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おさとうふたさじ
6.
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内心は、毎日ハラハラしすぎて心臓が飛び出て落っこちてしまいそうだ。
「どんな人かしら。本当に気になる」
「そうですね」
「あ、興味ない?」
「いえ、そんなことないですよ」
興味がないと言うか、答えを知ってしまっている、とは言えずに、思わず俯きかけて自席に座りついた。
途中まで続けていた作業の画面を尻目に、目の前の席でにんまりしている先輩にたじたじになってしまう。
橘専務はああ見えて実は交渉が得意な人だし、どんなに聞かれてもさらりと受け流してしまうらしい。だからこそ、秘書の私と先輩に声をかけてくるのだろうけれども。
「橘専務の奥さん、誰だか聞いたことある?」
「え? ない、ですね」
「ふふふ、私、噂を聞いちゃったのよねえ。園部さん、あの人じゃないかって。ほら、営業の時に専務の下についてたでしょ?」
「園部さん?」
すこしもあたっていないのだけれど、できればあまり聞きたくない話題だ。そのうち自分までたどり着かれてしまったらと思うと気が気じゃなくなってしまう。
どう話題転換しようかと思考を巡らせて、誰かが入室してきた音で会話が中断されてしまった。
「うわさをすれば」
静かに囁いた声に振り返って、綺麗なパンツスーツを着こなした人と目が合ってしまった。立ち上がって駆けよれば、下から上までをじっと見まわしてから口を開かれた。
「橘専務と話したいんですが」
「はい、今お戻りになりましたが、すこしお待ちいただけますか?」
園部さんはこの会社ではそこまで多くない女性の営業のうちの1人だ。橘専務の直属の部下だったことから、いまだに慕って相談に来るところをよく見かけている。
先輩の目には、そういうものには映らなかったみたいだけれど。後ろから好奇の視線が刺さりつつ、専務に内線をかけた。
「はい」
「営業一課の園部さんがご相談にいらっしゃいましたが、お通ししてよろしいですか?」
「園部さん? はい。お願いします」
特にアポイントはなかったらしい。園部さんも忙しい営業だ。気にせず目の前の女性に入室を促せば、今度は一瞥もくれずにまっすぐに役員室へと歩いて行ってしまった。
依然としてにまにまこちらを見つめている先輩に苦笑して、席に腰かける。
「ほらね? いつも来るでしょ? 内線で良いのに、健気よねえ」
「普通の上司と部下に見えますけど……」
「甘いね! あんなにおめかししてる園部さん、ここに来る時以外に見ないもの。絶対そう」
ここまで言われると、もう否定することもできない。
もしも二人が思いあっているなら身を引くべきなのかもしれないけれど、実際のところは、橘専務にしかわからない。
ほっと息をついてもう一度パソコンと向き合いかけたところで、扉が開かれる音に手が止まってしまった。
今日はやたらと内部のお客さんが多い。
「佐藤さん、いるかな」
「げ」
先輩の控えめな声が耳に擦れて、躊躇うことなく立ち上がった。何度も聞いた声だ。
振り返ってみれば、やはり想像通りの人が立っている。
「渡総務部長、どうされましたか?」
時刻はもう、あと10分ほどで定時になるころだ。
何事もなければ、今日はこのまま退勤するつもりだった。しかし、この人がここを訪れるのはいつもこのくらいのタイミングだから、定時退勤をあっさりと諦めてしまった。
この人が相手だと、どうにもならない。
「メール、送った件、もう終わってるかな」
「……ええと、いつのメールのことでしょうか」
「昨日送っただろう」
「昨日ですか? ええと、どういったご用件でしたか?」
「役員のみなさんの日程調整の依頼だよ。今日までにしていたんだが」
しょっちゅう起きる連絡ミスだ。
何度言われてもメールボックスには連絡が来ていないのだけれど、それを言ってもどうにもならないことは学習していた。
「どんな人かしら。本当に気になる」
「そうですね」
「あ、興味ない?」
「いえ、そんなことないですよ」
興味がないと言うか、答えを知ってしまっている、とは言えずに、思わず俯きかけて自席に座りついた。
途中まで続けていた作業の画面を尻目に、目の前の席でにんまりしている先輩にたじたじになってしまう。
橘専務はああ見えて実は交渉が得意な人だし、どんなに聞かれてもさらりと受け流してしまうらしい。だからこそ、秘書の私と先輩に声をかけてくるのだろうけれども。
「橘専務の奥さん、誰だか聞いたことある?」
「え? ない、ですね」
「ふふふ、私、噂を聞いちゃったのよねえ。園部さん、あの人じゃないかって。ほら、営業の時に専務の下についてたでしょ?」
「園部さん?」
すこしもあたっていないのだけれど、できればあまり聞きたくない話題だ。そのうち自分までたどり着かれてしまったらと思うと気が気じゃなくなってしまう。
どう話題転換しようかと思考を巡らせて、誰かが入室してきた音で会話が中断されてしまった。
「うわさをすれば」
静かに囁いた声に振り返って、綺麗なパンツスーツを着こなした人と目が合ってしまった。立ち上がって駆けよれば、下から上までをじっと見まわしてから口を開かれた。
「橘専務と話したいんですが」
「はい、今お戻りになりましたが、すこしお待ちいただけますか?」
園部さんはこの会社ではそこまで多くない女性の営業のうちの1人だ。橘専務の直属の部下だったことから、いまだに慕って相談に来るところをよく見かけている。
先輩の目には、そういうものには映らなかったみたいだけれど。後ろから好奇の視線が刺さりつつ、専務に内線をかけた。
「はい」
「営業一課の園部さんがご相談にいらっしゃいましたが、お通ししてよろしいですか?」
「園部さん? はい。お願いします」
特にアポイントはなかったらしい。園部さんも忙しい営業だ。気にせず目の前の女性に入室を促せば、今度は一瞥もくれずにまっすぐに役員室へと歩いて行ってしまった。
依然としてにまにまこちらを見つめている先輩に苦笑して、席に腰かける。
「ほらね? いつも来るでしょ? 内線で良いのに、健気よねえ」
「普通の上司と部下に見えますけど……」
「甘いね! あんなにおめかししてる園部さん、ここに来る時以外に見ないもの。絶対そう」
ここまで言われると、もう否定することもできない。
もしも二人が思いあっているなら身を引くべきなのかもしれないけれど、実際のところは、橘専務にしかわからない。
ほっと息をついてもう一度パソコンと向き合いかけたところで、扉が開かれる音に手が止まってしまった。
今日はやたらと内部のお客さんが多い。
「佐藤さん、いるかな」
「げ」
先輩の控えめな声が耳に擦れて、躊躇うことなく立ち上がった。何度も聞いた声だ。
振り返ってみれば、やはり想像通りの人が立っている。
「渡総務部長、どうされましたか?」
時刻はもう、あと10分ほどで定時になるころだ。
何事もなければ、今日はこのまま退勤するつもりだった。しかし、この人がここを訪れるのはいつもこのくらいのタイミングだから、定時退勤をあっさりと諦めてしまった。
この人が相手だと、どうにもならない。
「メール、送った件、もう終わってるかな」
「……ええと、いつのメールのことでしょうか」
「昨日送っただろう」
「昨日ですか? ええと、どういったご用件でしたか?」
「役員のみなさんの日程調整の依頼だよ。今日までにしていたんだが」
しょっちゅう起きる連絡ミスだ。
何度言われてもメールボックスには連絡が来ていないのだけれど、それを言ってもどうにもならないことは学習していた。
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