62 / 74
62
しおりを挟むソフィアが無事逃げおおせたとしても、兄たちにこの場にいられては、崖を下っているルイスの存在に気付かれる。森の外から魔法を仕掛けてきている兄たちは、この場のミストの影響を受けていない。間違いなくソフィアに不利な状況だ。
「フィー、泣き顔を見せてくれよ」
悪趣味な声に囁かれたソフィアは、覚悟を決めて魔法を詠唱した。
「光よ!」
最も簡単な魔法を詠唱し、ルイスが見せた閃光をオリバーの目の前に光らせる。狼狽えたオリバーから距離をとるように力を入れて走り出したソフィアは、でたらめに崖から離れ、道なき道を行く。
——すぐに追いつかれる。次はどうする。
「ソフィア! 殺してやる!」
焦りながら思考するソフィアは、鬼のような声をあげて迫り来る男の足音を聞きつつ、風の魔法で竜巻を起こし、オリバーの目を隠した。
効果的な魔法攻撃は視覚を壊すことだ。だが、追いかけてくる男の身体は間違いなくオリバー・マクレーンのもので、兄二人は頭を乗っ取っているに過ぎない。
目を潰せば、精神を取り戻したオリバーの一生の傷になる。ユリウスが言うには、オリバーはダニエルのような優しい性格の男だ。
害することができるはずもない。
覚えのない道を走り続け、兄たちに思考の隙を与えぬようにとひたすら魔法を打ち続ける。足を引っかけ、木から雪を被せ、目を欺く。
そうしていくつかの魔法を詠唱するうち、ソフィアは自身の身体から著しく魔力が失われていることを察してぐらりと倒れ込んだ。
「は、っ、は……っ、ぁ」
心臓が煩い。
このまま飛び出してしまいそうだ。
荒い呼吸を繰り返すソフィアは、歪に笑む男が、ソフィアの身体を覆うように腰を下ろすのを見た。
ソフィアは、兄二人が、ソフィアのことを簡単には殺さないことを知っていた。
「さあ、もう終わりかな。フィー?」
「はな、して」
2人はソフィアの恐怖に歪む顔が見たいのだ。拷問にかけて、痛めつけ、じっくりとソフィアが怯える姿を見ようとするに決まっている。
「はは、怖がってるなあ。可愛いね。フィー」
「や、やめて、さわらない、で」
ソフィアは演技ではなく、本当に身体が震えているのを感じた。これほどまでにも、ルイス以外に触れられることが恐ろしいとは知らなかった。
覆いかぶさるように四つん這いになった男に手を取られそうになった瞬間、ソフィアは意を決し、強く足を振り上げる。
眠らせることができないのであれば、気絶させるしかない。ソフィアはそのとき、ルイスに教えられた方法を思い出し、躊躇いなく実践した。
「私は泣かないわ!」
「ぐぁっ……!?」
力をこめて股を蹴り上げたソフィアは、震えながらも目の前の男から距離を取る。
ソフィアは痛みに顔を青くしたオリバーが目を見張って失神するさまをじっと観察し、全く動かない様子を確認した。
どうやら、なけなしの魔法を打ち続ける必要はなさそうだ。
ソフィアは震える身体で何とか広く距離を取りつつ、意識を失うオリバーに眠りの魔法を施して地面に座り込む。
「はやく、もど、らな……」
呼吸が苦しい。
昨日よりも魔力を消費している。ほとんど枯渇しかけていることに気付きながら、ソフィアは荒い呼吸を繰り返してその場に立ちあがる。
すでに、元の道をたどる方法もわからなくなっていた。
ふらふらと歩き出して、頼りなくその場に倒れる。
「るい、……す」
あれほど頑なに1人で戦おうとしていたくせに、これは何だろうか。ソフィアは苦笑を浮かべながらゆっくりと深呼吸を繰り返し、もう一度立ち上がった。
ソフィアに残された魔力は、簡単なものをあと一度唱えることができる程度だ。このままこの場に居ては、すぐに気を失う。
どうにかルイスのもとへ歩こうとして、よろよろと立ち上がったソフィアは、今度こそ、目の前に広がる光景を見て、世界から鮮やかな光が失われたかのように感じた。
「フィー。遊びは楽しかったか?」
麗しく微笑む男だ。ソフィアは、その男の瞳が嫌いだった。いっそ、目を合わせたくないほどに嫌悪している。
あまりにも、自身の持つ目に似すぎているからだ。
いや、正確にはソフィアは、この男の目によく似た自分の瞳を酷く嫌っている。
「フィー、きなさい」
冬の雪山とは思えないほどに薄手の服を着こなした美麗の男が、ゆったりと笑みを浮かべた。
「お、とうさま、……どうして、ここ、に」
この男は美しく笑みを浮かべているときほど、残虐な行為を繰り返す。
「可愛いフィーが心を病んでいるというのに、私が来ないはずがないだろう」
優しい声色に囁かれ、ソフィアは父が全てを知ったうえでこの場に居ることを理解した。獣人と戯れる娘など、テオドールからすれば、精神が狂った子どもにしか見えない。
「お父様」
「あまり父を待たせてはいけない。フィー、私をご案内してくれた者も困ってしまうだろう?」
うっとりと目を細めてしまいたくなるほどの美しい声だ。テオドールはその声で歌うように囁きながら、見覚えのある軍服の女性を空中に吊り上げた。
ソフィアはその女性が血の気を失ってぐったりと目を瞑っているのを見た瞬間、恐怖で震える指先を隠すことができなかった。
「しぇり、さ……」
「これがあまりにも使えないせいで、フィーを探そうにも、手間取ってしまった」
吊り上げられたシェリーは、幼き頃にソフィアが見たミュリの姿に酷似していた。テオドールはやはり、ソフィアがその記憶を忘れていないことを知っていたのだ。
だからこそ、同じ方法で獣人を傷つけようとしている。
「ソフィア、きなさい」
「いきま、すわ」
シェリーもまた、ミュリと同じ天真爛漫な性格の可愛らしい女性だった。このような場で惨殺されて良いはずがない。
ソフィアは震える足で、手を広げてくるテオドールに近づき、恋人のように縋り付いた。
「お父様」
「震えているね。かわいそうに。獣人が憎いだろう」
「……さ、むいのです」
「ああ、たしかにここはひどく寒い」
「はやく、帰りたいですわ」
「ああ、そうだな」
娘を抱く父の姿とは思えない。
ソフィアは、テオドールの瞳に確かな劣情が揺れるのを感じ取り、諦めのように静かに微笑んだ。父の気をそらす方法など、ソフィアには一つしか思い浮かばない。
ソフィアは残虐な男の心をシェリーから奪うため、父の頬に指先を触れあわせた。
テオドール・フローレンスは狂っている。
「おとうさま、はやく二人になりたいの」
囁きながら父の頬に口づけたソフィアは、彼の瞳に確かな欲情が浮かぶのを見て、身体を押し付けるように抱き着いた。
テオドールの身体の隙間から見えるシェリーは、ふらふらと頼りなく空中に揺れている。テオドールの心が、魔法を忘れかけているのだ。
「すぐにつく」
「ええ」
片手に抱き寄せられたソフィアは、密かにシェリーの身体に保護の魔法をかけ、眩暈に歪む視界の中、父の胸に頬を摺り寄せた。
視界が大きく入れ替わる。
「さあ、フィー。2人だけになろう」
「心配ない。フィーに不必要なものは排除する」
父が移動魔法を使って簡単にフローレンス家にたどり着いたらしいことを感じた彼女は、恐ろしい言葉に声を返すこともできず、ただ、憎き男の身体に縋り付いていた。
「フィー、お前はどうしてこうも可愛いのだろうか」
何がどうあったとしても、この手だけは使いたくなかった。ソフィアは、どうにかしてこの男の手から逃れたかった。しかし、何度考えてもやはり、あの場でシェリーを見殺しにすることはできない。
「疲れているだろう。しばらく休みなさい」
次に目を開けた時、ソフィアに自由はない。
ソフィアはこの身体がルイス以外の男に抱きしめられている現実に泣き出したくなりながら、父の手に頭を触れられて、とうとうその意識を途切れさせてしまった。
10
あなたにおすすめの小説
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
婚約解消されたら隣にいた男に攫われて、強請るまで抱かれたんですけど?〜暴君の暴君が暴君過ぎた話〜
紬あおい
恋愛
婚約解消された瞬間「俺が貰う」と連れ去られ、もっとしてと強請るまで抱き潰されたお話。
連れ去った強引な男は、実は一途で高貴な人だった。
ハイスぺ幼馴染の執着過剰愛~30までに相手がいなかったら、結婚しようと言ったから~
cheeery
恋愛
パイロットのエリート幼馴染とワケあって同棲することになった私。
同棲はかれこれもう7年目。
お互いにいい人がいたら解消しようと約束しているのだけど……。
合コンは撃沈。連絡さえ来ない始末。
焦るものの、幼なじみ隼人との生活は、なんの不満もなく……っというよりも、至極の生活だった。
何かあったら話も聞いてくれるし、なぐさめてくれる。
美味しい料理に、髪を乾かしてくれたり、買い物に連れ出してくれたり……しかも家賃はいらないと受け取ってもくれない。
私……こんなに甘えっぱなしでいいのかな?
