電子の帝国

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第19章 外伝(東部戦線編)

19.6章 コーカサス攻略

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 クリミア半島のセバストポリ要塞を攻略した第11軍は、兵力の再編成と補給を終わらせて、東へと進んでいた。マンシュタインは、クリミア半島でロシア軍が使用していた多数の小型船を鹵獲していた。それに加えてルーマニアの黒海艦隊に輸送船を供出するよう要求していた。それらの艦艇を動員して、第11軍は、ケルチ海峡を渡ってノヴォロシースクを目指した。わずか30kmの海峡を横断する航海だ。海峡を渡ると、目標とする都市のノヴォロシースクまではおよそ100kmだ。第11軍は、直ちに東南東の港湾都市を目指して進撃を開始した。

 ノヴォロシースクのソ連軍は、クリミア半島が枢軸軍により制圧されてからは、黒海側からの攻撃を警戒していた。港と沿岸各所に陣地を構築して、黒海からの上陸作戦を迎え撃とうと準備を進めていた。

 マンシュタインは、クリミア半島を出発する前に、ルーマニア海軍の駆逐艦にも出撃を要請していた。「レジーナ・マリーア」と「レジェーレ・フェルディナンド」「マラシュティ」は、ルーマニアのコンスタンツァを出港してから黒海の北岸近くを西へと進んでいた。3隻の駆逐艦は、ノヴォロシースク港の北側に回り込むと、港を囲むように構築されていたソ連軍の陣地に激しい砲撃を加えた。駆逐艦の後方に続いていた輸送船の甲板には、多連装ロケットであるネーベルヴェルファーをずらりと並べていた。セバストポリの攻撃でも火力制圧のために使用された火砲だ。輸送船は海岸ぎりぎりまで接近すると、20cm以上の大口径ロケット弾を発射した。輸送船が北側から港に接近してきて、あたかも海側から、上陸するかのような素振りを見せた。

 当初、ノヴォロシースク周辺に配備されていたソ連の2個軍は、クリミア半島のケルチ上陸戦に既に投入されたおかげで大損害を出していた。代わりにマイコプ方面に布陣していた第18軍の一部が北上して、ケルチから退却してきた残存兵力と共にノヴォロシースクを防衛していた。

 西の港湾からの攻撃が始まると、マンシュタインは北西方面からノヴォロシースク市街への突入を命じた。海上からの激しい砲撃により、ソ連軍は港への上陸を想定して、その方向に兵力を移動しつつあった。ところが市街地の北西側から枢軸軍の部隊が突然現れた。防衛軍の混乱に乗じて北側から第11軍が突入すると、市街地北側の防衛線は短時間で突破された。そのまま、真っ先に突入した第11軍配下の第30軍団が市街を縦断して港に到達すると、ソ連軍の防御体制は一気に崩壊した。

 枢軸側は、ついに黒海東岸に物資の揚陸が可能な港湾都市を確保した。これで、ルーマニアやウクライナのオデッサからノヴォロシースクまで貨物船による燃料や物資が可能になった。コーカサス油田に向けて進撃を続けているA軍集団の物資輸送も円滑になるだろう。

 ドイツ空軍はクリミアに整備した基地を拠点として、黒海上空へのFw200による哨戒を開始していた。黒海の南東側の都市にはソ連海軍の艦隊がまだ残存していた。クリミア半島が制圧されてからは、ソ連海軍の水上艦はトルコ国境に近いバツーミまで下がったおかげで活動はかなり低調になっていた。それでも、黒海に30隻以上を有していたソ連潜水艦は枢軸側の輸送船に攻撃を仕掛けてきた。ソ連海軍の潜水艦は、魚雷やソナーの性能が低いことから戦果は大きくなかったが、無視できない被害が発生していた。ドイツ空軍も黒海での海上輸送が今後増大するのを想定して本格的な潜水艦狩りを始めたのだ。

