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「おい聞いたか、王国の“毒薔薇令嬢”が辺境で鉄を打ってるってよ」
帝都へ向かう街道の宿で、行商人が湯気立つスープを啜りながら仲間に囁いた。
「毒薔薇? 追放された侯爵令嬢だろ。鉄なんぞ触れぬ貴婦人だったはずだが」
「だから面白れえんだ。己の噂を鉄鎚で叩き潰してるってな」
同じ頃、クロイツ村では祭りの余韻が朝霧とともに消えつつあった。鍛冶場の戸を開けると、リリエルが炉の前で銀の匙を磨いている。
「祭りで煤が付いたままでは折角の光が霞みますわ」
テオは鎚を持ったまま小首を傾げた。
「磨くより使えって親方が言うぞ」
「使うために磨くのです。潰えた噂と同じように」
そこへ荷馬車が止まり、見慣れぬ商人が息を弾ませて降り立った。
「失礼、こちらに王国から追放された――いや名は控えよう。鍛冶屋で働く令嬢が居るとか」
リリエルは匙を収め、前掛けの裾を払った。
「お目当ては私でしょうか。追放も令嬢も事実に過ぎませんわ」
商人の目が丸くなる。
「本当に鎚を振っているとは。帝都の酒場で賭けになってましてね、噂の真偽を見届ける者には酒一樽という話で」
テオが肩を揺らし笑う。
「わざわざ賭場の使いかよ」
「賭場といえど金貨は金貨です。尻尾を掴まれた噂より硬い」
「じゃあ証明してやる。嬢ちゃん、鎚を握れ」
リリエルは躊躇なく革手袋をはめた。昨日の踊りで赤くなった掌がまだ熱を帯びている。
炉から取り出した赤鉄を金床に置き、テオが一打。鈍い音が鍛冶場に響き渡る。
「次はお前だ」
鎚を受け取ったリリエルは深呼吸し、腕を振り下ろす。
「――」
火花が弧を描き、商人は思わず後ろへ跳ねた。音は王都の鐘より低いが、芯を食った重さがあった。
「見たか。悪役令嬢の鎚だ」
「否定する材料がございませんわね」
商人は頬を引きつらせつつも感嘆の拍手を送る。
「賭けは私の負けです。どうせなら鍛えた刃物を帝都で売らせて頂けますか?」
「商売の話なら座ってから」
リリエルが湯を差し出し、即席の商談が始まる。テオは黙って鍛造を続けながら、彼女が値をつり上げる様を横目で面白がった。
昼頃、親方ユルゲンが帰ってくる。手には町役場の封筒。
「おい、王国から正式な公文書が届いたぞ。『ヴァレンシュタイン令嬢の身元照会を要す』だと」
鍛冶場の空気が歪む。テオが鎚を止め、リリエルは静かに封筒を受け取った。
「開けます」
蝋を割る。中には簡素な文面と同時に旅券の写し――差出人は王城の執務室、署名はオスカー・エルンスト。最後に赤い印で『王太子殿下の命により、速やかな回答を乞う』。
「レオンハルト殿下が?」
声が震えたのは驚きでなく、軽い怒りだった。親方が鼻を鳴らす。
「今さらどの面下げて」
「殿下が自らではなく、側近を使うあたりが貴族ですわね」
テオが額の汗を拭く。
「答える意味はあるか?」
「無視しても追手は来るでしょう。なら情報はこちらで制御します」
リリエルは帳面を開き、簡潔な返信をしたためた。
『身柄は帝国法に基づき自由である。鍛冶屋見習いとして穏当な生活と職を得ており、犯罪の意思なし。ご心配に感謝する』
筆を置き、封をし、商人に託した。
「帝都へ戻るついでにこの書状を投函して。報酬は先の商談に上乗せで」
「は、はあ。王宮宛てとは荷が重いが……」
「銀貨十枚」
「喜んで!」
商人が荷車を揺らし去る。クラリスが肩を落とした。
「お嬢様、殿下が直々にお越しになれば?」
「会わなければ良いのです。会えば過去の私が現れる」
「それでも殿下の心変わりは気になります」
「変わるのは殿下の自由。でも私の今は私のもの」
その夜、鍛冶場の裏庭でテオが小さな包みを差し出した。
「これ、お前宛に帝都で買った。噂の手土産ってやつだ」
中には薄い真鍮板が数枚。光の角度で赤金色を帯びる細工用素材だ。
「真鍮は錆びにくく、磨けば金より温かい。いつか店を出す日に使え」
リリエルは板を月光にかざし、うっすらと自分の顔を映した。王都で見た鏡より笑っている。
「ありがとう。噂の人形ではなく、ここで生きる私を見て贈ってくれたのね」
「噂なんざ炉にくべりゃ灰だ。お前の手で新しい鎚跡を付けりゃいい」
「付けるわ。王太子殿下が読めぬ紋様を」
月が雲間に現れ、炉は静かに呼吸する。遠い王都でも同じ月が照るはずだが、そこに映るリリエルはもういない。
噂は帝国を駆けても、真実はこの鍛冶場で熱く鍛えられ、やがて刃となって王都へ届くだろう――彼女はそう信じて、真鍮板を胸に抱いた。
