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豪華なドレスの入った箱がクローゼットの奥にしまわれるのを、私はただ無感動に見つめていた。
部屋には私一人。しんとした静寂が、私の孤独をより一層際立たせる。
もう、だめだ。
一人でいると、どんどん悪い方へと考えが沈んでいってしまう。ショコラ様の言葉が、まるで呪いのように頭から離れない。
このままでは、私は本当に壊れてしまうかもしれない。
その恐怖に突き動かされるように、私は部屋を飛び出した。侍女の制止も振り切り、身分を隠すための簡素なフード付きケープだけを羽織って、馬車にも乗らずに王宮を抜け出した。
向かう先は、一箇所しかなかった。
私の唯一の心の拠り所。
どれくらい歩いただろうか。息を切らしながらたどり着いたのは、都の一角に佇む、こぢんまりとしながらも手入れの行き届いた子爵家の屋敷だった。
「アイ様!?」
門を叩くと、出てきた使用人が私の姿を見て驚きの声を上げた。無理もない。アポイントメントもなしに、こんな姿で公爵令嬢が訪ねてくるなど、前代未聞だろう。
けれど、そんな体裁を気にしている余裕は、今の私にはなかった。
「カモミールに……カモミール・ティーに、会わせてちょうだい……!」
私の必死の形相に何かを察したのだろう。使用人は慌てて屋敷の中へと駆け込んでいった。
ほどなくして、淡い若草色の髪を揺らしながら、親友であるカモミールが姿を現した。
「アイ! どうしたの、そんなに息を切らして……」
私の姿を見るなり、カモミールの穏やかな翠の瞳が心配そうに揺れる。
彼女の顔を見た瞬間、張り詰めていた何かが、ぷつりと切れた。
「カモミール……っ」
「大丈夫よ、アイ。さあ、中へ入って」
カモミールは何も聞かず、私の冷たくなった手を優しく握ると、屋敷の奥にある彼女の私室へと招き入れてくれた。
人払いをし、部屋に二人きりになると、カモミールは手際よくお茶の準備を始める。
やがて、ふわりと甘く、優しい香りが部屋に満ちた。彼女の名前と同じ、カモミールティーの香りだ。
「さあ、まずは温かいものを飲んで。落ち着いてからでいいから、話してごらんなさい」
差し出されたティーカップを受け取ると、その温かさがじんわりと指先から伝わってくる。
一口飲むと、優しい花の香りがすっと心に染み渡り、強張っていた体が少しだけ、本当に少しだけ、ほぐれていくのが分かった。
私は、ぽつり、ぽつりと、今日あった出来事を話し始めた。
殿下に婚約破棄を切り出したこと。けれど、まるで冗談のように受け流されてしまったこと。
冷菓室での、ちぐはぐなやり取りのこと。
そして、廊下で会ったショコラ様に、いかに残酷な言葉を投げつけられたか。
最後に、殿下から贈られてきた、あの美しいドレスのこと。
「殿下は、何もわかってくださらないの……。私が本当に欲しいものは何か、少しも……。私が、どれだけ苦しんでいるのかも知らずに……っ」
話しているうちに、再び涙が溢れて止まらなくなる。
カモミールは、私が話し終えるまで、ただ黙って、静かに頷きながら聞いてくれていた。
私がようやく泣き止むのを待って、彼女はゆっくりと口を開いた。
「そう……辛かったわね、アイ」
その声は、どこまでも優しかった。
「周りの声に傷ついて、一番好きな人にまで気持ちが伝わらなくて……。本当に、苦しかったでしょう」
ただ、寄り添ってくれる。その事実だけで、私の心は少し救われたような気がした。
カモミールは、そっと私の涙を指で拭うと、穏やかな、しかし真剣な眼差しで私を見つめた。
「一つだけ、聞いてもいいかしら」
「……なあに?」
「アイ。あなたは、本当にレピオド殿下があなたのことを嫌いだから、婚約破棄をしたいの?」
「え……?」
予想外の問いに、私は言葉に詰まる。
カモミールは、さらに続けた。
「本当に殿下は、あなたのことが嫌いだと思う? 今までの殿下の行動の、そのどこかに、あなたを嫌っている素振りがあったかしら?」
殿下の行動……?
思い浮かぶのは、私を見つめる熱のこもった瞳。私の好きなものを覚えていてくれる記憶力。私を喜ばせようと、少し空回りしながらも、いつも一生懸命な姿。
嫌われていると感じたことは、一度も……。
私が感じていたのは、劣等感と、罪悪感と、そして、彼に相応しくないという、自己嫌悪。
私が「殿下は私を嫌っているに違いない」と、勝手に思い込んでいただけなのではないか?