 港湾を確保した第11軍は、黒海沿岸を東南東に向けて進み始めた。海岸線の道を選ぶことにより、山脈を避けて平坦な沿岸を前進できた。コーカサス北側の地域では、A軍集団の第17軍が、山脈の北西側を進軍してきていた。更に、第1装甲軍が山脈の北東側から侵攻してきた。それがソ連側が3番目の軍団である第11軍の進軍を察知しても、簡単に兵力を振り向けられない理由だった。

 ……

 ルオッフ上級大将の第17軍は、グラスノダールの製油所を攻略すると、次の攻勢に取り掛かった。グラスノダールから最も近い油田地帯であるマイコプが次の目標だった。

 もともとコーカサス山脈の西北側に配備されていたソ連軍は、クラスノダールとヴォロシロフスクの戦いに投入されて大きな損害を被っていた。しかも、予備兵力として残っていた第18軍も一部をノヴォロシースクの防衛戦に向かわせて、戦力を消耗していた。

 以前ならばソ連軍はコーカサス北西方面では少なくとも6個軍を投入できたが、侵攻してきた枢軸軍に対して、2個軍程度の各拠点の防衛軍が戦うことになった。結果的に多数の軍を集中運用できずに、各個撃破されることになった。その結果、マイコプ前面では動員できる防衛兵力が1個軍に満たない中途半端な兵力になってしまった。それでも、コーカサス東側のバクー周辺の防衛はおろそかにできないので、東方から兵力を増強する案は見送られた。

 兵力に勝っている枢軸側のマイコプ攻略は順調に進んだ。しかし、第17軍が油田地帯に到達した時には、油井は全て破壊されて巨大な黒煙を上げて燃えていた。スターリンはマイコプを防衛する兵力の増派を見送った代わりに、油田の破壊を許可した。産油量が圧倒的に多いバクーに兵力を集中する代わりに、規模の小さいマイコプを切り捨てたのだ。

 ドイツ軍にとっては油田のやぐらやパイプ類を大幅に修復しない限り利用は不可能になった。しかも油井に使用される機器は容易に手にはいらない。本土から専用の機材を取り寄せるにはそれなりの時間がかかる。

 マイコプを過ぎると第17軍の目前には、標高5,642mの人類未踏のエルブルス山があった。この山は、標高4,808mのヨーロッパアルプス最高峰モンブランよりも高く、ヨーロッパ大陸の最高峰だ。第17軍配下の第49山岳猟兵軍団は、この山への登頂を計画した。ルオッフ上級大将も最初は渋い顔をしたが、最終的には、戦闘に影響を与えない範囲という条件を付けて許可した。第49猟兵軍団の中から第1と第4山岳猟兵師団が、合同で優秀な兵を抽出して登頂隊を組織した。10人に満たない登頂隊は、現地人のポーターも雇って頂上を目指した。

 山岳猟兵は、視界10メートルの霧の中で、7月21日についに登頂した。ドイツ国旗と師団旗を最高峰の頂上に立てた。しかし、下山に取り掛かったところで、霧が晴れると、一段奥まった位置に40mほど高い山頂が見えた。なんと霧の影響で真の山頂を見誤ったのだ。部隊は、ビバーク覚悟で慌てて戻ると本当の山頂に改めて旗を立てた。

 全世界は、戦いの最中に人類未踏の高山に登頂するという前例のないドイツ人の偉業に驚いた。ヒトラーは戦闘と無関係な行動にいい顔をしなかったが、ソ連以外の連合国は登頂を称賛するという異例の事態になった。ドイツ軍のコーカサス侵攻を象徴するような出来事だった。

 ……

 マンシュタインは、ソ連軍の対応が追い付かないうちに、どんどん先に進まないとやがて準備を整えたソ連軍の反撃により前進が止まる可能性に気づいていた。コーカサス北方のソ連軍を破ってA軍集団が進んでも、時間が経てばカスピ海を経由して増援が送られてくるだろう。大規模な増援の到着前にバクーの攻略を開始しなければ勝ち目はない。それはA軍集団の支援を命じられた第11軍にもいえることだ。

