うわさの行方

下沢翠花(しもざわすいか)

文字の大きさ
15 / 25

15

しおりを挟む

 朝早く、セシリアは朝食を済ませて修道院へ向かった。

セシリアが外出することをいとうていたニールスの姿は屋敷にはなく、止められることもなかったので、トマの様子を見に行くことにした。




 トマが怪我をして、病院に運ばれたらしい。


セシリアに知らせたのは、ビョルンだった。

ビョルンは軍の中に密偵みっていでも忍ばせているのか、事情につうじている。

その前日に兵舎へいしゃで、若い兵士が急死したこともビョルンが知らせてきた。



 トマはすでに治療をほどこされ寝台に横たわっていて、顔の半分を包帯で巻かれた姿はトマだと言われなければセシリアに見分けはつかなかっただろう。

トマはつねから、兵士達に『可愛がり』をされていたという。

泥だらけのまま、訓練所からセシリアを追いかけてきた時の姿を思い出した。

トマの黒髪は雨など降っていないのに、どろがついていた。


トマの体には今回の暴行よりもっと前からの傷がたくさんあった。

その傷は、むちたたかれたような傷から、ナイフでえぐられたようなものもあり、診察したラースも驚くほどだったという。




 せ細っていた体があっという間に大きくなって、トマが訓練所でけん稽古けいこをつけてもらえるようになったのは、ニールスが出征しゅっせいして半年ほどのことだった。

セシリアと変わらないほどだったトマの背丈せたけはその頃には少し見上げるほどになっていたし、体つきもしっかりとしたものになっていた。

『訓練所にやっと入れました、伯爵様は忘れずに手配をしていて下さった。』そう言っていた彼は、本当にうれしそうだった。







 一晩中ひとばんじゅうトマについていたマルタを屋敷に帰し、セシリアはトマの寝台の横の木の椅子に腰掛こしかけた。

昨日よりトマがらくに息をしているように見えて少し安心したセシリアは、ついさっき馬車寄せのそばで拾ったトチの実を手のひらに並べた。


王宮にいた頃、トチの実にインクで顔を描いたものをもらったことがあった。

泣き顔のトチの実には、カードがえられていて『さみしい、早く良くなって。』と書いてあった。



トマが身じろぎをして、セシリアは思い出から引き戻された。


「トマ?」

椅子から立ち上がりトマの顔をのぞき込むと、包帯のない方のまぶたがわずかに動いた。

黒い瞳が、れ上がったまぶたから覗く。

「───セシ…セシリア様───」

かすれた声で、トマが呼んだ。

「気がついたのね、よかった──」

セシリアは白磁はくじい飲みに水差しから水を入れて、トマの口にてがった。

トマは水を少し飲むと、黒い瞳を動かしてセシリアを見て笑った。


実際は腫れ上がった顔は、目もほとんど開かず、包帯で半分は隠れていて表情などわからない。

でも、セシリアには笑ったように見えた。



トマは目を覚ましたその日の夕暮れの頃には、寝台の上に体を起こせるようになった。









「修道女様達が、何人か熱を出したのですって。」

クララはトマの寝ている部屋にやってきて、修道女達の災難を楽しそうに話して聞かせた。

「それはお気の毒なことね。」

ニールスが言っていた通り、赤痘せきとうが広まっているのだろう。

修道女達が忙しそうに病院へ行き来していることは、セシリアも気づいていた。

「病院へ手伝いに行っていた修道女様が熱を出したの?」

「いいえ、赤痘かもしれないからかかったことがある人だけが病院に行ったんですけど。」

「そう───クララは赤痘には?」

「かかりました、小さい時に。その時まだ赤ん坊だったすえの弟は死にました。」

「そうだったのね───」

「セシリア様───いっ!」

トマはセシリアに何か言おうと体を起こしかけて、痛みに声をあげた。

「大丈夫よ、私も以前に罹ったの。」

セシリアが微笑むと、トマは安心したようにゆっくりと息をいた。


「ねえ、クララ。もしかして、熱が出た修道女様は、あの可哀想な娼婦に最後にれた方達かしら?」

「ああ、そうだったかもしれませんね…」

クララは思い出すように見上げるような仕草しぐさをしながら、の上からトマの足を指でつまんだ。

「うぐっ、」

トマがうなり声を上げると、クララは笑いながら部屋から出ていった。







 次の日、セシリアは病院におもむいた。

病院に行っていない修道女にも感染者が出ていることをラースにつたえたかったし、セシリアも何か手伝えたら、と考えていた。



 病院はまだ彼女が思ったよりも落ち着いていた。

ラースが一度もトマの往診に来なかったので、セシリアはもっと混乱しているものだと思いこんでいて、拍子抜ひょうしぬけした。

いつもの大部屋を通り過ぎ、奥の部屋に向かう。

赤痘の疑いがある患者なら、完全ではないが隔離できる部屋にいると見越みこして。


「オラフ、意外と落ち着いてるわね…」

ビョルンは赤痘に罹ったことがないので、感染が落ち着くまで屋敷に残ることになった。

「本当ですね、赤痘がせまっているとは思えませんね。」


廊下の向こうに、ラースの姿が見えた。

手伝いの女と何やら楽しそうに話し込んでいるように見える。



「セシリア様、お越しだったんですね。」

ラースが気付いてセシリア達に手を挙げて笑顔を向けた。



「先生、思ったより落ち着いているんですね。」

セシリアは発熱した兵士達がいる部屋の扉に目をけた。

「セシリア様は、赤痘に罹っていたんですね。」

扉に近付き小窓から中を覗くと、苦しそうに顔を歪める兵士たちが見えた。

「伯爵様からお聞きに?」

「ええ。」

「赤い発疹が出ているわ…」

背伸びしたまま小窓からもう一度、兵士の顔をよく見ると赤い発疹におおわれている。

「赤痘、確定のようですね。」

セシリアの後ろでオラフがつぶやく。

「お手伝いは足りていますの?」

「今はなんとか、でもすぐに手が回らなくなるでしょうけどね。」

「私も、お手伝いしますわ。」

セシリアはラースを見ずに、病室の扉を開けた。




セシリアが病室へ入ると、ラースと話していた手伝いの女もあわてて一緒に入って、せき込む兵士にけ寄った。

部屋には十五名が寝台に寝ていて、窓に近い寝台の兵士達はみな発疹が確認できた。

苦しそうに浅い呼吸を繰り返しながら、ねじるように体を動かし、楽な姿勢を探している。

発疹が顔中に広がる兵士は熱も高く、絶えず低く唸り声を上げている。


セシリアが布巾ふきんを冷水で冷やして顔をいてやると、少し楽な気分になるのか唸るのをやめて、薄く目を開けた。

「苦しい…助けて…」兵士がしぼり出すようにうったえる。


セシリアはもう一度、おけの冷水に布巾を漬けて軽くしぼると、兵士の顔をひたいから順に首元くびもとまで拭いてやった。

何度か同じことを繰り返すと、兵士は表情を少しゆるめて目を閉じた。



兵士から規則的な呼吸が聞こえて、セシリアは布巾を桶に戻すと、乱れた上掛うわがけをかけ直した。

セシリアのやわらかい手を、赤い無数の発疹とまだ新しい傷が生々しく残る兵士の手が、ざらりとかすめた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

「10歳の頃の想いなど熱病と同じ」と婚約者は言いました──さようなら【完結保証】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王太子フリードリヒの婚約者として、幼い頃から王妃教育を受けてきたアメリア・エレファウント公爵令嬢。 誰もが羨む未来を約束された彼女の世界は、ある日突然1人の少女の登場によって揺らぎ始める。 無邪気な笑顔で距離を(意図的に)間違える編入生ベルティーユは、男爵の庶子で平民出身。 ベルティーユに出会ってから、悪い方へ変わっていくフリードリヒ。 「ベルが可哀想だろ」「たかがダンスくらい」と話が通じない。 アメリアの積み上げてきた7年の努力と誇りが崩れていく。 そしてフリードリヒを見限り、婚約解消を口にするが話は進まず、学園の卒業パーティーで断罪されてしまう……?! ⚠️ 本作は AI の生成した文章を一部に使っています

1度だけだ。これ以上、閨をともにするつもりは無いと旦那さまに告げられました。

尾道小町
恋愛
登場人物紹介 ヴィヴィアン・ジュード伯爵令嬢  17歳、長女で爵位はシェーンより低が、ジュード伯爵家には莫大な資産があった。 ドン・ジュード伯爵令息15歳姉であるヴィヴィアンが大好きだ。 シェーン・ロングベルク公爵 25歳 結婚しろと回りは五月蝿いので大富豪、伯爵令嬢と結婚した。 ユリシリーズ・グレープ補佐官23歳 優秀でシェーンに、こき使われている。 コクロイ・ルビーブル伯爵令息18歳 ヴィヴィアンの幼馴染み。 アンジェイ・ドルバン伯爵令息18歳 シェーンの元婚約者。 ルーク・ダルシュール侯爵25歳 嫁の父親が行方不明でシェーン公爵に相談する。 ミランダ・ダルシュール侯爵夫人20歳、父親が行方不明。 ダン・ドリンク侯爵37歳行方不明。 この国のデビット王太子殿下23歳、婚約者ジュリアン・スチール公爵令嬢が居るのにヴィヴィアンの従妹に興味があるようだ。 ジュリエット・スチール公爵令嬢18歳 ロミオ王太子殿下の婚約者。 ヴィヴィアンの従兄弟ヨシアン・スプラット伯爵令息19歳 私と旦那様は婚約前1度お会いしただけで、結婚式は私と旦那様と出席者は無しで式は10分程で終わり今は2人の寝室?のベッドに座っております、旦那様が仰いました。 一度だけだ其れ以上閨を共にするつもりは無いと旦那様に宣言されました。 正直まだ愛情とか、ありませんが旦那様である、この方の言い分は最低ですよね?

王宮勤めにも色々ありまして

あとさん♪
恋愛
スカーレット・フォン・ファルケは王太子の婚約者の専属護衛の近衛騎士だ。 そんな彼女の元婚約者が、園遊会で見知らぬ女性に絡んでる·····? おいおい、と思っていたら彼女の護衛対象である公爵令嬢が自らあの馬鹿野郎に近づいて····· 危険です!私の後ろに! ·····あ、あれぇ? ※シャティエル王国シリーズ2作目! ※拙作『相互理解は難しい(略)』の2人が出ます。 ※小説家になろうにも投稿しております。

幸せの賞味期限――妹が奪った夫は、甘く腐る

柴田はつみ
恋愛
幸せには「賞味期限」がある。 守る実力のない女から、甘い果実は腐っていく 甘いだけのダメンズ夫と、計算高い妹。 善意という名の「無能」を捨てたとき、リリアの前に現れたのは 氷の如き冷徹さと圧倒的な財力を持つ、本物の「男」だった――。 「お姉様のその『おっとり』、もう賞味期限切れよ。カイル様も飽き飽きしてるわ」 伯爵家の長女・リリアは、自分が作り上げた平穏な家庭が、音を立てて崩れるのをただ見つめるしかなかった。 信じていた妹・エレナの狡猾な指先が、夫・カイルの心の隙間に滑り込んでいく。 カイルは、優しくて美貌だが、自分の足で立つことのできない「甘い」男。彼はエレナの露骨な賞賛と刺激に溺れ、長年尽くしてきたリリアを「味のないスープ」と切り捨て、家から追い出してしまう

貧乏男爵家の末っ子が眠り姫になるまでとその後

空月
恋愛
貧乏男爵家の末っ子・アルティアの婚約者は、何故か公爵家嫡男で非の打ち所のない男・キースである。 魔術学院の二年生に進学して少し経った頃、「君と俺とでは釣り合わないと思わないか」と言われる。 そのときは曖昧な笑みで流したアルティアだったが、その数日後、倒れて眠ったままの状態になってしまう。 すると、キースの態度が豹変して……?

婚約破棄寸前、私に何をお望みですか?

みこと。
恋愛
男爵令嬢マチルダが現れてから、王子ベイジルとセシリアの仲はこじれるばかり。 婚約破棄も時間の問題かと危ぶまれる中、ある日王宮から、公爵家のセシリアに呼び出しがかかる。 なんとベイジルが王家の禁術を用い、過去の自分と精神を入れ替えたという。 (つまり今目の前にいる十八歳の王子の中身は、八歳の、私と仲が良かった頃の殿下?) ベイジルの真意とは。そしてセシリアとの関係はどうなる? ※他サイトにも掲載しています。

あの、初夜の延期はできますか?

木嶋うめ香
恋愛
「申し訳ないが、延期をお願いできないだろうか。その、いつまでとは今はいえないのだが」 私シュテフイーナ・バウワーは今日ギュスターヴ・エリンケスと結婚し、シュテフイーナ・エリンケスになった。 結婚祝の宴を終え、侍女とメイド達に準備された私は、ベッドの端に座り緊張しつつ夫のギュスターヴが来るのを待っていた。 けれど、夜も更け体が冷え切っても夫は寝室には姿を見せず、明け方朝告げ鶏が鳴く頃に漸く現れたと思ったら、私の前に跪き、彼は泣きそうな顔でそう言ったのだ。 「私と夫婦になるつもりが無いから永久に延期するということですか? それとも何か理由があり延期するだけでしょうか?」  なぜこの人私に求婚したのだろう。  困惑と悲しみを隠し尋ねる。  婚約期間は三ヶ月と短かったが、それでも頻繁に会っていたし、会えない時は手紙や花束が送られてきた。  関係は良好だと感じていたのは、私だけだったのだろうか。 ボツネタ供養の短編です。 十話程度で終わります。

私は彼を愛しておりますので

月山 歩
恋愛
婚約者と行った夜会で、かつての幼馴染と再会する。彼は私を好きだと言うけれど、私は、婚約者と好き合っているつもりだ。でも、そんな二人の間に隙間が生まれてきて…。私達は愛を貫けるだろうか?

処理中です...