないが、何も手を打たなければ、必然的にそうなるだろう」
「手持ちの部隊ではどうにもなりません。増援の可能性はないのですか?」
「総司令部は、モスクワ周囲の防衛を手薄にしてまで、我々の部隊を支援するようなことは絶対にしないだろう。しかも、ドイツ軍はコーカサス方面への攻勢も実行中だ。油田の防衛を強化しろと命令が出ているぐらいだ。他の方面からの増援は考えられない」
ドイツ軍は包囲した部隊への攻撃を優先した。南北両側面に敵軍が残っていれば、逆に第6軍が包囲される危険性が常に付きまとうからだ。スターリングラードの占領など、当面は考えられない。
ジューコフは、包囲された友軍の救援はあきらめて、スターリングラード市内の防衛隊を強化して防衛線の構築を開始した。市街地周辺部も含めて幾重もの陣地を構築してハリネズミのような強固に防衛された都市にするのだ。市内の女子供はヴォルガ川の対岸に移されたが、少年と成人男子はそのまま、スターリングラードの守備隊に編入された。
B軍集団を指揮していたヴァイクス上級大将は、今後の作戦のためにドン川とヴォルガ川の間に集中していた部隊の役割を整理することにした。ルーマニア軍についてはドネツ川とドン川の間に配置して、ヴォロネジ方面から南下してくるソ連軍への備えとした。
イタリア第8軍とドイツ軍第6軍は、スターリングラード西南方面に配備してヴォルガ川を越えてやってくるソ連軍に備えることとした。さすがにドイツ軍も包囲戦で戦力を消耗したため、防衛力を強化したスターリングラード市内に侵攻して攻略するだけの戦力はなかった。
1カ月の包囲戦の後に、ドン川とヴォルガ川にはさまれた地域で枢軸軍に包囲されたソ連軍は、食料も水も不足して降伏した。この方面の部隊を指揮していたティモシエンコ元帥もドイツ軍の捕虜となった。これで、B軍集団の当初の目的はほぼ達成された。少なくともスターリングラードよりも北の、コーカサス方面のドイツ軍に攻撃を加えようと南下を企てるソ連軍はいないはずだ。
ホト上級大将は、ソ連軍元帥を捕虜にしたとの報告を受けると行動を開始した。早々とティモシエンコ元帥と参謀長のバグラミャン中将をハーグ陸戦条約違反の罪で、多数の面前で処刑してしまった。罪状は枢軸軍捕虜に対する虐待だ。
第4装甲軍参謀長のベルヌート中佐が報告にやってきた。
「空砲を使った銃殺の茶番劇はうまくいったようです。処刑を目撃していた数人のソ連軍兵士が、見張りが疎かになったすきに脱走してくれました。逃亡兵にはソ連軍の士官も含んでいます」
「これで、ティモシエンコ元帥は処刑されたという報告が、ソ連上層部に上がるだろう。それで、本物の元帥はどうなっているのだ?」
「本日の午後になれば、Ju52輸送機で後方に向けて出発します。2、3日もあれば、ベルリンに到着するでしょう。自分の国に戻っても本当の処刑が待っているだけだから、帰国するつもりは一切ないと本人も言っていたようです」
ホト上級大将は、大きくうなずいた。スターリンの考えていることや赤軍の戦法、新兵器についていろいろ知っている元帥の情報は、大きな利用価値があるはずだ。わざわざティモシエンコの処刑を演出して流出させたのは、ソ連側に元帥からの情報漏れを察知されて、対策をされないためだ。
ドイツ軍の次のソ連軍との戦いでは、ティモシエンコがもたらした情報は間違いなく役に立つはずだ。
しかし、B軍集団にとっては、ブラウ作戦の前半戦を消化しただけだ。今までの戦いはほぼ計画通りに進んでいると思われた。ホト上級大将は第6軍のパウルス上級大将と、今後の作戦行動について再確認することにした。
「偵察機の情報からは、スターリングラード周辺の部隊とヴォルガ川の東岸に温存されている部隊を合わせると、我々よりも大きな兵力になるかもしれない。しかし、A軍集団のコーカサスへの攻撃を考えると、ここでソ連軍のカスピ海方面への南下を抑止しなければならない。つまり、ソ連軍の兵力を大きく消耗させる作戦が必要だ」
