うわさの行方

下沢翠花(しもざわすいか)

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「何事か?」

 オラフが先に工房へ入り、大声の元と対峙たいじした。

 男はセシリアの予想通り軍の制服を着ていた。

「奥方様でられますか?」

 オラフの声に振り返った男は、オラフを無視し後ろを覗き込んでセシリアに言った。

「貴様、伍長ごときが断りもなく、声をかけるとは無礼な!」

 オラフの声は大きくはないが、低く響き渡った。

「奥方様!お願いです、ここで働かせてください!」

 伍長、と言われた男の背後から女がセシリアにうったえかけた。

「アグネタさんかしら?」

 臨戦りんせん体制のオラフの腕に手を置いてオラフを下がらせると、セシリアは伍長の後ろにいるアグネタを見た。






 工房の奥の事務室に二人を通し、アグネタだけに椅子をすすめると、セシリアも彼女の向かいに座った。

 オラフと伍長は立ったまま、それぞれの後ろでにらみ合っている。


「お仕事のことなのだけど、人事のことは先ほどまで応対していたフリータに任せているの。」

「伯爵様のご意向です。」

 セシリアが一息ついたところへ、伍長がすかさずたたかけけてきて、後ろでオラフがジリと動く音がした。

「軍では随分ずいぶんな礼儀作法を教えているのね。」

 セシリアが静かに伍長を見上げると、小鼻をふくらませて怒りをあらわに顔を赤くした。

「アグネタさん、あなたが伯爵様とどのように約束をなさったのか、正確なことを私は知らないの。でも、いくら伯爵様のお声がかりでも技量ぎりょう不足の方を工房に入れられないわ。」

 技量不足と言われて、今度はアグネタの顔が赤くなった。

「工房立ち上げの時にあなたはヨーリアさんに不採用だと、その理由も一緒に伝えられているのではない?」

 セシリアの言葉に、アグネタはスカートを握りしめて、うつむいてつぶやいた。

「でも、伯爵様は───」

「奥方様は領主様のお言葉をなんと心得こころえる!」

「セシリア様、ごめいを。」

 伍長がセシリアに声をあらげると、オラフは静かに、しかし相手にも聞こえるようにセシリアに無礼討ぶれいうちの許可をう。

「伯爵様は、あなたにはっきりおっしゃったの?『問答無用でこの者を工房に雇い入れるように代表者に通達してこい』と。」

「伯爵様のご意向です。」

 伍長の声は小さくなった。

「わかりました。」

 セシリアがそういうと、アグネタも伍長もホッとしたように表情をゆるめた。

「伯爵様に確認いたします。」

「なっ…」伍長が言葉をまらせる。

「ここの運営は、寡婦かふの方達にお任せしているの、私だって簡単に口出し出来ないわ。そこのところを伯爵様にご説明申し上げて、その上で“ご意向“をうかがってみるわ。」

「だから、伯爵様のご意向だとさっきから言っている──でしょう。」

 勢いづいて暴言を吐きそうになり、オラフが剣に手をかけたのが見え、伍長は慌ててなんとか言いつくろった。

「これでは話にならないわね────では、伍長。今すぐ帰って、伯爵様に伝えなさい。無理を通せと、それを軍の力でもって命令するのなら、せめて明確なご指示をと。」

「いくら奥方とはいえ、あまりな物言いではないですか。無礼がすぎる!」

「伍長、伯爵様にれいを持ってくせというなら、こちらへの礼儀も求めます。これ以上の無礼は許しません───早く戻って、上官殿じょうかんどのに伝えなさい。」



 全く納得していない伍長はオラフの圧に負けて渋々、アグネタを連れて帰っていった。

「次は、小隊しょうたいの一つも連れてきそうね。」

 セシリアは伍長の小鼻を膨らませた真っ赤な顔を思い出して、くすくすと笑った。







 工房の一件から、護衛は交代ではなく常に二人が張り付くようになった。

 侍女の帯同たいどうも、セシリアは極力きょくりょく避けていたが、必ず一人は連れ歩くことになった。

 エウラリアとオラフの強い要望によって。




 あれから数日が経っていたが、工房にアグネタが来ることはなかったし、あの伍長も他の兵士も何も言ってこない。

 もちろん、ニールスも。



 たしてあれは本当にニールスの『ご意向』なのか。

 違うのであれば、伯爵の名をかたって、誰かが勝手に命令を下したことになる。

 工房の工員達も、またいつ兵士を連れて来られるかと落ち着かない様子だ。

 ニールスと話したいが、屋敷の女主人であるセシリアにニールスの予定は知らされない。


 朝食室に行けば「伯爵様は朝食を済まされて、訓練所へ。」と言われ、くだんの場所に行くわけにいかないセシリアは、とにかくニールスを捕まえるべく、予定を全て中止にして部屋で連絡を待った。


「伯爵様がお出かけになられるようです。」

 マルタが血相けっそうを変えて、部屋に飛び込んできた。


 伯爵様がお戻りになったら伝えるように言ったはずなのに、なぜかセシリアに伝えられず、ニールスはもう出かけるところだという。

 セシリアはとにかく馬車寄せまで急いだ。




 ニールスは開けられた扉の向こうで、馬車に向かっているところだった。

「伯爵様!」

 ちゃんと聞こえるように、かといって下品なほど大声にならないように、セシリアは意識して声を出した。

 振り返ったニールスは、まるで幽霊でも見たように驚いた。

「伯爵様、お話ししたいことが───」

「もう、出るところだ。都合が悪い、分かるね?」

 軍の用向ようむきではないようで簡単な服装のニールスは、セシリアに幼子おさなごのわがままをなだめるような口調で言った。

「お急ぎのこととは存じますが、私もきゅうようするのです。今でなければ、いつお時間を取っていただけますか?」

近々ちかぢか、必ず時間を取る。」

 それだけ言うと、ニールスはさっさと馬車に乗った。

 セシリアは「伯爵様」ともう一度呼びかけたが、今度は聞こえなかったのか、ニールスは振り向かなかった。

 ニールスの従者が、セシリアを気にしながら軽く頭を下げてから、主人を追った。

 ニールスに続いて従者が乗り込むと、馬車は静かに走り出した。







 車窓から振り返ると、こちらを見つめるセシリアが見えた。

 失望に満ちた顔をして、水色の瞳は涙をたたえている。

 彼女の侍女が何か話しかけたようだったが、反応することはなく、ただニールスの乗った馬車を見ている。


 ニールスは猛烈もうれつに後悔した。

 あのような顔をさせたかったわけではない。

 とてつもない間違いをおかしていることは、はっきりと分かっていた。

 馬車が進むごとに、ニールスの中で何かが鳴り響き、その音がどんどん大きくなる。

 水色の瞳がどうにもチラついて、なぜかわずかに指先がふるえた。
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