9 / 88
おさとうふたさじ
2.
しおりを挟む
かなり頻繁に誘われている気がしないこともない。
契約結婚の定義がわからない。
返事に困っていると勝手に「楽しみにしてます」と頬を撫でて自己完結されてしまった。
「遼雅さん、」
「おはようございます」
「……おはようございます」
ひょいっとベッドの上に座らされて、同じく座っている人を見上げている。
あつくとろけてしまいそうだった瞳は、すこし落ち着いたようにも見えた。
毎朝こんな調子なのだけれど、遼雅さんの趣味が『特定の相手をあまやかすこと』だと教えられてから、自惚れたりせずに、隣にいることを決めた。
「柚葉さん」
いつものように遼雅さんが両手を広げて差し出してくれる。これ以上に気恥ずかしいことを言ったりしたりしている人なのに、なぜかいつもこの時だけはすこし恥ずかしそうに視線が揺れるから、可愛らしいと思ってしまう。
胸が鳴ってしまうのを無視してそっと抱き着いてみる。やさしいあたたかさに触れて、心が落ち着いてきた。
同じように背中に手を回して、片方の手はやさしく髪を撫でてくれていた。充電と称して一度お願いしてから、どんなに恥ずかしそうにしていても付き合ってくれている。
「もう、大丈夫です」
「あはは。そう? 温まった?」
「はい」
「寒くなったら、いつでも言ってね。これくらいならどこでもできるから」
多忙な専務にそんなことをさせるわけにはいかない。
あくまでも私と遼雅さんの契約結婚の効力があるのは、この家の中だけなのだ。
「よし、じゃあ、準備しようか」
「はい」
「今日もよろしくね。柚葉さん」
朝の準備は女性のほうが時間がかかるからと言ってキッチンに立ってくれる遼雅さんは、どこからどう見ても完璧な貴公子だ。
ついでにしっかりとした献立の朝食を作ってくれるところも含めて素敵だと思う。
着替え終えてお化粧まで済ませたところで遼雅さんが近づいてくる。
長い睫毛に覆われた目でじっと見つめてくるときは、たいてい何かを訴えかけようとしているのだと知っている。
そして、今ここで何を訴えたいのかは、私にもよくわかっていた。
「柚葉さん」
「はい」
「口紅、もう塗ったの?」
すこし恨めしそうだ。苦笑して頷けば、わかりやすく拗ねた瞳を作った人が自然に髪を撫でてくれた。
身支度を済ませている間、ふいに近寄ってきてキスをされる。遼雅さんのルーティンは謎で、いちいち気にしていたら頭の容量はすぐにいっぱいになってしまうだろう。
気にしない。それが処世術になりかけているところだ。
「さっきもいっぱい、キスしてもらいましたよ」
「俺はもう一回したいです」
「……その目、弱いんです」
「知ってます。瞳が震えるから」
くつりと笑って、頬に手を寄せられた。抗議する暇もなく、軽いキスが額に落とされる。
「明日はその可愛い口にさせてください」
ああもう。
いくつ心臓があっても、全然足りない気がする。
「……善処します」
このマンションから出れば、わざわざ左右の道に分かれて歩くことになる。
専務付きの秘書をしている人間が結婚相手というのは、外聞がよくないらしい。
契約結婚だからなおさらそうだろうけれど、ご飯を食べ終わって準備が終わるまで、遼雅さんは必ずソファに座って新聞に目を通しながら私のことを待ってくれている。
わざわざ遠回りして出勤している遼雅さんを思えば、つねに同じ言葉が出た。
「遼雅さん、先に出てしまっていいですよ」
首をかしげて告げれば、新聞に視線を預けていた人の顔がこちらを見た。すこし困った人を見るような瞳で見つめられて、うっと喉に詰まりかけた。
遼雅さんの瞳は綺麗だ。すこし色素が薄めの瞳には、つねにひまわりのような輪が浮かんでいる。
「俺は柚葉さんと、もうすこし一緒にいたいです。だめですか?」
「だめ、ではないですけど」
「じゃあ、終わるまで待っています」
いつもこの調子だ。
本当は一緒に歩いて、不届き者がいないか確認しなければ不安になるとも言われていた。本当に甘やかすのが得意な人だと思う。
一生懸命準備をして、ようやく立ち上がった。同じように遼雅さんが新聞をたたんで立ち上がる。身長が高いから、横に並ぶと見上げることばかりだ。
契約結婚の定義がわからない。
返事に困っていると勝手に「楽しみにしてます」と頬を撫でて自己完結されてしまった。
「遼雅さん、」
「おはようございます」
「……おはようございます」
ひょいっとベッドの上に座らされて、同じく座っている人を見上げている。
あつくとろけてしまいそうだった瞳は、すこし落ち着いたようにも見えた。
毎朝こんな調子なのだけれど、遼雅さんの趣味が『特定の相手をあまやかすこと』だと教えられてから、自惚れたりせずに、隣にいることを決めた。
「柚葉さん」
いつものように遼雅さんが両手を広げて差し出してくれる。これ以上に気恥ずかしいことを言ったりしたりしている人なのに、なぜかいつもこの時だけはすこし恥ずかしそうに視線が揺れるから、可愛らしいと思ってしまう。
