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おさとうじゅういちさじ
1.
しおりを挟む好かれている、と考えていいのだろうか。
圧力鍋に煮物を投入して火にかけてから、しばらくぼうぜんと考え込んでしまっていた。
遼雅さんにたくさん抱きしめられて、キスをされて、身体に力が入らなくなってしまったところで、どろどろにあまい声が囁いてくれていたような気がする。
夢のような音だったから、本当のことだったのか、すこし疑わしい気分だ。頬を抓ってみて、少し痛くてびっくりする。
「現実、かなあ」
ぐずぐずになって、答えることもできずにただ抱きしめられてしまった。しばらくしてチャイムが鳴ったら、遼雅さんは残念そうに「時間だね」と言って、身体を解放してくれていたような気がする。
ふわふわとおぼつかなくて、それからどうやって業務を遂行していたのかあまりよく覚えていない。
帰りがけに役員室へあいさつに行ったら、すこしだけ遅くなりそうだと言われたことは確かだ。
考え込んでいるうちに、煮物まで作成してしまった。
土日はじゅうぶんに残り物で過ごせてしまうかもしれない。
ぜんぜん、気分が落ち着いていない。そわそわして、胸がずっと大きな音を立てているように聞こえる。
遼雅さんのあつい拘束から解放される前に口づけられた薬指には、今、彼が選んでくれた結婚指輪が嵌められている。
いつも、帰ってきてすぐに嵌めるようにしていた。嵌め忘れると、遼雅さんはちょっと機嫌を損ねたような顔を作ってしまうからだ。
全部、遼雅さんのあまやかしだと思い込んでいた。
「う、うーん……。おちつかない、どうしよう」
ちょうど鍋の具合もよさそうで、静かに火を消した。
さっきからキッチンを行ったり来たりしていることに気づいてしまった。彼氏が来るのを心待ちにして、そわそわしていた姉みたいなことをしてしまっている。
ふいに思い至って、おとなしくバスルームへと足を向けた。
服を脱ぎながら、遼雅さんに体のあちこちを洗ってもらった日のことを思い出して一人で頭を振り乱した。
「うう、あー、やだ。はずかしい……」
何を思いだしているんだ。胸がくすぐったくて、どうにか忘れようと浴室に足を踏み入れた。
今日も遼雅さんはかっこよかった。
漠然と思いながら、身体を隅々まで洗って、ゆっくりと湯船に浸かる。瞼の裏には今日もやさしく微笑んでくれている遼雅さんがいて、ため息が出てしまった。
すこし前まで会っていたのに、もう会いたい。
おかしいなあと思うのに、こころの中が遼雅さんでいっぱいになってしまうから不思議だ。
薬指にかがやいている星のような指輪を透かすように天井にかざして見て、頬がほころんでしまった。
どんな理由だったとしても、遼雅さんと結婚できてよかったと思う。
とっくに好きになってしまっているから、もしも遼雅さんのこころが私と一緒じゃないのなら、正直に伝えて今後のことを遼雅さんに決めてもらおう。
一人決意して、笑ってしまった。
遼雅さんなら、私が好きになってしまったと言ったら、どうにかして私を好きになる努力をしてくれてしまいそうだ。そうしてくれたらいいなと思っている自分に気づいている。
「……ものすごく、あまえてるのに」
遼雅さんにはうまく伝わっていないのだろうか。
浴室から出て、寝室から持ってきていたルームウェアに着替える。タオルドライした髪をドライヤーにかけて、軽く乾き始めたところで玄関から鍵を回す音が聞こえてきた。
考えもなく、スリッパをつっかけて急いで歩いて、ドアが開かれる前に玄関の前に立った。
想像するよりも荒っぽく開かれた扉の先に、予想通りの人が立っているのを見つけたら、ついさっきまでの悩みなんて全部忘れて頬が勝手に笑ってしまう。
「遼雅さん」
「……柚葉?」
「おかえりなさい」
遼雅さんの目の前まで、あともう一歩踏み出したら、彼は私をまじまじと見つめてから、こわばっていた肩の力を抜いたように見えた。
かなり疲れてしまったのだろうか。
無意識にコートを受け取ろうと思って、両手の掌が出てしまった。
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