 第11軍は黒海沿岸を東南東に進んでゆくと、港町であるスフーミに短時間で到達した。小兵力のソ連軍がこの街を守っていただけで、ほとんど戦うこともなく征服できた。スフーミには完備した港湾設備はないが、桟橋を備えているので、大型でなければ貨物の揚陸は可能だった。

 第11軍は港町を攻略しても速度を落とすことなく、コーカサス山脈の南側に沿って、黒海沿岸から大陸の内部へと進軍方向を変えた。次の目的地は黒海とカスピ海のほぼ中間に存在するジョージアの中心都市であるトビリシだ。

 あらかじめ第11軍の偵察隊は、トビリシの西側に構築された防衛陣地を発見していた。しかし、陣地はそれほど厳重ではなかった。ソ連第9軍は、一部の部隊をトビリシに残していたが、7割の兵力はバクー方面に後退していた。油田や重要な工業が存在していないトビリシよりも、バクー油田の防衛を優先したのだ。

 それでも、マンシュタインは、自軍の被害を減らして、早期に防衛陣地を突破するために、ドイツ空軍の強力な攻撃を要請した。航空機ならば、コーカサスの山脈も容易に飛び越えられる。コーカサス南側のトビリシも、ロストフからの距離は約700kmであり十分重爆撃機の行動範囲だった。18機の第100爆撃航空団(KG100)に所属するHe177が飛来して、防衛陣地を攻撃した。100トン余りの爆弾で、防御陣地はズタズタになった。爆撃で弱体化した部分を攻撃すると、あっという間に防衛拠点は突破された。第30軍団と第42軍団が陣地の内部に突入してゆく。

 第11軍がトビリシ市内に入ってゆくと、マンシュタインの軍隊に対する反応は、想定以上に穏やかだった。どうやら、住民には相当数のグルジア人が含まれていて、彼らの民族独立を目指す活動は共産党支配下では弾圧されていたらしい。

 マンシュタインは、最大限にグルジア人の住民感情を利用した。枢軸側の行動を邪魔しない限り、グルジア人の民族派の活動を禁止しないとの方針を示した。

 第11軍は補給を済ませるとすぐに南東方向に向かった。想定以上にトビリシの攻略が順調だったことから、カスピ海方面への進撃が早まった。マンシュタインは、この機会を生かしてA軍集団に負けない速度でバクーまで進撃するつもりだった。

「クライストの第1装甲軍に遅れることなく、バクーまで進撃するぞ。我々の兵力は向こうに劣っているが、こちらは、山越えをしなくても真っすぐに進めるという利点がある。しかもソ連軍の反撃も山脈の北側の方が激しいはずだ。兵力をすり減らした第1装甲軍だけでは、バクーの攻略は厳しいかもしれない」

 シュルツ少将もマンシュタインのバクー侵攻に賛成だった。
「ノヴォロシースクからスフーミを経由してトビリシまで鉄道が使えるようになりました。ルーマニアからの物資を黒海経由で前線まで運ぶ輸送路がつながったことになります。これを最大限に活用すれば、バクーまで迅速に進撃できるでしょう」

 十分な数の機関車と貨車さえ入手できれば、鉄道を利用することで、早く大量の物資が輸送可能だ。しかも第11軍は、トビリシ駅でソ連軍の装甲列車と多数の貨車を鹵獲していた。

 ……

 第40爆撃航空団第Ⅲ飛行隊(Ⅲ/KG40)には、最近になってFw200に代わって対艦装備型のHe177が配備されていた。ラボルト大尉が操縦するHe177は、既にカスピ海上空を1時間以上飛行していた。He177の基地のあるロストフ郊外から、バクーまでは約1,100kmだ。ロストフを中心にして半径1,100kmの円を描くと、カスピ海の北半分のほとんどがその内側に収まる。一方、He177の航続距離は、4トンの爆弾を搭載しても5,000kmだったから、バクーが位置するアブシェロン半島の北側を含むカスピ海半分の哨戒飛行は十分可能だった。

 大尉にとって、Fw200に比べてエンジンの出力が8割も増加した近代的な機体のHe177は、大いに頼りになる存在だった。飛行性能が大きく改善しているだけでなく、Fw200の弱点だった防御機銃も増備されていた。何よりも、さすがに急降下は禁止されていたが、Fw200に比べて機体の強度が大きく改善されたHe177は、パイロットにとって心強い存在だった。

 しかも、ロストフに来てからKG40は燃料事情が改善していた。ルーマニアにはプロイェシティという油田と製油施設がある。この製油所は、ドイツ本国にも多量の石油を輸出していたが、黒海東岸の港湾都市であるノヴォロシースクを枢軸側が確保してからはルーマニアからウクライナ東方への輸送はかなり容易になっていた。

「10時方向、レーダー反応あり。距離25km。反射の大きさから小型ではありません」

 前方を見ながら、ラボルト大尉が答えた。
「わかった。獲物が大物だと期待しているぞ」

 通信士の見立ては正しかった。前方に見えてきたのは、カスピ海にしては珍しい大型の貨物船だった。しかも荷物を満載しているようで、喫水がかなり深い。
「間違いなくバクーへの物資を積んでいる。攻撃する」

 大尉のHe177は、左右の外翼下に2発の対艦誘導弾のHs293を吊り下げていた。加えて胴体内の爆弾倉には4発のSC250(250kg爆弾)を搭載していた。

「誘導弾で攻撃するぞ。発射準備」

 カスピ海を南下している輸送船に向けて、どんどん高度を下げていったHe177は、距離3,000m、高度1,500mでHs293を投下した。誘導弾は白い煙を噴き出して飛行していった。爆撃手は、誘導弾の制御という仕事をきっちりとこなした。SC500(500kg爆弾)に相当する弾頭が、輸送船の船体のほぼ中央で爆発した。爆炎が収まると、右舷側にほぼ水線下にまで達するような破孔ができていた。左舷への傾斜と同時に貨物船は水上に停止した。

 He177は爆弾倉を開いて緩降下に入ると2発の爆弾を投下した。1発が船体後部に命中した。破孔が更に拡大して、貨物船はあっという間に沈んでいった。

 その後の哨戒で、ラボルト大尉は甲板上に10台以上のトラックを積載していた輸送船をもう1隻発見して撃沈した。帰投の途中に漁船のような小型船を発見して、機首のG 151/20の20mm弾を浴びせかけて沈めた。

 別のⅢ/KG40所属機は、カスピ海北側のヴォルガ川河口の都市であるアストラハンの近くまで飛行していって、川を遡行する油槽船を沈めていた。カスピ海上を哨戒飛行していたHe177は、川船のような小型船であっても見つけ次第、全て攻撃していた。その結果、出港を控える艦船が続出した。海上輸送への依存度が高い沿岸都市にとって、ドイツ空軍の攻撃は厳しい締め付けになり始めた。

 ……

 第1装甲軍が南東に進撃してゆくと、ソ連軍はバクーの西側に防御線を構築して待ち構えていた。カスピ海に小鳥のくちばしのような形状に突き出したアブシェロン半島内に、アゼルバイジャン最大の都市バクーと油田地帯が存在する。ソ連軍は、アブシェロン半島の付け根から数十Km西側の地帯に三重の防御陣地を構築していた。

 ソ連軍の第9軍と第27軍、第13軍からなる大兵力が防御陣地に配備されていた。加えて陣地の後方には、新たに増援としてアブシェロン半島に配備された第52軍と第1戦車軍が控えていた。

 半島の大陸とつながっている側を完全に封鎖するように防御陣地を構築しているので、一見すると、カスピ海の半島に対して、背水の陣を構築しているように思われる。しかし、ソ連軍はカスピ海を経由して物資も兵力も運び込めた。もともと、輸送力そのものも決して貧弱ではない。しかしソ連軍にとって想定外だったのは、ドイツ空軍の攻撃により水上輸送が大きく妨害されていたことだ。戦闘で兵力が消耗すれば、その回復は容易ではない。

 クライスト上級大将のところには、先行する偵察部隊と偵察機からソ連軍の陣地に関する情報がもたらされた。広大な地域に構築された陣地のソ連軍は、明らかに枢軸軍よりも優勢だと思われた。しかも防御陣地にはなかなか弱点が見当たらない。

 偵察機の撮ってきた写真を見入っていた大将は、参謀長のミュラー大佐の顔を見上げた。無言だが、作戦案を聞いているのがミュラー大佐にはわかった。
「かなり大きな兵力で陣地を守っているので、突破が容易な地点はありません。計算機も防御線の薄いところ見出して、そこから突破する作戦を提示していますが、明らかに手薄な地点は見当たりません。更に、突破作戦では空軍からの支援攻撃の必要性を示していますが当たり前ですね」

「そうだな。私の目には北側の陣地が若干厚みに欠けているように見えるが、同意するか? もしそうならば、我々はそこから攻撃を仕掛けることになるぞ。空軍には徹底的な攻撃を依頼しよう」

「その見解に私も賛成です。あえて攻撃地点を選ぶとすれば、北側の防衛陣地だと思います」

 クライスト上級大将は、量的な劣勢を跳ね返すために、ドイツ空軍にソ連陣地の攻撃を依頼した。グロズヌイ近郊に前線飛行場を確保していたドイツ空軍は、戦闘機に護衛された爆撃隊を発進させた。

 ……

 半島の上空にⅢ/JG52の部隊が出撃して、ソ連軍のLa-5との戦闘が始まった。ハルトマン少尉は、相変わらずロスマン曹長の列機として飛行していた。既に出撃回数は二桁になっていたが、撃墜機数は1機だった。

「前方に敵戦闘機。12時方向だ」

 少尉は、ロスマン曹長から言われるまでもなく、飛行してくる機体を発見していた。
(間違いない。空冷だが、Fw190とは外形が違う。La-5だ)

 Bf109の部隊は、北側からLa-5の編隊に向かっていった。接近すると、さすがにソ連軍機も気がついた。右方向へと旋回してゆく。しかし、もう遅いドイツ軍機も右旋回で切り返して後方につけようとした。

 ハルトマン少尉にとっては、La-5の機動は想定範囲内だった。急旋回でLa-5よりも小さい半径で回り込むと、前方を左から右へと進んできたLa-5の1機に向けて射撃した。ソ連戦闘機の機首に20mm弾が命中するとクルリとひっくり返って、きりもみになって墜ちていった。

 戦闘機同士の戦いがバクーの北東側上空で繰り広げられている頃、上空にやってきたのは、He177の編隊だった。32機の爆撃機が、防御陣地に向けて約200トンの爆弾をばらまいた。

 ドイツ空軍はこの戦いから、近接信管付きの爆弾を使い始めた。ドイツ軍は、不発弾が敵の手に落ちて近接信管の構造が知られるのを防ぐために、ドイツ本土の高射砲以外の使用を自制してきた。しかし、コーカサスの戦闘の重要性から使用許可が出たのだ。

 電子機器を動作させるために、電位が安定した大地に接地することからもわかるように、地面には抵抗値はあるものの電気を通す導体だ。従って、電磁界の乱れを探知して作動する近接信管も地面に接近すると作動する。

 重爆撃機が飛来すると、ソ連軍の兵士は一斉に塹壕に避難した。しかし、爆弾は地面から数メートル離れた高さで信管を作動させた。壕の中で身を隠しても、土のうを積み上げて火砲や機銃を防御していても、上空で爆発した爆弾の弾片は容赦なく降り注ぎ、頭上から襲いかかった。装甲車両やべトンで護衛されたトーチカには影響がなかったが、前線の陣地は大きな被害を受けた。

 爆撃による煙が収まらないうちに、Hs129が飛来した。第1地上攻撃航空団(Sch.G1)のオスヴァルト中尉は、クリミア半島の戦い以来、ずっと東部戦線で戦ってきた。陣地に隠れたソ連軍への攻撃も何度も経験してきた。中尉は上空からの爆撃では、直撃でもしない限り戦車は破壊されないことをよくわかっていた。

 予想通り、陣地の中央部から後方にかけて、土中に車体を埋めて砲塔を地上に出した多数のT-34が見えた。
「無傷の戦車が多数残っているようだ。攻撃を開始せよ」

 機上から中尉が指示すると、既に何度も経験を積み重ねていた12機のHs129は直ちに急降下して、爆撃を開始した。爆弾を投下した後は、30mm機関銃でT-34を1両ずつ攻撃してゆく。たちまち、破壊された戦車から黒煙が立ち上る。攻撃が進むと煙の柱の数は30カ所以上に増えていった。

 オスヴァルト中隊の攻撃が終わりに近づくと、Ju88が飛来してきた。Ju88は防御陣地後方に控えている火砲陣地に向けて急降下を開始した。土のうの背後に隠されていた自走砲が爆撃により破壊されてゆく。

 ……

 ドイツ空軍による激しい爆撃が一段落した時点で、第1装甲軍が前進を開始した。偵察情報から、突破地点に選んだのは、北側の防衛線だ。爆撃で被害を受けていたソ連軍の防御陣地を突破していった。3重の最後の陣地に取りついたところで、前線のソ連軍は激しい航空攻撃で被害を受けていたために前進できたが、後方に控えていた第52軍が前進してきた。激しい砲撃を受けて第1装甲軍の前進は停滞した。

 第1装甲軍は、ブラウ作戦が始まってから戦いながら長距離を進撃して来た。ロストフからでも1,000km以上進んだことになる。物資の補給は行われていたが、必ずしも十分ではなかった。本国から遠く離れていて火砲や戦車の補充があるわけでもなく、戦いで消耗した兵力は回復できていなかった。戦闘に参加できる車両の数は進軍するにつれてすり減って、戦闘可能な戦車の数は当初の半数以下になっていた。そのために、ソ連軍の北側の防御陣地攻撃を仕掛けても、反撃を受けてやがて前進が停止してしまった。

 ところが、トビリシ方面から第11軍が前進してくると状況は全く変わった。防御陣地の南西側に現れたのは、怪物のような自走砲だった。

 マンシュタインは、ルーマニアからの地中海の輸送路を利用して、第653重戦車駆逐大隊を前線に運び込んでいた。輸送船から陸揚げした重戦車の輸送は、スフーミの港に陸揚げした後は、健在だった鉄道を利用した。トビリシを経由して前線まで、やってきたのは22両のフェルディナントだった。

 Ⅲ号やⅣ号の攻撃を想定していたソ連軍の火砲では、200mmの重駆逐戦車の正面装甲板を打ち破れなかった。逆に、重駆逐戦車の71口径の88mm砲は全てのソ連戦車の装甲を貫通できた。ソ連軍は予備の第1戦車軍を投入したが、重駆逐戦車大隊とそれに続くⅢ号突撃砲に撃破された。ドイツ軍は、Ⅲ号突撃砲が前面に出て、それをT-34とKV-1が攻撃してくると、後退してフェルディナントが待ち構えていた罠に誘い込んだ。

 第11軍の第26軍団と第40軍団には、新たに配備されたⅣ号突撃戦車のブルムベアが随伴していた。ソ連の火砲からの反撃を100mmの装甲板で防ぎつつ、150mm砲でソ連軍の防御陣地やトーチカを次々とつぶしていった。ソ連軍の76.2mm対戦車砲はかなり接近しても100mm鋼板は貫通できなかった。一方、38kgの150mm砲弾は直撃しなくても至近で榴弾が爆発するだけで、機銃や火砲の陣地を破壊できた。

 第11軍は防御陣地を突破すると、内側からソ連軍の第13軍と第27軍を攻撃した。ソ連軍は火砲を背面に向ける前に次々と陣地は撃破された。

 第11軍の進撃を止めるために半島の東側からIl-2シュトルモビクの編隊が飛来してきた。この時上空を警戒していたのはⅡ/JG51のFw190だった。戦闘機隊を率いていたクラフト大尉に警報が入ってきた。