パウルス上級大将は画期的な作戦は思いつかなかったが、市街戦には反対だった。
「まず、スターリングラード市街地に侵入して戦うのは論外だ。そんなことをすれば、予期しない接近戦で兵員の損害が増えて時間も浪費することになる。頭数に勝るソ連軍に有利な戦い方に引き込まれることになる。我々は消耗戦をすべきではない」
第4装甲軍の参謀長のファンゴール大佐は平原に誘い出す作戦方針を考えていた。
「私も市街地のビルを順番に攻略してゆくような戦い方には反対です。機甲部隊の機動力を自ら封印することになります。しかし、平原で戦うためには、スターリングラード周囲の部隊と市内の部隊を、スターリングラード西側におびき出す何らかの方策が必要です。例えば、ソ連軍の食指が動くような目標を平原に意図的に準備して、誘引するような作戦です」
「イジュームとハリコフ近郊の戦いでは、ソ連軍は、我が方の戦力を実際よりも過小評価して攻撃してきたのだったな。攻撃すれば我が軍の部隊を殲滅できると、ソ連軍に思いこませれば、誘い出せるかもしれないな」
第6軍参謀長のシュミット中将は、誘い出し作戦の実効性に疑問を持っていた。
「誘い出すためには、懸念事項が2つあります。一つ目は、ソ連軍にとって、防御陣地から出てきて前進しようと思えるだけの戦果が必要です。いわば、食いつこうと思えるだけの魅力的な餌の存在が必要です。二つ目は、我々がおびき出し作戦を実行していると見破られないだけのカモフラージュが必要です。例えば、部隊配置や陣地の構築に不自然な点があれば、誘引作戦に気づかれる可能性があります」
ファンゴール大佐は、計算機を利用すれば実現可能な作戦を立案できると考えていた。
「確かにその心配は、もっともだと私も考えます。逆にそれを解決できるならば、おびき出し作戦は実現可能だということになります。我々が保有するハーフトラック搭載の計算機でいくつかの案について検証したいと思います」
最終的に計算機による模擬戦闘の結果も参考にして、ドイツ軍が採用したのは、スターリングラードの西側郊外を北から南まで、部隊を分けて包囲する作戦だった。第6軍の主隊がスターリングラードの西方からやや離れて布陣した。特に北西側の部隊は、あたかも市内に突入するように機動兵力を配置した。第6軍の背後には予備兵力としてイタリア第8軍が布陣した。更に、北側の側面を防御するためにヴォルガ川とドン川の中間あたりに北北東に広がるようにルーマニア第3軍を配置した。逆方向の南側の側面にはルーマニア第4軍が北西から南東にかけて配置された。
……
ドイツ軍がドン川の東に兵力を配備しても、ソ連軍は、ヴォルガ川を横断して東部やアストラハンの方面からスターリングラードへの物資輸送が可能だった。昼夜を問わず、はしけや漁船のような小舟を使って軍事物資を運び込んでいた。市内の部隊を締め上げるために空軍の攻撃が始まった。スターリングラードの軍事拠点への爆撃とともに、川を航行する艦船も重点対象となった。
ルーデル中尉は、スターリングラードの南側からヴォルガ川の上空を目指していた。このあたりはドイツ軍が完全に制空権を握っているわけではなかった。それでも、レーダー警戒型のFw200が飛行するようになって、友軍戦闘機がかなりの確率で敵機を撃退できるようになった。今日も、友軍の戦闘機隊が上空を警戒していると連絡を受けていた。当面は眼下の目標への攻撃に専念できるはずだ。
ヴォルガ川の上空に出てから、北上してゆくと河面に浮かんだ多数の小型船が見えてきた。水面ギリギリまで降下してから、4台のトラックを搭載した輸送船の側面に向けて銃撃した。37mm弾が数発爆発する。今日は戦車攻撃が任務ではないので、射撃しているのは榴弾だった。被弾した小型船が左舷側に傾いた。トラックが傾斜に耐えられずに、甲板を滑って川の中へと落ちてゆく。すぐに船底の破孔からの浸水が大きくなった河船も後を追っていった。
