私が嫌いなら婚約破棄したらどうなんですか?

きららののん

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ショコラ様たちが去った後も、私はしばらくその場から動くことができなかった。

まるで、足に鉛の枷をつけられてしまったかのように、一歩も前に進めない。

耳の奥で、あの甘い毒のような声が何度も響く。

『殿下を不幸にしてしまう』

その言葉が、私の胸に重く、重くのしかかってくる。

どれくらいの時間、そうしていただろうか。侍女が探しに来たことで、私はようやく我に返り、夢遊病者のような足取りで自室へと戻った。

部屋に入るなり、私はベッドに倒れ込む。

もう何も考えたくなかった。

けれど、瞼を閉じれば、浮かんでくるのはレピオド殿下の顔ばかり。

私を見つめる、情熱的な赤い瞳。私の名前を呼ぶ、優しい声。私の手に触れた、大きな手のひらの温もり。

その全てが、今の私を責め立てているようだった。

あなたに相応しくないくせに、どうしてまだ隣にいようとするのか、と。

「……うぅっ」

堪えきれずに、嗚咽が漏れる。

好きだから、離れたいなんて、矛盾している。でも、本当にそうなのだ。

殿下を心から愛しているからこそ、彼の輝かしい未来の隣に、私という影を落としたくない。

涙で枕を濡らしていると、不意に扉がノックされた。

「アイお嬢様、失礼いたします。殿下からのお届け物でございます」

「……殿下から?」

侍女の声に、私は慌てて涙を拭い、ベッドから身を起こす。

入室を許可すると、侍女が大きな、豪奢な装飾の施された箱を抱えて入ってきた。

テーブルの上に置かれたその箱を、私は呆然と見つめる。

「まあ、素敵な箱ですこと。一体、何が入っているのでしょう」

侍女はわくわくした様子で私を見るが、私の心は少しも弾まない。

むしろ、ずしりと重い何かが、さらに心にのしかかってくるようだった。

侍女に手伝ってもらいながら、箱のリボンを解き、蓋を開ける。

その瞬間、侍女が「まあ……!」と感嘆の声を上げた。

箱の中に収められていたのは、一枚のドレスだった。

夜空の星屑をすべて溶かし込んだかのような、深い瑠璃色のシルク。胸元や裾には、銀糸で繊細な花の刺繍が施され、小さなダイヤモンドが惜しげもなく散りばめられている。

それは、ひと月ほど前、殿下と二人で王室御用達の仕立て屋のカタログを眺めていた時に、私が何気なく「素敵ね」と呟いたものだった。

まさか、覚えていてくださったなんて。

ドレスの横には、一通のカードが添えられていた。震える手でそれを開く。

『愛しいアイへ

君が美しいと言っていたドレスを贈る。
来週開かれる王立劇場での観劇に、ぜひこれを着て来てほしい。
舞台の上のどんな女優よりも、君の輝きが俺の目を奪うことだろう。

楽しみにしている。

レピオドより』

殿下らしい、少し気障で、けれどストレートな愛情が込められた言葉。

以前の私なら、きっと顔を真っ赤にして、この上ない幸福感に包まれていたはずだ。

けれど。

今の私の心には、喜びよりも先に、深い、深い悲しみが広がっていった。

違う。

違うのです、殿下。

私が欲しいのは、こんな高価なドレスなんかじゃありません。

私が欲しいのは、私の苦しみに気づいてくれる、あなたの心なのです。

どうして、分かってくださらないのですか。

私がどれだけ思い悩み、傷ついているのか。あなたが隣にいるだけで、私がどれほどの罪悪感に苛まれているのか。

このドレスは、まるで私の心を無視した、一方的な優しさの押し付けのように思えた。

「物でごまかさないでください……」

ぽつりと、自分でも気づかないうちに、そんな言葉が口からこぼれ落ちていた。

「お嬢様?」

侍女が不思議そうな顔でこちらを見ている。

私ははっとして、慌てて表情を取り繕った。

「ううん、何でもないわ。……とても、素敵なドレスね」

心のこもらない、空虚な言葉。

「本当に! さすがは殿下でございますね。アイお嬢様がこれをお召しになったら、どれほどお美しいことか!」

手放しで喜ぶ侍女の言葉が、私の胸をさらに締め付ける。

私は、美しいドレスに見向きもせず、静かに告げた。

「ありがとう。……悪いけれど、それはクローゼットにしまっておいてくださる?」

「え? お召しにならないのですか? すぐにでもお体に合うか、試着を……」

「いいの。今は、そんな気分ではないから」

私の冷たい声に、侍女は戸惑いながらも「かしこまりました」と頭を下げ、ドレスを丁寧に箱へと戻していく。

殿下は、何もわかっていない。

私の苦しみも、私の決意も、何も。

そして、私も、このままでは殿下に何も伝えられない。

この美しいドレスは、私たちの間に横たわる、深くて暗い溝そのものだった。

善意で贈られたはずの贈り物が、かえって二人の心を遠ざけていく。

私は、静かに箱が閉じられるのを見つめながら、固く、固く誓った。

次こそは。

次にお会いした時こそ、必ず、この口から伝えなければならない。

うわべだけの優しさも、高価な贈り物も、もういらない。

ただ、この苦しみから、解放してほしい、と。
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