王太子とさようならしたら空気が美味しくなりました

きららののん

文字の大きさ
16 / 20

16

しおりを挟む
「開門は午前六刻。荷車が詰まる前に着ければ、通行税を半分に抑えられる」

 

朝霧の街道で、リリエルが地図を折り畳みながら声を張った。銀の匙は帯の奥へ隠し、代わりに粗布の手甲を締める。

 

「計算ばかりしていた貴族が、今は税金にうるさいな」

 

テオが笑い、御者台で手綱を揺らす。大炉の資材契約を結ぶため、二人は帝都へ向かっていた。荷台には試作品の刃と羽根細工、それに村人の土産の胡椒パンが積まれている。

 

 

帝都の城門は巨大な鉄格子が上下に開閉し、朝日で鈍く光っていた。門番が長槍を横たえ、通行証を求める。

 

「クロイツ鍛冶合同工房、資材見本持参で参上ですわ」

 

リリエルが堂々と答えると、後列の商人が驚いた顔を向けた。

 

「お嬢さん、その口ぶり…まさか“毒薔薇”の令嬢?」

 

「違います。胡椒薔薇ですの」

 

茶化した一言に周囲が噴き出し、門番も笑って槍をどけた。通行税は“地元貢献割”で確かに半額となり、荷車は石畳に滑り込む。

 

 

最初の目的地は商人ギルド本部。白大理石の外壁に銅板の扉が付き、内部は香料と書類の混ざる重い匂い。受付には深緑の制服を着た若い係員が待つ。

 

「合同工房? 登記簿には存在しませんが」

 

「今朝付で仮登録申請を提出済みよ。書記局で確認を」

 

リリエルが写本番号を示すと、係員は目を丸くして奥へ走る。テオが小声で囁く。

 

「書記局への袖の下、いつ払ったんだ?」

 

「袖の中身は胡椒パン一点。甘じょっぱさは金貨より強いの」

 

「腹を掴む交渉術か」

 

二人のやり取りを耳にした袴姿の老人が近寄った。金細工の眼鏡に鋭い光が揺れる。

 

「君たちが羽根紋の鍛冶か。私はギルド副長マリウス。早速だが帝都軍需局が君らの鉄骨留め具に興味を示している」

 

「留め具はあくまで大炉用試作品です。量産には資材優先枠が必要ですわ」

 

リリエルの即答に、副長は眉を上げる。

 

「要求が早い。しかし筋は通っている。試作性能を実演で示せるかね」

 

「鍛冶場が要ります」

 

「中央試験炉を貸そう。午後一刻に来たまえ」

 

交渉が成立し、仮登録も即時承認。署名を交わしながら副長が感心したように呟く。

 

「噂ほど尖ってはいないな」

 

「尖りは刀身だけで充分ですわ」

 

 

昼下がり、中央試験炉は観覧席付きの半屋外施設だった。商工省の技官、兵装局の査定官、さらに好奇心旺盛な徒弟たちが列をなし、リリエルは緊張の汗を拭う。

 

「深呼吸しろ。火吹き役はここにいる」

 

テオが炉に炭を投じ、鞴を踏む。白い炎が立ち上がり、金床が応えるように震えた。

 

「一打、温度保持」

 

リリエルが合図し、鎚〈燈〉が赤鉄へ落ちる。火花が円を描き、観衆が息を呑んだ。

 

二打、三打。鉄骨留め具は僅かな歪みも許されない繊細な形状だが、彼女の鎚は安定して正確だった。仕上げに羽根紋の刻印を押すと、技官が駆け寄り硬度計を当てる。

 

「規格値を十分に上回る! この寸法で量産可能か?」

 

「大炉が完成すれば日に百個は」

 

「資材優先枠を付与します。軍需局にも推薦しましょう」

 

副長が手を叩き、観衆が歓声を上げた。だがリリエルは両手を軽く挙げて制した。

 

「量より質を守る契約を。安易な増産で刃こぼれを招けば、火は信頼を失います」

 

技官は少し驚き、やがて深く頷いた。

 

「契約条文に品質監査条項を入れよう。職人の矜持、確かに受け取った」

 

 

夕刻、ギルドからの契約証書と資材調達証が交付された。帳面と一緒に抱えたまま外へ出ると、広場の屋台から香ばしい匂いが漂う。

 

「記念に何か買うか?」

 

「学びの腹ごしらえが必要ね」

 

リリエルは焼き栗屋で小袋を二つ注文。受け取った紙袋は熱く、甘い煙が路地に残る。石畳の縁に腰を下ろし、並んで栗を割った。

 

「帝都の空気は王都と違う?」

 

「違うわ。王都は見られる場所、帝都は働く場所。視線の質が違うの」

 

「どっちが重い?」

 

「見られる視線は刃の背、働く視線は刃の峰。峰の重みを受け止めてこそ、背の鋭さが活きる」

 

テオは笑い、袋ごと栗を傾けた。

 

「文字より難しいが、味は栗より甘いらしい」

 

「胡椒パンも栗も、働く後なら何でも甘くなるのよ」

 

 

日が落ち、石畳に灯籠の光が点る。二人は街を歩きながら契約証を読み返した。資材納入第一便は十日後、支払いは半金前払い――条件は良好だ。

 

「大炉計画、本格的に動くわ」

 

「村に知らせたら徹夜で祭りだな」

 

「まずは基礎の養生を進めねば。宴は炉の火が落ち着いてから」

 

「やっぱりお前が現場監督だ」

 

リリエルは照れ笑いをこぼし、通りの鉄看板を指差した。真鍮の羽根が描かれた鍛冶屋の新店――見本市で評判を得た若手工房らしい。

 

「私たちだけじゃない。帝都には火花を求める若い刃が多いわ」

 

「競い合うほど炉は熱くなる。負けられねえな」

 

「負けないわ。クロイツ村の火は、見世物じゃなく生きる術だから」

 

 

夜の門前通りは人々の笑いとハンマー音が混ざり合い、星のように散る火花が屋根越しに見えた。リリエルは胸の前で契約証を折り畳み、そっと鎚〈燈〉に触れる。

 

「帝都デビュー、平民モード……意外と悪くないわね」

 

「俺にとっては最高だ。金も信用も、そして胡椒栗も手に入った」

 

「胡椒栗は新しい名物になりそう」

 

二人は肩を並べ、通りの灯籠に背を押されて歩み出した。帝都の夜は長く、鍛冶屋の明かりは遅くまで消えない。だが次の夜明けは、さらに大きな火を呼ぶ――リリエルはそう確信しながら、甘い煙を吸い込んだ。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

[完結]婚約破棄してください。そして私にもう関わらないで

みちこ
恋愛
妹ばかり溺愛する両親、妹は思い通りにならないと泣いて私の事を責める 婚約者も妹の味方、そんな私の味方になってくれる人はお兄様と伯父さんと伯母さんとお祖父様とお祖母様 私を愛してくれる人の為にももう自由になります

白い結婚の末、離婚を選んだ公爵夫人は二度と戻らない』

鍛高譚
恋愛
白い結婚の末、「白い結婚」の末、私は冷遇され、夫は愛人を溺愛していた――ならば、もう要らないわ」 公爵令嬢 ジェニファー・ランカスター は、王弟 エドワード・クラレンス公爵 のもとへ政略結婚として嫁ぐ。 だが、その結婚生活は冷たく空虚なものだった。夫は愛人 ローザ・フィッツジェラルド に夢中になり、公爵夫人であるジェニファーは侮辱され、無視され続ける日々。 ――それでも、貴族の娘は耐えなければならないの? 何の愛もなく、ただ飾り物として扱われる結婚に見切りをつけたジェニファーは 「離婚」 を決意する。 しかし、王弟であるエドワードとの離婚は容易ではない。実家のランカスター家は猛反対し、王宮の重臣たちも彼女の決断を 「公爵家の恥」 と揶揄する。 それでも、ジェニファーは負けない。弁護士と協力し、着々と準備を進めていく。 そんな折、彼女は北方の大国 ヴォルフ公国の大公、アレクサンダー・ヴォルフ と出会う。 温かく誠実な彼との交流を通じて、ジェニファーは 「本当に大切にされること」 を知る。 そして、彼女の決断は、王都の社交界に大きな波紋を呼ぶこととなる――。 「公爵夫人を手放したことを、いつか後悔しても遅いわ」 「私はもう、あなたたちの飾り人形じゃない」 離婚を巡る策略、愛人の凋落、元夫の後悔――。 そして、新たな地で手にした 「愛される結婚」。

【完結】私を捨てた皆様、どうぞその選択を後悔なさってください 〜婚約破棄された令嬢の、遅すぎる謝罪はお断りです〜

くろねこ
恋愛
王太子の婚約者として尽くしてきた公爵令嬢エリシアは、ある日突然、身に覚えのない罪で断罪され婚約破棄を言い渡される。 味方だと思っていた家族も友人も、誰一人として彼女を庇わなかった。 ――けれど、彼らは知らなかった。 彼女こそが国を支えていた“本当の功労者”だったことを。 すべてを失ったはずの令嬢が選んだのは、 復讐ではなく「関わらない」という選択。 だがその選択こそが、彼らにとって最も残酷な“ざまぁ”の始まりだった。

いなくなれと言った本当に私がいなくなって今どんなお気持ちですか、元旦那様?

睡蓮
恋愛
「お前を捨てたところで、お前よりも上の女性と僕はいつでも婚約できる」そう豪語するカサルはその自信のままにセレスティンとの婚約関係を破棄し、彼女に対する当てつけのように位の高い貴族令嬢との婚約を狙いにかかる。…しかし、その行動はかえってカサルの存在価値を大きく落とし、セレスティンから鼻で笑われる結末に向かっていくこととなるのだった…。

あなたは婚約者よりも幼馴染を愛するのですね?

睡蓮
恋愛
ノラン侯爵はエリステルとの婚約を築いておきながら、自信が溺愛する幼馴染であるユリアとの時間を優先していた。ある日、ノランはユリアと共謀する形でエリステルに対して嫌がらせを行い、婚約破棄をさせる流れを作り上げる。しかしその思惑は外れ、エリステルはそのまま侯爵の前から姿を消してしまう。…婚約者を失踪させたということで、侯爵を見る周りの目は非常に厳しいものになっていき、最後には自分の行動の全てを後悔することになるのだった…。

なにをおっしゃいますやら

基本二度寝
恋愛
本日、五年通った学び舎を卒業する。 エリクシア侯爵令嬢は、己をエスコートする男を見上げた。 微笑んで見せれば、男は目線を逸らす。 エブリシアは苦笑した。 今日までなのだから。 今日、エブリシアは婚約解消する事が決まっているのだから。

幼馴染を溺愛する旦那様の前からは、もう消えてあげることにします

睡蓮
恋愛
「旦那様、もう幼馴染だけを愛されればいいじゃありませんか。私はいらない存在らしいので、静かにいなくなってあげます」

婚約破棄の代償

nanahi
恋愛
「あの子を放って置けないんだ。ごめん。婚約はなかったことにしてほしい」 ある日突然、侯爵令嬢エバンジェリンは婚約者アダムスに一方的に婚約破棄される。破局に追い込んだのは婚約者の幼馴染メアリという平民の儚げな娘だった。 エバンジェリンを差し置いてアダムスとメアリはひと時の幸せに酔うが、婚約破棄の代償は想像以上に大きかった。

処理中です...