その先には、甲板上に多数の木箱を積み上げたはしけのような船が航行していた。この船も、37mm弾が船体で爆発すると船底に穴が開いたようだ。あっという間に川底へと沈んでいった。
南側では、通常型のJu87が別の艦船を攻撃していた。爆弾が命中して水面上に半球型に爆炎が広がっている。他の部隊は桟橋を攻撃していた。スターリングラード市街がヴォルガ川に面したところには、いくつも倉庫のような建物と船着き場がある。スツーカは川の桟橋を狙って攻撃をしていった。
同じ頃、第6軍はスターリングラード市内の兵器工場と大砲工場、トラクター工場の3カ所を目指して市内に突入していた。市街地を防衛していたソ連軍第62軍は市内のビルを巧妙に利用して反撃してきた。既にほとんどのビルは爆撃と砲撃により廃墟になっていた。それが、銃弾や砲火を避ける遮蔽物となっていた。
ドイツ軍は、暗くなると前進を停止して、やがて西方に後退していった。第6軍は似たような市内への突撃を更に2度繰り返したが、市街地を防御するソ連軍第62軍は激しく反撃して来て第6軍の先鋒部隊を撃退した。
パウルス上級大将は第6軍の司令官になってから、実質的な作戦の判断を幕僚に頼るようになっていた。
「ソ連軍は、我々の攻撃が本気だと信じてくれただろうか?」
すぐに、シュミット参謀長が答えた。
「大丈夫ですよ。我が軍の市内への攻撃により、いずれ本気でスターリングラードを攻撃してくるだろうと考えているはずです。しかも、我が軍の市内への攻撃を跳ね返したことから、自分たちの実力を過大に評価しているでしょう」
市内戦でドイツ軍に損害を与えても、スターリングラードの西側にはまだ大きな兵力を有する第6軍が布陣していた。加えて後方の予備としてのイタリア軍も無傷で残っていた。第62軍の司令官だったチェイコフ中将は、今までの市内への攻撃は偵察行動であって、いずれドイツ軍が総力を挙げて、スターリングラード市街地に攻撃を仕掛けてくると予測していた。もちろんその予想を最高総司令部(スタフカ)にも報告していた。
スターリンはチェイコフ中将からの報告を受けて、スターリングラードの市街地をなんとしても防衛せよとの命令を発した。共産党書記長は、自分の名がついた都市ということで、個人的な面子にこだわったのではなかった。ソ連国民に与える影響を考えていたのだ。一般のロシア人にとって、ヴォルガ川は母なる大河として祖国の象徴だった。その河畔の都市がドイツ人に支配されることは、ソ連の国家としての敗北を象徴する国民に印象づけることになる。もちろん、ロシア南部とモスクワ、加えてカスピ海沿岸を結ぶ複数の鉄道網を接続する結節点として、スターリングラードは重要な年だ。更にいくつもの工場が存在する工業都市としての価値も大きい。命令を受けて、チェイコフ中将は、市街地がガレキの山になるような戦いを避けて、都市部の外縁で枢軸軍の攻撃を撃退せよとの命令だと解釈した。
スターリンは、参謀本部で反撃を計画していたジューコフ上級大将と参謀総長のワシレフスキー大将にも、似たような命令を発していた。スターリングラードの外側を囲んでいた枢軸軍を殲滅せよと命令すれば、敵軍に対して、先手を打って攻撃を仕掛けろという解釈もできる。当初は、準備に時間がかかると報告していたジューコフも最高総司令部(スタフカ)から繰り返し催促されると逆らえなくなった。
一方、ソ連空軍は偵察機により、ドイツ地上軍の配備からドイツ第6軍の北から北東側にはルーマニア第3軍が、南から南東側にはルーマニア第4軍が布陣していることに気づいた。ルーマニア軍は、ドイツ軍に比べて装備も兵士の訓練も劣っている。これらの同盟国の軍隊は、攻撃されれば後退するだろう。