「……それは……」
私がハッとしたのに気づいたのか、カモミールはふわりと微笑んだ。
「今のアイはね、殿下の気持ちと、周りの雑音と、そしてあなた自身の自信のなさが、全部ごちゃ混ぜになってしまっているのよ」
「ごちゃ混ぜ……」
「ええ。だから、一度、他のものは全部忘れてみない? ショコラ様が言ったことも、他の貴族たちの陰口も、一旦、全部心の外に置いておくの」
カモミールは、私の手を両手で優しく包み込んだ。
「そして、もう一度、レピオド殿下のことだけを、まっすぐに見てみたらどうかしら?」
殿下のことだけを、まっすぐに。
その言葉は、混乱しきっていた私の心に、すうっと染み込んでいった。
すぐに答えは出せない。長きにわたって私を縛り付けてきた呪いは、そう簡単には解けないだろう。
けれど、カモミールの言葉は、暗く閉ざされていた私の心に、一条の光を差し込んでくれたような気がした。
もしかしたら、私は、一番大切なことを見誤っていたのかもしれない。
私は、手に持ったままぬるくなってしまったティーカップを、ただ静かに見つめていた。
部屋には私一人。しんとした静寂が、私の孤独をより一層際立たせる。
もう、だめだ。
一人でいると、どんどん悪い方へと考えが沈んでいってしまう。ショコラ様の言葉が、まるで呪いのように頭から離れない。
このままでは、私は本当に壊れてしまうかもしれない。
その恐怖に突き動かされるように、私は部屋を飛び出した。侍女の制止も振り切り、身分を隠すための簡素なフード付きケープだけを羽織って、馬車にも乗らずに王宮を抜け出した。
向かう先は、一箇所しかなかった。
私の唯一の心の拠り所。
どれくらい歩いただろうか。息を切らしながらたどり着いたのは、都の一角に佇む、こぢんまりとしながらも手入れの行き届いた子爵家の屋敷だった。
「アイ様!?」
門を叩くと、出てきた使用人が私の姿を見て驚きの声を上げた。無理もない。アポイントメントもなしに、こんな姿で公爵令嬢が訪ねてくるなど、前代未聞だろう。
けれど、そんな体裁を気にしている余裕は、今の私にはなかった。
「カモミールに……カモミール・ティーに、会わせてちょうだい……!」
私の必死の形相に何かを察したのだろう。使用人は慌てて屋敷の中へと駆け込んでいった。
ほどなくして、淡い若草色の髪を揺らしながら、親友であるカモミールが姿を現した。
「アイ! どうしたの、そんなに息を切らして……」
私の姿を見るなり、カモミールの穏やかな翠の瞳が心配そうに揺れる。
彼女の顔を見た瞬間、張り詰めていた何かが、ぷつりと切れた。
「カモミール……っ」
「大丈夫よ、アイ。さあ、中へ入って」
カモミールは何も聞かず、私の冷たくなった手を優しく握ると、屋敷の奥にある彼女の私室へと招き入れてくれた。
人払いをし、部屋に二人きりになると、カモミールは手際よくお茶の準備を始める。
やがて、ふわりと甘く、優しい香りが部屋に満ちた。彼女の名前と同じ、カモミールティーの香りだ。
「さあ、まずは温かいものを飲んで。落ち着いてからでいいから、話してごらんなさい」
差し出されたティーカップを受け取ると、その温かさがじんわりと指先から伝わってくる。
一口飲むと、優しい花の香りがすっと心に染み渡り、強張っていた体が少しだけ、本当に少しだけ、ほぐれていくのが分かった。
私は、ぽつり、ぽつりと、今日あった出来事を話し始めた。
殿下に婚約破棄を切り出したこと。けれど、まるで冗談のように受け流されてしまったこと。
冷菓室での、ちぐはぐなやり取りのこと。
そして、廊下で会ったショコラ様に、いかに残酷な言葉を投げつけられたか。
最後に、殿下から贈られてきた、あの美しいドレスのこと。
「殿下は、何もわかってくださらないの……。私が本当に欲しいものは何か、少しも……。私が、どれだけ苦しんでいるのかも知らずに……っ」
話しているうちに、再び涙が溢れて止まらなくなる。
カモミールは、私が話し終えるまで、ただ黙って、静かに頷きながら聞いてくれていた。
私がようやく泣き止むのを待って、彼女はゆっくりと口を開いた。
「そう……辛かったわね、アイ」
その声は、どこまでも優しかった。
「周りの声に傷ついて、一番好きな人にまで気持ちが伝わらなくて……。本当に、苦しかったでしょう」
ただ、寄り添ってくれる。その事実だけで、私の心は少し救われたような気がした。
カモミールは、そっと私の涙を指で拭うと、穏やかな、しかし真剣な眼差しで私を見つめた。
「一つだけ、聞いてもいいかしら」
「……なあに?」
「アイ。あなたは、本当にレピオド殿下があなたのことを嫌いだから、婚約破棄をしたいの?」
「え……?」
予想外の問いに、私は言葉に詰まる。
カモミールは、さらに続けた。
「本当に殿下は、あなたのことが嫌いだと思う? 今までの殿下の行動の、そのどこかに、あなたを嫌っている素振りがあったかしら?」
殿下の行動……?
思い浮かぶのは、私を見つめる熱のこもった瞳。私の好きなものを覚えていてくれる記憶力。私を喜ばせようと、少し空回りしながらも、いつも一生懸命な姿。
嫌われていると感じたことは、一度も……。
私が感じていたのは、劣等感と、罪悪感と、そして、彼に相応しくないという、自己嫌悪。
私が「殿下は私を嫌っているに違いない」と、勝手に思い込んでいただけなのではないか?
「……それは……」
私がハッとしたのに気づいたのか、カモミールはふわりと微笑んだ。
「今のアイはね、殿下の気持ちと、周りの雑音と、そしてあなた自身の自信のなさが、全部ごちゃ混ぜになってしまっているのよ」
「ごちゃ混ぜ……」
「ええ。だから、一度、他のものは全部忘れてみない? ショコラ様が言ったことも、他の貴族たちの陰口も、一旦、全部心の外に置いておくの」
カモミールは、私の手を両手で優しく包み込んだ。
「そして、もう一度、レピオド殿下のことだけを、まっすぐに見てみたらどうかしら?」
殿下のことだけを、まっすぐに。
その言葉は、混乱しきっていた私の心に、すうっと染み込んでいった。
すぐに答えは出せない。長きにわたって私を縛り付けてきた呪いは、そう簡単には解けないだろう。
けれど、カモミールの言葉は、暗く閉ざされていた私の心に、一条の光を差し込んでくれたような気がした。
もしかしたら、私は、一番大切なことを見誤っていたのかもしれない。
私は、手に持ったままぬるくなってしまったティーカップを、ただ静かに見つめていた。
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