呪われた悪女は獣の執愛に囚われる

藤川巴/智江千佳子

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 ソフィアが無事逃げおおせたとしても、兄たちにこの場にいられては、崖を下っているルイスの存在に気付かれる。森の外から魔法を仕掛けてきている兄たちは、この場のミストの影響を受けていない。間違いなくソフィアに不利な状況だ。

「フィー、泣き顔を見せてくれよ」

 悪趣味な声に囁かれたソフィアは、覚悟を決めて魔法を詠唱した。

「光よ!」

 最も簡単な魔法を詠唱し、ルイスが見せた閃光をオリバーの目の前に光らせる。狼狽えたオリバーから距離をとるように力を入れて走り出したソフィアは、でたらめに崖から離れ、道なき道を行く。

 ——すぐに追いつかれる。次はどうする。

「ソフィア! 殺してやる!」

 焦りながら思考するソフィアは、鬼のような声をあげて迫り来る男の足音を聞きつつ、風の魔法で竜巻を起こし、オリバーの目を隠した。

 効果的な魔法攻撃は視覚を壊すことだ。だが、追いかけてくる男の身体は間違いなくオリバー・マクレーンのもので、兄二人は頭を乗っ取っているに過ぎない。

 目を潰せば、精神を取り戻したオリバーの一生の傷になる。ユリウスが言うには、オリバーはダニエルのような優しい性格の男だ。

 害することができるはずもない。

 覚えのない道を走り続け、兄たちに思考の隙を与えぬようにとひたすら魔法を打ち続ける。足を引っかけ、木から雪を被せ、目を欺く。

 そうしていくつかの魔法を詠唱するうち、ソフィアは自身の身体から著しく魔力が失われていることを察してぐらりと倒れ込んだ。

「は、っ、は……っ、ぁ」

 心臓が煩い。

 このまま飛び出してしまいそうだ。

 荒い呼吸を繰り返すソフィアは、歪に笑む男が、ソフィアの身体を覆うように腰を下ろすのを見た。

 ソフィアは、兄二人が、ソフィアのことを簡単には殺さないことを知っていた。

「さあ、もう終わりかな。フィー?」
「はな、して」

 2人はソフィアの恐怖に歪む顔が見たいのだ。拷問にかけて、痛めつけ、じっくりとソフィアが怯える姿を見ようとするに決まっている。

「はは、怖がってるなあ。可愛いね。フィー」
「や、やめて、さわらない、で」

 ソフィアは演技ではなく、本当に身体が震えているのを感じた。これほどまでにも、ルイス以外に触れられることが恐ろしいとは知らなかった。

 覆いかぶさるように四つん這いになった男に手を取られそうになった瞬間、ソフィアは意を決し、強く足を振り上げる。

 眠らせることができないのであれば、気絶させるしかない。ソフィアはそのとき、ルイスに教えられた方法を思い出し、躊躇いなく実践した。

「私は泣かないわ!」
「ぐぁっ……!?」

 力をこめて股を蹴り上げたソフィアは、震えながらも目の前の男から距離を取る。

 ソフィアは痛みに顔を青くしたオリバーが目を見張って失神するさまをじっと観察し、全く動かない様子を確認した。

 どうやら、なけなしの魔法を打ち続ける必要はなさそうだ。

 ソフィアは震える身体で何とか広く距離を取りつつ、意識を失うオリバーに眠りの魔法を施して地面に座り込む。

「はやく、もど、らな……」

 呼吸が苦しい。
 
 昨日よりも魔力を消費している。ほとんど枯渇しかけていることに気付きながら、ソフィアは荒い呼吸を繰り返してその場に立ちあがる。

 すでに、元の道をたどる方法もわからなくなっていた。

 ふらふらと歩き出して、頼りなくその場に倒れる。

「るい、……す」

 あれほど頑なに1人で戦おうとしていたくせに、これは何だろうか。ソフィアは苦笑を浮かべながらゆっくりと深呼吸を繰り返し、もう一度立ち上がった。

 ソフィアに残された魔力は、簡単なものをあと一度唱えることができる程度だ。このままこの場に居ては、すぐに気を失う。

 どうにかルイスのもとへ歩こうとして、よろよろと立ち上がったソフィアは、今度こそ、目の前に広がる光景を見て、世界から鮮やかな光が失われたかのように感じた。

「フィー。遊びは楽しかったか?」

 麗しく微笑む男だ。ソフィアは、その男の瞳が嫌いだった。いっそ、目を合わせたくないほどに嫌悪している。

 あまりにも、自身の持つ目に似すぎているからだ。

 いや、正確にはソフィアは、この男の目によく似た自分の瞳を酷く嫌っている。

「フィー、きなさい」

 冬の雪山とは思えないほどに薄手の服を着こなした美麗の男が、ゆったりと笑みを浮かべた。

「お、とうさま、……どうして、ここ、に」

 この男は美しく笑みを浮かべているときほど、残虐な行為を繰り返す。

「可愛いフィーが心を病んでいるというのに、私が来ないはずがないだろう」

 優しい声色に囁かれ、ソフィアは父が全てを知ったうえでこの場に居ることを理解した。獣人と戯れる娘など、テオドールからすれば、精神が狂った子どもにしか見えない。

「お父様」
「あまり父を待たせてはいけない。フィー、私をご案内してくれた者も困ってしまうだろう?」

 うっとりと目を細めてしまいたくなるほどの美しい声だ。テオドールはその声で歌うように囁きながら、見覚えのある軍服の女性を空中に吊り上げた。

 ソフィアはその女性が血の気を失ってぐったりと目を瞑っているのを見た瞬間、恐怖で震える指先を隠すことができなかった。

「しぇり、さ……」
「これがあまりにも使えないせいで、フィーを探そうにも、手間取ってしまった」

 吊り上げられたシェリーは、幼き頃にソフィアが見たミュリの姿に酷似していた。テオドールはやはり、ソフィアがその記憶を忘れていないことを知っていたのだ。

 だからこそ、同じ方法で獣人を傷つけようとしている。

「ソフィア、きなさい」
「いきま、すわ」

 シェリーもまた、ミュリと同じ天真爛漫な性格の可愛らしい女性だった。このような場で惨殺されて良いはずがない。

 ソフィアは震える足で、手を広げてくるテオドールに近づき、恋人のように縋り付いた。

「お父様」
「震えているね。かわいそうに。獣人が憎いだろう」
「……さ、むいのです」
「ああ、たしかにここはひどく寒い」
「はやく、帰りたいですわ」
「ああ、そうだな」

 娘を抱く父の姿とは思えない。

 ソフィアは、テオドールの瞳に確かな劣情が揺れるのを感じ取り、諦めのように静かに微笑んだ。父の気をそらす方法など、ソフィアには一つしか思い浮かばない。

 ソフィアは残虐な男の心をシェリーから奪うため、父の頬に指先を触れあわせた。

 テオドール・フローレンスは狂っている。

「おとうさま、はやく二人になりたいの」

 囁きながら父の頬に口づけたソフィアは、彼の瞳に確かな欲情が浮かぶのを見て、身体を押し付けるように抱き着いた。

 テオドールの身体の隙間から見えるシェリーは、ふらふらと頼りなく空中に揺れている。テオドールの心が、魔法を忘れかけているのだ。

「すぐにつく」
「ええ」

 片手に抱き寄せられたソフィアは、密かにシェリーの身体に保護の魔法をかけ、眩暈に歪む視界の中、父の胸に頬を摺り寄せた。

 視界が大きく入れ替わる。

「さあ、フィー。2人だけになろう」
「心配ない。フィーに不必要なものは排除する」

 父が移動魔法を使って簡単にフローレンス家にたどり着いたらしいことを感じた彼女は、恐ろしい言葉に声を返すこともできず、ただ、憎き男の身体に縋り付いていた。

「フィー、お前はどうしてこうも可愛いのだろうか」

 何がどうあったとしても、この手だけは使いたくなかった。ソフィアは、どうにかしてこの男の手から逃れたかった。しかし、何度考えてもやはり、あの場でシェリーを見殺しにすることはできない。

「疲れているだろう。しばらく休みなさい」

 次に目を開けた時、ソフィアに自由はない。

 ソフィアはこの身体がルイス以外の男に抱きしめられている現実に泣き出したくなりながら、父の手に頭を触れられて、とうとうその意識を途切れさせてしまった。
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