黒の神官と夜のお世話役

苺野 あん

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17.傲慢な女

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 ベルナルドはたった数時間のうちに、何十歳も年を取ってしまったかのような倦怠感でいっぱいになってしまった。
 突然現れたビビアーナが、あなたの妻になるなどと言い出したことが始まりだ。
 救いを求めてジーノのいる執務室に行けば、さらに深みにはまってしまっただけだった。どうせ法力などないだろうと高をくくっていたビビアーナは、調整役になれるくらいの法力を持っていたのだ。
 家格と法力、共にやや物足りなくはあるのだが、ベルナルドがこれまでの縁談を全て破談にしてきたことを考慮すれば、まず間違いなく結婚は認められることになるだろう。

 どうにか別の断る口実を見つけなければと思うものの、とっさに何も浮かばなかったベルナルドは、結界の補修作業が途中だからと逃げ出したのだ。
 なるべく早いうちに口実を用意する必要があると、一人になりながら、わずかな猶予を得たような気になっていたベルナルドだが、それは甘かった。
 その間に、ビビアーナがアンジェリアにお役御免を言い渡しに行っていたのだ。

「もう、あの娘には世話役としての任を解くと言い渡してまいりましたわ。これからは、あたくしがお世話いたしますわ」

 あっさりと言い切ったビビアーナの言葉に、ベルナルドは思わず息が止まるような心持ちになった。
 慌ててアンジェリアを探しに行ったが、彼女の部屋には誰もいないようだった。
 ならばと、神殿長代理のカプリスの部屋を訪れたところ、どうやら当たりのようだったが、きつい言葉で追い返されてしまい、ベルナルドはうな垂れることしかできない。

 カプリスに対し、何も言い返すことができなかったのだ。
 そのような資格などないと、ベルナルド自身もわかっていた。
 ベルナルドのアンジェリアに対する気持ちは、決して遊びではなかったが、実際には結婚など不可能であるのだから、弄んでいると言われても当然だろう。
 しかも、ビビアーナという、結婚相手としての条件を満たした女性が現れてしまったのだ。
 もはや、どのように言いつくろったところで、空虚な言い訳でしかない。

 とぼとぼと部屋に戻ってくれば、追い討ちをかけるようにビビアーナが待っていた。

「今夜からは、あたくしがお相手いたしますわ。あの娘よりも、ずっと楽しませてさしあげますわよ」

 艶めいた微笑みを浮かべて、ビビアーナが迫ってくる。
 やっと開き始めた、まだ硬さの残る蕾のようなアンジェリアとは違う、今が盛りと咲き誇る大輪の花だ。それも美しい色と強い香りで獲物を捕らえてしまう、毒花。
 ベルナルドは気圧されてしまい、視線をさまよわせた。

「い、いや……そうだ、今日はまだ仕事が残っているんだ。だから、戻って休んでくれ」

 早口で言い捨てると、ベルナルドは部屋を飛び出した。
 ビビアーナがやって来ないような場所と考え、行き着いた先は神殿のはずれにある東屋だった。
 かつて、アンジェリアと初めて結ばれた場所だ。
 クッションに腰掛けながら、ベルナルドは宙を見上げて、長く息を吐き出した。
 あのときは、確かに幸福だった。それなのに、今の自分はいったい何をやっているのだろうと、己に対する嫌悪感が走る。
 吹いてくる風も冷たく、あの日の温もりもかき消されてしまうようだった。





 それから数日、同じような展開が続いた。
 昼間は結界の補修作業に没頭し、部屋に戻るとビビアーナが待ち構えているので、まだ仕事があると言って逃げ出すのだ。夜中になってから、ようやく部屋に戻って、少しだけ眠る。
 アンジェリアには会わせる顔がなく、訪ねようとはしなかった。ときおり、遠くから姿を見かけることはあったが、警戒したカプリスに睨まれるか、アンジェリアが気づいて姿を消すかで、会話どころか近づくことも出来ない。
 それでも、アンジェリアは真面目に神殿の掃除をしているようだった。つらい思いをさせてしまっているのに、己の職務を放棄しない姿が、ベルナルドの胸を締め付ける。
 反対に、ビビアーナはベルナルドに頭の痛い問題をさらに運んできた。

「あなたの婚約者が、法力を扱う訓練をまったくしないので、困っています。どうにかしてください」

 あるとき、ジーノが部屋を出て行こうとするベルナルドを引きとめ、うんざりした様子で切り出したのだ。

「婚約者ではない……というか、訓練をしない? どういうことだ?」
「本人に聞いてください」

 苦々しい表情で促され、ベルナルドはジーノと共に執務室に向かった。
 するとそこには、椅子に座り、唇を尖らせながら手もとの扇子を弄ぶビビアーナがいた。

「法力の訓練をしないというのは、どういうことだ?」
「あら、だってあたくしをないがしろになさるんですもの。当然ですわ」

 ベルナルドが問いかけると、ビビアーナは悪びれた様子もなく答えた。

「……この地の結界を維持するのに、必要なことだぞ」
「だから、きちんとあたくしの相手をしてくださったら、その訓練とやらも考えますわ」

 何を言っているのだこいつは、という思いがベルナルドにわきあがる。
 確かにベルナルドはビビアーナを遠ざけようとしているが、それとはまったく別問題であるはずだ。
 結界はそもそもこの地の領主が守るべきものである。本来、ベルナルドは手助けをしに来たに過ぎない。実際にはベルナルドが主体となっているものの、それは領主一族に結界を保つ力がないためだ。
 領主一族の一人であるビビアーナに法力があるのならば、彼女が結界を保つのが、あるべき姿のはずである。

「あたくしが、その調整役とやらをしないと、困ることになるのでしょう?」

 しかし、ビビアーナにはそのような責任感など、かけらも見当たらない。
 薄く笑いながら、小賢しく、取引材料として持ち出してくる。

「本当は訓練なんて、そんな面倒なことはしたくないのですけれど、どうしてもというのなら、してさしあげてもよいと言っていますのよ。だから、そちらも誠意を見せてくださらないと」

 あくまでも高飛車で、勘違いしているビビアーナに、ベルナルドはもはや言葉も出なかった。
 結界を保てなくて一番困るのは、ベルナルドではない。この地に住む人々だ。当然、ビビアーナも最も困るであろう一人のはずなのに、その自覚は見当たらない。
 人々を守るという、貴族の本来の姿もすっかり忘れているようだ。
 いくら領主やその息子と違い、法力があるとはいっても、性根は同じかと、ベルナルドは不快感を抱かずにはいられない。

 ふと、遠くから眺めた、神殿の掃除をするアンジェリアの姿が思い浮かぶ。
 健気に職務を果たそうとするアンジェリアが、痛ましいほど愛おしかった。
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