私が嫌いなら婚約破棄したらどうなんですか?

きららののん

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王宮の大広間は、夏の夜の舞踏会に相応しく、きらびやかな光と、楽しげな音楽、そして着飾った人々の熱気に満ちていた。

「アイ、とても綺麗だ」

私のエスコートをしてくれているレピオド殿下が、耳元で甘く囁く。

今夜、私が身にまとっているのは、あの日、殿下が贈ってくださった、夜空の星屑を散りばめたような、あの瑠璃色のドレスだった。

もう、私には、このドレスを着ることを躊躇う理由は、何もなかったから。

「殿下こそ、とても素敵ですわ」

私がそう言って微笑み返すと、殿下は満足そうに目を細めた。

会場に入ると、国王陛下と王妃陛下が、私たちに気づいて優しく微笑んでくださる。

周りの貴族たちからの視線も、以前とは明らかに違っていた。そこにはもう、侮蔑や好奇の色はない。ただ、未来の王太子妃に対する、純粋な敬意と、少しばかりの羨望があるだけだ。

もう、何も怖くない。

殿下が隣にいてくださる。ただそれだけで、私は世界で一番、強くなれる気がした。

会場の隅に、ショコラ・トルテ侯爵令嬢の姿が見えた。

彼女は、いつも通り、取り巻きたちに囲まれて、扇を優雅に揺らしている。けれど、その表情には、どこか焦りの色が浮かんでいるように見えた。私と殿下が、仲睦まじく談笑しているのを見て、苛立たしげに扇を握りしめている。

きっと、彼女の仕掛けた噂が、私たちの仲を引き裂くどころか、むしろ固く結びつけていることに、焦りを感じているのだろう。

その姿を見ても、私の心は、もう何も揺れ動かなかった。

舞踏会が中盤に差し掛かり、ワルツの音楽が優雅に流れ終わった、その時だった。

楽団の演奏が、ぴたり、と止んだ。

そして、国王陛下の隣に立っていたレピオド殿下が、一歩前に進み出た。

「皆、少しだけ耳を貸してほしい」

その、よく通る、威厳に満ちた声に、会場中の視線が、一斉に彼へと注がれる。

ざわついていた大広間が、水を打ったように静まり返った。

私も、一体何が始まるのだろう、と、少しだけ緊張しながら、壇上の彼を見つめる。

殿下は、私の視線に気づくと、そっと、大丈夫だとでも言うように、優しい眼差しを送ってくれた。

そして、彼は、会場のすべての人間に向かって、はっきりと告げた。

「ご存じの者もいると思うが、最近、私の婚約者である、アイ・ス・クリーム嬢に関して、実に不愉快で、根も葉もない噂が流れていた」

その言葉に、会場が、大きくどよめいた。

殿下は、構うことなく続ける。

「曰く、彼女は、私という婚約者がいながら、ティー子爵家の令息、バジル・ティー殿と密会を重ねている、と。実に、馬鹿げた話だ」

壇上のショコラ様の顔が、一瞬、勝ち誇ったような色に染まったのを、私は見逃さなかった。

いよいよ、計画の最終段階だ、とでも思っているのだろう。

だが、彼女のその浅はかな期待は、次の殿下の言葉で、無残にも打ち砕かれることになる。

「そして、本日。この噂が、全くの虚偽であり、ある者の悪意によって、意図的に捏造されたものであるという、動かぬ証拠が、すべて揃った」

殿下のその宣言に、今度は、会場中から驚愕の声が上がった。

ショコラ様の顔から、さっと血の気が引いていく。

殿下が合図をすると、ギルバート様が、数枚の羊皮紙を手に、前に進み出た。

そして、その内容を、感情のこもらない、淡々とした声で、読み上げ始めた。

「第一に、噂の流布に加担した三名の男爵令嬢の証言。三名ともに、トルテ侯爵家の家令を通じ、ショコラ・トルテ嬢より多額の金銭を受け取り、偽りの噂を広めるよう指示されたと自白しております」

「第二に、複数の有力貴族の元へ送りつけられた、密会の証拠とされるスケッチ。これを描いた画家も、同様に、ショコラ嬢からの依頼であったと証言。また、このスケッチは、二人が挨拶を交わしただけの光景を、悪意ある構図で描いた、完全な捏造であることも、判明しております」

「第三に、当事者であるバジル・ティー様、および、その妹君であるカモミール・ティー様の証言。アイ様とバジル様が、二人きりで親密に話した事実は一切なく、噂は完全な事実無根である、と」

次々と、冷徹な事実が、白日の下に晒されていく。

ギルバート様が証拠を読み上げるたびに、ショコラ様の顔は、青から白へと、みるみるうちに色を失っていった。

「そ、そんな……う、嘘よ……! でっち上げだわ……!」

彼女の震える声は、誰の耳にも届かない。

すべての証拠が読み上げられた後、壇上のレピオド殿下は、氷のように冷たい視線を、真っ直ぐに、ショコラ様に向けた。

「ショコラ・トルテ侯爵令嬢」

その声には、もはや、一片の優しさも、慈悲もなかった。

「何か、弁明はあるかな?」

「わ、わたくしは……! 知らない! 何も知らないわ! あの女が、私を陥れようとしているのよ!」

見苦しい言い訳を叫ぶ彼女の隣で、父親であるトルテ侯爵が、娘を庇おうと一歩前に出る。

「お待ちください、殿下! これは、何かの間違いです! 私の娘が、そのような大それたことをするはずが……!」

だが、殿下は、その言葉を、冷たく一蹴した。

「黙れ。お前の罪も、すべて暴かれている」

殿下は、ギルバート様からもう一枚の羊皮紙を受け取ると、高らかに言い放った。

「トルテ侯爵、貴様が、長年にわたり、その地位を利用して不正な蓄財を繰り返し、政敵を失脚させてきた証拠も、すべてここにある!」

その言葉は、トルテ侯爵家にとって、完全な死の宣告だった。

もはや、誰も、何も言うことはできない。

最後に、国王陛下が、荘厳な玉座から、静かに立ち上がった。

そして、厳かな声で、裁きを、下した。

「勅命を下す。トルテ侯爵家は、本日をもって、その爵位を剥奪。全財産を没収の上、王家への反逆罪と見なす。首謀者であるショコラ・トルテは、その罪の重さに鑑み、北の修道院へ終身幽閉とする!」

その、あまりにも重い判決に、ショコラ様は、「いや……いやぁぁぁっ!」と、狂ったような悲鳴を上げた。

そして、その場に、糸が切れた人形のように、崩れ落ちる。

すぐに、屈強な衛兵たちが現れ、泣き叫び、暴れる彼女を、容赦なく両脇から抱え上げて、引きずっていく。

私は、目の前で繰り広げられた、あまりにも劇的な断罪の光景に、ただ、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。

すべてが、終わった。

騒然としていた大広間が、静けさを取り戻した後。

レピオド殿下は、壇上から降りてくると、まっすぐに、私の元へと歩み寄ってきてくれた。

そして、私の手を優しく取ると、こう、微笑んだのだ。

「アイ。これで、君の美しい笑顔を曇らせるものは、もう、何もなくなった」

その、どこまでも優しい笑顔。

私のために、ここまでしてくださった、彼の深い、深い愛情。

私は、その温かい手の中で、ただ、こくりと、何度も、頷き返したのだった。
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