ところが、スターリングラードの北北西に配備されていたソ連の南西方面軍は、万全な状況ではなかった。第21軍はイジューム近郊の戦いで大きな被害を受けて、一部の兵力だけが逃げてきた。第1親衛軍と第28軍は、ヴォロネジ南西の戦いで第4装甲軍に追いつかれて、散々に撃破されて逃げ延びた兵力だった。ヴォルガ近郊まで逃げる間にも兵力をすり潰して実質的な敗軍は攻勢に出られるような状態ではなかった。これらの軍はドン川の東岸に後退してきてから、表面上は火砲や戦車、物資が補給されていたが、3軍の兵力を全て合わせても1個師団程度だった。しかも、兵員は新兵で補っただけで、新規配備の兵器への訓練は全く不十分だった。
一方、ドン川とヴォルガ川の間に配備されていた第65軍は、航空攻撃以外は被害を受けずに後退してきており、それなりの戦力を維持していた。
スターリングラードの南側の兵力に関しては、ヴォルガ川の東に配備されていた第57軍と第64軍であり、今までに本格的な戦闘は行っていなかった。更に、スターリングラードの東側には、第24軍と第66軍が配備されていた。ヴォルガ川の東海岸であり、ドイツ空軍から攻撃を受けていたが、兵員の損失は新兵でなんとか回復していた。このような状況下で、ジューコフ上級大将は、ソ連軍の兵力は圧倒的であり、ドイツ軍に勝てると判断した。
ルーマニア軍の前線を突破して、西へと攻勢をかけるスターリングラード方面軍の司令官にはティモシエンコが任命されていた。イジュームの包囲戦での敗戦により、この元帥はスターリンの信頼を大きく損ねていた。南西方面での反撃の総司令官としてドイツ軍に大勝しなければ、最低でもシベリアへの左遷だ。逆に敗退すれば、スターリンは今度こそ激怒するだろう。それは銃殺を意味する。
1942年7月28日になって、ソ連軍の反攻が開始された。スターリングラードからやや距離を空けたヴォルガ川の北側と南側から同時にソ連軍部隊の攻勢が始まった。
カチューシャが猛然と射撃を開始した。ベテランの兵ならば、固有の飛来音に気づいて物陰に隠れるが、戦いに慣れていないルーマニア兵は何事かわからないうちに、雨あられのようにロケット弾が落下し始めた。戦闘経験の少ない兵士はパニックになった。もっとも、経験を有する兵であってもしばらくは、塹壕の下に隠れて身動きがとれない。
序盤でのロケット弾攻撃は、兵力を直接叩くことが目的ではない。激しいロケット弾により、兵隊の頭を下げさせるのが目的だ。その間に攻撃の主力が守備隊の陣地に接近するのだ。
北側のルーマニア第3軍には、南西方面軍の第1親衛軍と第21軍、第28軍の残存部隊と第65軍が攻撃を仕掛けた。南のルーマニア第4軍の陣地は第57軍と第64軍が戦車を先頭にして攻撃を開始した。
ルーマニア軍の前線は、戦力を集中させたソ連軍の攻撃にたちまち突破された。守備範囲が南北に広かったのに加えて、ルーマニア軍の装備はドイツ軍やソ連軍に比べると1世代遅れをとっていた。フランスやチェコから購入した37mm砲の戦車では、ソ連軍のT-34には全く太刀打ちできなかった。攻撃を受けてルーマニア第3軍は被害が大きくならないうちに全力で南西へと後退を始めた。その地域の防衛よりも戦力の温存を優先したのだ。同じ頃、ルーマニア第4軍も西へと後退していた。計画的な誘引作戦とはいえソ連軍の前進が早かったので、ルーマニア軍はほどほどの被害を受けていた。
北から侵攻したソ連軍は当初西へと進んでいたが、後方のイタリア軍を迂回するように進行方向を西北西へと変えた。南から侵攻した部隊はそのまま西へと進んでいた。2つの部隊がドン川東岸のカラチ付近で出会えば、ドン川とスターリングラードの間に布陣していた第6軍全体を挟み込むように包囲できる。
