呪われた悪女は獣の執愛に囚われる

藤川巴/智江千佳子

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「フィア、身体が冷えきっている」
「ううん、暑いわ。とっても。燃えてしまいそうよ」
「そのはずがない。ここは雪山だ。フィア」

 ソフィアは、ルイスの声を朦朧とする意識の中で聴きながら、ぼんやりと足元を見つめた。

 ソフィアの脚は、不自然なほどに赤く染まっている。走っている途中で、靴が脱げてしまったのだろう。まるで、霜焼けしてしまったかのような足だ。

 ルイスも彼女の脚の様子に気付いて、眉を顰めた。

「ルイス、どうして、足が」
「雪の中を走っていればこうなるだろう」
「でも、ものすごく、あついの」
「ああ、わかった。フィア、俺も暑いんだ。コートを脱がせてくれ」

 ルイスは暑いと言いながら汗一つかいていない。ぼんやりと熱に浮かされるソフィアはその意味に気付かず静かにうなずいた。

 拙い指先でコートを脱がせる。その指先さえ、真っ赤に霜焼けていた。

 ルイスは森の魔力に犯された番が極寒の地で汗をかいている異常に心を乱されていた。指先が真っ赤に染まっている。ソフィアは暑いと言いながら、その唇は生を失っているかのように青白い。

「で、きたわ」
「ああ、助かる。フィア、少し俺に抱き着いていてくれ」

 ルイスは、一瞬でもソフィアの脚を地面につけさせたくなかった。赤く染まった足の裏は、おそらく血が滲んでいることだろう。

 雪の至る所に赤い血痕が散乱している。ルイスはソフィアが願い通りに首に抱き着いてくれたのを確認して、素早く皮のコートを脱ぎ、ソフィアの身体に羽織らせた。

「……っ、あつ、い」
「ああ。だが、フィア、淑女がみだりに足を出すものではないだろう」
「ルイスはもう、全部知っていらっしゃるもの」
「だが、魔獣に見られてはいけない」
「いじわる、だわ」

 ソフィアの頬だけが赤い。その頬も、ルイスが指先で触れれば、氷のような冷たさだ。

 今日の激しく雪が吹きすさぶ魔の森は、あきらかに警邏に適していない天候だ。

 少し前まで微弱に感じられていたダニエルとマリアの匂いも、激しく降り続ける雪にかき消されている。

 ソフィアが立っていた場は、森の中心部分だ。

 ここから外に出るとなれば、どの道を使おうと4時間程度かかる。ルイスは冷静に計算しつつ、内心で激しい焦燥感に駆られていた。

「意地悪で悪いな。困ったフィアが見たいだけだ」

 ——早くしなければ、このまま死ぬ。

 フィアが軽装であることには気づいていたが、魔法の力で身体を保護しているのを知っていた。しかし、ここに立つソフィアは今、全く魔法の保護を受けていない。

 ルイスは、マリアとダニエルの二人が外から信号を送ってきていることに気付いた時、即座に、その場にソフィアがいないだろうことを察していた。悪女で在ることを信条としている番は、表立って二人を助けることができない。

 むしろ、ソフィアはその命をなげうってでも二人を逃がし、1人で道を突き進んでいく可能性が高い。不安に駆られたルイスは、全軍に撤退を命じながら、軍の者が残っていないか確認すると告げて、道をたどり歩いた。

 ルイスは鼻が良い獣人だ。中でも、彼は、番の匂いをよく記憶していた。

 その匂いが森の中心部へと続いていることに気付いたルイスは、ひたすら森の中を駆け、ようやくその姿を見つけ出したのだ。

 おそらく、今日の警邏は中止だ。

 獣軍も魔術師団も、夜の間に再びこの森へ足を踏み入れようとは思わないだろう。吹雪はますますひどくなっている。一歩先さえ見えない視界に眉を顰めたルイスは、ますますソフィアの身体を隠すように強く抱きしめて、確実に一歩を歩み進めた。

「ルイス、歩けるわ」
「ダメだ。靴がない」
「けれど、地面は柔らかいもの」

 氷の粒のような固い雪が、柔らかいはずもない。わずかに眉を顰めそうになったルイスは、腕の中で不安そうに自身を見上げてくるソフィアを見下ろして、静かに笑みを浮かべる。

「ダメだ。俺が抱えていたい」
「……重たいわ」
「軽すぎて不安になるから、もう少し食事をするようにしてくれ」

 今にも消えてしまいそうで恐ろしい。

 ルイスは両手でソフィアを抱えていることの危険性に気付いていながら、この手を離すこともできずに、未踏の道を進んで行く。

 元来た道には何もなかった。4時間歩き通しで、ソフィアが助かる確率は限りなく低い。

 ルイスは、任務で何度も森を歩いた経験を頼りに道を歩み進め、今にも眠り込んでしまいそうなソフィアの気を引くため、くだらない問いかけを繰り返していた。

「フィア、寝ないでくれ。俺が退屈してしまう」
「ねむ、くないわ」
「そうか」
「でも、揺られているだけだと、少し、ぼうっとするの」

 状況は芳しくない。ルイスは即座に口を開き直した。

「この森の先には、フェガルシア領がある」
「ええ、……知っているわ」
「春になると、美しい花を咲かせる木があるらしい」

 ソフィアは花を愛している。そのことを思い出したルイスの、面白みのない問いかけだった。そのはずが、ソフィアは眠り込んでしまいそうな目に輝きを取り戻して柔らかに微笑んだ。

「知っているわ。見てみたいの。とっても」

 偽りのない本音であることが察せられるような微笑みだった。ルイスはわずかに視線を奪われ、すぐに視線をそらした。

 潔く散る儚い花なのだと聞いたことがある。花に興味などないが、ソフィアの儚い微笑みが、どうしてかそのサクラという花の在りように重なって見えた。

「では、見られるまでは死ねないな」
「……そうね」

 問いかけへの答えに、僅かな間が生まれてしまうことさえもどかしい。焦ったルイスは、ますますくだらない質問を繰り返し、ゆっくりと開閉する瞼を見下ろしていた。

「ねえ、すこし、眠たいの」
「ああ。だが、眠ってはだめだ」
「意地悪ね」

 意地悪なルイスの問いかけにどうにか答えていたソフィアは、どうしようもなく重たい眠気に、とうとう瞼をあげているのがつらくなってしまった。甘えるような声が出ていることに気付きながら、なすすべもなくルイスの胸に頬を寄せる。

「フィア、だめだ」
「ん……」
「眠るな、……頼む」

 悲壮な声に囁かれて、静かにうなずく。

 しかしどうしようもなく眠いのだ。

 まさか、これほどまでに安心できる場ができてしまうとは思ってもいなかった。ソフィアはおかしな男にくすりと笑いながら、耳元で焦ったような声をあげる男から意識が遠ざかっていくのを感じた。

「フィア、……フィア。ダメだ」

 連日遅くまで眠らせてくれない意地悪な男に懇願された悪女は、どうにかその胸に縋り付くことで、激しい眠気に耐えようとしている。

 それも、わずかな間に途切れ、懸命にルイスの胸に縋り付いていたソフィアの手が、だらりと地面に垂れ下がった。

「フィア……?」

 必死で足を動かしていたルイスの声が固まる。

「フィア……、だめだ。起きろ。フィア、フィア! ……クソッ!」

 返事のない番に打ちのめされたルイスは、激しく眉を顰めて走り出したのだった。
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