月の綺麗な夜に終わりゆく君と

石原唯人

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月が奇麗な夜に告白を

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夏目漱石はⅠ love you を月が綺麗ですねと訳した。
この話は後世の創作らしいけど、その遠回しに愛を伝える告白は昔の人の直接言えない繊細な気持ちの表れだろうと僕は思う。
だからこそあまり時間が残されていない僕が今まで素直に言えなかった自分の気持ちを伝えるには、この言葉がぴったりだと思った。
「月が綺麗ですね」
たったの一言を、借り物の言葉だけど、それでも万感の想いと共に伝える。
彼女は目を見開くと、笑顔で頷いてくれた。
「ずっと月を見ていましょう」
そう言って僕の手を握ってくれた。
さっきまで緊張と不安で冷え切っていた手が、穏やかな暖かさに包まれる。
繋いだ手から広がる熱が全身を覆っていた冷気を遠ざけていく。

「やっと言えた」

僕の言葉に彼女は珍しく泣き笑いのような表情で頷く。

「遅過ぎだよ」

「ごめん。自分に自信が無くて」

「相変わらず卑屈だなぁ」

以前から彼女によく言われた言葉だけど、今は咎めるような雰囲気は無くて僕の言葉の続きを待っている。

「本当は文化祭のピアノが終わった後で君に認めてもらってから告白するつもりだったけど」

「そんな事、気にしなくて良かったのに」

「そういう訳にはいかないよ。君はいつも僕の手を引いてくれて、いつでも僕の前を歩いてさ、せめて少しでも君の隣に並べるようになってからって思ったんだ」

「そんな風に思ってくれてたんだ。篁君は焦らなくても自分のペースでゆっくり歩いていけば良いんだよ?」

彼女は寂しそうに泣き出す前のように目を潤ませて僕を見ている。

「それでも、これからは君の隣で同じ速度で歩いて行きたいんだ」

彼女の言葉に僕は怯む事なく改めて自分の決意を伝える。

「多分さ、私は篁君を泣かせる事になるけど、隣に居てくれる?」

彼女の言った言葉の意味は当然ながら僕にも伝わっている。
お互いに残された時間はあまりに少ない。
そんな事は初めて病院で出会った時からわかっていた事だ。
彼女が入院した時に言葉だけじゃなく、初めて実感を伴って死が近づくのを感じた。
自分の死は諦観と共に受け入れる事が出来ても彼女の死を想像すると、こんなに恐ろしいなんて今まで思い至りもしなかった。
僕はそれでも散々悩んで考えて覚悟も決めた。
今更その程度の事で気持ちが揺らいだりなんてしない。

「お互い様だよ。だから、せめて残り少ない間だとしても僕の隣に居て欲しい」

僕は改めて自分の気持ちを言葉にして彼女に差し出した。
以前、国語の先生に教わった事がある。
読書家な先生で暇さえあれば活字に触れているような人が口癖のように言っていた。
若い間に本を読む事を習慣にしなさい。
沢山の言葉を可能な限り正確に集める事は歪みの少ない鏡を手に入れることで、歪みが少なければ少ないだけ、言葉にして相手に差し出した時に気持ちや考えを深くはっきりと伝える事が出来る。


「やっと、自分の言葉で告白してくれたね」


「え?」

「さっきの告白は借り物の言葉での告白だったから、告白はきちんと自分の言葉でして欲しいなって」

確かに気の利いた告白の言葉がわからず、借り物の言葉で告白をした。
それを言うのなら彼女の告白の返事も定型の返しだったけれど、最初に僕が言ったのだから何も言えない。
それでも借り物の言葉ではなく、改めて自分の言葉で自分の気持ちを彼女に伝えられたのだからなんだか自分が誇らしかった。


「改めてこんな私だけどよろしくね」

「こちらこそよろしくお願いします」

今更、改まってこんなやり取りをする事もなんとなく気恥ずかしさがある。
出会った日にも似たようなやり取りをしたけれど、彼氏彼女になると全く意味合いが変わってくる。
意味もなくそわそわとしていると、火照った頬に冷たい感触がして空を見上げる。
分厚い雲の隙間から覗く月が、降り始めた雪を優しく照らして夜空に舞う雪が光を反射しながら落ちてくる。
「雪も降ってきたし、そろそろ戻ろうか」
名残惜しさを感じながら彼女の体調を考慮して声を掛けると彼女も僕と同じで名残惜しいと思ってくれていたのか、やんわりと断られる。
「もう少しだけ見ていようよ」
彼女が小さな子供のように言うのを意外に思いながら少しでも彼女と長く居られる事を嬉しく思って頷く。
「仕方ないなあ、ならもう少しだけ」
「ありがとう、今がずっと続けば良いのに」
「そうだね」
それから暫く雪が舞う月を眺め続けた。
いつの間にか眠ってしまった彼女を抱き抱えて、屋上の階段を降りて巡回の看護師に見つからないように病室へ戻る。
ベッドに降ろす時に一度目を覚ました彼女と別れの挨拶をして、病室を後にする。
別れ際に見た彼女の表情はなんだか寂しそうだった。

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