ジューコフは、攻撃が順調に進んでいるのを知って、ヴォルガの西岸に待機させていた第24軍と第66軍も追加で投入すると決めた。枢軸軍の前線を突破した状況で、追加の戦力を投入すれば、早期に包囲殲滅が可能になると考えたのだ。第6軍の北西には後続していたイタリア第8軍が駐屯していた。第6軍の後方にまで進出して、2つのソ連軍部隊がドン川のあたりで合流すれば、2つの刃が枢軸軍の後方で閉じることになる。そうなれば第6軍とイタリア第8軍、一部のハンガリー軍は行き場がなくなる。包囲陣の完成だ。
……
前線からの報告を聞いて、第4装甲軍参謀長のファンゴール大佐が早口でまくし立てていた。
「ソ連軍の攻撃が始まりました。やはり第6軍の北と南からの同時攻撃です。偵察機からの情報によると、北も南もそれぞれ2個から3個軍の兵力と思われます。なおルーマニア3軍と4軍は西方へと撤退を開始しています」
「いいだろう。計画通りだ。しばらくしたら、反撃開始だ。これからソ連軍はもっと増えてくるぞ。私がジューコフならば、包囲が可能だと判断すれば、この機に多くの敵軍を包囲できるだけの兵力を投入して戦果を拡大する。包囲する兵力が弱ければ内側から突破されるからな」
ヘルマン・ホトの命令は、突入したソ連軍よりも更に南北に距離をとっていた装甲軍団に伝えられた。
北側から突入したソ連軍の更に北方から南下してきたのは第48装甲軍団だった。長砲身の75mm砲を搭載したⅣ号戦車とⅢ号突撃砲が先頭となって、西方へと突出してきたソ連軍の根元を攻撃した。
一方、南側から北北東方向に前進してきたのは、ルーマニア第4軍の後方に隠れていた第503重戦車大隊だった。鉄道を使ってやっと前線に出てきた24両のティーガーIを中心とした重戦車部隊がソ連軍に向けて攻撃を開始した。
4月から訓練を続けてきたポスト中佐は、ティーガーIをソ連軍に対する破城槌のように使った。T-34とKV-1は側面を衝こうとする新型戦車を発見して、進行方向を変えて次々と射撃を開始した。しかし、ソ連戦車の76.2mm弾は1,000mで60mm装甲までしか貫通できなかった。ティーガーIは砲塔前面が100mm装甲で、車体前面が80mmだった。正面攻撃ならば、どこにあたってもソ連戦車の徹甲弾を跳ね返した。一方、ティーガーIの88mm砲弾は1,000mでも100mm装甲を貫通できた。T-34の45mm装甲だけでなく、重装甲のKV-1の75mm装甲でも全ての距離で撃破可能だった。
ティーガーIは早々に5両が駆動系の故障で停止してしまったが、残りの車両が多数のT-34とKV-1を撃破して、侵攻部隊の側面に突破口を開けた。第503重戦車大隊の後方には、第6軍配下の第14装甲師団が続いて、戦果を拡大してゆく。
一方、ルーマニア軍を突破したソ連軍の先頭部隊は、速度が鈍っていた。枢軸軍があらかじめ構築していた地雷原にはまり込んだのだ。速度が落ちたところで、空からの攻撃も始まった。
第2突撃航空団(StG2)のJu87は、東に向けて進んでいる一隊を下方に発見した。ルーデル中尉は、慎重に地上部隊を観察していた。この地域には、北からの友軍部隊も行動していると聞いていたのだ。
(間違いない。多数のソ連戦車が西に向けて走っている。それにしても部隊の規模が大きいな)
「ソ連軍の部隊に間違いない。攻撃開始。戦車を優先せよ」
37mm砲装備のJu87が一斉に機首を下げた。緩降下姿勢で、T-34を狙って37mm砲を射撃した。装甲の厚いT-34も上部を狙われればひとたまりもなかった。車体の上面は20mmしかない。正面からの攻撃では、砲塔の防楯に命中するとタングステン弾もはじかれたが、後ろ上方からはそんな心配は全くない。
Ju87は攻撃を続けた。撃破すべき対象はまだ数多く残っていたのだ。突然後方のトラックから炎が上がった。
「後方に燃料を搭載した車両が続いている。戦車の次は、燃料車を狙え。7.9mmでも炎上させられるぞ」
