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夜会での一件から、一夜が明けた。
私は、差し込む朝日の眩しさに、ゆっくりと瞼を開いた。
重い体を起こしながら、昨夜の出来事を思い出す。
汚されたドレス、周りの嘲笑、そして、私を庇うようにして抱き寄せてくれた、殿下の大きな背中。
『君は俺のすべてだ』
『俺は、君がいい』
馬車の中で告げられた、熱のこもった言葉が、耳の奥で何度も再生される。
その言葉を思い出すたびに、顔に熱が集まり、心臓がぎゅっと締め付けられるように痛んだ。
嬉しかった。
彼が、周りの声など気にせず、私だけを選んでくれているという事実が、どれほど私の心を救ってくれたか分からない。
けれど、同時に、まだ素直にその言葉を受け入れられない自分もいる。
本当に、私でいいのだろうか。
彼にあそこまで言わせてしまって、私は、これから一体どんな顔をしてお会いすればいいのだろう。
そんな風に、一人悶々とベッドの上で膝を抱えていた時だった。
ふわり、と甘い香りが鼻を掠めたことに、私は気づいた。
花の香りだ。それも、薔薇の。
くん、と鼻を鳴らして香りの源を探すと、私の視線はベッドサイドテーブルの上で、ぴたりと止まった。
そこには、見慣れないものが置かれていた。
細長いクリスタルの花瓶に生けられた、一輪の紫色の薔薇。
そして、その傍らに、一通の封筒。
「……え?」
思わず、声が漏れた。
昨夜、眠る前には、こんなものは間違いなくなかったはずだ。
その紫色の薔薇は、まるで私の瞳の色をそのまま写し取ったかのように、深く、美しい色合いをしていた。朝露に濡れた花びらが、日の光を浴びてキラキラと輝いている。
一体、誰が?
恐る恐る手を伸ばし、薔薇の隣に置かれていた封筒を手に取った。
上質な羊皮紙で作られたその封筒には、見慣れた、カルミナス王家の紋章が、深紅の蝋で封をされていた。
「殿下から……?」
心臓が、どくん、と大きく跳ねた。
昨夜、屋敷まで送っていただいたばかりなのに。どうして、こんな朝早くに?
緊張で震える指先で、私は慎重に封蝋を剥がし、中から折り畳まれた便箋を取り出した。
そこには、殿下のものだとすぐに分かる、流麗で力強い筆跡の文字が並んでいた。
『おはよう、俺の愛しいアイ』
最初のその一行を読んだだけで、私の顔はカッと熱くなった。
い、愛しいアイ……!?
心臓が、早鐘のように打ち始める。私は、ごくりと唾を飲み込み、恐る恐る続きを読む。
『昨夜はよく眠れただろうか。
心ない者たちのせいで、君に辛い思いをさせてしまったことを、改めて詫びたい。
朝、君が目覚めた時に、一番に俺のことを思い出してほしくてこれを贈る。
今日も君が好きだ。
昨日よりも、もっと。
レピオド』
手紙を、最後まで読み終えた瞬間。
私の思考は、完全に停止した。
そして、次の瞬間には、頭から湯気が出そうなくらい、顔が真っ赤に染まっているのが自分でも分かった。
な、な、な、な……!
なんなのですか、これは!?
今日も君が好きだ、ですって!?
昨日よりも、もっと!?