胸が鳴ってしまうのを無視してそっと抱き着いてみる。やさしいあたたかさに触れて、心が落ち着いてきた。
同じように背中に手を回して、片方の手はやさしく髪を撫でてくれていた。充電と称して一度お願いしてから、どんなに恥ずかしそうにしていても付き合ってくれている。
「もう、大丈夫です」
「あはは。そう? 温まった?」
「はい」
「寒くなったら、いつでも言ってね。これくらいならどこでもできるから」
多忙な専務にそんなことをさせるわけにはいかない。
あくまでも私と遼雅さんの契約結婚の効力があるのは、この家の中だけなのだ。
「よし、じゃあ、準備しようか」
「はい」
「今日もよろしくね。柚葉さん」
朝の準備は女性のほうが時間がかかるからと言ってキッチンに立ってくれる遼雅さんは、どこからどう見ても完璧な貴公子だ。
ついでにしっかりとした献立の朝食を作ってくれるところも含めて素敵だと思う。
着替え終えてお化粧まで済ませたところで遼雅さんが近づいてくる。
長い睫毛に覆われた目でじっと見つめてくるときは、たいてい何かを訴えかけようとしているのだと知っている。
そして、今ここで何を訴えたいのかは、私にもよくわかっていた。
「柚葉さん」
「はい」
「口紅、もう塗ったの?」
すこし恨めしそうだ。苦笑して頷けば、わかりやすく拗ねた瞳を作った人が自然に髪を撫でてくれた。
身支度を済ませている間、ふいに近寄ってきてキスをされる。遼雅さんのルーティンは謎で、いちいち気にしていたら頭の容量はすぐにいっぱいになってしまうだろう。
気にしない。それが処世術になりかけているところだ。
「さっきもいっぱい、キスしてもらいましたよ」
「俺はもう一回したいです」
「……その目、弱いんです」
「知ってます。瞳が震えるから」
くつりと笑って、頬に手を寄せられた。抗議する暇もなく、軽いキスが額に落とされる。
「明日はその可愛い口にさせてください」
ああもう。
いくつ心臓があっても、全然足りない気がする。
「……善処します」
このマンションから出れば、わざわざ左右の道に分かれて歩くことになる。
専務付きの秘書をしている人間が結婚相手というのは、外聞がよくないらしい。
契約結婚だからなおさらそうだろうけれど、ご飯を食べ終わって準備が終わるまで、遼雅さんは必ずソファに座って新聞に目を通しながら私のことを待ってくれている。
わざわざ遠回りして出勤している遼雅さんを思えば、つねに同じ言葉が出た。
「遼雅さん、先に出てしまっていいですよ」
首をかしげて告げれば、新聞に視線を預けていた人の顔がこちらを見た。すこし困った人を見るような瞳で見つめられて、うっと喉に詰まりかけた。
遼雅さんの瞳は綺麗だ。すこし色素が薄めの瞳には、つねにひまわりのような輪が浮かんでいる。
「俺は柚葉さんと、もうすこし一緒にいたいです。だめですか?」
「だめ、ではないですけど」
「じゃあ、終わるまで待っています」
いつもこの調子だ。
本当は一緒に歩いて、不届き者がいないか確認しなければ不安になるとも言われていた。本当に甘やかすのが得意な人だと思う。
一生懸命準備をして、ようやく立ち上がった。同じように遼雅さんが新聞をたたんで立ち上がる。身長が高いから、横に並ぶと見上げることばかりだ。
2
あなたにおすすめの小説
Perverse second
伊吹美香
恋愛
人生、なんの不自由もなく、のらりくらりと生きてきた。
大学三年生の就活で彼女に出会うまでは。
彼女と出会って俺の人生は大きく変化していった。
彼女と結ばれた今、やっと冷静に俺の長かった六年間を振り返ることができる……。
柴垣義人×三崎結菜
ヤキモキした二人の、もう一つの物語……。
幸せのありか
神室さち
恋愛
兄の解雇に伴って、本社に呼び戻された氷川哉(ひかわさい)は兄の仕事の後始末とも言える関係企業の整理合理化を進めていた。
決定を下した日、彼のもとに行野樹理(ゆきのじゅり)と名乗る高校生の少女がやってくる。父親の会社との取引を継続してくれるようにと。
哉は、人生というゲームの余興に、一年以内に哉の提示する再建計画をやり遂げれば、以降も取引を続行することを決める。
担保として、樹理を差し出すのならと。止める両親を振りきり、樹理は彼のもとへ行くことを決意した。
とかなんとか書きつつ、幸せのありかを探すお話。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
自サイトに掲載していた作品を、閉鎖により移行。
視点がちょいちょい変わるので、タイトルに記載。
キリのいいところで切るので各話の文字数は一定ではありません。
ものすごく短いページもあります。サクサク更新する予定。
本日何話目、とかの注意は特に入りません。しおりで対応していただけるとありがたいです。
別小説「やさしいキスの見つけ方」のスピンオフとして生まれた作品ですが、メインは単独でも読めます。
直接的な表現はないので全年齢で公開します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる