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ひょんな事から
しおりを挟むヤクザのお客さんと、喫茶店の外で会った日から一週間が経った。
あの日以来、僕はそのお客さんと会っていない。
僕がシフトに入っていない日は来ていたらしく、入れ違いになっているのだ。
別に、会わないなら会わないで良いものの、僕はミルフィーユが口に合ったのか少し気になっていた。
ボーンボーンッと音を鳴らす振り子時計は、11時を指し、ヤクザのお客さんが来る時間から一時間は経っていたので、その日は来ないのだろうと思っていた矢先だった。
ドアベルが店内に鳴り響いたかと思えば、革靴を鳴らし、見慣れた人物が店内に入って来る。
いつも来る時間から1時間は経っていて、油断していたからか、その人を見て僕の心臓は飛び出そうなくらいドクッと音を立てると、物凄い勢いで刻み始める。
今日は来ないと思われた、ヤクザのお客さんが喫茶店にやって来たのだ。
いつものように、マスターが彼に挨拶をすると、これもまたいつものように、窓際の二人席に腰をかける。
お昼時前の店内だが、お客さんはヤクザの人合わせ、たったの三人だ。
人が少ない分、何故か余計に緊張してしまう中、僕は彼の注文を取りに行く。
会うのは一週間ぶりか。
最後に会った日は、意外と怖くないかもとか思ったけど、やっぱり怖いな。
キッチンからヤクザのお客さんの席まで、1分も掛からない中、僕の頭の中では色々な言葉が出て来ては、消えて行く、
「ご注文はお決まりでしょうか?」そういつものように、果たして意味があるのかわからない、彼への注文の問いかけを行おうとした時だった。
彼は僕を見るなり「久しぶりやなぁ」と白い歯を見せ、笑みを浮かべるのだった。
喫茶店にやって来て、彼が話しかけて来ることなんて、今まで一度もなかったものだから、分かりやすく動揺してしまう。
そんな僕に、ヤクザのお客さんは言うのだった。
「この前はありがとう。お勧めしてくれたケーキ、めっちゃ美味しかったわ」
その言葉を聞き、僕は安堵する。
あの後ずっと、口に合わない物を勧めてしまっていたのならどうしようかと、ずっと考えては夜、悪夢にうなされていたのだ。
どうやら僕がお勧めしたケーキが口に合ったみたいなので、これでもう、悪夢にうなされる事はないと、ホッとする。
僕は「良かったです」とだけ返すと注文を尋ねる。
ケーキの感想も聞けたし、これでもう、彼と話すことはこの先一生ないだろう。
いつものように、注文を伺うだけ。
さっさとその場を切り上げて、また普通の日々に戻りたかった。
けれども、僕が終わったと思っていた非日常は、まだ続いていたのだ。
「そう言えば自分、名前なんて言うん?」
「え?」
おかしいな。
注文を伺ったはずなのに、何故か僕の名前を聞かれたような。
……何で??
突然、ヤクザのお客さんに名前を聞かれた事により、フリーズしてしまう僕。
どうしていきなり僕の名前なんか聞いて来たんだ?
え、これ教えて良いやつ……?
その間たった数秒。
だが僕の頭の中では、それはまるで宇宙の仕組みについて考える時みたいに、沢山の会話が繰り広げられた。
とりあえずどうしよう。
なんて返すべき?
「えっと……」と戸惑う僕を見て、ヤクザのお客さんは「あぁ、そうか」と何か納得したように言うと、ゴソゴソと胸ポケットから取り出す。
「ごめんごめん。人に名前聞く時はまず自分から名乗らなな」
そう言って渡して来たのは、一枚の名刺。
そこには〝十代目若月組若頭 紫藤晴臣〟と書かれてあった。
いや、違う。
そうだけど、そうじゃない。
て言うか、若月組って聞いたことあるし、若頭って……! 怖……!
身なりからまぁまぁな立場の人なのだろうと思っていたが、まさか若頭だったとは。
改めて実感する、その事実に名刺を持つ手が震える。
「俺も名乗ったから、名前教えて」
「い、嫌です……」
気づくとそう口にしていた。
嫌ですって言ってしまった、どうしよう。
ヤクザのお客さんは僕の顔をじっと見つめる。
嫌だと言ったから、怒らせてしまったのか。無言が怖い。
そう恐怖と焦りから、体は変な汗をかき、口の中の水分がなくなり、唾を飲む音が耳に届く。
そんな僕を見て、ヤクザのお客さんは口を開く。
「えぇ! 名前聞いて断られたの初めてやねんけど!」
あまりにも予想外の言葉に僕は「は、」と驚く。
初めてやねんけどと言う割には、どこか嬉しそう? なお客さんは「俺に名前聞かれたもんは、男でも女でも喜んで教えてくれるんやけどな」と続けるのだった。
喜んで……? 脅しているからでは? と思うも言わないでおく。
「自分が初めてや。良かったな、友達に自慢してええで」
「しませんよ」
あっははと大笑いするヤクザのお客さん。見た目は物凄く怖いし、黙って見つめられるとそれはもう、背筋が凍ってしまうくらい怖いけど、話してみるとよく笑う。
よく分からない人。
そう思いながらヤクザのお客さんを見ていると「あーあ。知りたいなぁ、名前。」と言い出すのだ。
何故、そんなに僕の名前が気になるのか。
僕が「どうしてそんなに名前が気になるんですか」と問うと、お客さんは言う。
「おすすめのケーキを教えてくれた仲やん? もうそれは他人やない。友達や友達。友達やったら普通、名前知ってるもんやろ?」
何故か勝手に友達認定されている。
お勧めケーキを教えただけで、普通は友達になんてならない。
もしかして、大阪ではそうなのか? 大阪の人ってよく、知らない人同士で飲んでたりするし……。
そう、あまりにも馴染みがない文化に、戸惑う僕に更に続ける。
「名前教えてくれへんねやったら、教えてくれるまで帰らへんからな」
新手の脅しだ……! と言う事は、お勧めのケーキを教えたら友達と言うのは、ヤクザの世界のルールなのか……?
いや、そんなわけない。寝不足で頭が疲労して、思考回路がおかしくなってしまっている。
僕は一つため息をつくと、ヤクザのお客さんを見る。
この感じだと本当に、僕が名前を教えるまで帰らなさそうだな。
そうなれば、マスターに迷惑をかけてしまう。
それにどうせ、名前を教えたところで忘れてしまうだろう。
「……白井菖蒲、です」
「……え?」
自分から名前を聞いておいて、聞き返さないでほしい。
改めて自己紹介をするのは、どこか小恥ずかしさがある。
僕は「だから、白井菖蒲です! 僕の名前!」と、他のお客さんに迷惑がかからない程度で、大きな声を出す。
すると、ヤクザのお客さんは数秒、驚いた表情を浮かべると「えらい可愛らしい名前やな」と言うのだった。
僕が気にしていることを。
僕がヤクザのお客さんを睨みつけると、ヤクザのお客さんは「良いやん、俺は好きやで。綺麗な名前やん」と言うので僕は「嬉しくありません」と返す。
「名前教えたので、早く注文してください」
「分かってるって、そう急ぎなや。あやめん」
「はっ……? あやめんってもしかして……」
もしやと思い、そう聞くとヤクザのお客さんは「菖蒲くんのあだ名や。可愛いやろ?」と言うので、僕はすかさず「やめてください」と返す。
「可愛くないです。」
「えー、いいやん。あ、俺のことは晴臣で良いで!」
全く人の話を聞かないヤクザのお客さんに、僕はもう何も言い返す気力はなく「好きにしてください」とメロンクリームソーダとショートケーキでいいかと問いかける。
すると、ヤクザのお客さんは「よう分かってるやん」と言うもんだから、いつも一緒の頼んでいたら分かるでしょ、と思うもそれを飲み込みキッチンに戻ろうとする。
そんな僕にヤクザのお客さんは「よろしくな、あやめん」と笑いかけてくる。
その笑顔は、いつもの笑顔とは違う、とてもヤクザとは思えない優しく穏やかなものだった。
◇
「あやめん、この新作のスイーツ食べたことある?」
名前を教え合った日から一週間、その週は僕がシフトに入っている日と、ヤクザのお客さん基、晴臣さんが店にやってくる日がタイミングが良いのか悪いのか被っており、もう既に今日で三回も会っていた。
注文を取りに来た僕に、晴臣さんは、トミーの新作スイーツについて聞いてくる。
基本、新作ができた時は試食をさせてもらえるので、食べた事はある。
月に一回、新作が出、今月はミルクレープだった。
僕は「美味しかったですよ」と答えると、晴臣さんは「じゃあ今日はミルクレープとメロンクリームソーダお願い」と注文する。
名前を教え合って以降、晴臣さんは僕にショートケーキ以外のもののスイーツの感想を聞いて来ては、美味しいと答えるとそれを頼むようになった。
どうやら、ミルフィーユの件で僕の舌は信頼されたらしく、新作や食べたことのないスイーツがあれば、聞いてくるようになったのだ。
僕からしても、お勧めしたものを美味しいと言ってもらえたら、すごく嬉しい。
僕の舌はヤクザの若頭のお墨付きって自慢しようかな。
なんて考えながら、キッチンに注文を伝える。
「今日はミルクレープなんやな」
キッチンの中野さんはそう言うと、出来上がっているミルクレープを取り出し、メロンクリームソーダを作り始める。
今まで僕がキッチンに知らせる頃には、もう晴臣さんに届けられる状態だったが、晴臣さんがショートケーキ以外を頼み始めてからは、注文を受けてから中野さんは作り始めている。
まぁ、とは言えケーキはショーケースから出すだけだし、メロンクリームソーダはものの数秒でできるし、大して提供する時間は変わらないけど。
「ミルクレープ、めっちゃ美味しかったわ」
メロンクリームソーダとミルクレープを、モノの数分で食べ終えた晴臣さんの会計をしている最中、ミルクレープの感想を僕に伝えてくれる。
これもいつものことで、僕がお勧めしたものを食べた時は、いつも会計の時に感想を言ってくれるのだ。
「やっぱ、あやめんに聞いて正解やわ。俺一人やったら頼まんし」
「それは良かったです」
やはり、お勧めしたものを美味しいと言ってもらえるのは嬉しい。
晴臣さんは「ほなまたね」と僕に告げると、いつものように店を出て行った。
「何か疲れたな……」
その日は、商店街で何かイベントをやっていたみたいで、喫茶店内はいつもより人で賑わい、慌しかった。
沢山人は来たが、その日は晴臣さんは来ることはなかった。
まさか、連勤の最終日にこんなに人が来るとは思わず、どっと疲労が溜まった足を動かし、帰路につく。
こんな時に限って、自転車で来なかった朝の自分を呪ってやりたい。
連休中にだけ姿を現す、マナーの悪いお客さんはどこの店にでも現れるな。
あの人たちは本当に連休中にしか見ないけど、一体普段、どこに潜んでいるのか。
疲れているせいか、そんなくだらない考えがぐるぐると頭を回りながら歩いていた時だった。
誰かと肩がぶつかってしまう。
僕は「すみません……!」と謝り、ぶつかった相手を見る。
虎と薔薇がどでかくプリントされたシャツに、派手な色付きの眼鏡をかけ、口にはタバコを加え、髪をべったばたにオールバックに固めたおじさんが目の前にいる。
その瞬間、僕はこれは……と悟ると、そのおじさんは僕が予想していた通りの反応を見せるのだ。
「どこ見て歩いとんのじゃお前!! 目ついてないんか!? あ゛ぁん??」
きっとテストで、大阪でぶつかってしまった相手がチンピラだった時の反応を答えよと出た時に、この反応を見せれば余裕で合格するだろう。
模範のような反応に僕は、これが大阪。と謎の感動を覚える。
だがそれも束の間、そのおじさんは「もうこれ折れてるわ、骨。慰謝料払ってもらわなあかんな。ほら、金出せ。それで許したるわ」と言って来たのだ。
そんなんで折れるわけないだろ。
自分で言うのもあれだけど、おじさんに比べても僕はひょろひょろだぞ。
もしそれで本当に折れたのなら骨密度を調べてもらったほうがいい。
なんて、呑気に考えていると「ほらさっさと金出せや。」と言って来る。
僕は「お金持ってないです」と答えると「んなわけあるか!」と返って来る。
僕は事実、お金を持っていなかった。
月末の学生にお金なんてあるわけない。
無いものはないので、正直にそう言うと、おじさんは「払えへんねんやったら、その身で償ってもらおうか。こっちきぃ」と僕の肩に腕を回し、連れて行こうとする。
流石の僕も、これには危機感を覚え、体がすくむ。
周りには何人か人はいるが、関わりたくないのだろう。
皆んな見て見ぬふりをしている。
まぁ、当然だ。
自分の身を危険に晒してまで、他人を助ける人なんて、僕含めそうそう居ないのだから。
僕は必死に抵抗するも、見た目の割におじさんは力が強く、逃げ出せない。
もう、終わりだ。
そう絶望しきった時だった。
「何や、楽しそうな事してるやん。俺も混ぜてぇな」
そう、聞き馴染みのある声と、革靴の音が耳に届いたのだ。
声のする方に顔を向けると、よく見慣れた人がこちらに向かい歩いて来ていた。
おじさんは「何やお前? いきなり割って入って来よって。」と、睨みつけるも、そんなおじさんは無視し僕のことを見るその人は「怪我してへんか?」と聞いて来る。
あまりにも優しい表情と声で聞いてくる、安心感からか、はたまたおじさんに対しての恐怖心からか、僕は泣きそうになりながら、晴臣さんを見る。
「怪我、してないです」
「そうか。良かったわ」
そう笑う晴臣さんに、おじさんは「何や自分! 俺のこと無視しよって! 殺されたいんか!!」と叫ぶと、晴臣さんは冷めた目でおじさんを見下ろす。
「何自分、気安くこの子の肩に手回してんの? お前みたいな汚い人間が触っていい相手ちゃうねん」
晴臣さんはそう言うと、僕の肩に手を回すおじさんの指を掴んでは、ボキッと音がし、おじさんは何とも痛々しい叫び声を上げる。
そして、僕とおじさんの間に僕を庇う感じで立つと「若月組の紫藤って聞いたら、アホなお前でもわかるな?」と言うと、おじさんは「わか、若月組……!」と震え出す。
「おぉ、ちゃんとやばいって認識できてるやん。偉い偉い。頭の奥底まではイカレてないみたいやな」
笑顔を浮かべそう言ったかと思えば、晴臣さんはおじさんの胸ぐらをぐいっと、乱暴に掴むと「ええか? 次この子に手ぇ出してみろ。指一本で済まさへんぞ。もちろん、逃げても無駄や。お前のこと探し出して、死んだほうがマシや思えるくらいの思いさせたるからな」と言う。
それは僕に言われていないのに、思わず息を呑んでしまうほど怖いものだった。
おじさんは恐怖で震えながらも「な、何やねん……! そのガキ……!」と僕を化け物でも見るみたいな目で見て来る。
そんなおじさんに、晴臣さんは言う。
「友達や、俺のな」
「友達……? い、意味わからんわ!!」
まさか、僕がヤクザの若頭の友人だと思わなかったらしく、おじさんはそう叫び声を上げると、一目散に逃げて行った。
そんなおじさんの情けない後ろ姿を見送っていると、晴臣さんが「怖かったな。よう頑張った」と声をかけてくれる。
その声に、僕はもう大学生だと言うのに、涙がポロポロと溢れ出て来る。
そんな僕の涙を拭って、晴臣さんは「送ってく」と僕を車で家まで送ってくれたのだった。
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