あまりにもストレートで、甘すぎる言葉の奔流に、私の脳は処理能力の限界を超えてショートしてしまった。
私は、手紙を胸に抱きしめたまま、ベッドの上で意味もなく足をばたつかせる。
嬉しいとか、恥ずかしいとか、そういう感情を通り越して、もう、どうしていいのか分からない。
殿下は、どうしてしまわれたのだろうか。
昨夜のことで、何か焦っていらっしゃるのかしら。それとも、これが殿下のいつものお姿なの……? いや、そんなはずは……。
私が一人、混乱の極みに達していると、部屋の扉がノックされ、侍女のマーサが入ってきた。
「お嬢様、朝のお支度を……まあ!」
マーサは、ベッドの上で真っ赤になって悶えている私と、私が手にしている手紙、そして枕元の薔薇を見て、ぱあっと顔を輝かせた。
「素敵ですわ、お嬢様! 殿下から、朝のご挨拶ですのね!」
「ま、マーサ!」
「なんてロマンチックなのでしょう! 紫色の薔薇は、お嬢様の瞳の色ではありませんか! 殿下は、お嬢様のことを本当に深く想っていらっしゃるのですね!」
まるで自分のことのように、うっとりと目を輝かせるマーサに、私はさらに恥ずかしくなって、布団の中に潜り込んでしまった。
「もう、見ないで!」
「あらあら、照れてしまわれて。可愛らしい」
くすくすと笑うマーサを、私は布団の中から睨みつける。
けれど、心の中は、もはや嵐が過ぎ去った後のように、ぐちゃぐちゃだった。
殿下は、本当に、私のことが好きなのかもしれない。
いや、かもしれない、ではない。
これだけのことをされて、まだ彼の想いを疑う方が、どうかしている。
昨夜の出来事と、この甘すぎる朝の挨拶によって、「殿下は私のことが好きなのだ」という、今まで否定し続けてきた事実が、まるで杭を打ち込まれるように、私の心に深く、深く、根を下ろし始めていた。
布団の中からそっと顔を出し、もう一度、紫色の薔薇と手紙を見る。
混乱している。恥ずかしくて死んでしまいそうだ。
でも。
胸の奥が、温かい。
ほんの少しだけ、くすぐったいような、幸せな気持ちが湧き上がってくるのを、私はもう、止めることができなかった。
今日一日、一体どんな顔をして殿下にお会いすればいいのだろう。
波乱に満ちた一日の幕開けを予感しながら、私はとりあえず、その美しい薔薇を枯らしてしまわないように、水を取り替えてもらおうと、小さな声でマーサにお願いするのだった。
私は、差し込む朝日の眩しさに、ゆっくりと瞼を開いた。
重い体を起こしながら、昨夜の出来事を思い出す。
汚されたドレス、周りの嘲笑、そして、私を庇うようにして抱き寄せてくれた、殿下の大きな背中。
『君は俺のすべてだ』
『俺は、君がいい』
馬車の中で告げられた、熱のこもった言葉が、耳の奥で何度も再生される。
その言葉を思い出すたびに、顔に熱が集まり、心臓がぎゅっと締め付けられるように痛んだ。
嬉しかった。
彼が、周りの声など気にせず、私だけを選んでくれているという事実が、どれほど私の心を救ってくれたか分からない。
けれど、同時に、まだ素直にその言葉を受け入れられない自分もいる。
本当に、私でいいのだろうか。
彼にあそこまで言わせてしまって、私は、これから一体どんな顔をしてお会いすればいいのだろう。
そんな風に、一人悶々とベッドの上で膝を抱えていた時だった。
ふわり、と甘い香りが鼻を掠めたことに、私は気づいた。
花の香りだ。それも、薔薇の。
くん、と鼻を鳴らして香りの源を探すと、私の視線はベッドサイドテーブルの上で、ぴたりと止まった。
そこには、見慣れないものが置かれていた。
細長いクリスタルの花瓶に生けられた、一輪の紫色の薔薇。
そして、その傍らに、一通の封筒。
「……え?」
思わず、声が漏れた。
昨夜、眠る前には、こんなものは間違いなくなかったはずだ。
その紫色の薔薇は、まるで私の瞳の色をそのまま写し取ったかのように、深く、美しい色合いをしていた。朝露に濡れた花びらが、日の光を浴びてキラキラと輝いている。
一体、誰が?