ルーデル中尉の中隊は、弾薬がなくなるまでしつこく攻撃を繰り返した。30両の戦車が破壊された。戦車部隊に続いていたトラックの部隊も攻撃されて、激しく黒煙が立ち上っていた。
スターリングラード北方のヴォルガ川まで飛来してきたのはHe177の編隊だった。渡河して進撃の準備をしていた第24軍と第66軍を24機のHe177が144トンの爆弾で攻撃した。
航空機からの攻撃により、ソ連軍は混乱していった。統制のとれていた隊列が次第にバラバラになっていった。突然、南方の第6軍から、マルダーⅡ型が射撃を開始した。側面からの75mmの射撃でT-34もたちまち数両が破壊された。ソ連戦車が左翼に向きを変えて攻撃を開始すると、マルダーはそれを予期していたかのように後退を始めた。装甲の貧弱な自走砲は正面から戦車とやり合ったら勝ち目はない。
マルダーⅡが後退して言った方角から射撃を開始したのは、88mm高射砲の砲列だった。一斉射撃で前方を走っていたT-34がたちまち黒煙を上げて擱座する。集中射撃を受けて、10両以上の戦車が残骸に変わっていた。激しい反撃にあって、今度はソ連軍の戦車が後退を始めた。
時間を合わせて、ソ連軍の南方からも攻撃が始まった第48装甲軍団の一群が西側に迂回してソ連軍の先鋒に向けて攻撃を開始したのだ。Ⅲ号突撃砲を主力とした一隊が地雷原にはまったソ連車両に向けて、攻撃を開始した。
第6軍を包囲しようと前進していた軍団の先鋒部隊が大損害を受けたことで、全体の侵攻が停止した。その頃には、南方に侵攻していた第48装甲軍団の主隊と北北東方向に進んできた第6軍の一隊により、ソ連軍団の南側の部隊は根元が食い破られた。遂に、ソ連軍に突入した第48装甲軍団と内側の第6軍は手を結ぶことができた。
東から西へと細長い隊形で侵攻してきた北方のソ連軍は先頭部隊が殲滅されて、反対側のヴォルガ川に近い根元は有力なドイツ軍に突破された。ソ連軍は東から圧力を受けて次第に東西のドン川の方向に集まることになった。
ルーマニア第4軍を攻撃して西へ進んでいた南側のソ連軍も似たような状況だった。先頭の部隊は陣地で待ち構えていた自走砲と88mmの罠にはまって集中的に攻撃されていた。
侵攻したソ連部隊の東側を北へと進んでいた18両のティーガーⅠと第14装甲師団の部隊はそのまま直進して、内側の第6軍と合流した。突進の途中で、更に4両が故障したが、残りの車両は弾薬がなくなるまで射撃を続けていた。南から進んだ重戦車大隊と北からの装甲部隊ががっちりと手を結ぶとソ連軍の退路は断たれた。ソ連軍は、またしてもイジューム近郊の戦いと同じく、ドイツ軍に包囲されるという過ちを犯した。
あっという間に2つのソ連軍団がドン川を一辺とする個別の長方形の地域に閉じ込められた。しかも相互に連携もとれないまま孤立していた。そこに激しい攻撃を加えたのはドイツ空軍だった。
ドイツ軍戦闘機は機数で負けていても、機体の性能とパイロットの技量で上回っていた。しかもFw190Aの配備が進んで、戦闘機の性能差は開いていた。結果的に、この地域では、ドイツ軍が航空優勢を確保できていた。
包囲されたソ連軍に対して激しい爆撃が開始された。もちろんルーデルも37mmで車両を次々と撃破していった。ソ連軍からの攻撃により、混乱していたルーマニア軍も態勢を立て直して、南北からの攻撃に加わった。更に、ヴォロネジの戦闘から第4装甲軍と行動を共にしていた第2軍も攻撃に加わった。
ヴォルガの東側にはまだソ連軍の2個軍が残っていたが、スターリングラードの防衛と包囲されたソ連軍の救助の双方を同時に実行できるだけの兵力ではない。
ジューコフ上級大将のところに最高総司令官からの命令書が届いた。すぐに、ヴァシレフスキーと命令をどうやって実行するかの相談を始めた。
