王太子とさようならしたら空気が美味しくなりました

きららののん

文字の大きさ
8 / 20

8

しおりを挟む
「おい聞いたか、王国の“毒薔薇令嬢”が辺境で鉄を打ってるってよ」

 

帝都へ向かう街道の宿で、行商人が湯気立つスープを啜りながら仲間に囁いた。

 

「毒薔薇? 追放された侯爵令嬢だろ。鉄なんぞ触れぬ貴婦人だったはずだが」

 

「だから面白れえんだ。己の噂を鉄鎚で叩き潰してるってな」

 

 

同じ頃、クロイツ村では祭りの余韻が朝霧とともに消えつつあった。鍛冶場の戸を開けると、リリエルが炉の前で銀の匙を磨いている。

 

「祭りで煤が付いたままでは折角の光が霞みますわ」

 

テオは鎚を持ったまま小首を傾げた。

 

「磨くより使えって親方が言うぞ」

 

「使うために磨くのです。潰えた噂と同じように」

 

 

そこへ荷馬車が止まり、見慣れぬ商人が息を弾ませて降り立った。

 

「失礼、こちらに王国から追放された――いや名は控えよう。鍛冶屋で働く令嬢が居るとか」

 

リリエルは匙を収め、前掛けの裾を払った。

 

「お目当ては私でしょうか。追放も令嬢も事実に過ぎませんわ」

 

商人の目が丸くなる。

 

「本当に鎚を振っているとは。帝都の酒場で賭けになってましてね、噂の真偽を見届ける者には酒一樽という話で」

 

テオが肩を揺らし笑う。

 

「わざわざ賭場の使いかよ」

 

「賭場といえど金貨は金貨です。尻尾を掴まれた噂より硬い」

 

「じゃあ証明してやる。嬢ちゃん、鎚を握れ」

 

リリエルは躊躇なく革手袋をはめた。昨日の踊りで赤くなった掌がまだ熱を帯びている。

 

 

炉から取り出した赤鉄を金床に置き、テオが一打。鈍い音が鍛冶場に響き渡る。

 

「次はお前だ」

 

鎚を受け取ったリリエルは深呼吸し、腕を振り下ろす。

 

 

「――」

 

火花が弧を描き、商人は思わず後ろへ跳ねた。音は王都の鐘より低いが、芯を食った重さがあった。

 

「見たか。悪役令嬢の鎚だ」

 

「否定する材料がございませんわね」

 

商人は頬を引きつらせつつも感嘆の拍手を送る。

 

「賭けは私の負けです。どうせなら鍛えた刃物を帝都で売らせて頂けますか?」

 

「商売の話なら座ってから」

 

リリエルが湯を差し出し、即席の商談が始まる。テオは黙って鍛造を続けながら、彼女が値をつり上げる様を横目で面白がった。

 

 

昼頃、親方ユルゲンが帰ってくる。手には町役場の封筒。

 

「おい、王国から正式な公文書が届いたぞ。『ヴァレンシュタイン令嬢の身元照会を要す』だと」

 

鍛冶場の空気が歪む。テオが鎚を止め、リリエルは静かに封筒を受け取った。

 

「開けます」

 

蝋を割る。中には簡素な文面と同時に旅券の写し――差出人は王城の執務室、署名はオスカー・エルンスト。最後に赤い印で『王太子殿下の命により、速やかな回答を乞う』。

 

「レオンハルト殿下が?」

 

声が震えたのは驚きでなく、軽い怒りだった。親方が鼻を鳴らす。

 

「今さらどの面下げて」

 

「殿下が自らではなく、側近を使うあたりが貴族ですわね」

 

テオが額の汗を拭く。

 

「答える意味はあるか?」

 

「無視しても追手は来るでしょう。なら情報はこちらで制御します」

 

 

リリエルは帳面を開き、簡潔な返信をしたためた。

 

『身柄は帝国法に基づき自由である。鍛冶屋見習いとして穏当な生活と職を得ており、犯罪の意思なし。ご心配に感謝する』

 

筆を置き、封をし、商人に託した。

 

「帝都へ戻るついでにこの書状を投函して。報酬は先の商談に上乗せで」

 

「は、はあ。王宮宛てとは荷が重いが……」

 

「銀貨十枚」

 

「喜んで!」

 

商人が荷車を揺らし去る。クラリスが肩を落とした。

 

「お嬢様、殿下が直々にお越しになれば?」

 

「会わなければ良いのです。会えば過去の私が現れる」

 

「それでも殿下の心変わりは気になります」

 

「変わるのは殿下の自由。でも私の今は私のもの」

 

 

その夜、鍛冶場の裏庭でテオが小さな包みを差し出した。

 

「これ、お前宛に帝都で買った。噂の手土産ってやつだ」

 

中には薄い真鍮板が数枚。光の角度で赤金色を帯びる細工用素材だ。

 

「真鍮は錆びにくく、磨けば金より温かい。いつか店を出す日に使え」

 

リリエルは板を月光にかざし、うっすらと自分の顔を映した。王都で見た鏡より笑っている。

 

「ありがとう。噂の人形ではなく、ここで生きる私を見て贈ってくれたのね」

 

「噂なんざ炉にくべりゃ灰だ。お前の手で新しい鎚跡を付けりゃいい」

 

「付けるわ。王太子殿下が読めぬ紋様を」

 

 

月が雲間に現れ、炉は静かに呼吸する。遠い王都でも同じ月が照るはずだが、そこに映るリリエルはもういない。

 

噂は帝国を駆けても、真実はこの鍛冶場で熱く鍛えられ、やがて刃となって王都へ届くだろう――彼女はそう信じて、真鍮板を胸に抱いた。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

[完結]婚約破棄してください。そして私にもう関わらないで

みちこ
恋愛
妹ばかり溺愛する両親、妹は思い通りにならないと泣いて私の事を責める 婚約者も妹の味方、そんな私の味方になってくれる人はお兄様と伯父さんと伯母さんとお祖父様とお祖母様 私を愛してくれる人の為にももう自由になります

白い結婚の末、離婚を選んだ公爵夫人は二度と戻らない』

鍛高譚
恋愛
白い結婚の末、「白い結婚」の末、私は冷遇され、夫は愛人を溺愛していた――ならば、もう要らないわ」 公爵令嬢 ジェニファー・ランカスター は、王弟 エドワード・クラレンス公爵 のもとへ政略結婚として嫁ぐ。 だが、その結婚生活は冷たく空虚なものだった。夫は愛人 ローザ・フィッツジェラルド に夢中になり、公爵夫人であるジェニファーは侮辱され、無視され続ける日々。 ――それでも、貴族の娘は耐えなければならないの? 何の愛もなく、ただ飾り物として扱われる結婚に見切りをつけたジェニファーは 「離婚」 を決意する。 しかし、王弟であるエドワードとの離婚は容易ではない。実家のランカスター家は猛反対し、王宮の重臣たちも彼女の決断を 「公爵家の恥」 と揶揄する。 それでも、ジェニファーは負けない。弁護士と協力し、着々と準備を進めていく。 そんな折、彼女は北方の大国 ヴォルフ公国の大公、アレクサンダー・ヴォルフ と出会う。 温かく誠実な彼との交流を通じて、ジェニファーは 「本当に大切にされること」 を知る。 そして、彼女の決断は、王都の社交界に大きな波紋を呼ぶこととなる――。 「公爵夫人を手放したことを、いつか後悔しても遅いわ」 「私はもう、あなたたちの飾り人形じゃない」 離婚を巡る策略、愛人の凋落、元夫の後悔――。 そして、新たな地で手にした 「愛される結婚」。

【完結】私を捨てた皆様、どうぞその選択を後悔なさってください 〜婚約破棄された令嬢の、遅すぎる謝罪はお断りです〜

くろねこ
恋愛
王太子の婚約者として尽くしてきた公爵令嬢エリシアは、ある日突然、身に覚えのない罪で断罪され婚約破棄を言い渡される。 味方だと思っていた家族も友人も、誰一人として彼女を庇わなかった。 ――けれど、彼らは知らなかった。 彼女こそが国を支えていた“本当の功労者”だったことを。 すべてを失ったはずの令嬢が選んだのは、 復讐ではなく「関わらない」という選択。 だがその選択こそが、彼らにとって最も残酷な“ざまぁ”の始まりだった。

いなくなれと言った本当に私がいなくなって今どんなお気持ちですか、元旦那様?

睡蓮
恋愛
「お前を捨てたところで、お前よりも上の女性と僕はいつでも婚約できる」そう豪語するカサルはその自信のままにセレスティンとの婚約関係を破棄し、彼女に対する当てつけのように位の高い貴族令嬢との婚約を狙いにかかる。…しかし、その行動はかえってカサルの存在価値を大きく落とし、セレスティンから鼻で笑われる結末に向かっていくこととなるのだった…。

あなたは婚約者よりも幼馴染を愛するのですね?

睡蓮
恋愛
ノラン侯爵はエリステルとの婚約を築いておきながら、自信が溺愛する幼馴染であるユリアとの時間を優先していた。ある日、ノランはユリアと共謀する形でエリステルに対して嫌がらせを行い、婚約破棄をさせる流れを作り上げる。しかしその思惑は外れ、エリステルはそのまま侯爵の前から姿を消してしまう。…婚約者を失踪させたということで、侯爵を見る周りの目は非常に厳しいものになっていき、最後には自分の行動の全てを後悔することになるのだった…。

なにをおっしゃいますやら

基本二度寝
恋愛
本日、五年通った学び舎を卒業する。 エリクシア侯爵令嬢は、己をエスコートする男を見上げた。 微笑んで見せれば、男は目線を逸らす。 エブリシアは苦笑した。 今日までなのだから。 今日、エブリシアは婚約解消する事が決まっているのだから。

幼馴染を溺愛する旦那様の前からは、もう消えてあげることにします

睡蓮
恋愛
「旦那様、もう幼馴染だけを愛されればいいじゃありませんか。私はいらない存在らしいので、静かにいなくなってあげます」

婚約破棄の代償

nanahi
恋愛
「あの子を放って置けないんだ。ごめん。婚約はなかったことにしてほしい」 ある日突然、侯爵令嬢エバンジェリンは婚約者アダムスに一方的に婚約破棄される。破局に追い込んだのは婚約者の幼馴染メアリという平民の儚げな娘だった。 エバンジェリンを差し置いてアダムスとメアリはひと時の幸せに酔うが、婚約破棄の代償は想像以上に大きかった。

処理中です...