「東方からソ連機の編隊だ。30km、低高度、おそらく20機以上」

 大尉は機首を東に向けると、緩降下に入った。前方には荒野の上を這うように飛行してくるIl-2の編隊が見えた。ざっと数えても30機程度が見える。

 クラフト大尉は、定石通り編隊の後方に回り込むと降下攻撃を仕掛けた。中隊のFw190は16機の編制だったが、この程度の戦力差ならば問題ない。JG51のFw190は主翼に4挺の20mm機関銃を装備していた。さすがに重装甲のIl-2シュトルモビクも4挺の20mm機関銃で撃たれると一撃で撃墜された。ソ連軍機の編隊は、撃墜されて10機以下に減ると、身近な目標に爆弾を投下すると退避していった。

 第11軍はバクー南方の防御陣地を攻撃してソ連軍の防御を崩していった。被害や故障により、動けるフェルディナントは12両に減っていたが、攻撃を緩めることはなかった。南方のソ連軍防御陣地に大きなほころびが生じると、それに呼応して、北側の第1装甲軍も稼働できる兵力を集中してソ連軍を南東方向に押し戻した。弾薬や燃料が不足していた第1装甲軍は、第11軍の輸送部隊から補給物資を得ていた。輸送に鉄道を利用できる第11軍の方が、はるかに物資が充足していたのだ。

 第1装甲軍が本格的に攻勢を再開すると、ソ連軍は北と南から挟撃されることになった。激しい砲撃の後に戦車部隊が防御陣地に突撃する。2面からの同時攻撃を受けると、防衛戦力を分散せざるを得なかった。ドイツ軍戦車が防衛線を突破すると防御体制全体の崩壊はあっという間だった。ソ連の第13軍と第27軍、第9軍は、約半分の兵力を喪失して二つのドイツ軍に包囲されると、バクー市街の西側で降伏した。

 枢軸軍がバクー周辺の油井群に到着すると、大部分の施設は破壊されずに残っていた。ソ連産原油の7割に相当する年間1.5億バレルを産出している油田の設備は、簡単に破壊してよいものではない。バクー油田は、指揮官の判断だけで爆破することが禁止されていた。やむを得ず油田を爆破するにはスターリンの許可が必要だった。

 結局、スターリンは、グロズヌイと同じく復旧に年という単位の時間を要する油田を破壊するよりも、短時間での奪還に賭けたのだ。モスクワは破壊を許可しなかった。

 もちろん、ドイツは無傷で手に入れた貴重な石油資源を大いに利用するつもりだ。トビリシを経由してスフーミまでつながっている鉄道はドイツの支配下にある。2カ月もあれば、鉄道はもっと北側のロストフまでつながるだろう。加えて、黒海沿岸の港湾まで石油を運べば、ルーマニアのコンスタンツァまではタンカーが使える。

 ソ連の石油資源を奪ってドイツ側が油田を手に入れて活用するというのが、ヒトラーの究極的な目標だった。石油資源を失ってこれからソ連の戦争遂行能力は減衰してゆくだろう。逆に石油資源を多く利用できるようになれば、それが充足したことのないドイツの国力が大きく増大するのは間違いない。

 ……

 ハルダー参謀長が、コーカサスでの戦闘状況を報告すると、ヒトラーは終始、機嫌よく聞いていた。もちろん大きなものを得たからだ。
「コーカサスの石油を我が国に輸送できるように、至急交通路を整備するのだ。もちろん、コーカサス一帯の防衛も必要になるぞ。苦労して占領した地域を奪い返されたら何にもならないからな」

 ハルダー上級大将は、一時的に侵攻して占領するならまだしも、これからソ連軍の攻勢が予想される地域で占領地を維持することの困難さを理解していた。加えて、石油を輸送するために動員できるタンク付きの貨車にも限界がある。おそらく、バクーで産出する石油の5分の1くらいしかドイツ本国には運べないだろう。しかし、バクーでの産出量が非常に多いということを考えると、たとえ2割でもドイツにとって大量の石油だと思い直すことにした。2割でも、ルーマニアの石油を倍増させるくらいの効果があるのだ。余った石油はトルコにでも売却すれば、別の鉱物資源が入手できるだろう。

