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おさとうろくさじ
6.
しおりを挟む「今日は私から依頼するものも少なかったし、通常業務も、秘書課の業務もそこまで多くないように思っていたんだけど、佐藤さんは、担当範囲外の仕事をしているよね?」
「……範囲外、の仕事ですか?」
「具体的には、総務部の管轄のものを押し付けられたり、しているのかな?」
詮索することを嫌うような瞳だ。
申し訳なさそうに、すこしだけ眉が下がって見える。どれだけの言葉を選んで、問いかけてくれたのだろう。
「……依頼された仕事は、断らずに引き受けています」
「勝手に押し付けられているんですか?」
「そう、いうわけでは……、ないとは思うんですが」
「今日、人事部に佐藤さんの残業状況について確認してきました。社内でもかなり多いほうです。きみは優秀だから、私が頼んでいる仕事も、秘書課の業務も、時間内に終わっているものだと思っていました」
「そ、れは」
「あきらかに佐藤さんだけ、業務量が多いです。……好んで引き受けているわけでもないんですよね?」
「……はい」
「わかりました。今日は総務部から頼まれた仕事は一切手を付けないでください。それから、佐藤さんのメールアカウントをチェックしても?」
「メールアカウントですか?」
「ハラスメントとして訴えるかどうかは佐藤さんの自由ですが、私としては、大事な部下を守る手続きをしたいです」
「佐藤さんが受けた被害の状況を、ひとまず私に確認させてもらえませんか? もちろん、見せたくないというなら、違う方法で全力を尽くします」
「どんなやり方でも、佐藤さんを守らせてください。そのためにまず、現状を把握したい」
「私に力を貸してくれますか」
まっすぐな瞳に眩暈がしてしまいそうだった。あまりにもあたたかくて、胸が苦しくなってくる。
——この人のことが、たまらなく好きだ。
隠すこともできずに胸に突き刺さってしまった。
こんなにもまっすぐに信頼してくれる人を、どうして愛さずにいられるのだろうか。
「私の仕事を捌く力が、劣っているのかもしれない、です」
「それはない。佐藤さんを信頼します」
「どうして、言いきれるんですか……?」
まっすぐに信頼してくれている。人として、男性として、こんなにも惹かれてやまない人なんていない。
「それは……、上司に聞いてますか? それとも俺個人ですか」
「あ、えと、いえ。いいです。すみません、忘れてください」
確実に後者だった。自分に驚いている。上司として対応してくれている人に向かって、どんな顔をしていただろう。
急に恥ずかしくなって俯いたら、やわく笑う音が聞こえた。いつも、家で聞いているような、やさしくて、あまい笑い声だ。
惹かれるまま、視線が上がってしまう。
「――毎日、誰よりも長く見つめていたい人のことなら、どんなことでもわかりたくて必死になるでしょう。柚葉さんがどれだけ真剣に打ち込んでくれているかなんて、少し見ているだけで痛いくらいにわかる」
「りょう、」
「……だから家で俺の帰りを待っててって、お願いするの、我慢してるんですよ」
苦笑のような、砕けた笑みに触れてしまった。目の前にいる人が、もう一歩踏み出してくれる。
「せめて、上司としてでも守らせてほしい」
すぐ近くで、私を見つめる瞳がきらきらと瞬いていた。言葉なくうなずいたら、とろけそうな笑みに視線が囚われる。
「ゆずは」
あつい声と同時に顔を寄せられて、流れるように瞼を下ろす。
「あ、」
その束の間に、13時のチャイムが鳴ってしまった。
「……残念」
顔を寄せられたまま、至近距離で目が合う。
狼狽える私の目を見た遼雅さんが、きれいに整えた笑みを作って「それでは、さっきの件は私に任せてください」と言ってくれた。
ただ盲目に、逆らうことも忘れて頷いた。
私の反応を見たいつもの完璧な上司が、優雅な足取りで役員室へと歩いていく。
私はただ、その後ろ姿を呆然と見つめて、しばらくしてから、ようやくデスクに向かった。
橘専務が今日の予定をほぼすべて前倒しして、午後をすべて書類作業に切り替えたと聞いたとき、さすがに私も唖然としてしまっていた。
あれだけの仕事を、どういう方法でショートカットしたのだろう。
橘遼雅は完璧だ。
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