恐る恐る手を伸ばし、薔薇の隣に置かれていた封筒を手に取った。
上質な羊皮紙で作られたその封筒には、見慣れた、カルミナス王家の紋章が、深紅の蝋で封をされていた。
「殿下から……?」
心臓が、どくん、と大きく跳ねた。
昨夜、屋敷まで送っていただいたばかりなのに。どうして、こんな朝早くに?
緊張で震える指先で、私は慎重に封蝋を剥がし、中から折り畳まれた便箋を取り出した。
そこには、殿下のものだとすぐに分かる、流麗で力強い筆跡の文字が並んでいた。
『おはよう、俺の愛しいアイ』
最初のその一行を読んだだけで、私の顔はカッと熱くなった。
い、愛しいアイ……!?
心臓が、早鐘のように打ち始める。私は、ごくりと唾を飲み込み、恐る恐る続きを読む。
『昨夜はよく眠れただろうか。
心ない者たちのせいで、君に辛い思いをさせてしまったことを、改めて詫びたい。
朝、君が目覚めた時に、一番に俺のことを思い出してほしくてこれを贈る。
今日も君が好きだ。
昨日よりも、もっと。
レピオド』
手紙を、最後まで読み終えた瞬間。
私の思考は、完全に停止した。
そして、次の瞬間には、頭から湯気が出そうなくらい、顔が真っ赤に染まっているのが自分でも分かった。
な、な、な、な……!
なんなのですか、これは!?
今日も君が好きだ、ですって!?
昨日よりも、もっと!?
あまりにもストレートで、甘すぎる言葉の奔流に、私の脳は処理能力の限界を超えてショートしてしまった。
私は、手紙を胸に抱きしめたまま、ベッドの上で意味もなく足をばたつかせる。
嬉しいとか、恥ずかしいとか、そういう感情を通り越して、もう、どうしていいのか分からない。
殿下は、どうしてしまわれたのだろうか。
昨夜のことで、何か焦っていらっしゃるのかしら。それとも、これが殿下のいつものお姿なの……? いや、そんなはずは……。
私が一人、混乱の極みに達していると、部屋の扉がノックされ、侍女のマーサが入ってきた。
「お嬢様、朝のお支度を……まあ!」
マーサは、ベッドの上で真っ赤になって悶えている私と、私が手にしている手紙、そして枕元の薔薇を見て、ぱあっと顔を輝かせた。
「素敵ですわ、お嬢様! 殿下から、朝のご挨拶ですのね!」
「ま、マーサ!」
「なんてロマンチックなのでしょう! 紫色の薔薇は、お嬢様の瞳の色ではありませんか! 殿下は、お嬢様のことを本当に深く想っていらっしゃるのですね!」
まるで自分のことのように、うっとりと目を輝かせるマーサに、私はさらに恥ずかしくなって、布団の中に潜り込んでしまった。
「もう、見ないで!」
「あらあら、照れてしまわれて。可愛らしい」
くすくすと笑うマーサを、私は布団の中から睨みつける。
けれど、心の中は、もはや嵐が過ぎ去った後のように、ぐちゃぐちゃだった。
殿下は、本当に、私のことが好きなのかもしれない。
いや、かもしれない、ではない。
これだけのことをされて、まだ彼の想いを疑う方が、どうかしている。
昨夜の出来事と、この甘すぎる朝の挨拶によって、「殿下は私のことが好きなのだ」という、今まで否定し続けてきた事実が、まるで杭を打ち込まれるように、私の心に深く、深く、根を下ろし始めていた。
布団の中からそっと顔を出し、もう一度、紫色の薔薇と手紙を見る。
混乱している。恥ずかしくて死んでしまいそうだ。
でも。
胸の奥が、温かい。
ほんの少しだけ、くすぐったいような、幸せな気持ちが湧き上がってくるのを、私はもう、止めることができなかった。
今日一日、一体どんな顔をして殿下にお会いすればいいのだろう。
波乱に満ちた一日の幕開けを予感しながら、私はとりあえず、その美しい薔薇を枯らしてしまわないように、水を取り替えてもらおうと、小さな声でマーサにお願いするのだった。
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