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3-5 生業の園
第117話 圧倒の果て 5
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僅か青み掛かる半透明の防御壁に覆われ整然とした空間が鬱蒼とした緑の中に異彩を放っている。
恐らく防御壁の外側では、夜に乗じ活動を始める獰猛な生き物達が興す音が響いていることだろう。
だが俺達は武器を下ろし安らぎを享受している。
修羅場のど真ん中に堂々と開ける、長年にわたる冒険者達の血肉の結晶。人類の砦である最後の休憩所は、何物にも代え難いサウドの宝だ。
「野生の発現……とでも言うんでしょうか。御二人が居なかったら俺はきっと……」
薄暗い空間に浮かび上がる鋭利な犬歯と、こちらの躊躇いや恐れを刈り取らんばかりに向けられた猛々しい眼光。
ふいにあの表情が思い出され背筋に寒気を覚える。
「ふふ、私達がついてるんだもの。言ったでしょ? 万が一なんて無いって」
「ええ、本当に。だから俺達は前へ進めます」
「需要と供給はさておき、可愛い後輩達に頼りにされたとなりゃ、否やもないさね」
森を進む深度に比例し畏敬の念は増すばかりだ。
己の実力が向上すれば理解や実感できる物事の幅も広がるが、それに伴う底が全く伺い知れないベテラン二人の度量の深さ。
そんな現場に己を投影すると、現状は背伸びをした不安定な足元であるとも表現できるわけだが、二人が居れば不可能が自ら道を空けてくれるような安心感も同時に覚える。
「ロング……どれくらいで目覚めるでしょうか?」
「お腹もすかせてるだろうし、いい匂いが漂う頃には目覚めるんじゃな~い?」
「そうですか……」
「そうだヤマト。火の番くらいはあたしにも出来るから、景気づけにあれ、読んでおくれよ」
「ええ、分かりました。それじゃあお願いします」
「リーフル? いらっしゃい」
「ホホーホ(ナカマ)」
リーフルがベルの膝に飛び乗る。
俺は異次元空間からボロウの小説を取り出し、浅くページをめくる。
『 ──目の前のカップには僅かな紅茶の跡。
そういえば初めて家へ招待したあの日、
君は少し遠慮気味に、一生懸命色んな話をしてくれたっけ。
返ることのない綺麗な横顔にそう語り掛け、
時の経過に怯え過ごす毎日。
ああ、そうだね。分かってるよ。
無意識にも握り返してくれるその温もりが何よりの証だね。
でも行かなくちゃ。
だって僕は、どこに居ても、何をしてても、君の名残を探し生きている。
だからこの旅路の行方に不安は無いよ。
いつも通り君を追いかけていれば、自ずとたどり着ける気がしてるから。
だから行ってきます。
必ず君を助けるからね。 』
出立に際し決意を吐露する主人公の一場面を読み上げる。
せがむビビットの心情は俺も同じくするところで、気概と希望がふつふつと呼び起こされる良いシーンだと思う。
「……人間に備わる勇気ってのは偉大なもんだねぇ」
耳を澄ませ聞き入っていたビビットが静かに呟く。
「その主人公、しがない物書きって話だったかしら。だとしたらなかなかの男前じゃない」
「──ならあなたの動機は? まだハッキリとは聞いていなかったわよね」
ベルが俺を見据え尋ねている。
「う~ん……理想を追い求めるロマン……」
「……きっかけが何であれ、今思えばティナちゃんをピクニックに連れ出すと決心した時点で、この冒険に出ることは運命づけられていたような気がしてます」
「なので答えとしては、俺は栄えあるサウド支部に所属する冒険者だから……ですかね」
ピクニックで着た衣装を取り出し、あの日の景色を思い出す。
「──自分も同じくっす」
ふいに後方から声が響く。
「ましてヤマトさんが示してくれた救えるかもしれない可能性。それを放置するなんて、冒険者の端くれとして恥ずかしい行いだと思います!」
「あら、ロングちゃん」
「ロング! 体調はどう? どこか異常を感じたりとか」
「全然へっちゃらっす! でもごめんなさいっす……トイレに行って気を抜いた途端に眠気に襲われて……」
「はは、いいって事さ。決着はついてたんだ、気にする事はないさね」
「ホホーホ! (ナカマ)」──バサッ
リーフルがロングの頭に飛び乗り、身を屈め抱きしめるように喜びを表現している。
「くふふ! リーフルちゃんも心配かけてごめんなさいっす」
ロングも頭上のリーフルを撫で応えている。
「あなた達よくやってるし、それぐらいしょうがないわよ」
「──で、ビビット。あなたは? まあ聞くまでも無いでしょうけど」
「フッ……否定はしないさ。それにあたしは、結構尽くすタイプだしねぇ」
「あらそう…………ま、熱にあてられた私も同類ってことになるのかしらね」
斜に構え髪をかき上げながらぶっきらぼうに語っている。
「ホ (イク) ホホーホ(ナカマ)」
リーフルが両翼を僅かに上下させ呟いている。
「はは。リーフルも『友達は助ける』って言ってますね」
「──あ! その話で言うと、理想像ってそれぞれあると思うっすけど、みなさんはどんなことを心掛けて活動してるんすか?」
耳を弾ませ興味津々と問いかけている。
「私? うーんそうねぇ……」
「おかげでお金には不自由ないし、それなりに人命を救ってきた自負もあるけれど、そういえば確固たる何かって意識したことは無いわね~」
「あたしもまあ同じようなとこだね。体格とユニーク魔法に恵まれて、自分の性格とも合致してるから、大盾を生業にしてるって感じだねぇ」
「俺は……うん、実質ロングを目標にって感じかなぁ」
「──ああ。なら、ある意味一番強いのはやっぱりロングかもね。はは」
「なるほどっす……って! 自分を目標にってなんすか! 自分は理想どころか毎日精一杯、失敗しないように、冒険者でいられるようにって、やってるだけっすよ!」
「その精一杯ってのが人間にとってどれだけ難儀なことか……耳が痛いねぇ。なあ?」
「そう平然と言っちゃうロングちゃんは、体現するようにいつだって綺麗で透き通る青い色をしているわ。これ以上の説得力は無いわね」
「むむ? どういう意味かいまいちピンと来ないっすけど、褒められてるって事っすよね?──照れるっすね、くふふ……」
火の番を代わり鍋の様子を窺う。
中にはベルからの要望があった牛肉のトマト煮が沸き立ち、食欲をそそるほのかに酸い匂いが漂っている。
脇に刺さる即席の串にはブルータスノルトの肉が連なり、いい塩梅に肉汁がその表面に浮かび上がりつつある。
主食のパンには、メイベル渾身の新商品であるリライアンスロール──渦巻き状で平坦な形をしていて、表面にはワイルドベリをメイプルシロップに掛け合わせた、特製の赤いソースのデコレーションが施されている──を用意した。
これら豪華なラインナップは決して最後の晩餐などではない。
決意をより補強し英気を養う、ミラスの花へとたどり着く為のご馳走だ。
「そろそろいけそうですね。どうぞ」──
皆の皿に牛肉のトマト煮を配膳してゆく。
「ああ、すまないね──でもそれ……もしあんたのジョークなんだとしたら、ちと突飛すぎる気がするねぇ……」
ビビットがリーフルの前に置かれた皿をまじまじと見つめ怪訝そうに呟く。
「え、これですか? それ程差は無いと思いますけど」
「差は無いって……だって生なのよ? あなたもこっちにしておきなさいよ」
テーブル上の自身の前に置かれたカタのカルパッチョ──イワシに似た魚の切り身を湯通しした後、オリーブオイルで浸け塩胡椒で味付けした料理──を指差しベルも眉をひそめている。
「じ、自分もカルパッチョで大丈夫っす!」
ロングが皿を一瞥し焦った様子でアピールしている。
(ふむ……多分ロングは素のアリーチが苦手って事なんだろうけど、やっぱり刺身は抵抗感があるものなんだ)
カルパッチョ自体はマリンが得意とする料理を用意してもらったものだが、それとは別に、生をそのまま薄切りにして用意してもらったこのカタの刺身は、個人的に密かな楽しみとしてとっておいたものだ。
カタの刺身にアリーチを一回し。和の心醤油ではない点は少々物寂しくもあるが、味自体は申し分ないので十二分に満足のいくものになっている。
「美味しいんですけどね、刺身って。街へ戻ったら一度試してもらえればと思います」
「ホーホホ! (タベモノ)」──んぐんぐ
リーフルが満足そうに俺と同じ刺身を頬張っている。
「あ~。あんたの婚約者が店を出すって話だったかね? もちろん顔は出させてもらうつもりだよ」
「婚約者~? 初耳なんだけど」
「マリちゃんさんっていう商人さんの事っすね! 自分もあのお店は楽しみにしてるんすよ~!」
「ご、誤解です! 婚約はおろか交際してもないですよ! マリちゃんに協力するのはそうですけど……」
「ふ~ん? 口ではそんな事言ってるけど。あなたって存外プレイボーイなところがあるのねぇ……」
何かを言いたげな雰囲気で指でテーブルをなぞり料理に目を向けている。
「ムムッ、ベルさん! そんな、ヤマトさんを遊び人みたいに言わないでほしいっす、心外っすよ!」
「あらロングちゃん、気付いてないの?」
「む? なにがっすか??」
「まあこの様を見せられりゃあ、多少そんな発想になっちまうのも無理ないねぇ……」
ビビットがテーブルを見渡し、少し意地の悪い笑みを浮かべている。
「あなたが火をつけたこの香木、ローズウッドの匂いでしょ。意味するところは『愛情』よ。露骨なメッセージだわ」
「へぇ~……木にも種類によって意味があるんすね」
「いや、偶然じゃないでしょうか。リーフルが気に入った匂いだっていう事情もありますし」
──んぐんぐ「……ホ?」
「ふん、それだけじゃないわ。あなただけに用意されたそのサシミ? って名前の料理。それに『信頼』の名を冠したパン」
「用意してくれたこのディナーは、あなたに対する想いで溢れんばかりよ。それだけ魅了してるって事の証左じゃない」
ベルがやれやれといった雰囲気で腕を広げ眉をひそめている。
「いやベルさん、そうじゃないんです! この想いの籠ったものは、自分達リーフニックの──」
「リーフニック? なあにそれ」
「──あしまっ……! な、何でも無いっす!」
ロングが耳を伏せ瞳を右往左往させ動揺している。
「ん? どうしたんだいロング」
「な、何でも無いっす! とにかく! ヤマトさんは遊び人じゃないっすから!」
これ以上の追求は許さないとばかりに語気を強め顔をそむけてしまった。
(ん~……? まただ……)
ロングはまさに清廉潔白という言葉が擬人化したと言っても過言ではないと思う程に清い青年だ。
それに企みや裏腹等を隠しおおせる器用さは、今のところ身についてはいないと思う。
そんなロングが近頃垣間見せる、不器用で明らかな秘事の気配。
これは、俺に知られたくない何らかの事情をロングが背負っている事を示唆しているように感じている。
そこで俺が考慮すべきなのは、ロングが隠し事をしているという点では無く、その内容の方だろう。
その中身について──例えば、俺が何らかの不利益を被る、あるいはリーフルの身に危険が及ぶような事態。
それらの可能性については、まず間違いなくロングは許容しないだろうし、そう信じたくもない。
とするとやはり、俺やリーフルにとって実害は無いが、介入されてはまずい──知られると己の立場が危ぶまれるような内容、という事になるだろうか。
一方的な仮定ではあるが、もしそうなのだとすれば、この『秘事』について追求してしまうとロングを追い詰める事となり、可哀想な結果になってしまうのだろうと予想される。
なので俺はただロングを信じ、知らんぷりを決め込む事にしている。そしてその上でもし実害を被るようなことになるのなら、それはそれでいいと思っている。
何故なら、信じるという行為は己が一方的に決断するもので、相手の行いが介在する余地は無いからだ。
(……まあロングに限ってそれはない。それに、俺もクエスト上多少の裏腹を抱えざるを得ないって事もあるしな)
(それよりもベルの指摘……そう思うと心強いよなぁ……)
立てかけるロングソードを眺めしみじみと実感する。
今回の冒険に出るにあたり、協力を要請したみんなの想いがこのテーブル上に集っているというベルの私見は、思いの外より提示された素敵な解釈だろう。
背負う使命感を全うするだけなら、それは冒険者である以上、結果如何に因らず己一人が死力を尽くせば周囲も自分も納得だろう。
だが俺には一心同体のリーフルの存在がある。
ベテラン二人は言うに及ばず。リーフルもロングも俺も、そしてティナを。
全てを平穏な日常へと導くには、到底一人だけの力では実現出来ない難題なのだ。
あくまで精神的な支えに過ぎない存在感ではある。
だが精神とは、人間を人間足らしめる大部分な訳で、その力を強固に補ってくれるこれらの品々は、まさに名匠イーサンが打ち出す一振りをも凌ぐ心強い武装に感じられるものだ。
恐らく防御壁の外側では、夜に乗じ活動を始める獰猛な生き物達が興す音が響いていることだろう。
だが俺達は武器を下ろし安らぎを享受している。
修羅場のど真ん中に堂々と開ける、長年にわたる冒険者達の血肉の結晶。人類の砦である最後の休憩所は、何物にも代え難いサウドの宝だ。
「野生の発現……とでも言うんでしょうか。御二人が居なかったら俺はきっと……」
薄暗い空間に浮かび上がる鋭利な犬歯と、こちらの躊躇いや恐れを刈り取らんばかりに向けられた猛々しい眼光。
ふいにあの表情が思い出され背筋に寒気を覚える。
「ふふ、私達がついてるんだもの。言ったでしょ? 万が一なんて無いって」
「ええ、本当に。だから俺達は前へ進めます」
「需要と供給はさておき、可愛い後輩達に頼りにされたとなりゃ、否やもないさね」
森を進む深度に比例し畏敬の念は増すばかりだ。
己の実力が向上すれば理解や実感できる物事の幅も広がるが、それに伴う底が全く伺い知れないベテラン二人の度量の深さ。
そんな現場に己を投影すると、現状は背伸びをした不安定な足元であるとも表現できるわけだが、二人が居れば不可能が自ら道を空けてくれるような安心感も同時に覚える。
「ロング……どれくらいで目覚めるでしょうか?」
「お腹もすかせてるだろうし、いい匂いが漂う頃には目覚めるんじゃな~い?」
「そうですか……」
「そうだヤマト。火の番くらいはあたしにも出来るから、景気づけにあれ、読んでおくれよ」
「ええ、分かりました。それじゃあお願いします」
「リーフル? いらっしゃい」
「ホホーホ(ナカマ)」
リーフルがベルの膝に飛び乗る。
俺は異次元空間からボロウの小説を取り出し、浅くページをめくる。
『 ──目の前のカップには僅かな紅茶の跡。
そういえば初めて家へ招待したあの日、
君は少し遠慮気味に、一生懸命色んな話をしてくれたっけ。
返ることのない綺麗な横顔にそう語り掛け、
時の経過に怯え過ごす毎日。
ああ、そうだね。分かってるよ。
無意識にも握り返してくれるその温もりが何よりの証だね。
でも行かなくちゃ。
だって僕は、どこに居ても、何をしてても、君の名残を探し生きている。
だからこの旅路の行方に不安は無いよ。
いつも通り君を追いかけていれば、自ずとたどり着ける気がしてるから。
だから行ってきます。
必ず君を助けるからね。 』
出立に際し決意を吐露する主人公の一場面を読み上げる。
せがむビビットの心情は俺も同じくするところで、気概と希望がふつふつと呼び起こされる良いシーンだと思う。
「……人間に備わる勇気ってのは偉大なもんだねぇ」
耳を澄ませ聞き入っていたビビットが静かに呟く。
「その主人公、しがない物書きって話だったかしら。だとしたらなかなかの男前じゃない」
「──ならあなたの動機は? まだハッキリとは聞いていなかったわよね」
ベルが俺を見据え尋ねている。
「う~ん……理想を追い求めるロマン……」
「……きっかけが何であれ、今思えばティナちゃんをピクニックに連れ出すと決心した時点で、この冒険に出ることは運命づけられていたような気がしてます」
「なので答えとしては、俺は栄えあるサウド支部に所属する冒険者だから……ですかね」
ピクニックで着た衣装を取り出し、あの日の景色を思い出す。
「──自分も同じくっす」
ふいに後方から声が響く。
「ましてヤマトさんが示してくれた救えるかもしれない可能性。それを放置するなんて、冒険者の端くれとして恥ずかしい行いだと思います!」
「あら、ロングちゃん」
「ロング! 体調はどう? どこか異常を感じたりとか」
「全然へっちゃらっす! でもごめんなさいっす……トイレに行って気を抜いた途端に眠気に襲われて……」
「はは、いいって事さ。決着はついてたんだ、気にする事はないさね」
「ホホーホ! (ナカマ)」──バサッ
リーフルがロングの頭に飛び乗り、身を屈め抱きしめるように喜びを表現している。
「くふふ! リーフルちゃんも心配かけてごめんなさいっす」
ロングも頭上のリーフルを撫で応えている。
「あなた達よくやってるし、それぐらいしょうがないわよ」
「──で、ビビット。あなたは? まあ聞くまでも無いでしょうけど」
「フッ……否定はしないさ。それにあたしは、結構尽くすタイプだしねぇ」
「あらそう…………ま、熱にあてられた私も同類ってことになるのかしらね」
斜に構え髪をかき上げながらぶっきらぼうに語っている。
「ホ (イク) ホホーホ(ナカマ)」
リーフルが両翼を僅かに上下させ呟いている。
「はは。リーフルも『友達は助ける』って言ってますね」
「──あ! その話で言うと、理想像ってそれぞれあると思うっすけど、みなさんはどんなことを心掛けて活動してるんすか?」
耳を弾ませ興味津々と問いかけている。
「私? うーんそうねぇ……」
「おかげでお金には不自由ないし、それなりに人命を救ってきた自負もあるけれど、そういえば確固たる何かって意識したことは無いわね~」
「あたしもまあ同じようなとこだね。体格とユニーク魔法に恵まれて、自分の性格とも合致してるから、大盾を生業にしてるって感じだねぇ」
「俺は……うん、実質ロングを目標にって感じかなぁ」
「──ああ。なら、ある意味一番強いのはやっぱりロングかもね。はは」
「なるほどっす……って! 自分を目標にってなんすか! 自分は理想どころか毎日精一杯、失敗しないように、冒険者でいられるようにって、やってるだけっすよ!」
「その精一杯ってのが人間にとってどれだけ難儀なことか……耳が痛いねぇ。なあ?」
「そう平然と言っちゃうロングちゃんは、体現するようにいつだって綺麗で透き通る青い色をしているわ。これ以上の説得力は無いわね」
「むむ? どういう意味かいまいちピンと来ないっすけど、褒められてるって事っすよね?──照れるっすね、くふふ……」
火の番を代わり鍋の様子を窺う。
中にはベルからの要望があった牛肉のトマト煮が沸き立ち、食欲をそそるほのかに酸い匂いが漂っている。
脇に刺さる即席の串にはブルータスノルトの肉が連なり、いい塩梅に肉汁がその表面に浮かび上がりつつある。
主食のパンには、メイベル渾身の新商品であるリライアンスロール──渦巻き状で平坦な形をしていて、表面にはワイルドベリをメイプルシロップに掛け合わせた、特製の赤いソースのデコレーションが施されている──を用意した。
これら豪華なラインナップは決して最後の晩餐などではない。
決意をより補強し英気を養う、ミラスの花へとたどり着く為のご馳走だ。
「そろそろいけそうですね。どうぞ」──
皆の皿に牛肉のトマト煮を配膳してゆく。
「ああ、すまないね──でもそれ……もしあんたのジョークなんだとしたら、ちと突飛すぎる気がするねぇ……」
ビビットがリーフルの前に置かれた皿をまじまじと見つめ怪訝そうに呟く。
「え、これですか? それ程差は無いと思いますけど」
「差は無いって……だって生なのよ? あなたもこっちにしておきなさいよ」
テーブル上の自身の前に置かれたカタのカルパッチョ──イワシに似た魚の切り身を湯通しした後、オリーブオイルで浸け塩胡椒で味付けした料理──を指差しベルも眉をひそめている。
「じ、自分もカルパッチョで大丈夫っす!」
ロングが皿を一瞥し焦った様子でアピールしている。
(ふむ……多分ロングは素のアリーチが苦手って事なんだろうけど、やっぱり刺身は抵抗感があるものなんだ)
カルパッチョ自体はマリンが得意とする料理を用意してもらったものだが、それとは別に、生をそのまま薄切りにして用意してもらったこのカタの刺身は、個人的に密かな楽しみとしてとっておいたものだ。
カタの刺身にアリーチを一回し。和の心醤油ではない点は少々物寂しくもあるが、味自体は申し分ないので十二分に満足のいくものになっている。
「美味しいんですけどね、刺身って。街へ戻ったら一度試してもらえればと思います」
「ホーホホ! (タベモノ)」──んぐんぐ
リーフルが満足そうに俺と同じ刺身を頬張っている。
「あ~。あんたの婚約者が店を出すって話だったかね? もちろん顔は出させてもらうつもりだよ」
「婚約者~? 初耳なんだけど」
「マリちゃんさんっていう商人さんの事っすね! 自分もあのお店は楽しみにしてるんすよ~!」
「ご、誤解です! 婚約はおろか交際してもないですよ! マリちゃんに協力するのはそうですけど……」
「ふ~ん? 口ではそんな事言ってるけど。あなたって存外プレイボーイなところがあるのねぇ……」
何かを言いたげな雰囲気で指でテーブルをなぞり料理に目を向けている。
「ムムッ、ベルさん! そんな、ヤマトさんを遊び人みたいに言わないでほしいっす、心外っすよ!」
「あらロングちゃん、気付いてないの?」
「む? なにがっすか??」
「まあこの様を見せられりゃあ、多少そんな発想になっちまうのも無理ないねぇ……」
ビビットがテーブルを見渡し、少し意地の悪い笑みを浮かべている。
「あなたが火をつけたこの香木、ローズウッドの匂いでしょ。意味するところは『愛情』よ。露骨なメッセージだわ」
「へぇ~……木にも種類によって意味があるんすね」
「いや、偶然じゃないでしょうか。リーフルが気に入った匂いだっていう事情もありますし」
──んぐんぐ「……ホ?」
「ふん、それだけじゃないわ。あなただけに用意されたそのサシミ? って名前の料理。それに『信頼』の名を冠したパン」
「用意してくれたこのディナーは、あなたに対する想いで溢れんばかりよ。それだけ魅了してるって事の証左じゃない」
ベルがやれやれといった雰囲気で腕を広げ眉をひそめている。
「いやベルさん、そうじゃないんです! この想いの籠ったものは、自分達リーフニックの──」
「リーフニック? なあにそれ」
「──あしまっ……! な、何でも無いっす!」
ロングが耳を伏せ瞳を右往左往させ動揺している。
「ん? どうしたんだいロング」
「な、何でも無いっす! とにかく! ヤマトさんは遊び人じゃないっすから!」
これ以上の追求は許さないとばかりに語気を強め顔をそむけてしまった。
(ん~……? まただ……)
ロングはまさに清廉潔白という言葉が擬人化したと言っても過言ではないと思う程に清い青年だ。
それに企みや裏腹等を隠しおおせる器用さは、今のところ身についてはいないと思う。
そんなロングが近頃垣間見せる、不器用で明らかな秘事の気配。
これは、俺に知られたくない何らかの事情をロングが背負っている事を示唆しているように感じている。
そこで俺が考慮すべきなのは、ロングが隠し事をしているという点では無く、その内容の方だろう。
その中身について──例えば、俺が何らかの不利益を被る、あるいはリーフルの身に危険が及ぶような事態。
それらの可能性については、まず間違いなくロングは許容しないだろうし、そう信じたくもない。
とするとやはり、俺やリーフルにとって実害は無いが、介入されてはまずい──知られると己の立場が危ぶまれるような内容、という事になるだろうか。
一方的な仮定ではあるが、もしそうなのだとすれば、この『秘事』について追求してしまうとロングを追い詰める事となり、可哀想な結果になってしまうのだろうと予想される。
なので俺はただロングを信じ、知らんぷりを決め込む事にしている。そしてその上でもし実害を被るようなことになるのなら、それはそれでいいと思っている。
何故なら、信じるという行為は己が一方的に決断するもので、相手の行いが介在する余地は無いからだ。
(……まあロングに限ってそれはない。それに、俺もクエスト上多少の裏腹を抱えざるを得ないって事もあるしな)
(それよりもベルの指摘……そう思うと心強いよなぁ……)
立てかけるロングソードを眺めしみじみと実感する。
今回の冒険に出るにあたり、協力を要請したみんなの想いがこのテーブル上に集っているというベルの私見は、思いの外より提示された素敵な解釈だろう。
背負う使命感を全うするだけなら、それは冒険者である以上、結果如何に因らず己一人が死力を尽くせば周囲も自分も納得だろう。
だが俺には一心同体のリーフルの存在がある。
ベテラン二人は言うに及ばず。リーフルもロングも俺も、そしてティナを。
全てを平穏な日常へと導くには、到底一人だけの力では実現出来ない難題なのだ。
あくまで精神的な支えに過ぎない存在感ではある。
だが精神とは、人間を人間足らしめる大部分な訳で、その力を強固に補ってくれるこれらの品々は、まさに名匠イーサンが打ち出す一振りをも凌ぐ心強い武装に感じられるものだ。
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味のない異世界に転生したのは、料理研究家の 私!?
魔法効果つきの“ごはん”で人を癒やし、王子を 虜に、ついには王宮キッチンまで!
心と身体を温める“スキル付き料理が、世界を 変えていく--
美味しい笑顔があふれる、異世界グルメファン タジー!
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