王太子とさようならしたら空気が美味しくなりました

きららののん

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「リリエル、今夜はクロイツ村の祭りだ。炉も早仕舞いになるから、着替えて出ようぜ」

 

鍛冶場で鎚を下ろしたテオが、煤混じりの笑顔で告げた。夕陽に染まった肩から火花の匂いがふわりと立ち上る。

 

リリエルは革手袋を外し、わずかに首を傾げる。

 

「祭りといっても、山羊と踊る田舎の余興でしょう?」

 

「山羊は飾りだ。主役は食い物と音楽さ。客が増えりゃ鍛冶屋の注文も増える」

 

「つまり営業活動ですのね」

 

「ついでに嬢ちゃんを外に連れ出したいってのもある」

 

頬を赤くするテオに、クラリスが背後から手を振る。

 

「お嬢様、ここは素直に楽しまれては? あの方々が貴族のドレスを見たら腰を抜かしますわ」

 

「では抜かさせて差し上げたいけれど、持参した礼装は薄汚れてしまったもの」

 

テオが目を輝かせ、作業台に転がる鉄屑を指差した。

 

「なら、即席で飾りを打ってやる。金や銀じゃなくても、鉄は月光を映すぜ」

 

 

吹子を再び踏み、炉を赤く起こす。リリエルは水桶の縁に腰掛け、火花のリズムを聞く。

 

「髪飾りよりドレスの方が問題ですわ」

 

「ドレスは布で作るしかねえ。クラリス、家に古シーツがあるだろ?」

 

「ええ、漂白前の粗布ですが……」

 

「漂白は灰汁で何とかなる。柄はリリエルが好きに描け」

 

リリエルは目を丸くした。

 

「粗布に絵付け? 王都の染工でも即日仕上げは難しいわ」

 

「祭りの灯は暗い。失敗しても味になるさ」

 

 

日暮れまでの三刻、鍛冶屋が染工房に早変わりした。鍋で灰汁を煮立て、布を浸し、リリエルが炉の煤を絵筆代わりに布へ走らせる。描くのは炎と羽根を組み合わせた即興の紋章。煤の灰色が乾く頃、テオは鉄屑を薄く打ち延ばし、小さな銀色の羽根を作り上げた。

 

「出来た。これは燐鉄ってやつで、磨けば鏡みたいに光る」

 

「羽根を炎に抱かせる意匠……私の家紋を燻らせたみたいね」

 

「侯爵家の威光より、今の嬢ちゃんに合ってる」

 

テオが飾りをリリエルのこめかみに差し込むと、煤の黒と鉄の白が髪に映えた。クラリスが拍手を打つ。

 

「お二人とも見事ですわ! さ、着替えを」

 

 

粗布の即席ドレスは軽く、風で揺れるたびに絵付けが躍った。胸元の紐を結びながらリリエルが小さく息を呑む。

 

「思ったより――」

 

「綺麗だろ?」

 

「いえ、似合っていて悔しいくらい」

 

テオは照れ隠しに鎚を肩へ担ぎ、鍛冶場の戸を押し開けた。

 

 

夜の村は提灯で彩られていた。白木の屋台から炙り肉の香り、木琴や笛の即興楽団が陽気に鳴り、子どもたちが麦藁の冠をかぶって駆け回る。

 

「王都の舞踏会とは別世界ですわね」

 

「あっちは足を踏んだら謝罪と賠償、こっちは踏まれたら踊りの輪が広がる」

 

「踏まれ慣れていませんことよ」

 

笑い合う二人に、屋台の主人が声を掛けた。

 

「お嬢さん、初めて見る顔だ。串肉はどうだ?」

 

「値は?」

 

「二銅貨」

 

「一本なら一銅貨にしてくださらない?」

 

「あいよ、祭りだしな!」

 

やり取りの早さにテオが目を丸くする。

 

「今日は値切らない約束だったろ?」

 

「笑顔で値下げを引き出すのも祭りの嗜みですわ」

 

 

串肉を頬張りながら、リリエルは屋台の列を抜けて舞台前へ進む。村長が太鼓を打ち、年寄りが踊りの輪を広げていた。

 

「踊れるか?」

 

「宮廷舞踏なら少々」

 

「ここじゃ型より勢いだ。手を」

 

テオが片手を差し出す。鍛冶で鍛えた指は硬いが温かい。リリエルは銀の匙を帯から外し、クラリスに預けて手を取った。

 

音頭が変わり、笛が高く跳ねる。村びとが笑いながら手を打ち、炎と煤の紋様が夜風の中で揺れた。

 

リリエルは足を踏み出すたびに、布がひるがえり羽根飾りが月光を跳ね返す。この小さな輪の中で、自分が「悪役令嬢」でも「侯爵の娘」でもなく、ただのリリエルであることに気づく。

 

「どうだ、山羊より退屈じゃないだろ?」

 

「山羊に謝りなさい。こんなに心が跳ねるのは初めてですわ」

 

テオが低く笑い、曲が最高潮に達した。太鼓が鳴り止み、最後の笛の音が夜空に溶けると、踊り手たちは一斉に手を挙げて歓声を上げた。

 

 

息を切らすリリエルの前に、村長が歩み寄る。

 

「お嬢さん、その絵付けは自分で? 見事じゃ」

 

「即席の落書きですわ。ご笑覧くださいませ」

 

「祭りは即席だから面白い。来年は屋台で絵付けを披露してはどうかね」

 

「来年?」

 

リリエルは視線をテオに送る。彼は肩を竦め、夜空を仰いだ。

 

「来年の話をするなら、俺はもっと腕を上げないとな」

 

「私も絵筆より価格交渉が板に付くかもしれません」

 

「そしたら店を出そう。鉄と絵の店だ」

 

「火と墨の匂いが混じりますわね」

 

「それも悪くない」

 

 

提灯の灯が揺れ、二人の影が並ぶ。リリエルは胸の奥で小さく呟いた――幸せは買うものだと云った自分が、今は鍛えて作るつもりでいる。

 

月光が羽根飾りを白く照らし、銀より柔らかな光がリリエルの頬を染めた。
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