「スターリンからの命令だ。スターリングラードをドイツ軍に占領されるなとのことだ」
「ドイツ軍に包囲されている我が軍の部隊を見捨てるということですか? 包囲された部隊には、ティモシエンコ元帥もいるのですよ。細長い地域を占領している我が軍は飛行場を押さえていません。輸送機で逃げることは不可能になりました」
「それは書いていないが、何も手を打たなければ、必然的にそうなるだろう」
「手持ちの部隊ではどうにもなりません。増援の可能性はないのですか?」
「総司令部は、モスクワ周囲の防衛を手薄にしてまで、我々の部隊を支援するようなことは絶対にしないだろう。しかも、ドイツ軍はコーカサス方面への攻勢も実行中だ。油田の防衛を強化しろと命令が出ているぐらいだ。他の方面からの増援は考えられない」
ドイツ軍は包囲した部隊への攻撃を優先した。南北両側面に敵軍が残っていれば、逆に第6軍が包囲される危険性が常に付きまとうからだ。スターリングラードの占領など、当面は考えられない。
ジューコフは、包囲された友軍の救援はあきらめて、スターリングラード市内の防衛隊を強化して防衛線の構築を開始した。市街地周辺部も含めて幾重もの陣地を構築してハリネズミのような強固に防衛された都市にするのだ。市内の女子供はヴォルガ川の対岸に移されたが、少年と成人男子はそのまま、スターリングラードの守備隊に編入された。
B軍集団を指揮していたヴァイクス上級大将は、今後の作戦のためにドン川とヴォルガ川の間に集中していた部隊の役割を整理することにした。ルーマニア軍についてはドネツ川とドン川の間に配置して、ヴォロネジ方面から南下してくるソ連軍への備えとした。
イタリア第8軍とドイツ軍第6軍は、スターリングラード西南方面に配備してヴォルガ川を越えてやってくるソ連軍に備えることとした。さすがにドイツ軍も包囲戦で戦力を消耗したため、防衛力を強化したスターリングラード市内に侵攻して攻略するだけの戦力はなかった。
1カ月の包囲戦の後に、ドン川とヴォルガ川にはさまれた地域で枢軸軍に包囲されたソ連軍は、食料も水も不足して降伏した。この方面の部隊を指揮していたティモシエンコ元帥もドイツ軍の捕虜となった。これで、B軍集団の当初の目的はほぼ達成された。少なくともスターリングラードよりも北の、コーカサス方面のドイツ軍に攻撃を加えようと南下を企てるソ連軍はいないはずだ。
ホト上級大将は、ソ連軍元帥を捕虜にしたとの報告を受けると行動を開始した。早々とティモシエンコ元帥と参謀長のバグラミャン中将をハーグ陸戦条約違反の罪で、多数の面前で処刑してしまった。罪状は枢軸軍捕虜に対する虐待だ。
第4装甲軍参謀長のベルヌート中佐が報告にやってきた。
「空砲を使った銃殺の茶番劇はうまくいったようです。処刑を目撃していた数人のソ連軍兵士が、見張りが疎かになったすきに脱走してくれました。逃亡兵にはソ連軍の士官も含んでいます」
「これで、ティモシエンコ元帥は処刑されたという報告が、ソ連上層部に上がるだろう。それで、本物の元帥はどうなっているのだ?」
「本日の午後になれば、Ju52輸送機で後方に向けて出発します。2、3日もあれば、ベルリンに到着するでしょう。自分の国に戻っても本当の処刑が待っているだけだから、帰国するつもりは一切ないと本人も言っていたようです」
ホト上級大将は、大きくうなずいた。スターリンの考えていることや赤軍の戦法、新兵器についていろいろ知っている元帥の情報は、大きな利用価値があるはずだ。わざわざティモシエンコの処刑を演出して流出させたのは、ソ連側に元帥からの情報漏れを察知されて、対策をされないためだ。
ドイツ軍の次のソ連軍との戦いでは、ティモシエンコがもたらした情報は間違いなく役に立つはずだ。
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