帝都へ向かう街道の宿で、行商人が湯気立つスープを啜りながら仲間に囁いた。
「毒薔薇? 追放された侯爵令嬢だろ。鉄なんぞ触れぬ貴婦人だったはずだが」
「だから面白れえんだ。己の噂を鉄鎚で叩き潰してるってな」
同じ頃、クロイツ村では祭りの余韻が朝霧とともに消えつつあった。鍛冶場の戸を開けると、リリエルが炉の前で銀の匙を磨いている。
「祭りで煤が付いたままでは折角の光が霞みますわ」
テオは鎚を持ったまま小首を傾げた。
「磨くより使えって親方が言うぞ」
「使うために磨くのです。潰えた噂と同じように」
そこへ荷馬車が止まり、見慣れぬ商人が息を弾ませて降り立った。
「失礼、こちらに王国から追放された――いや名は控えよう。鍛冶屋で働く令嬢が居るとか」
リリエルは匙を収め、前掛けの裾を払った。
「お目当ては私でしょうか。追放も令嬢も事実に過ぎませんわ」
商人の目が丸くなる。
「本当に鎚を振っているとは。帝都の酒場で賭けになってましてね、噂の真偽を見届ける者には酒一樽という話で」
テオが肩を揺らし笑う。
「わざわざ賭場の使いかよ」
「賭場といえど金貨は金貨です。尻尾を掴まれた噂より硬い」
「じゃあ証明してやる。嬢ちゃん、鎚を握れ」
リリエルは躊躇なく革手袋をはめた。昨日の踊りで赤くなった掌がまだ熱を帯びている。
炉から取り出した赤鉄を金床に置き、テオが一打。鈍い音が鍛冶場に響き渡る。
「次はお前だ」
鎚を受け取ったリリエルは深呼吸し、腕を振り下ろす。
「――」
火花が弧を描き、商人は思わず後ろへ跳ねた。音は王都の鐘より低いが、芯を食った重さがあった。
「見たか。悪役令嬢の鎚だ」
「否定する材料がございませんわね」
商人は頬を引きつらせつつも感嘆の拍手を送る。
「賭けは私の負けです。どうせなら鍛えた刃物を帝都で売らせて頂けますか?」
「商売の話なら座ってから」
リリエルが湯を差し出し、即席の商談が始まる。テオは黙って鍛造を続けながら、彼女が値をつり上げる様を横目で面白がった。
昼頃、親方ユルゲンが帰ってくる。手には町役場の封筒。
「おい、王国から正式な公文書が届いたぞ。『ヴァレンシュタイン令嬢の身元照会を要す』だと」
鍛冶場の空気が歪む。テオが鎚を止め、リリエルは静かに封筒を受け取った。
「開けます」
蝋を割る。中には簡素な文面と同時に旅券の写し――差出人は王城の執務室、署名はオスカー・エルンスト。最後に赤い印で『王太子殿下の命により、速やかな回答を乞う』。
「レオンハルト殿下が?」
声が震えたのは驚きでなく、軽い怒りだった。親方が鼻を鳴らす。
「今さらどの面下げて」
「殿下が自らではなく、側近を使うあたりが貴族ですわね」
テオが額の汗を拭く。
「答える意味はあるか?」
「無視しても追手は来るでしょう。なら情報はこちらで制御します」
リリエルは帳面を開き、簡潔な返信をしたためた。
『身柄は帝国法に基づき自由である。鍛冶屋見習いとして穏当な生活と職を得ており、犯罪の意思なし。ご心配に感謝する』
筆を置き、封をし、商人に託した。
「帝都へ戻るついでにこの書状を投函して。報酬は先の商談に上乗せで」
「は、はあ。王宮宛てとは荷が重いが……」
「銀貨十枚」
「喜んで!」
商人が荷車を揺らし去る。クラリスが肩を落とした。
「お嬢様、殿下が直々にお越しになれば?」
「会わなければ良いのです。会えば過去の私が現れる」
「それでも殿下の心変わりは気になります」
「変わるのは殿下の自由。でも私の今は私のもの」
その夜、鍛冶場の裏庭でテオが小さな包みを差し出した。
「これ、お前宛に帝都で買った。噂の手土産ってやつだ」
中には薄い真鍮板が数枚。光の角度で赤金色を帯びる細工用素材だ。
「真鍮は錆びにくく、磨けば金より温かい。いつか店を出す日に使え」
リリエルは板を月光にかざし、うっすらと自分の顔を映した。王都で見た鏡より笑っている。
「ありがとう。噂の人形ではなく、ここで生きる私を見て贈ってくれたのね」
「噂なんざ炉にくべりゃ灰だ。お前の手で新しい鎚跡を付けりゃいい」
「付けるわ。王太子殿下が読めぬ紋様を」
月が雲間に現れ、炉は静かに呼吸する。遠い王都でも同じ月が照るはずだが、そこに映るリリエルはもういない。
噂は帝国を駆けても、真実はこの鍛冶場で熱く鍛えられ、やがて刃となって王都へ届くだろう――彼女はそう信じて、真鍮板を胸に抱いた。
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