「直ちに、現地の部隊と連絡をとって準備を進めます。幸いにも地中海の沿岸都市までの鉄道をマンシュタインの部隊が確保しています。鉄道で黒海まで運んで、ルーマニアが保有しているタンカーを利用すれば、一気に我が同盟国に輸送できます」

 ……

 スターリンには東部戦線の状況が随時報告されていた。ドイツ軍への反撃については、説明があったが、その後のソ連軍の勝利は一向に聞こえてこなかった。やがて、悪い知らせばかりがスターリンのところにも入るようになった。

 ついにコーカサスの油田地帯がドイツ軍に占領されたと聞いて、彼はため息をついた。1942年の夏季攻勢はドイツ軍の勝利だったと認めざるを得ない。しかし、悲観的になっている時間さえない。現時点の最優先はソ連最大の油田地帯に侵攻してきたドイツ軍を追い出して、石油資源を取り戻すことだ。しばらくの間は、備蓄した石油でやりくりできるが、半年後はどうなるかわからない。そうなれば前線の部隊は行動不能となって、ウラル工業地帯も工場の操業が止まるだろう。

 スターリンは、コーカサス地帯の反撃作戦について、ジューコフ元帥とヴァシレフスキー元帥に至急検討するよう命じていた。本来は、この二人の元帥には今回の戦いの責任を取らせるべきだが、代わるべき人材が見つからないために、スターリンも左遷はできなかった。

 緊張した面持ちのジューコフ元帥が、状況説明を始めた。
「コーカサス油田地帯の状況は楽観できません。カスピ海沿岸の兵力も投入して反撃を試みていますが、占領後のドイツ軍は守備を強化しており、いずれも跳ね返されています。ドイツ軍の守備隊が強力なのは、黒海を経由したルーマニアからの輸送環境が整ってきているのが大きな原因です。更に、重装甲で88mm砲を装備した新型戦車が追加されて、防衛力が増強されています」

 物資輸送が順調なことに加えて、ドイツ側に有利となる条件があった。コーカサスの北側の一帯を制圧したドイツ軍は、油田に加えて、グラスノダールの製油所も支配下に収めていた。つまり、燃料に関しては本国からの補給がなくとも、現地で調達が可能なのだ。

 回りくどい説明に耐えかねたスターリンが、解説途中のジューコフに割って入った。
「これから本格化する冬の季節は我が軍にとって、有利に戦闘できる季節ではないのか? 冬将軍は我々の味方のはずだ」

「コーカサス地方はローマと同じ緯度です。山岳地域を除いて、モスクワ近郊のように冬になっても厳しい寒さにはさらされません。枢軸国兵士にとっては、母国より寒くなることはありません」

 スターリンの顔色が赤みをさしてきた。激怒しているのだ。
「ところで、スターリングラード周辺の戦いはどのようになっているのか? 我が軍があの都市を守り切ったことは私も評価しているぞ」

「枢軸軍は都市への侵攻を中断して、兵力を温存していました。おそらく、コーカサス方面の攻撃兵力を増強するために、こちらの戦線では既存の部隊だけで持ちこたえるつもりなのでしょう。しかも、最近になってドン川から部隊を西方に移動させています。今までのドイツ軍前線部隊は、東方のヴォルガ川の方向に向けて突出していましたが、それを後退させたようです。明らかに、冬季に備えて守りやすいように部隊の配置を整理しています」

 じろりと、スターリンが2人の将軍を見た。
「敵を撃退することは容易でないことは理解した。どれほど兵力を投入しても良いから、半年以内に油田を奪回するのだ。それが実現できなければ、半年後は君たちの勤務地はシベリアになるぞ。我が国最大の油田を取り戻せなければ、工場の生産は停止して、前線の戦車も戦闘機も動かなくなるのだぞ」

 スターリンの逆鱗を避けるためには、二人の元帥も黙って首を縦に振るしかなかった。それでも、まだ半年という時間の猶予をもらったのは幸運だった。その時間を有効に使えば、何らかの奪還作戦が実行できるだろう。
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札束艦隊

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世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

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1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

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