そしてわたしの30歳の誕生日。
「美羽、お誕生日おめでとう。結婚しようか」
「なに言ってるの?」
優しかったはずの隼人が豹変。
「30になってお互いに相手がいなかったら、結婚しようって美羽が言ったんだよね?」
彼の秘密を知ったら、もう逃げることは出来ない。
「絶対に逃がさないよ?」
ブサイク令嬢は、眼鏡を外せば国一番の美女でして。
みこと。
恋愛
伯爵家のひとり娘、アルドンサ・リブレは"人の死期"がわかる。
死が近づいた人間の体が、色あせて見えるからだ。
母に気味悪がれた彼女は、「眼鏡をかけていれば見えない」と主張し、大きな眼鏡を外さなくなった。
無骨な眼鏡で"ブサ令嬢"と蔑まれるアルドンサだが、そんな彼女にも憧れの人がいた。
王女の婚約者、公爵家次男のファビアン公子である。彼に助けられて以降、想いを密かに閉じ込めて、ただ姿が見れるだけで満足していたある日、ファビアンの全身が薄く見え?
「ファビアン様に死期が迫ってる!」
王女に新しい恋人が出来たため、ファビアンとの仲が危ぶまれる昨今。まさか王女に断罪される? それとも失恋を嘆いて命を絶つ?
慌てるアルドンサだったが、さらに彼女の目は、とんでもないものをとらえてしまう──。
不思議な力に悩まされてきた令嬢が、初恋相手と結ばれるハッピーエンドな物語。
幸せな結末を、ぜひご確認ください!!
(※本編はヒロイン視点、全5話完結)
(※番外編は第6話から、他のキャラ視点でお届けします)
※この作品は「小説家になろう」様でも掲載しています。第6~12話は「なろう」様では『浅はかな王女の末路』、第13~15話『「わたくしは身勝手な第一王女なの」〜ざまぁ後王女の見た景色〜』、第16~17話『氷砂糖の王女様』というタイトルです。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
女性執事は公爵に一夜の思い出を希う
石里 唯
恋愛
ある日の深夜、フォンド公爵家で女性でありながら執事を務めるアマリーは、涙を堪えながら10年以上暮らした屋敷から出ていこうとしていた。
けれども、たどり着いた出口には立ち塞がるように佇む人影があった。
それは、アマリーが逃げ出したかった相手、フォンド公爵リチャードその人だった。
本編4話、結婚式編10話です。
可愛げのない令嬢は甘やかされ翻弄される
よしゆき
恋愛
両親に可愛がられず、甘え方を知らず、愛嬌のない令嬢に育ったアルマ。彼女には可愛らしく愛嬌のある自分とは正反対の腹違いの妹がいた。
父に決められた婚約者と出会い、彼に惹かれていくものの、可愛げのない自分は彼に相応しくないとアルマは思う。婚約者も、アルマよりも妹のリーゼロッテと結婚したいと望むのではないかと考え、身を引こうとするけれど、そうはならなかった話。
【完結】記憶喪失の令嬢は無自覚のうちに周囲をタラシ込む。
ゆらゆらぎ
恋愛
王国の筆頭公爵家であるヴェルガム家の長女であるティアルーナは食事に混ぜられていた遅延性の毒に苦しめられ、生死を彷徨い…そして目覚めた時には何もかもをキレイさっぱり忘れていた。
毒によって記憶を失った令嬢が使用人や両親、婚約者や兄を無自覚のうちにタラシ込むお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる