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18巻
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しおりを挟む「王国には素晴らしいものがあるのだな! ところで先ほどの焼き菓子を所望なのだが!」
結界魔道具と防音魔道具、そして幻惑魔道具を止めると、執事が侍女を伴って淹れなおしたお茶を用意してくれた。
俺たちは再び変装中。特にクレイの正体は公爵、家令、執事だけに留めておく。
執務室を守る防犯魔道具一式を止めたのはクレイの発案。
先ずは公爵を無防備な状態に曝け出し、暗殺者をおびき寄せる作戦だ。屋敷に紛れ込んでいる暗殺者の正体は知っているが、俺がこの人が暗殺者だと訴えたところで信じてくれるのは仲間たちだけ。
警戒心を一切失った今のショペンならば俺の言うことに耳を傾けてくれるだろうが、やはり証拠って大事だよね。
そんなわけでこの屋敷に潜んでいる間諜を全て捉え、それから再び大切な話をしようということになった。
ショペンは完全マドレーヌを再度要求したが、俺はそれをやんわりと断った。
「申し訳ありません閣下。先ほどと同じ焼き菓子を献上することはできません」
「えぇー」
ふんすふんすと鼻息荒くマドレーヌを催促したショペンだったが、俺に却下されて子供のように抗議の声を上げた。
いや、初対面の時の眼光鋭い支配者の貫禄はどこへやったのさ。
帝国公爵だというのに、ものすごく気さくというか。その豪華な衣装を着替えたら、絶対にトルミ村に馴染めるくらい感情表現が豊かだ。俺が知り合う尊いお血筋のお貴族様は、何故か皆気さくなんだよな。慇懃無礼に命令するやつよりよっぽど良いのだけど。
「こちらの菓子は王国の大公閣下の名の元、厳しく取り締まりが行われております」
「うむ。我の身体の不調を全て吹き飛ばす焼き菓子など、帝国広しといえども聞いたことが無い。王国でも取り扱いは慎重になるか。内容物は何で作られておる。ただふんだんに砂糖を使っただけではこの味にはなるまい」
「花蜜と蜂蜜を少し。ええと、菓子としてお召し上がりになられるのでしたらこちらのマドレーヌを。身体の不調を改善する効果はありませんが、味は変わりません。ただの焼き菓子です」
完全マドレーヌの詳細を説明するとショペン一同は欲しがったが、これは王国内でも規制されているものだから譲渡はできない。グランツ卿がショペンを救うためだけに一つだけならばと許してくれたのだ。
その代わり、庶民でも気楽に食べられる『まーど・れぃぬ』を差し上げた。
これは帝都のバイリー商会の店舗でも扱うが、庶民用と貴族用で材料が異なる。庶民用のマドレーヌは花蜜入りで、貴族用のマドレーヌは蜂蜜入り。蜂蜜はトルミ村で年中咲き誇る花から蜂が採取した蜜であり、蜂蜜の方が希少価値が高い。ルセウヴァッハ領と仲良しなマティアシュ領から養蜂家を招き、その技術を伝授してもらったのだ。
トルミ村で咲いている花は全て緑の精霊王の祝福があり、良質な蜂蜜が採れるらしい。
庶民用には花蜜。ただただ美味しいマドレーヌ。
貴族用には蜂蜜と回復薬を配合。軽い肩こりや片頭痛は気にならなくなる程度になる。だがしかし、貴族用マドレーヌは回復薬や鎮痛剤の代わりにはならないため、執務の合間に食べることを推奨したのは大公閣下だ。
「お口汚しになるやもしれませんが、こちらの焼き菓子も宜しければ」
「おお!」
マドレーヌとクッキー、木の実を蜂蜜でコーティングした飴菓子、ついでにキノコグミを添えて。
帝国のアイシングゴテゴテ焼き菓子よりも見た目は地味だが、味に関しては自信がある。
スッスが巾着袋の大きさに見合わない巨大皿を取り出すと、執務室の端で控えていた侍従や侍女らの驚く声が僅かに聞こえる。そして、こちらの様子を伺ういくつかの気配。
あれが噂に聞いた魔法の袋――
スッスが腰に下げている巾着袋が魔法の袋ならば、俺たち商会員が揃って腰に下げている袋も同じ魔法の袋なのだろうと誰もが思ったはず。
俺ならば。
お腹が黒い俺が考えるならば。
この執務室に集う全員を一網打尽にし、俺たちの魔法の袋を盗む。そうして雇い主だかご主人様だかの元に行き、ヨシヨシしてもらうか魔法の袋を高値で売りつけるか考える。忠誠心厚いものならば、魔法の袋を献上するかな。
個人の魔力が登録されている魔法の袋は所持者しか使うことができないのだが、帝国の人間でそれを知る人はいない。早いところバイリー商会で魔法の袋の仕組みを世に知らしめるべきだな。盗難騒ぎがあるたび俺たちに文句を言われるのは面倒だ。
公爵・家令・執事が揃い、得体のしれない王国から来た商会の連中四人を殺し、ビーは珍しいからお持ち帰りするかな。
俺たちの正体を、特にクレイの正体を知らないからそんな浅はかなことを考えられるのだろうけど。無謀というか、腕に自信があるからか。
狙うなら先ず、この中で一番強そうなクレイ。次に戦闘慣れしていそうなブロライトとスッス。執事と家令がどのくらい動けるかはわからないが、二人はあくまでもショペンの身を守るために動くだろう。俺はついでに殺される感じかな。やだあ。
そんなシミュレーションを静かに妄想していると、執事クローフが傍にいた侍女に声をかけた。
「チェリ、茶葉を新たな選んでもらえるか」
「クローフ様、それならば焼き菓子を損なわないアクラム領より黄茶(おうちゃ)の一番茶は如何でしょう」
「ほう。珍しい茶葉が手に入ったのだな」
「はい。ドロテアが町で購入したそうです」
【チェリス・アングエラ 19歳 アングエラ子爵家三女】
忠誠心高いデオスィラゲル公爵家の侍女。執事クローフに憧れているが、懸命に隠している。そろそろお嫁に行きたい。
ドロテアが暗殺者だとは知らないよ。
俺はしれっと調査先生にチェリスの正体を教えてもらい、手持無沙汰で指を触っているふりをしながら右手でピースサインを送った。それから人差し指を作り、続いて拳をぎゅっと握る。
これは前もって決めていた蒼黒の団だけに伝わる合図。
ピースサインは安全。
人差し指は危険。
拳を握るのは、警戒。
ついでにサムズアップは良くできましたで、手のひらをパーの状態に保つのは待ての合図。
もともとリルウェ・ハイズが使っていた手信号を、スッスが簡易的なものに変え教えてくれた。
俺は読唇術ができないし、ブロライトは危険人物を見分けることができない。殺気を向けられれば俺でも対処できるのだが、暗殺者や間諜というものは気配を隠すのが上手いのだ。
俺の合図でクレイがゆっくり瞬きをする。
ブロライトとスッスはそれぞれの盾魔道具を起動し、俺も無詠唱で盾魔法を己にかけた。
結界魔法にしなかったのは、屋敷の中で自分も犠牲になるかもしれない派手な攻撃魔法を放つ馬鹿はいないだろうということ。相手はスッスのような諜報員であり、もし腕の立つ暗殺者であったとしても所詮は人だ。コルドモールやフランマモルスンといった巨大なモンスターが相手ではない。
これだけ見事な屋敷だ。きっと歴史も深いのだろう。なるべくなら屋敷を破壊したくはないが、クレイは狭い場所での立ち回りは苦手だからな。
クレイはマドレーヌを食べて感動しているショペンに低い声で静かに告げる。
「ショペン、図書室の歴史書には虫食いが潜んでおるようだ」
その真剣な言葉を聞き――それでもショペンがマドレーヌを食べる手を止めない。いや両手にひとつずつ持つなよマドレーヌ。どんだけ気に入ったんだよ。
「それゆえに、今から少し粗相をするが許せ」
「……古き、ものにもか」
「虫は上手く潜り込むものだ」
「鑑定眼があるのだぞ?」
「魔力が上回れば、誤魔化すことが可能だ」
「そのような……」
クレイとショペンの会話は要約すると。
『この屋敷に間諜が入り込んでいますよ。ちょっとだけ暴れるね』
『昔から仕えていた人の中にも?』
『そういうとこ上手に入り込むからさ』
『鑑定眼があるじゃん』
『鑑定眼持ちの人より魔力が強ければ、誤魔化せるよね』
『やだー』
もしもヘームスケルクの魔力が冒険者ギルドの一級鑑定士より強いのなら、屋敷で雇う人の面接で間諜は弾かれていただろう。
屋根裏で潜んでいる人は別。ああいうのは警戒網を突破していくらでも入ってこられるから。
貴族の屋敷には結界魔法などの警備魔法が張り巡らされているのだが、うまいこと警備魔法を潜り抜けられる魔道具がある。それが対魔法。魔法を無効にしてしまう魔法だ。何を言っているのかわからないが、つまりは攻撃魔法を跳ねのける結界魔法ではなく、攻撃魔法事態をなかったことにする魔法。
魔法の凝縮方法や操作方法を習ったときに説明されたが、攻撃魔法の構築を無効化する魔法を即座に構築してどうのこうので……と言われても想像すら難しかった。
対魔法の魔法は無属性魔法。ユグル族の王太子であるゼングムが得意とする魔法だ。ゼングムだけではなく、翼の戦士全員が無属性魔法で攻撃することが可能。
無属性魔法はその名の通り、水や火といった要素に属していない魔法のことだ。頭すっからかんにして属性のことを考えずに魔力を練らなければならないので、繊細な魔法技術が必要になる。俺は苦手です。雑念が酷いので。
暗殺者が対魔法の魔道具を持っていたとしても。
俺たちは基本的に攻撃魔法ではなく物理魔法を得意としたチームだ。攻撃魔法を使うのは俺だけともいう。
さて。
煤払いだ。
スッスは机の上に並べられた焼き菓子を全て巾着袋に入れてしまうと、クレイとブロライトが静かに立ち上がる。執務室の机を背に、俺は公爵、家令、執事の三人を守るよう立った。
「なるべくご自宅を破壊しないように気を付けます。残しておきたい壁の傷とか、思い出の壁紙のめくりとか、そういうのはありますか?」
「公爵家は半年に一度、専門業者を入れて隅々まで磨き上げる。壁に傷など残しはしない」
俺の質問に家令ヘームスケルクが応えると、何処からか取り出したコンバット・ナイフみたいなゴツい短刀を取り出して背に隠す。
「元通りに修理致しますので、すこーーーしだけ壊れてしまったら申し訳ないです。先に謝っておきますごめんなさい」
「壊れるとは、規模は如何ほどのものになる」
「クレイのぶち切れ次第」
「うっ」
執事クローフが顔を歪めた。
彼はクレイがぶち切れた姿を知っているのだろう。今のクレイの姿は幻惑魔法の応用で鰐獣人に変装しているが、中身は栄誉の竜王のまま。
戦闘に夢中になると変装していることなんか忘れるだろうから、そこは外部の人に正体がバレないよう対策をしないと。
*****
名前を考えるのが本当にたいへん。
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